(10) 過去の話②/潜入大作戦!


「はっちん、はっちん、俺の弟の写真見る? 見るよね?」

「見るかよ、クソヤロウ」

「もーう。はっちん口悪いぞ」


 そんなことを口にしながらも、喜多野千里は壁際の本棚から一冊のアルバムを取り出すと、机の上に広げた。ソファーに体育座りをして座っていた日加里蜂は、目の前に広げられたアルバムに、なんとなく視線を向ける。


「これが、風羽が産まれたばかりの写真。ちなみに当時の俺は、六歳だったんだぜ」

「その情報、誰得なんだよ」


 産まれたばかりの赤ん坊が、母親の腕の中で、すやすやと寝息を立てている。この写真を撮ったの俺なんだぜ、というわりとどうでもいい情報とともに、蜂はつまらなそうな眼差しで、まだ目も空いていない赤ん坊を見つめる。ふと顔を上げると、蜂は千里を見た。それからため息を吐く。


(この男とは、全然似てないな)


 そう思ってのため息だったのだが、千里にはどう伝わったのか、さらに嬉々として、アルバムを捲っていく。どうでもいい説明とともに。


「これが、生後一か月の時の風羽。そしてこっちが、二カ月ね。ほっぺたぷにぷにでかわいいの。――で、これは風羽が初めて立ち上がったときの写真。んで、こっちが、初めて歩いたときの写真。動画も撮ってたんだけど、家――ああ、勘当されたからもう俺の家とは呼べないけど、に置いてきちゃったからないんだよね」


 ああ、めんどくさい、と蜂は思った。この男は、弟の話をしだすと長くて困る。

 聞きたくもない話を聞かされるのが嫌になり、もうそろそろ寝ようかとそう思った時、五歳になった風羽の写真を見ていた千里がしみじみとした目で、ぼんやりと声を上げた。


「許せないよね」

「……え」


 いままで聞いたことのない声音だった。足を、勢い良く床に振り降ろしたような振動を感じる声。耳を疑った蜂は、思わずすっとんきょんな声を上げる。

 アルバムを捲りながら、千里はボソボソと言う。


「こんなにね、こんなにかわいい俺の弟を、俺を慕ってくれる唯一の家族を、傷つけたヤツがいるんだ」

「……」


 初耳だ。ここ数日、蜂に内緒で千里がバタバタしていたのは知っているが、そんなことがあったなんて。


鷹野夜名たかのよなっていう、喜多野家の元使用人の女だよ。名前は偽名らしいし、経歴も住所もデタラメで、彼女の行方も、まだ解っていない」

 けど、と千里は言葉を続ける。


「ひとつだけ、解ったことがある」

「……なんだよ」


 思わず、蜂は訊ねた。

 千里は蜂の目を真っ直ぐに見つめると、いつになく真剣な眼をして言った。


「風羽が行ったという、病院の所在が解ったんだ。その持ち主の名前もね。かろうじて、情報が残っていたんだよ。そして、調べていくうちに、その組織――詳しくはわからないけれど、何かの団体のようなもの――があることも、解った」

「そ、そうか」


 何がなんやらわからないけれど、蜂は何となく、千里の言わんとしていることを察していた。


「俺、その組織に近づいてみようと思ってるんだ。あわよくば、潜入できればいいとも思っている。どうやら、その組織は、優秀な異能力者を集めていて、何かをしようとしているみたいだしね」

「ははっ。ちーちゃんが優秀だって! 笑わせ」

「はっちん、俺はいま、真面目な話をしているんだよ」

「……ごめん」


 千里の眼は全く笑っていなかった。ここまで千里が感情を押し殺して、静かに闘志をみなぎらせた瞳を湛えているのを、蜂は初めて見る。


「潜入作戦がうまくいくかはわらないし、俺ひとりでどうにかできる問題かもわからない。だけど、もしよければなんだけど、はっちんにも手伝ってもらいたいって思ってるんだよね」

「……」


 ギュッと、蜂は両手を握りしめた。

 きっと彼もわかりきっているだろう返答を、蜂は口にする。


「ぜったいに嫌だ! やりたいなら、ちーちゃんひとりでやればいい!」

「……うん。はっちんなら、そう言うと思ったよ。俺が無理やり一緒に暮らそうって言ってるんだもんね」

「とんだ変態野郎だぜ」

「いやいや、俺、弟よりも年下の女の子に興味はないよ」

「弟にぞっこんなクソヤロウだからな」

「いやいやそうだけど……いや、俺、普通に女の人が好きだよ? こう、包容力があってやさしい人?」

「テンプレートみたいな好みだな」

「そ、そんなこと言うんじゃないぞ」


 さっきまでとは打って変わって、千里は焦ったように頬を掻く。

 蜂は、マスクの裏に隠した口を引き結ぶと、そんな千里を睨みつけた。


「ええー。なんではっちん、俺を睨んでくるの?」

「クソヤロウな唐変木だからだよ、弱虫」

「ええぇー。意味わかんないんだけど」


 すっかり拗ねている蜂は、それでもなお、千里を罵倒し続ける。


「ばーかばーかばぁか」

「もうそれただの悪口じゃね?」



 それから数週間後、千里は無事に、その組織とやらの一員になることに成功したらしい。

 けれども、気配を消した千里も内緒でついて行ったのだけれど、その組織の全容はいまだに解っていない。千里は、蜂以上に、知っていそうなのだけれど。

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永遠に響くレクイエム 槙村まき @maki-shimotuki

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