第4話
ドゥシャンが家庭教師として寄こしたのは、驚く事に自身の娘であった。隆臣の信用を得るための人質だろうか。それとも見た目によらずヴァレンティーナの腕が立ち、隆臣の見張り役として立てたのか。彼女やリリアナの話によれば、どうやら家庭教師には彼女自ら立候補したという。やる気は上々らしく、リリアナが運んできた教材が山のようにデスクへと積まれた。
「わたくし、貴方様とお話してみたかったんですのよ。詳しい事は聞いておりませんが、あのお父様が丁重におもてなしなさる方ですもの。よっぽどの方なのだと思っていたら、家庭教師が必要だなんて。矛盾で好奇心がくすぐられてしまいましたの」
立候補の経緯を、ヴァレンティーナは言いよどむ事もなくそう話した。やはりドゥシャンは領主としてそれなりに地位が高く、普段もてなされる事はあっても、もてなす側になる事は少ないらしい。
それはヴァレンティーナも同様らしく、隆臣の部屋の応接用ソファに自ら腰かけると、どうぞと対面のソファを隆臣に示した。
「それで、タカオミ様は何をどこまでご存知なのかしら? わたくし、どこからお教えしたらよいものか、分かりませんでしたので、まずはそこから知らなくてはね」
「何をどこまでと言われても、俺は異世界から来たから、ほとんど何も……」
「まあ! 異世界から?」
「聞いてない?」
「お父様ったら本当に何も教えてくれないのよ。お名前以外、何も」
ヴァレンティーナの言葉には嘘がなさそうだった。驚愕する様子に演技じみたところがないのだ。いったいどうして大事な娘を、何も知らせないまま敵ともしれない隆臣のもとへ送り込んだのか。いよいよ分からなくなってしまった。
隆臣はひとまず、自身の知り得るゼクスアルシュの常識を語った。孤獣の事、最初に辿り着いたテック村の事、獣界の事。隆臣にはほとんど聞いただけの話で実感はなかったが、知識として持っているのはその程度だった。
「話の腰を折りたくなるようなお話もございましたけれど、おおよそ何もご存知ないという事が分かりましたわ!」
意外にも黙って隆臣の話を聞いていたヴァレンティーナは、またもや悪びれる様子なくそう言い切った。それから教材の準備をするようあれこれとリリアナに命じると、退出するリリアナに手を振って送り出した。
「さてと、それではさっそく授業にとりかかりましょう。持ってきた本はタカオミ様には少し早いみたいだから、今日は教科書がないですけれど」
どうやら持参した教材はしばらく使わないらしい。無駄に場所を取っていた空の本棚へと詰める事になりそうだった。
「そうね、まずはゼクスアルシュの創世からでいかがかしら?」
「できれば、もっと日常で役立つような話を希望したいんだけど」
「あら、とても重要な事ですのよ。王政やこの国の現状にも大きく関わってきます」
実際にそうなのかもしれないが、現在の隆臣に必要な事とは思えなかった。知りたいのはこの世界の事ではなく、隆臣の現状についてである。しかし、それを素直に話して聞き入れてもらえるとは思っていない。何しろ、リリアナもヴァレンティーナも、詳しい事は何も知らないと言い張っているのだから。
「いや、俺が知りたいのはこの国の事ではなくて、例えば召喚獣について。ゼクスアルシュに来て、俺は孤獣として扱われてきた。そういう事について知りたいんだ」
「でしたら、なおさらゼクスアルシュの成り立ちからお教えするのが一番ですわ。召喚獣について知りたければ、召喚術について知らなければならないでしょう? 同様に召喚術について知りたければ、ゼクスアルシュとそれを取り巻く̪三界について知らなければ」
ヴァレンティーナはすでに隆臣の言を聞く気がないらしい。ゼクスアルシュについて説明すべく、デスク上の飾りと化していた紙と筆記具を応接テーブルに持ち出してきていた。紙の中央に大きく円を描き、そこに何やら記号を書き込む。この世界の、あるいはこの国の文字らしい。
「読めますか?」
「いや。この世界の文字?」
「少し違いますわ。この文字は全世界、それこそゼクスアルシュとその他の世界でも使用されている共通語ですの」
「異界でも使われている言語を理解しないという事は、俺はこの世界で知られるどの異世界とも違うところから来たって事か」
ヴァレンティーナが紙面から顔を上げた。正しく言わんとしていた事を、隆臣に先に言われてしまって驚いたようだった。
「その通りですわ。タカオミ様の出自について、気になるところではありますけれど、それは追々明らかにしてまいりましょう」
「多少の検討はついているんだ?」
「ええ、もちろんですわ。伊達に教師役を買って出たわけではありませんもの」
少しの情報で多くの結論を得る。隆臣も人との会話の上で心がけている事ではあったが、今は知識がある分、ヴァレンティーナの方が上手なようだった。
ヴァレンティーナは自身の描いた円を指し、そこに記した文字をゼクスアルシュと読んだ。
「文字についても少しずつ覚えてまいりましょうね」
「分かった」
「では、まずは創世神話についてお話しましょう。ゼクスアルシュには創造主とされる最高神がいらして、その名はゼクス、他国では天帝とも呼ばれております」
「天におわす帝」
「そうですわ。ゼクスは星の種を宇宙に植えました。最初の果実が宇宙に落ちて、星となり、ゼクスはそれにゼクスアルシュと名付けました。ゼクスアルシュは日に日に育ち、六人の王が生まれました。ゼクスは彼らにそれぞれ三つの種をお与えになり、それらは土地と人と玉座へと成長しました」
「それがゼクスアルシュにある国になった?」
「その通りです。しかし、一筋縄ではいきませんのよ。国を治めるって、とっても難しい事なのですわ。王たちは与えられた国では飽き足らず、他国を攻め、ゼクスアルシュには戦が絶えませんでした。民は飢え、土地は疲弊していくばかり。王たちは、ゼクスがいくら諭しても戦を止めませんでした。ゼクスはついに六人の王を廃し、代わりに天理を定め、さらに新たな果実から三つの世界を作りました」
ヴァレンティーナは紙面のゼクスアルシュに触れるように、さらに三つの円を描いた。
「隣接する三つの異世界?」
「そう、獣や獣人たちの住む緑豊かな獣界ビスプランツ。妖怪や龍、それらを祀る人々の住む鬼界グィン。そして、天使や悪魔といった精神生命体が住まう霊界スオウル」
加えられた三つの円に、それぞれ名前が付けられる。
「この三つをゼクスアルシュに繋げ、召喚術を用いて異世界の住人を呼び寄せました」
「なんのために?」
「王を選ばせるためですわ。ゼクスアルシュのしがらみに囚われず、ゼクスの啓示に従って王を選ぶ事のできる存在を、異世界から呼び寄せたのです。これが召喚術の始まりとされています」
「どうして直接指名しないんだろう?」
「王としての傲りを少しでもなくすためとされています。最初の王たちの二の足を踏まないように。ゼクスは最初の召喚を大陸の中央に据えた塔の上で成し、最初の召喚獣たちに王を選ばせました。その際、彼らは生涯、自身の選んだ王に従う事を約束します。民のために王を導き、王が天理に背いた時は運命を共にし、罰を受ける事も」
「それって、召喚獣たちに責任を擦り付けてないか?」
あまりにも不遇だと思った。これが、世界の召喚獣に対する根底にあるものだとするのなら、孤獣の扱いにも納得がいく。世界の不具合をただ受け入れるだけの器と思われているのかもしれなかった。
「そうかもしれません。ただゼクスもやはり召喚獣たちを哀れに思ったのでしょう。王と召喚獣への罰は唐突には訪れず、天災や恐慌をゼクスが起こし、徐々に国を侵食していく形をとりました。これらの天罰は王道の修正を以ってのみ治まり、修正ができなければ王は召喚獣とともに朽ち衰えていくのです」
「結局、召喚獣は道連れなんだ」
「抜け道はあります。天罰が成される前に王が何者かによって弑される事があれば、召喚獣は助かるそうです。実際に、そういった例はあったようですわ」
「その後、その召喚獣はどうなるの?」
「新たな王を選ぶ役目を得ます。一人失敗したからといって、すぐに御払い箱では可哀想ですものね」
それでも、あまりに理不尽だった。自分たちの責の在り処を、他人に任せているような不自然さに、自身には直接関係のない事とはいえ、隆臣はどこか虫の居所の悪さを感じた。どこの世にも理不尽はあって、人はそれに翻弄されて生きていくしかないのだろうか。納得できないまま、隆臣はそれでも先を聞くしかない。
「それで、王によって召喚術は民間にも広められた?」
「その通りですわ」
「野生の召喚獣がいるのも、そのせい?」
この問いに、ヴァレンティーナは首を横に振った。別の理由があると言って、持ってきた書籍の中から一冊を引き出し、テーブルに広げた。見開き一ページを丸々使って、地図が描かれている。
「世界地図ですわ。この大きな四角形の大陸に、アンファベール聖王国を含めた四つの国が位置し、その南にファイルーズ王国、東に環という島国があります。知性のない野生の召喚獣、一般には孤獣と分けて魔獣と申しますが、それらが暮らすのは大陸の中央。どの国にも属さないフロストという土地ですわ。深い森林に覆われたこの土地は、天災を起こすためにゼクスが用意したと言われています」
「天災を起こすため?」
「天罰の予兆として、魔獣の暴走という事象がございますの。彼らは世界が再構成された折に、ゼクスにより召喚されたと言われています。普段から凶暴ではございますが、フロストから出てくるような事はめったにございません。それが、王が道を外れた時、その国へと人を食らいに出てくるのです」
「俺は道中、何度も魔獣に襲われたけど、それはこの国の王が道を外れたから?」
理屈で言えばそういう事になるのだが、隆臣の問いにヴァレンティーナは悲しげな顔をして首を横に振った。
「一概にこうとは言い切れませんわ。王が玉座におられないのです」
「その場合も国は荒れるものなの?」
「ええ、しかし宰相らが治世を行い、荒廃を抑制する事はできます。ただし、我が国では今、戦争が起きようとしている。ある程度の荒廃は避けられないでしょう」
「そっか……」
ここから先は、この国の内情の話になるだろう。隆臣の聞きたい事ではないし、知った事ではなかったが、ヴァレンティーナにとっては大事なはずだった。それでも隆臣の興味の範疇にない事を分かっているヴァレンティーナは、その先を無理に続けようとはしなかった。隆臣もなんとなく話を変えるのが躊躇われて、しばらく押し黙る事になった。
ゼクスアルシュ物語 ~聖王の百合~ 青屋ういろう @uiro_a
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