第2話 ほかほか
我が家にモコが来てから二週間が経った。常連のサラリーマンから聞いたのだが、どうやらあの日は台風だったようで、次の日からは空色の絵の具を零したような良い天気が続いていた。
「今日は、風が冷たいですね。」
準備中の札を店先に掛けて戻ってきたモコがぶるぶると犬らしい身震いをすると、体に付いた枯葉が床にへろりと落ちる。それに気付くとモコはそれを軽く咥え、俺の使っているちりとりのほうへと持って来た。
「冬が近付いて来てるからな。クリスマスだの、正月だの、金を使う行事が目白押しだ。それまではなるべく外食なんかは控えて、出費を抑えるだろ、だからこの時期は客もだんだん減っちまうんだよ。」
「クリスマス…、クリスマスは、御主人はいつも、何かされておりますか?」
「いや、いい歳だし、独り身だからな。しばらく何もしてねえ。お前は…、あ、いや。なんでもねえ、すまん。」
「いえ、お気になさらず。私も何度か、優しい方々に御馳走を分けて頂いたことがあります。それに、町は何やら煌びやかになりますし、すれ違う人々は幸せそうなお顔ばかりで、こちらも楽しくなってまいりますから、私は大好きですよ、クリスマス。」
野良犬だというのに、此奴の徳の高さは何なのか。それ程苦労をしてきたのか、或いは、本当は何か違うもの…例えば、神の使いなんかが、犬の姿に化けているのではなかろうか。そんな事を考えながら見つめていると、モコはきょとんと首を傾げた。
「今年はやるか。クリスマス。俺とお前で、な。」
「なんですって!?あ…い、いや、そんな贅沢をする訳には…!」
「俺がやりたいんだよ。付き合え。」
「ふふ…、御主人は、本当に…、ふふ、承知しました、楽しみにしておりますね。」
すました事を言っているが、ハタキのような尻尾は嬉しそうにぶんぶんと揺れていた。
「まあ、その前に、ハロウィーンが待ってるけどな。」
「そうでしたね。南瓜料理か何か、出されるので?」
「嗚呼。毎年、煮物が好評なんだ。野菜嫌いだったのに、ウチの煮物を食って好きになったって言われた事もあるんだぜ。特に今年は甘いのが入ってくるからな、きっと客も喜ぶだろう。来週には届くはずだ。」
「ふふ…、御主人は、ほんとうに御料理がお好きなのですね。目がきらきらして、少年のように見えますよ。」
「そうか…、自分じゃどんな顔してるか、わかんねえが。まあ、料理が好きじゃなきゃ、他人の飯なんざ作ろうとは思わねえし、美味いと言われて嬉しいとも思わねえだろうな。…というわけで、ほれ。今日の飯だ。」
「わあ!お肉だ!とってもいい香りですね、いただきます。」
いつもと同じように、モコはぺこりとひとつ頭を下げ、野良犬だったとは思えない上品な仕草でそれを食べ始めた。
びゅう、びゅう、と、脅すような風が窓にぶつかる。そんな音にはお構い無しに、床ではモコがハフハフと飯にがっつき、火にかけていたやかんも甲高い声をあげて俺を呼んでいた。
火を止めようと腰を上げたその時、何か、俺達ではない何かが、すぐ近くで動いた気がした。モコもそれを感じたのか、ワン、ワン、と犬の声で叫び、あたりのにおいを嗅ぎ回った。すると、部屋の天井の一点を見つめ、さらに強い声でギャンギャンと吠え立てた。
「なに!!?見つかってしまっては、仕方ない!!!」
舞台役者のように大きな声が店じゅうに響き渡り、咄嗟に身構えるが誰の姿も見えない。偏見かもしれないが、幽霊だの、妖怪だの、そういった類のものにしては随分と主張の激しい奴だ。
「…何処に居る。」
「あそこです、あそこから、外のにおいがします。」
「犬がしゃべった!!?…うわぁあーー!!」
目の前のテーブルに現れた…というよりは、落ちてきたのは、小太りの男だった。藍色に身を包んだその姿は泥棒にも見えるが、泥棒と言うよりは忍者のそれに近かった。
「くぅぅ…!小癪な…!おぬし、幻術使いか!」
「俺はただの人間だ。とりあえず、警察を呼ばせて貰おうか。」
「ま、待て、待て!話せばわかる!拙者は警告しに来たのだ!この町は今、危険だということを!」
「なに?」
「この町はな、この町は、今、良からぬものに、狙われておる。」
俺が電話に手をかけようとするのを慌てて引き止め、まっすぐにこちらを見る男の放った声は、何故だか嘘や妄言だと跳ね返すには随分と重みと暗さがあるような気がして、俺は手を止め、唸り声をあげていたモコを視線で宥めた。
「質問を変える。お前は何者だ。」
「失礼仕った、拙者は岩崎流忍者、岩崎家筆頭、
大声と共に差し出された名刺には、名乗った肩書きと名前、電話番号と、「好きな食べ物 おにぎり」と書いてあった。随分と凝ったその名刺からふと目線を上げれば、目の前に居た筈の男の姿は見えず、勝ち誇ったような喧しい笑い声だけがどこからか聞こえていた。
「成程。隠れ身の術、とやらか。」
「いかにも!!」
「そんな大声を出したら、気付かれてしまうのでは…?」
「ぬぬ!!その通りだ!!なかなか鋭いな、犬っころよ!!」
「それは、どうも。」
ぱっと姿を消したその男…岩崎翔は、モコの目の前に再び突然姿を現し、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。モコが話せるということはもはやどうでも良くなったのか、或いはもう忘れたのか。頭を撫でられるモコの表情があまりにもうんざりと歪むものだから、笑いを堪えきれずに吹き出しそうになるのを堪え、ひとつ咳払いをしてから声を掛ける。
「それで、岩崎。良からぬもの、ってのは、なんだ。」
「良からぬものは、良からぬものだ!人でも獣でもない、言わば悪鬼よ。何処にでも住み着くが、今この町を狙うあれは、厄介なのだ。」
ひどく緊迫した表情でそう告げる岩崎に俺とモコが顔を見合わせていると、ゴゴゴゴゴ、と何かが押し寄せてくるような低い音が鳴り響いた。
「なんだ…もうお出ましか…!?」
「御主人は私がお守りいたします…!!」
「待て、狼狽えるでない!今のは拙者の腹の音でござる!」
ずる、と肩から力が抜ける。近くの椅子に座り、期待に満ちた目で俺を見つめる岩崎を、モコは今までに見たことの無い表情で睨みつけていた。
先程沸いた湯が程良く舌に優しい温度まで冷めていたので、新しく仕入れた緑茶をとりあえず目の前に置き、再び厨房に戻る。
僅かに残っていた米の中に塩鮭をほぐして軽く詰め、包むように両手の中で転がす。ばらける程緩くなく、米が潰れる程固くなく、何度か転がし程よく纏めて海苔を巻けば、白米のまろやかな湯気にほんのりと磯の香りが混ざる。同じものを2つ、それに自家製の胡瓜の糠漬けを二、三切れ添え、わくわくと待ち侘びている客人の前に出す。
「お待ちどう。」
「おお…!かたじけない!頂くぞ!」
余程腹が減っていたのか、両手にひとつずつ握り飯を持ち、交互に口に運ぶ。合間にしゅるっと糠漬けも吸い込み、僅か数分のうちに皿は綺麗に空になった。
「いやぁ、美味であった!!!お主は天才だ!!!こんなに美味い飯は久しぶりであった!!!また参るぞ!!!では、さらばだ!!!」
握手のつもりか、俺の手をがっちりと掴みぶんぶんと上下に振り、飯を食った所為かその声にはさらに無駄な熱量が込められていた。
どんがらがっしゃん、と何かが外で崩れる音と不気味な予感を残し、岩崎はまた姿を消した。
世話焼き食堂 びいどろ亭 にんじんぷりん @pingp0ngpudding
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