群青色の記憶④

 反射的に暗い気持ちを振り払うのと、わかくんが息を切らせながら駆け寄ってくるのは、同時だった。


「やっと見つけた。よかった……」

「若葉くんが慌てるなんて珍しいね。何かあったの?」

「うん、ものすごく! どうしても話しておかなくちゃいけないことがあって」

「は、はい。何でしょう……?」


 とても真剣な若葉くんを前にして、身動きが取れなくなってしまう。

 さながら、ヘビに見込まれたカエルみたいだった。

 一体何を言われるのか、ハラハラしていると、


「ごめん。すっかり忘れてた」


 ヘビに謝られ、ポカンとするカエル。


「ほんっとごめん。ついさっき思い出したんだ。もう……どうして昨日気づかなかったんだろう」

「えーと、何のことです?」

「今日の漢文、古文に変更したんだ。予習するよう、昨日の授業中に言われてたんだけど、すっかり忘れちゃってて」

「……マジですか」

「マジです」


 それはビックリ仰天事実発覚。

 古典担当の西田先生は、課題に厳しいお方。

 忘れたとなれば、どうなることかわかったもんじゃない。おまけに、授業は次だし。


「本当にごめん!」

「あ、謝らなくていいよ! 私が頑張ればいいことだから」

「やっぱり僕の責任だし。……今から時間もらってもいい?」

「特に支障はないけど……?」

「僕が教えるよ。せめてものお詫び。お願い、やらせて?」


 願ってもない提案に、私は飛び上がった。


「お願いも何も、大歓迎だよっ!」


 若葉くんってなんて親切なんだろう。

 こんなにいい人を遠巻きにするなんて、もったいないことをしていますよ、クラスのみなさん!

 なんて思っていると、微笑ましげな視線を感じた。


「私の顔にゴミでもついてる?」

「ううん。ちょっとね」

「…………」


 待って。デジャヴだよ、これ。


「ちょっとって、なに?」

「それは秘密」


 やっぱり!

 にっこり顔でごまかそうとする若葉くんをじーっと見つめる。


「若葉くん、気になるよ。ものすごぉ~く気になるんだけど?」

「…………」

「…………」

「あははっ」

「そこ笑うとこ!?」

くればやしさんは、笑った顔が素敵だなあと思って」

「す……っ」


 ステキ!?

 この人はまたとんでもないことを!


「まぶしすぎるくらい笑顔が魅力的な人に言われても、説得力がないんですけど!」


 思わず叫んで我に返る。

 若葉くんが、目をしばたたかせていた。

 しまった。私、何をバカ正直に……


「ありがとう」


 そういうところだけちゃっかり聞いてる若葉くんは、ある意味油断ならない。

 どんなときも笑顔で全部片付けちゃう。

 ……ズルい。


「ひとまず教室に荷物取りに行って、図書室でしようか。ふたりで集中できるよ」

「うん、そうだね……って、ふたりぃっ!?」

「人目のつくところじゃ、やりにくいでしょ?」

「そ、そうでした……」


 素顔を知られたくないと言い出したのは私。

 若葉くんはそれを意識しながら接してくれている。

 だから、私がどうこう言える立場じゃないのはわかってるんだけど……胸の奥がキュッとなるのはなぜなのか?

 ……早くも難問が立ちはだかってきたものだと、頭が痛くなってきた。




  ☆ ★ ☆ ★




 わけのわからない質問をしてきたかと思えば、急に駆け出す。

 人に物を拾わせておいて薄情な女だと、苛立ちすら覚えた。

 だが、虚空に悪態をついたところで余計な体力を消費するだけだから、仕方なくアイツのランチバックを手に後を追った。

 そこで目にしたもの。


 ……何だ。

 何なんだ、あれは。

 寝ぼけるのは寝てからにしろ。

 一度は自分を叱咤したが、すぐに、目前の光景が幻などではないとわかる。

 そこには編入生と話す紅林がいた。

 だがいつもの仏頂面ではなく、気弱そうなクセして明るく笑う、そこらのヤツと変わりばえのしない女だった。


 何だ、やっぱりただの女じゃねぇか。

「最凶の不良」がただの女。そんなヤツに言いくるめられたのか、俺は。

 一度でも認識してしまうと、ふつふつと沸き上がる感情を抑えきれない。


「……クソッ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜空の琥珀 はーこ @haco0630

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ