第47話 その後のお話
気がついたら、津田沼駅の北口のベンチに座っていた。
朝の早い時間だろうか。靄のかかったような空気がきらきらと輝いている。
「夢……」
僕はつぶやく。
その声は、女の子の声じゃなくて、男の声だった。
僕は胸を触ってみる。真っ平らだ。おっぱいなんてない。股間にもちゃんと男の大事なものがついているようだ。
背中に翼もないし、尻尾もない。
酔っ払って変な夢でも見てたんだろうか。それにしては、あの夢はあまりにもリアルすぎた。レズビアもカーミラもスウィングも僕の脳みそが作りだした幻だったんだろうか。
だとすると、あまりにもむなしくて、悲しい。
僕は今度は頭を触ってみる。やっぱり角はない。魔族じゃなくて、人間だ。
ただ、何かが手に引っかかった。
それを外してみる。
ヘアピンだった。レズビアが買ってくれた、リボンのついたやつ。
ああ、夢じゃなかったんだ!
レズビアもカーミラもスウィングもちゃんと実在しているんだ。元気にやってくれたらいいな。
僕はジャケットの右のポケットのそのヘアピンを大事にしまった。
そして、ジャケットの反対側のポケットからスマートフォンを取り出して見てみた。僕が召喚された時間から、二十時間くらいが経ったいた。
えっと、今日はたしかコンビニのバイトの日だ。でも、行く気力がない。
僕はバイト先に電話する。
「もしもし、山田です」
店長が出て、
「おう、どうした」
「あの、しばらく休みます」
「おい、どういうこった。いきなり休まれても困るんだよ」
「身体がなんか変なんです」
「そんなん理由になんねーかんな。絶対に来いよ」
僕は店長との電話を切った。
そして、違うところに電話をかける。
「もしもし、母さん?」
「たかし?」
「うん。これからそっちに帰るよ」
「え? どうして急に……?」
「休みが取れたからさ、しばらく会ってなかったし」
「わかった。じゃあ、待ってるから」
「うん。じゃあ」
僕は電話を切って、スマホの電源を落とした。
もうアルコールは抜けているはずなのに、立ち上がるとあまりの身体の違いにふらっとする。
チンピラとぶつかりそうになり、慌ててよけたためしりもちをつく。痛ぇ。
彼は僕を見下ろし、バカにしたように笑って去っていった。
そうだ、おっぱいの大きさを考慮しなくていいから、あんなにおおげさによける必要もなかったんだ。
僕は津田沼駅の窓口に行って、新幹線の切符を買った。
※ ※ ※
実家に帰って、母さんのカレーを食べた。やっぱり母さんのカレーがいちばんだ。
それから、父さんと母さんと長い長い話をした。ただ、魔界での話はしなかったけれど。
そして、二日後に千葉に帰った。
※ ※ ※
僕はバイト先のコンビニに行った。
「おい、今までどこ行ってたんだよ!」
事務所で店長が言う。
「実家に帰ってました」
「お前のこのこと現れやがって。クビだ!と言いたいところだが、明日からちゃんと働けよ。人手がいないんだ」
「いいえ、僕は辞めます」
「なに冗談言ってんだよ」
「僕にはやっぱり向いてないなって思ったんです」
「コンビニのバイトに向いてるも向いてないもあるか」
「いろいろ考えたんです」
「ダメだからな。こないだなんて、中国人とベトナム人とスリランカ人とネパール人が面接に来たんだが、やつら日本語がまったくダメで、もうこりゃどうしろっていうんだよ。オーナーはお客さんは大目に見てくれるから雇えって。バカじゃねーのって。お前がいなきゃ困んだって」
「ごめんなさい」
「とりあえず今日は帰っていいが、絶対明日来いよ」
「いいえ。今までありがとうございました」
と、言って僕は事務所を辞した。
「電話すっかんな」
背後から店長が僕に言った。
コンビニの店内では、また鈴木くんがお客さんと揉めていた。
「俺が出したのは二千円札だ。何で千円ってレジに打ってんだよ」
「てか二千円札ってなんすか。偽札ですか」
「偽札じゃねーよ。なにバカなこと言ってんだよ!」
彼の隣のレジでは、中国人の女の子が、
「ケタイ代の支払い……? やてない」
「いやいや、そんなことないでしょ。やってるでしょ」
「やてない」
店長が慌てふためきながら事務所から出てきた。
僕はそれを横目に見つつ、店から出る。
そして、コンビニの喫煙所でたばこを吸うことにした。いつぶりだろうか。魔界にいるときも実家に帰ったときも吸いたいとは特に思わなかった。
「先輩!」
と、黒沢さんが僕のところに来た。最近入った女子高生だ。
「なんか店大変そうだけど、いいの?」
「今は休憩中です。休憩中は一切働かないって決めてるんです」
「そうなんだ」
そういえば、メイドの仕事に休憩とか特になかったな。
「先輩ってたばこ吸うんですね」
「たまにね」
僕はジャケットのポケットからたばこを取り出し、火をつける。
「あれ、先輩、何か落ちましたよ」
と、黒沢さんが拾い上げる。
それはレズビアが買ってくれたヘアピンだった。
「大事なものなのに落とすなんて」
黒沢さんはヘアピンをじっと見つめ、
「これ、この世界のものじゃないですよね?」
「え……? どうして……?」
僕はわけがわからなくなって、呆然とする。
たばこの灰が服に落ちたけれど、構わず立ち尽くして黒沢さんを見る。
「私、こういうの仕入れて売ってたりしてたからわかるんです。裏側のところに紋章が刻まれてます。気休め程度ですけど、魔力を高めてくれるんです」
「その効果は初めて知ったけど」
「先輩は何者なんですか?」
「ただのフリーターだけど。黒沢さんこそ……」
そのとき、はっとひとつの考えが浮かんだ。
「リリア……?」
黒沢さんは雷に打たれたかのようにはっとすると、
「どうして、知ってるんですか……!?」
「女の勘ってやつ」
「先輩は男じゃないですか」
それから僕はレズビアによって魔界に召喚されて、リリスという淫魔族の少女の姿にされて、おまけにメイドにもされて、それからいろいろなことがあったということを全部話した。おっぱいめっちゃでっかかったってことも。
「そうですか。レズビアが……。元気そうでなによりです」
「ずいぶんと偉そうな性格になったけどね」
「あの子、純粋で騙されやすい子ですから、先輩がずっとついていてあげてればよかったのに」
「自信なかったんだよ。魔界で生活するのも、女の子の姿でいるのも。それに、両親にも会いたかったし」
「私だって大変でしたよ。ここでうまくやっていくのなんて。今でも慣れないことはいっぱいあります」
「ずいぶんと慣れてる気がするけど」
「先輩の女の子姿見てみたいな~」
「リリアとおんなじような顔だけど」
「いえいえ、レズビアの思い出補正が入っているはずです」
黒沢さんはそう言うと、僕の胸をがしっとつかんできた。
「ちょ、何すんの!?」
「先輩のおっぱい揉んでみたいな~」
「もうこりごりだよ」
と、僕は言った。でも、なんか寂しい気がする。ちょっと人間の世界は物足りない、そんな感じ。
「先輩、セックスしましたか?」
「バカ、やるわけないだろ。男とそんなことするなんて、気持ち悪い」
「私がバイトあがったら、ホテル行きます?」
「遠慮しとく」
と、僕は言った。
「リリアはどうしてここに来たわけ?」
「魔王の城には、盗みに入ったんです。それでレズビアから情報を得て、彼女の部屋に行こうとしたんです。レズビアの部屋だったら、もし盗もうとしたのが見つかっても『レズビアちゃんに会いに来たんだよ~』って言えばなんとかなりそうですし」
「なかなかの悪女だね」
「まあ、貧しかったですし。先輩こそ悪女だったんじゃないですか」
「そんなことないよ」
と、言ったけれど、いろんなひとの心をもてあそんでしまった感はある。
「で、レズビアの隣の部屋に行ったら、床がばーっと光って、そしたらなんかこの世界にいて、JKになってたわけです」
「大変だったろうね」
「そりゃもういろいろやりましたよ。聞きたいですか?」
「遠慮しとく」
「先輩、魔界にいればよかったのに」
「そうだね」
僕は魔界でのことを思い出す。
レズビア……。
※ ※ ※
その夜、僕はバーに行って、そうとうな量のウイスキーを飲んだ。
そして、べろべろになりながら、津田沼の漫画喫茶に泊まった。
※ ※ ※
起きて漫喫から出たら、もう昼ごろだった。頭も痛いし、腰も痛い。
太陽がまぶしい。
ちょ、まぶしすぎるって。
うおっ、まぶしっ!
………
……
…
「あのさ、感動のお別れからまだ三日くらいしか経ってないよね?」
僕はすっかり大きく膨らんでしまった胸を見る。
このリリスの姿、慣れてしまったというか、なじんでしまったというか、いちばんしっくりきてしまっている。
「バカ、もう一ヶ月くらい経っているぞ」
レズビアが涙を流しながら言う。
「この一ヶ月、リリスをもう一度呼び出すための研究をずっとしてたんだからな」
「レズビアってほんとに勝手だよね」
「リリスは私のメイドだ。逃げることは許さん」
レズビアは手で涙をぬぐう。
「はぁ、さいですか」
「早くこれを着るんだ」
レズビアがメイド服一式を手渡してくる。
僕はいそいそとメイド服を着て、メイドさんになる。
あー、しっくりきちゃってんなー。
レズビアは僕の尻尾をつかんで、
「さあ、今から学校に行くぞ」
「ちょっと待って。今、朝なの? 学校ってちょっと急すぎんでしょ」
「ほら、早く行くぞ」
僕とレズビアは魔界学園に向かった。
僕のこの魔界での生活は続くんだろう。
これから、ずっと――
頭の角は「悪」のしるし 竹乃内企鵝 @takenouchi_penguin
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