帰り道の一コマ 〜一コマシリーズ3
阪木洋一
帰り道
放課後の、学校帰りのことである。
「あ。こ、小森先輩っ!」
呼ばれた彼女は、陽太に気付いて、眠たげな瞳と丸みのある顔に、微かな笑みを浮かべる。
「……陽太くん。今、帰り?」
「は、はい。今日は部活もないんで」
「……そうなんだ。会えて、嬉しい」
「――――っ」
嬉しい。
その笑顔のままでそういうことを言われると、いやでも、陽太の鼓動は跳ね上がる。
出会ったときからそうなのだが、相変わらず、邪気のない先輩だった。
……そうだ、この流れなら。
「じゃあ、小森先輩」
「……?」
「今から、ど、何処かに遊びに行かないッスか?」
「……ん、ごめん。今日は真っ直ぐ帰ってきてほしいって、お母さんに言われてるの」
「あ……そ、そッスか……むぅ」
思い切って遊びに誘ってみたものの、不発に終わってしまった。
まだまだ、調子に乗る段階ではなかったか……!
「……でも」
「? でも?」
「……陽太くんがよかったら、駅まで、一緒に帰ろ?」
「え……」
ただ、わずかながらも効果があったようで。
「あ、は、はいっ!」
「……行こ」
「はい、つ、付いていくッス」
「……?」
それだけでも、陽太の心は高揚するのだ。
で。
二人肩を並べて、最寄りの駅まで歩を進めていくものの。
――や、やべ、何話したらいいんだろ。
陽太、話題が思い浮かばない。
彼女とは何度も話したいとも思っているし、言いたいことも……もちろんあるけど、それを言えるだけの自信が、陽太にはまだまだ備わってない。
なおかつ、同年代もしくは近世代の女の子が喜ぶトークというものを、まったくイメージできない。
普段の部活で、姫神部長を始め女子が数名居る環境に身を置いているものの、あいつらはいろいろ特殊であるわけで。
ごくごく普通の女子である小森先輩とは、この帰り道を共にするというシチュエーションで、一体、何を話せば……?
「……陽太くん」
と。
いろいろ考えているうちに、小森先輩の方から声をかけてきた。
「あ……は、はい、なんッスか?」
目を逸らさず、真っ直ぐに彼女を見て、陽太は応えようとしたものの、
「……呼んでみただけ」
「――――!」
眠たげな半眼で、ちょっとした笑みを浮かべながら、ただそう言われただけで。
陽太は、胸を貫かれた。
息が詰まった。
ただただ、可愛い。
本当に、何なんだこの人。
そういうこと言われると、いろいろ勘違いしちゃうでしょ……!
「……どうしたの?」
「い、いや、なんでもないッス」
心がかき乱されながらも、陽太、表面は何とか平静を保つことが出来た。セーフ。
……そういえば、こういう時って、お返しをすればいいんじゃなかったっけ?
SNSで載せられてた漫画かなんかでこういうパターンのやつを見た気がする。
決まってこう言う漫画には『爆発しろ』だのなんだの、そういうコメントが付いていた気がするが、意味についてはわからない。
――ただ、やってみる価値はあると思う。
「こ、小森先輩」
「……なに?」
「呼んでみただけッス」
「…………」
その結果。
「…………そう」
その、眠たげな顔に。
少しだけ。
――ほんの少しだけ、不機嫌の色が、浮かんだかのように見えた。
え……?
「こ、小森先輩?」
「…………」
今度は、呼んでも応えてくれない。
むう、と声が出てきそうな。
そんな不貞腐れたような、イジケたような、そんな顔のまま、小森先輩は歩いている。
これには陽太、大いに焦った。
オレ、何か悪いことを言っただろうか……などと、原因を探している場合ではない。
学校から駅までは、徒歩十分の距離。
今居る場所からだと、残り三分で駅に着いてしまう。その三分の間に、どうにか挽回せねばならない……!
……ど、どうすれば?
考えても、答えなど出るはずがなかった。
女慣れしている男ならまだしも、まったく慣れておらず、恋愛事情にも疎い不器用な塊の陽太が、不機嫌な女の子を宥める術を閃かせるのに、三分という時間はあまりにも短い。
「……あ」
おろおろしている間にも、駅に着いてしまった。
時間切れである。
「こ、小森先輩」
何も思いつかず、ほとんど苦し紛れで、陽太が声をかけると。
「……ごめんね」
――小森先輩、今度は何故かしゅんとなっていた。
「え……え、な、なんで、謝るんスか?」
「……ちょっと、わたしの中で、いろいろと整理が付かなくて」
「整理?」
何のことを言っているんだろう?
「……陽太くん、わたしね」
「あ、は、はい」
「……もっと、陽太くんと、仲良くなりたいなって思ったの」
「――――」
ゴトリ、と、過去、何度もそうなったように。
陽太の中で、音が鳴った。
一瞬、何を言われたか、陽太にはわからなかった。
わからなかったのだが。
――彼女の言いたいことは、まだ続く。
「……でも、陽太くんは、いつでもわたしから一定の距離を置いてるし」
「――――」
「……先輩後輩というのもあって、陽太くん、いつでもわたしに丁寧語だし」
「――――」
「……わたしは名前で呼んでるけど。さっきもそうだったように、陽太くんは、わたしを名前で呼んでくれないから」
「――――」
「……まだ、そんなにも仲良くなれてないのかなって」
「――――」
「……どうすればいいのかなって思うと……わたし、変に気が立っちゃって――」
「――ストップ! ストーップ!」
陽太、理解が追いつかないまま黙って聞いていたが、そろそろ限界だった。
何が限界って、恥ずかしさが、いろいろと。
「……陽太くん?」
ちょっと涙目で見てくる小森先輩に、陽太は一瞬目を逸らしそうになるが。
強い気持ちを持って、真っ直ぐに向き合う。
「大丈夫ッスよ、小森先輩。仲良くなれてないなんて、そんなことないッス」
「……そうなの?」
「そうッス!」
「……わたしと陽太くんは、仲良し?」
「仲良しに決まってるッス!」
「……ちゃんとした、お友達?」
「うぬっ……」
ここだけは微妙な気分になったが、もちろん表に出さない。
「お、お友達ッス!」
「……じゃあ、名前で、呼んでくれる?」
「う……」
これには、陽太はわずかに迷った。
そこまで、年上の人に馴れ馴れしくしてもいいものかと。
ただ。
――彼女の頼みとあれば、応えたい。
その辺は、思い切りで。
「……え?」
でも、大きな声で、面と向かってそうするのは。
ちょっとというか、かなり恥ずかしいし。
いきなり呼び捨ても、どうかと思うので。
「――好恵、先輩」
耳元で、囁くように呼んだ。
「――――」
一方の小森先輩、少しの間だけ固まっていたようだが。
「……………………はぅ」
ややあって。
顔どころか耳まで真っ赤にしながら、膝から崩れ落ちた。
「せ、先輩!?」
「…………」
小森先輩、身を震わせながら、まだ立ち上がれない。
短い呼吸を繰り返して、必死に心を整えようとしているのがはっきりとわかった。
「だ、大丈夫ッスか?」
「……ご……ごめん、だ、大丈夫」
二、三分ほどして。
「……い、いきなり耳元で、そう言うのは、いろいろ、いけない気がするの……」
「え、な、なんスか?」
「…………なんでもない」
いまいち、陽太には彼女の声が聞き取り辛かったのだが。
ややあって。
「……よかった。また少し、仲良くなれた気がする」
小森先輩はよたよたと立ち上がりながら、弱々しい笑みを向けてくれた。
顔はまだ赤い。
可愛い。
やばい。
落ち着け、オレ。
荒ぶる気持ちをどうにか静めつつ、陽太は応える。
「は、はい、小森先輩が――」
「…………」
「あ……ええと、こ……好恵先輩がそうして欲しいなら、今度からもそう呼ぶッス」
「……うん」
晴れやかに、頷いて。
「……じゃあ。ばいばい、陽太くん。また明日」
「はい……好恵、先輩。また明日」
いつにも増して軽やかな足取りで、改札を潜っていく彼女の後ろ姿を、陽太は見送りつつ。
その姿が、見えなくなってから。
嫌われていなかったという、ホッとした心地と。
また少し仲良くなれたという、嬉しさと。
彼女を初めて名前で呼んだ、気恥ずかしさと。
これからいろいろどうなるんだ、という未知への思いと。
他、様々なことが混ざりに混ざって。
「はあああああああああぁぁぁぁ……ホント……女の子って、わかんねェ……」
平坂陽太は、長い息を吐きながら、その場でしゃがみ込んで。
そのまましばらく、動けなかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
翌日以降。
部活動中。
「……陽太くん」
平坂陽太を訪ねて、小森好恵が部室に遊びに来るようになったという。
「こ、好恵先輩」
「……来ちゃった」
「何かうちの部に用でも?」
「……ううん、部活のみんなの、お手伝いに。迷惑だった?」
「そ、そッスか。好恵先輩が来てくれて、嬉しいッス」
「……うん」
客人が部室に一人二人居ても、邪魔にさえならなければ、特に活動には困らないのだが。
「……今日はクッキー、焼いてきた。皆で食べて」
「ああ、わざわざありがとうございます。この前のも、めっちゃ良かったッスよ」
「……そう? 嬉しい。また、持ってくるね」
「うっ……は、はいっ!」
この二人のやり取りを見て。
室内にいる部員達の誰もが、思うことがあるのだが。
「ヨータ」
「ん? どうした、姫神」
「イチャ付くなら余所でやれ。暑い」
「な……い、い、イチャ付いてねェし!? そんなんじゃねェし!?」
帰り道の一コマ 〜一コマシリーズ3 阪木洋一 @sakaki41
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