私は、なんでも知っている人間です

「つまり『神』を殺すには、魔女の少年に今憑依している子が元々いたような他の世界───異世界───を管理し、支配している上位存在と契約する必要がある、と書いてあったのか?」


 鹿の王は豊かに蓄えられた白髭を、左手で弄りながら、エディドヤ博士に問いかけた。


「はい、そして『世界の管理者』と契約した者は神と同等の、あるいはそれ以上の力を得ることで、神を殺すことができるのです」


 深々と面を下げたままのエディドヤ博士が答えを返した。

 粘土板の翻訳を終えたエディドヤ博士と一行は、雪山にあった鷲の灰たちの集落を離れ、鹿の王や死の天使リカリィーテが待っていた鹿の民たちの森にある地下宮殿へ訪れていた。

 いつかの時、皆が今後のことについて談笑していた大きな広間で、鹿の王とリカリィーテ、そしてシンリと最後の魔女と時雄が一列に並んで座り、その前をエディドヤ博士と案内人アヴィシャグが跪いていた。


「その『管理者』とやらには、どうすれば契約できるのだ?」


 次にリカリィーテが問いかける。紺碧の両眼はまぶたが閉じられているせいで見ることができず、彼女が今、何を思っているのか推し量ることは難しかった。


「一度、死ぬ必要があります」


 博士の言葉に、場の空気が一瞬にして冷たくなるのを時雄は感じた。

 博士はそれに気付いているのかいないのか、顔を下げた状態だったため、誰も分からない。彼は静かに言葉を続ける。


「死ぬと言っても、実際に死ぬ訳ではありません。別の魂に自分の体を預けることで、魂だけの死者と言う存在でありながら、体は生きているという状態を作り上げればいいのです」

「さすれば『世界の管理者』に会える───粘土板にはそう書かれていた、と?」


 リカリィーテの問いを博士は肯定する。誰も、その理論は理解できなかった。だが高い知能を持つ『鷲の灰』がだと言うのなら、なのだろう。

 しばらくの沈黙の後、リカリィーテが音を立てず、徐に立ち上がった。


「準備を始めよう。手伝え」


 リカリィーテの号令を聞くと、一同はすぐに博士の言う『世界の管理者』に会うための方法を実践する支度を行うため、彼の言葉に従った。

 最後の魔女とシンリが以前、魔女狩りに遭い亡くなった魔女たちを蘇らせるために、東方の村を訪れた時と同じようなことをするようだった。

 リカリィーテから以前、時雄と話をした全裸の鷲の灰の二人までもが、全員、地下から這い出た。そして、ゆっくりと森の頂上にある鹿の王の屋敷へと歩み始める。


「何人、行く必要があるのかな?」


 シンリが博士に問いかけた。博士は何もない宙を見つめ、数秒黙り込んだ後、


「粘土板には五人とありましたが、今回は四人でも大丈夫でしょう」


 と簡潔に答えた。何故なのか、と問い返すものはいなかった。


「リカリィーテ、鹿の王、シンリ、そして最後の魔女───四人だ」


 リカリィーテが、ちょうどいいと言わんばかりに言い放つ。顔から感情は読み取れない。

 では、誰がこの選ばれた四人のために死ぬのか。皆が前を歩く人の背を見つめ、歩く。

 時雄は胸がざわざわと落ち着かなかった。このままでは、東方の村で起きたのと同じように、誰かが死んでしまう。


 ───僕に、何ができるだろう?


 考える。焦る。

 何も浮かばない。


 この後、確実に誰かが死ぬ。だが、何もできない。

 皆が静かに、鹿の王の屋敷への道を踏み締めている。


 ───これじゃあ、死の行進だ。


 誰が死ぬのかは、はっきりとしていた。誰も口にしてはいないものの、誰が犠牲になるのかは確定している。

 そうこうしているうちに、一同は屋敷にたどり着く。外装は屋敷というより、土の山のようだった。土でできた選ばれた四人が『世界の管理者』に謁見している間、無防備になっている体を縛っておくための準備を屋敷内で始めることとなった。


「お前らは外で立っていろ、妙な細工をされては困る」


 鹿の王が四人の鷲の灰に命じる。四人は平伏し、自身が何も持っておらず、無力であると証明した。


「友よ、見張っていてはくれぬか」


 鹿の王はシンリの肩を叩き、他の二人と共に、そのまま屋敷の奥へと姿を消した。シンリ以外の三人がいなくなったことを確認すると、アヴィシャグは徐に顔を上げ、口を開いた。


「最期の言葉すら言わせてもらえないでしょうから、今言ってしまっても良いでしょうか」


 青霄のような彼女の瞳がまっすぐに、シンリの姿を写す。だがシンリは聞こえているはずなのに、まるで聞こえていないかのように振る舞い、夕焼けを見つめた。

 アヴィシャグはそれを肯定されたと受け取り、


「必死に努力しても報われず、運命に抗えない、可哀想なおひとよ、どうか元気でいてください」


 と、無礼とも取れる言葉を言い放った。シンリはぴくりと眉を動かし、顔を少し歪めて彼女の方を見る。


「なんだい、急に。気持ち悪い。君に同情される覚えはないのだけど」

「嫌味に聞こえたのなら、謝罪いたします。しかし、生きているだけで疎まれる私たちだからこそ、あなたの気持ちを───完全にではありませんが、多少は理解できるのです。エリエゼルも、あなたのことを思って、こうして最善の道を選びました」


 アヴィシャグはシンリを見つめたまま、黙る。シンリは口を噤み、言葉を発さなかったが、アヴィシャグは続ける。


「どうか未来を悲観なさらないでください。あなたの未来は輝かしく、そして美しい。だから、これ以上、過去を変えようとはせず未来へ進んでください」


 その時、時雄は体中を電流が走ったような気がした。理解したのだ。


は初めてなんだ───』


 以前シンリが吐いたこの言葉に、時雄は違和感を拭えなかった。だが、理解した。シンリはこの世界を何度もやり直し、繰り返し、神を殺そうと躍起になっているのだ。

 神から見放され、迫害されて続けている『鷲の灰』と同じように、シンリもまた「神に愛されていない」。


「必ず、この世に生を受けて良かったと思える日が訪れます」


 その言葉を聞いて、シンリは、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。夕陽が顔を朱色に染めているせいか、怒っているようにも見えた。


「ただの人間の君に、一体何が分かるんだ?」


 アヴィシャグの不敵な微笑みは、夕陽に照らされて鮮やかな鴇色に燃える。


人間ではありません。私は、人間です」


 ───全てを知らないあなたでも、そのことは、よくご存知でしょう?


 日がゆっくりと、落ちていく。

 終わりが近付いていた。

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屍者は静かに眠る 井澤文明 @neko_ramen

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