コーヒーと少女は月夜に踊る
カワサキ シユウ
コーヒーと少女は月夜に踊る
街灯から少し離れたこの公園には三日月の頼りない光だけが降り注いでいた。住宅街の真ん中にある小さな公園。少女はその中でもさらに薄暗いところにぽつねんと放置されたベンチに腰かけていた。横に置いたジョー〇アの缶は月の光を反射して蒼白く光っていた。やがてその缶はぶるぶると小刻みに振動を始めた。その様は不気味なこの夜に怯えているようにも見えた。
「ついに見つけたんだね」
ふいに少女は牽制するように声を発した。そこにいた誰かは観念したように気配を露わにし、やや明るい公園の中央に進み出た。三日月はニタリと笑うようにその姿を照らした。
「エ×ラルドマウンテンマウンテンブレンド……間違いないな」
「……よく知っているのね?」
少女に焦りはなかった。あるのは、ついにその時がきたか、という諦めと静かな覚悟だけだった。
虚空に浮かぶ月は冴え冴えとした輝きを放っていた。対峙した男の顔は、その青白い光に照らされたからだろうか、緊張に強張っているようにも見えた。辺りは張り裂けそうなくらいの静寂に満たされていた。
「……その缶を、渡してもらおうか」
その言葉通りになることをまるで期待していないような、濁った口調だった。そして、少女も従うつもりなんてなかった。首をすくめて不敵に笑った。
「そうか……仕方がないな」
男は軽く足を開いた姿勢をとって身構えた。くる。少女は男の動きに警戒しつつ、鋭く視線を走らせた。男の手が動く。シャツの裾をゆっくり捲ると、その下には中年太りしただらしのないお腹があった。いや、それだけではない。
「まさか……サ〇ンパス!?」
月の光を集めた肌色の布が神々しいまでの輝きを放っていた。彼女が見間違えようはずもない。少女はその経験から確信していた。あれはバン×リンでもフェ×タスでもない。有効成分はサリチル酸メチル。第三類医薬品の、サ〇ンパスだ。
「まさかサ〇ンパスをおへそに貼るやつがいるなんてね……クレイジーだわ」
「お腹がヒンヤリして気持ちいいのさ。……でもな、良い子のみんなはマネしちゃダメだ、ぜっ!」
瞬間、男が飛びかかってくる。
「くっ」
少女は視線を横へと走らせた。仕方がない、ケチってる場合じゃないか、と内心溜息をついた。
「はぁああああああっ!」
渾身の勢いでエ×マンを身体の前に突き出す。黒色の液体が月光に照らされてキラキラと瞬いて、それは反転した天の川のようだった。その川の端が吸い込まれるように男のお腹に飛び込んでいく。サ〇ンパスの肌色の輝きがコーヒーの黒に染められて、汚れていく。
「ぐわあぁあああ!」
その熱量と黒さに耐えられなかったのか、男が吼えた。
「サ〇ンパスのヒンヤリと! コーヒーの温かさが! 混じりあって! 気持ち、悪い!」
男は奇声をあげながら走り去っていった。きっと帰ってシャワーを浴びるのだろう。今夜の戦いは終わったのだ。
「用法・用量を守って、正しく使用して、ね?」
空になったエ×ラルドマウンテンの蒼い光がキラリと反射し、静かに笑ったようだった。
おわり
コーヒーと少女は月夜に踊る カワサキ シユウ @kawasaki
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