第19話

 でももう駄目だった。順二は一週間後には福井に帰らなければならなかった。ついて行きたいとスミレは言った。けれども順二はやんわりと、来てもらっては困るという意思を表した。


「スミレはいつまでも僕に恋々としていてはいけないよ。スミレは子供を産まなければならない。僕は家庭持ちの身だから、スミレと結婚できない。スミレはいい結婚をしなければならないのだ。スミレには幸せになってほしい。それには僕がいては邪魔だ。僕はスミレを不幸には出来ない。スミレの幸せを思うと僕は身を引くべきなのだ」


「そんなのは嫌。私のことが一番可愛いと言ったのは、嘘だったの?やっぱり奥様が大切なのね。私は離婚してとは言ってないの。あなたと毎日触れ合える距離にいたいのよ。そちらで印刷所の仕事見つけるから迷惑はかけないわ。ついて行かせて」


「スミレが寒い田舎で暮らせるわけがないよ。僕が出来る限り東京に来る。僕だってスミレに会わずに暮らせるはずもないもの」


「私は、もうあなたなしでは暮らせない。私を捨てる気があったのなら、どうして私にこんないいことを一杯教えたの?あなたがこんなことをしなければ、私はまだまだ一人で頑張れたかもしれない。でも、もう駄目。あなたがいなければ生きて行けないわ」


「スミレ、僕はスミレの将来のことを思う。スミレは子供を産んで温かい家庭を作らなければならないのだよ。僕はその家庭からは、はみ出し者なんだよ。僕は将来のスミレの暖かい家庭を邪魔してはいけない。きっとそのことを気づかせてくれるために、転勤という運命が待っていたのだ」


「あなたはやっぱり奥様が第一なのね。本当は転勤が嬉しいのじゃないの?」


「そんなことはない。あの半年前のスミレが編み物をしていた美しい姿は、忘れられるものじゃない。一心に編んでいる姿は子供のようで可愛かった。そしてスミレが僕を受け入れてくれた時、こんなに美しい体があるのかと驚いたのだよ。白くて柔らかくてしなやかで弾力があって、もう絵の中の婦人を抱いているようだった。それ故に僕はスミレの幸せを奪ってはならないと強く思うのだ。僕は勇気のない人間かも知れない。現状を打ち破るのが出来ないのだ。怖くてできない。僕は田舎で細々と現場で働いている程度の人間だと思う。スミレはそれに比べて、一流夫人の座を得られる人のように思うのだ。僕はスミレの幸福を害してはいけないと、じっと我慢しようと決心したのだ」


「そんな決心は捨ててちょうだい。欲しくないわ。私をあなたの近くに連れて行ってちょうだい」


「スミレ、田舎は口うるさい世の中なのだよ。スミレがそんなところに飛び込んできたら、不幸になるのは分かり切っている。出来る限り僕が東京に来るから、お願いだから我慢しててね」


「あなたに会えないなら、私死ぬかもしれないわ」


「そんなに脅さないでよ。僕はスミレが一番可愛いのだから」


そう言って順二は機嫌を取るように、スミレを抱きしめベッドに運んだ。


「私もう騙されないから。嫌、嫌」と言いながら順二の激しい扱いに体が悦び、受け入れてしまうのだった。

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アラフォーの焦り 葉っぱちゃん @bluebird114

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