猫舌ゴチソウ帳 第5皿「鰻、歴史を変える」

神田 るふ

猫舌ゴチソウ帳 第5皿「鰻、歴史を変える」

 いよいよ暑さが本格化してきました、神田でございます。

 さて、明日、2017年7月19日は土用の丑の日ですね。

 土用の丑といえば、鰻。

 毎年いちばん鰻が売れる時期ですが、本来、土用の丑は「う」がつくものを食べればいいので「牛」でも「うどん」でも「卯の花」でもいいわけです。

 本来、土用とは陰陽五行説の用語。五行説は木火土金水の五つの概念を森羅万象に当てはめる特徴がありますが、これを季節に当てはめると木=春、火=夏、金=秋、水=冬となります。では土はというと、これらの季節中で最も勢いがある期間に当てられます。つまり、すべての季節に土用があるわけです。

 五行説によれば夏の土用は一年でいちばん暑い時節ですから、この時期に相反する「水の気の食べ物」を食べて暑気を払いましょうというのが土用の丑の本義なんですね。ちなみに、五行を色に当てはめると水は黒なので、上記の食べ物が黒ければさらにいいわけです。さしずめ、黒毛和牛なども効果大かもしれません。

 以上の様に、所謂、「本日、土用丑の日」という張り紙で鰻屋が繁盛したという話はかなり深い知識を持っていないとピンとこない話なのです。「今日は土用の丑の日か。黒くてうのつく食べ物。なるほど、鰻か。洒落がきいておるわい」という連想ができないと何の意味かわからない。この張り紙を貼ったのは平賀源内とも、太田南畝とも言われていますが、書いた方もわかった方も相当なインテリだったことは察せられます。

 ところで、現在、日本で鰻と聞くとかば焼きやうな丼、うな重といった料理が思い浮かべられると思います。これらの料理は江戸中期以降にうまれた料理ですが、江戸以前は刺身や

鮨などにして食べられていました。うなぎの鮨は「宇治丸」と呼ばれたいそう珍重されたそうです。「別冊 太陽」の「料理特集」で織田信長が徳川家康をもてなした安土饗応のメニューが再現されていますが、この中にも「宇治丸」が登場します。小説家であり食通として知られた池波正太郎先生はこの「宇治丸」を手放しで絶賛されていました。ちなみに、この鰻の鮨はもちろん今の握り鮨ではなくて鮒ずしのような「なれ鮨」の一種です。一応、念のために書いておきますが、鰻の血には毒があるため生食は危険です。フグのように専門家がしっかり処置を行う必要があります。それから、鰻には半助という食べ方があります。これは鰻の頭を出汁にして焼豆腐などを煮て食べる料理。また、京都には「う雑炊」という鰻の雑炊もあります。ぶつ切りにした鰻でつくる雑炊ですが、元々かば焼きも鰻をぶつ切りにしたものを串で刺して焼いたものですからかなり古い食べ方であると思われます。付言すると、かば焼きという言葉は鰻のぶつ切りを串に刺した様子が蒲の穂に似ていたためかば焼きと言われるようになったというのが有力説です。

 さて、日本以外でも鰻は頻繁に食べれらています。

 お隣中国では鰻によく似たタウナギという魚の方が人気があるそうです。炒め物にしてよく食べられます。

 一方、ヨーロッパでも大昔から鰻はよく食べられてきました。特に古代ローマではとても人気のある食品で割いた鰻をガルムという魚醤を塗りながら焼いて調理していたそうです。今のかば焼きとよく似ていますね。さるお金持ちが大鰻を飼っていて宴会の度に自慢していたところ、ある参加者から「対岸の町でもっと大きな鰻を見た」と言われ、宴会の途中にも関わらずわざわざ自前の船で確認しに行ったという逸話もあるくらいローマ人は鰻に対して並々ならぬ思いを持っていたようです。

 鰻は中世以降もヨーロッパ人に愛され続けました。石井美樹子氏によると食事に関する中世の文献を見ていくとニシンと鰻が頻繁に登場するそうです。どちらも燻製にして保存し、食べる時はお湯や水で戻してから料理していたのだとか。余談ですが、日本の干物のように魚介類を保存加工した食品をそのまま料理に使うのは日本ぐらいのものだと言われています。他の国では上記の通り、一度戻すのだそうです。

 さてさて。中世ヨーロッパでの一般的な鰻料理は揚げ物でした。そのまま食べることもあればスープに入れて食することもあったそうです。鰻を細かく砕いてソースにすることもあったらしく、様々な料理法があったと思われます。

 ところで、その鰻の揚げ物、つまり、鰻の天ぷらがイギリスの歴史を変える事態を起こしたことをご存知でしょうか。

 イギリスは何度も王朝が入れ替わっていますが、十二世紀から十五世紀、所謂ヘンリー二世からリチャード三世までのプランタジネット朝をもたらした契機となったのが、他でもない鰻の揚げ物でした。

 ヘンリー一世の死後、イギリスは正当後継者でありヘンリーの娘であるマチルダとプランタジネットの始祖王にして征服王のノルマンディ公ウィリアムの孫スティーブンとの陣営に分かれて内乱が勃発します。戦いは二十年にも及びましたが、次第に戦いに疲れを感じはじめたスティーブンは和睦を考えるようになりました。それに異を唱えたのがスティーブンの息子、ユースタスです。

 ユースタスは和平派の中心的存在だったカンタベリー大司教の領地ベリー・セント・エドマンズに進軍し、その地を焼き払って和平派への圧力を強めました。ところが、廃墟となったベリー・セント・エドマンズに駐屯したその日の晩、ユースタスは急死します。夕餉の食事に出てきた鰻料理を食べて食中毒を起こしたのです。ベリー・セント・エドマンズは大学町として名高いケンブリッジの近くにあり、ケンブリッジは水郷の町としても知られています。現在でも鰻の揚げ物は名物料理として供されていることから、おそらくユースタスが食べた鰻料理も揚げ物であったと察せられます。

 ユースタスを失ったスティーブンは失意のうちに和睦を申し出、マチルダの息子ヘンリーが王位を継ぐことになりました。このヘンリーこそ、後のヘンリー二世であり、以後約三百年にわたってプランタジネット朝の栄華が花咲くことになりました。もし、ユースタスが鰻の揚げ物で死ななければ、プランタジネット朝の大輪の花は咲くことがなかったか、開花の時期が大幅に遅れたことでしょう。

 日本では徳川家康が鯛の天ぷらに当たって死んでしまったエピソードがありますが、イギリスの歴史を変えたのは鯛ではなく鰻の方だったようです。

 もう御一方、鰻で死んでしまった人物を紹介しましょう。

 その人物とはローマ教皇マルティヌス四世。

 彼は大好きな鰻を食べすぎて死んでしまったと言われています。

 文字通り、マルティヌス四世が死ぬほど愛した鰻料理は鰻を牛乳に漬け込み白いワインで味付けをしたシチューでした。

 ちなみに、ダンテの「神曲」では煉獄に囚われたマルティヌス四世が断食によって大好きな鰻と白ワインを食べれず苦しんでいる様子が描かれています。


 それでは今宵もごちそうさまでした。

 

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