2020 年 12 月 22 日

 不眠状態の不安定な精神が、夜中から夜が明けようとするまでの、この世で最も美しく、最も充実した時間に、いくつかの文学を読むこと。


 空を覆う黒は虚無を示す色ではない。古代ギリシア的な色彩感覚、白色をあらゆる色の充溢であると考える「健全な」色彩感覚とは逆の意味で、最も豊かな色なのである。あらゆる星の光さえ欠いている夜空にある種の豊富さを認めるのは、必ずしも否定的な意味を帯びているとは限らない「病的な」色彩感覚によってである。不眠の者たち、狂気的で、それと同時に月を愛でる者たちにとっての美しさを湛えている限りで豊かなのだ。


 「このような朝も、たしかに現実ではあるだろう。しかし、このとき、私たちは心がひどく昂っていて、どんなに些細な美しさにも酔わされるし、つねづね現実からは汲むべくもないような、夢の快楽に等しいものさえ手に入れることができる。個々の事物の、それなりの色彩が、まるで色のハーモニーのように心を打つ。薔薇が薔薇色であるのを見て、あるいは冬なら、木々の幹に輝くばかりの美しい緑色を見つけて、泣き出したいほどの気分になる。」(プルースト『サント=ブーヴに反論する』、「ジェラール・ド・ネルヴァル」)


 『パリの憂鬱』においてボードレールは「酔え」と言った。「いつも酔っていなければならない。一切はそこにあり、それこそが唯一の問題だ。あなたの両肩を押しくだき、あなたを地面へと押し屈める〈時間〉の厭わしい重荷を感じないために、休みなく酔っていなければならない。だが何に? 葡萄酒に、詩に、あるいは美徳に……」

 酒に、詩に、美徳に酔って満たされるものはこの世において幸福である。そうでないものは不幸である。酔って満たされることのないものは、満たされることなく渇き続けるであろう。永遠に。

 だが渇き続けるものこそ真に幸福である。私たちは満たされるために酔わなければならないというのではなく、むしろ満たされることへの準備として酔わなければならないのである。酔うことは手段であって目的ではない。酔うことによって日常から、平常心から、そして夢と対置される限りでの現実から醒める。この覚醒によって私たちはようやく真理の道を見出す準備が整うのである。


 「寝ているときは魂が交わり、目覚めると形がはたらく」(『荘子』「斉物論」)

 「目覚めている者たちは、一にして共通の世界があるが、眠っているものたちは、各々が、それぞれに固有なものへと帰っていく」(ヘラクレイトス、断片 B89)


 夜が少なくとも精神の耗弱したものにとって優しく、またあたたかく感じられるのは、おそらく昼間の明るい光が極度にまで弱められることで、眩しさに埋もれていて視ることのできなかった、そして明るさの中で忘却してしまっていたあの懐かしい精神的なもの、霊的なものを視ることができるようになり、思い出すことができるからであろう。また、太陽の熱の中では、その温度の中に紛れ込んでしまって所在が分からなくなってしまっていた、手触りのよい秘密の物質のありかをその手で探り当てることができるようになるからでもあろう。それゆえ、精神の耗弱したものたちは昼間を疎んじ、太陽の光を忌避し、夜を愛し、月の光を浴びて悦ぶのである。


 これから徐々に私たちは夜が短くなる日々を歩みゆく。これほどの絶望があるだろうか?

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書簡集 白井惣七 @s_shirai

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