シシャシショショコ

kame

シシャシショショコ

「雨、か」

 読書中、ふと窓をたたく小さな音に気づき、顔を上げるとぱらぱらと何とも嫌な雨が降っていた。

 さっきまでは間違いなく降っていなかったはずだが。男は自分が天候が変わるほど長い時間本にのめり込んでいたことに気づいた。

 ずっとこの図書館にいた男は当然傘の用意などしていなかった。「止まない雨はない」とは言うものの、少なくとも帰るまでに止んではくれなさそうだ。もう少し時間が経てばせめて小降りにはなるかも知れないし、それに本の続きが気になる。そう思うと男は半ば現実逃避気味に持っていた本に再び目を落とした。


 どれ位の時間がたっただろうか、気づくと最後のページを捲っていた男は本を閉じ、凝り固まった全身をほぐした。首元からコキリと小気味よい音を響かせながら自らの顔を撫でると指先が湿った。そこで初めて男は自分が泣いていたことに気がついた。

 最後に流したのはいつだったかな。男は本の内容を思い出しながら自らの過去に思いを馳せた。

 雨は止むどころか酷くなっていた。


 本の内容は淡白で、大きな盛り上がりも無ければ目新しい表現も無い。だが男は涙を流した。

 本を読み終え手持ち無沙汰になった男はここでようやく周囲を見渡すゆとりが出来た、本に夢中で気づかなかったが自分の他にも何人か本を読んでいる人がいた。分厚い辞書みたいな本を読んでるじいさんもいれば、うすっぺらいノートみたいな本を読んでいる女の子もいた。年齢や性別はバラバラだが皆本を読み何かしら表情を浮かべていることだけは共通していた。

 すると本を読んでいる人々に混じって、パタパタと忙しなく走り回っている人がいることに気づいた。男は確認するために話しかけた。

「すまないが、ここはどこだろうか?ずっと近所の図書館だと思っていたんだが、よく見れば違う。違和感があるのに気づけないなんて、まるで夢の中にいるみたいだ」

「ああ、そういう場所だからね、ここは死者と司書の書庫さ、早口言葉見たいだろ?言い難いからみんな「ここ」って呼んでるよ」

「なんだそれは、そんなに適当でいいのか?」

「ここにはここしかないからね、ここ以外を指す単語なんてそもそも必要ないのさ、ところで君、自分が今どんな状況か理解してるかい?」

「……どういう意味だ?」

「君は既に死んでいる、って言ったら信じるかな?」

 その瞬間、空気が変わった気がした。

「……ああ、信じたくないが、信じるよ。あの本はきっと正しい」

「へえ、自分の本を読んですぐに受け入れられる人は久しぶりに見たよ、本の感想を聞いてもいいかな?」

「最悪だったよ、悪趣味にも程がある。アレを書いたのは一体誰だ?」

 男が先程まで読んでいた本、それは男自身の人生を記した日記だった。生まれた時から、死んだ瞬間までを事細かに記した日記。

「著者なんかいないよ。強いて挙げれば君自身、かな。アレは君の魂が勝手に作り上げるんだ。僕達司書はその管理をしてるだけ」

「僕達?お前以外にもいるのか?」

「あー、僕のことは司書とでも呼んでくれ、どうせ短い付き合いだ。司書は全員で四人いる。これは絶対に揺るがない、ただし司書の仕事で司書自身の魂、心が壊れないように時々メンバーが入れ替わるのさ。具体的には君達死者から新たな司書が生まれた時だね。古い司書から順に代替わりしていくんだ」

「へえ、司書にはどうやってなるんだ?」

「んー、その前に君の本、ちょっといいかな?」

「構わないが……あまり中は見ないでくれよ?他人に自分の人生を覗かれるなんて気味が悪い」

「うん、ありがとう、では早速……この厚みだと、多分君は12回目の君だね。そろそろ受け入れたらどう?」

「は?どういう意味だ?」

「ああ、ごめん、君たちは死んで、ここに来て、死を受け入れられなくて、生き返ってを繰り返しているのさ、記憶は無いだろうけどね」

「なぜ回数がわかる?」

「君達が生き返るためには君たちの本を白く塗らなければならない、じゃないと記憶が消えないんだ。まあそうやってなんども重ね塗りしていくと自然とページが厚くなっていくんだ。記憶は違っても本、つまり魂は一緒だからね」

「死を受け入れなかったら生き返る……じゃあ死を受け入れたら?」

「鋭いね、受け入れたら新しい司書の誕生だ。君は生死の環から外されここで司書として働くことになる。」

「へえ、司書になると特典とかあるのかい?」

「あるにはあるけど……さっき言ったようにその時点で一番古い司書は役目を終えるわけだが、別に死ぬ訳では無いんだ。司書になった時点で生死という概念その物が消えるからね。役目を終えた司書はそれまでの司書としての活動を記した本になり、その後も生死を気にせずこの図書館で眠り続ける、強いて挙げればそれが特典さ、これが嬉しいかどうかは人によるだろうね」

「じゃあ、もう死ななくていいのか?」

「まあ司書になればね、でもよく考えなよ?人生悪いことばかりじゃなかったろう?たしかに死なずに済むけど、逆に言えば生きることも出来なくなるんだよ?」

「そう、だな、そう、だよな……でも」

 その瞬間床に一冊の本が落ちた。男は地面に落ちた本を拾い上げ、パラパラと捲ると司書用の本棚に置いた。

「色々教えてくれてありがとな、

 再び書庫に静寂が訪れ、思い出したかのように雨の音が広がった。

 雨はやまない、いつまでも。

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