第3話

 リリアナが主を連れてきたのは、それから十日後の事だった。

 主は恰幅の良い大男で、肥え太っているというよりは、厚い筋肉の上に脂肪が付いているような体格だ。

 二人はいつも隆臣が食事をとるテーブルの両端に座し、リリアナは隆臣に付き従うようにその後ろへ立った。主が伴ったメイドとリリアナがそれぞれに飲み物を用意し終えると、ようやく主が口火を切った。


「いやはや、大変お待たせして申し訳ございませぬ。吾輩はこのヴラファ城の主でドゥシャンと申しまする。タカオミ様におかれましてはお身体のご快復、誠にめでたく……」


 坊主頭の下で細められた眦が、隆臣の神経を逆なでした。ご快復も何も、大怪我をさせたのはそちらだろうに、何をいまさらと思ったが、利用するならば心象は大事だ。隆臣はにこりと笑い返して、煮える腸にそっと蓋をした。


「お陰様で体調はだいぶ良くなりました。お薬や食事など、甲斐甲斐しくご看病頂き、ありがとうございます」

「いえいえ、吾輩にできる事を致したまでにございます」

「まだまだ足元はふらつくので、リリアナさんにはご迷惑をおかけしますが」

「リリアナは、それが仕事でございますゆえ。どうかただのメイドに敬称などはお控えください」

「しかし……」

「貴方様はそれだけの地位にございます。いずれ、お分かりになりましょう」


 どうにも奇妙な調子だった。隆臣に対するドゥシャンの腰の低さは、いったいどういうわけだろう。隆臣は彼を利用するつもりで信用を得ようとしていたが、どうにも端からへりくだっている様子だ。


「あの、何故貴方までそのように俺を丁重に扱われるのでしょうか? 俺は、ただの孤獣です。いったいどうして自分がこんな扱いを受けるのか分からなくて……」


 迷える子羊の如く、隆臣は少々怯えた様子を見せてドゥシャンの出方を伺った。ドゥシャンは驚いた様子を見せた。


「なんと……! ただの孤獣ですと!? とんでもございませぬ。リリアナ、これはいったいどういうことだ!」


 ドゥシャンが何故かリリアナを責め立てるので、隆臣は驚いてリリアナを見るが、リリアナもどうやら心底驚いているらしかった。この場にいる誰も、隆臣の状況を分かっていなかったという事だ。


「恐れながら、わたくしはドゥシャン様のご命令通り、何もお話ししてはございませぬ」

「では、スティロー殿はいかがした? こちらには、いらしておらぬのか?」

「一度もお運びになっておりませぬ」

「なんと薄情な……! では、タカオミ様は何もご存知ないと……」


 ドゥシャンとリリアナの間で交わされる会話に、隆臣は何一つついていく事ができなかった。やりとりに首を傾げる事しかできず、とにかく無害な孤獣のふりを貫いた。とにかく、彼らの内輪で行き違いがあるらしい。


「これは一大事。未だ蚊帳の外とは……。すぐに教育係をお付けいたしましょう」

「ありがとうございます。それで、スティローさんというのはどなたの事でしょう?」


 教育係をつけるという事は、ドゥシャンは今ここで長々と語るつもりはないのだろう。そもそも教育しなければならないような事が関わっているのだ。一朝一夕には片付かないのかもしれない。とにかく分かる事から聞いていくしかないようだった。


「スティロー殿は貴方様をここへお連れした召喚師にございます」


 ようやく隆臣を害した男の名を知れた。スティローというその名前を、隆臣はゆっくりと口内で呟いた。噛み締めると、憎悪が一層増すようだった。その男は隆臣にとって、間違いなく敵だった。


「そのスティローとは、お会いできるのでしょうか?」

「伺っておきましょう」

「その前に、教育を受けておきたいのですが……」


 敵と話をするのに、無知である事は避けたかった。自分の置かれている状況だけでも知っておく必要がある。

 敵の手中にありながら、悠長な事を言っているだろうか。だが、少なくとも、目の前のドゥシャンやリリアナは、表向きには敵意を示してこない。彼らもスティローに振り回されている感があるし、隆臣に対して好意的だ。ならば、その好意を利用しない手はない。


「本来ならば召喚師が教育係を務めるのですが……。タカオミ様が仰せならば、違う者をご用意致しましょう。選別致しますゆえ、すぐにとは参りませぬが」

「十分です。ありがとうございます」


 知識をつける事を良しとされた。こうなってくると、いよいよドゥシャンからは敵意を感じなくなってくる。それでも、油断はできなかった。彼が用意した教師が、隆臣に真実ばかり教えるとは限らないからだ。

 その他にも、新たな衣服や食事の時間、量、質、生活用品の不足など、ドゥシャンは様々な事に気を配った。隆臣の意見をいちいち聞いては、連れてきたメイドに指図する。その場で対応できるものならば、すぐに直させるほどで、逆に頼みづらくなってしまった。


「他にご入用のものがあれば、なんなりとリリアナにお申し付けください」


 ドゥシャンは出された茶を飲み切って、重い腰をあげた。


「病み上がりのところを長々と失礼を致しました。今日はご挨拶に伺ったまでですので、吾輩はこれで」

「こちらこそ、領主様にわざわざご足労頂き申し訳ございません。今日はいろいろと便宜を図って頂き、ありがとうございました」


 隆臣が丁寧に礼を述べると、ドゥシャンは満更でもないという顔をして出ていった。リリアナも彼について退室していく。

 彼らの出ていった扉が閉まるのを待って、隆臣は部屋の中を歩き回った。主にメイドが触った調度品や壁面、床を念入りに調べ、変わったところがないかを確認していく。

 何もないのが分かって、ようやく部屋を調べ終えると、隆臣は思わずベッドに飛び込んだ。緊張の糸が途切れたのだ。

 地位のある人間との会話は、いつだってピンと糸を張ったように緊張するものだが、今回は少し違った。何せ切れてしまえば、生命の危機に晒されるかもしれないのだ。

 ドゥシャンは始終にこやかにしていたが、ああいうタイプが最も腹の底が知れず恐ろしい。隆臣は自分にも似たようなところがあるのを自覚していたので、それがよく分かった。

 教師にはいったい誰が来るのか。本当にスティローは来ないのか。この城で権力を持つのはドゥシャンだけなのか。スティローはどういう扱いなのか。

 考える事は山ほどあったが、結局この日は精神的な疲労に耐え切れず、隆臣はゆっくりと睡魔に導かれていった。




 ドゥシャンとの会見から三日後、リリアナが若く美しい少女を連れてきた。彼女は好奇心を宝石にしたような瞳で隆臣を見上げると、次いでドレスの端を引き上げ美しく礼をしてみせた。隆臣よりも十は年下に見える彼女の立ち居振る舞いは、見た目のそれに相反して大人びている。


「わたくしは、ドゥシャンの娘でヴァレンティーナ・マジェロヴァーと申します」

「鷹羽隆臣です」

「存じ上げておりますわ。わたくし、今日から貴方様の家庭教師を致しますのよ!」


 先ほどまでとは打って変わり、ヴァレンティーナは見た目相応の溌溂とした笑顔で、そう爆弾を落とした。

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