少年陰陽師 真紅の空を翔けあがれ/結城光流
角川ビーンズ文庫
1
少年陰陽師 真紅の空を翔けあがれ
◆ ◆ ◆
背が高いなぁと、思った。
ちょうど
「……お
逆光で
知らない人に近づいたらいけませんよと、母から言い
だが、どうしたわけか、ふらふらと引き寄せられるようにして、気がついたらこの人の前にいた。
「たのみごと、て、なぁに?」
首を
「ほら、あそこに……」
うながされて首をめぐらせると、古びた小さな石の
「あの扉を、開けておくれ?」
少女は、幼い顔を
あそこに近づいてはいけないと言われているのもそうだが、本能的に
いいえ、と
相手はもう一度、ひどく
「あの扉を開けて、中にある─────」
なかにある、ものを。
頭の
水の向こうから
あのなかに、あるものを。
「そう…、いい子だねぇ」
うっそりと
最後の最後に
◆ ◆ ◆
彼は、息をひそめながら目を開けた。
どことも知れない場所に、彼はいつの間にかたたずんでいた。
わかっている。ここは
ゆっくりと辺りを見渡して、彼は
「
耳に届いた
顔に
そう思うと同時に、彼の口元に
年若い姿。───
これは夢だ。夢は願望を映す。
「────……」
彼はかすかに眉をひそめた。
風が
やがて、目を
そして、その向こうにたたずむ
それが
「………
仄白く燃え上がる、あれは
『……あなた…』
ずっと昔に絶えてしまったはずのその声は、
彼は
そんな確信が、彼にあった。
炎の向こうで、若菜が悲しげに顔を歪ませる。
『ああ…私に力が足りなかったから。あの子を
『ごめんなさい……。あの子を還すために、あの子が大切にしているものを、渡さなければならなかった』
それは、あの子が必要としているもの。絶対に、失ってはならなかったもの。
深く悲しい願いのために、引き
しかし、やはり、
彼は、
「いいや、お前はよくやってくれたよ……」
彼は気がついた。この炎は、自分たちを隔てているのではない。横たわる小さな子どもを包み込んで、
手をのばして炎にかざす。熱くはない。むしろ冷たい。
この冷たさが、この子を連れて行ってしまう。
『あの子が
──
怖くて近寄れないから
悪気がないことは
『あまり長くは話せない。必死にお願いをして、一度だけと許してもらったの』
許してもらった、とは。
問うような視線を受けて、彼女は涙に
『本当は、いけないことなのだそうです。でも、情のわかる方だから、願いを聞き届けてくださった』
「それは……」
『川の向こうの
冥府の
明かりひとつない、誰ひとりいない、暗く
あちらに渡ってしまったら、きっともうあの人に会えない。置いてきてしまった。せめて待っていなければ、あの人はきっと悲しんで寂しんで。───とてもとても怒るだろう。
少しずつ冷たくなっていく彼女の手をとって、彼が
そのときに、心を決めた。何があっても絶対に、この人を待っていようと。たとえ冥界の門を守る番人に
しかし、規則どおりに冥府の獄卒は彼女を
それを
『その強情さが気に入った。
そして、ひとりきりでいるのは
『だから、あの子が悲しい決意をして、川べりにやってくることも知りました。私は、あの子をどうしても助けたかった』
官吏が許してくれたのは、川べりで待つことだけだ。代わりに彼女は、愛する者たちの
あるいは、あの暗く寂しいところに立ち止まり、
そのことに思い当たり、
『それが私の選んだことだから、心配はしないで。………でもね、ひとつだけ、言ってもいいなら』
笑おうと努力している
『見回りにくる獄卒の顔が、
彼らはただひとりで川べりにいる彼女に危険がないよう、わざわざ足をのばしてくれているのだ。それを彼女は知っている。だが、あの暗闇の中で、水のせせらぎしか聞こえない
赤子の頃に死に別れた
お願いです。あの子を
確かに、これはあの子が決めたことです。でも、心の底から望んでいたわけでは決してない。あの子は。
あの子はただ、大切なものを守りたかっただけなのです─────。
晴明は目を閉じた。あの子の決意を聞いた夜。あの子の願いを聞いた夜のことを、思い出す。
そして、あの子がどれほど深く、強く、悲しい決断をしたのかを。
白く冷たい炎の中に横たわる、まだまだ成長しきっていない子ども。
若菜はその子を見つめ、はらはらと涙をこぼした。
『本当は…何も失わせずに還してあげたかった。けれども、冥府の官吏がそれはできぬと
命は、現世に還してやろう。だが、ただではできない。必要なものは代償だ。
命を還す代わりに、命の次にその子どもが必要としているものを、ここへ置いてゆけ。それをお前に預けておこう。決して、還してはならない。どれほど心が
それが、条理を曲げるお前たちに科せられた罰だ────。
晴明は
「なんという……」
言葉を失う晴明に、だが彼女は
『
たとえ、魂そのものが消え去ってしまうほどの力を込めても、若菜だけではあの子を現世に還すことはできなかったのだから。そして、命の代わりのものを支払った。
けれども。
『あの子がこれから歩む道から、光が失われてしまった。あの子は
燃え上がる炎に手をかざし、晴明は妻と末孫を
「
──大丈夫だ、ほら、妖は
もう、泣くな。
自分勝手で、不器用で、言葉を選ぶのがへたで。──
そんな人だから、待ちつづけていられた。
若菜は涙をぬぐった。
『こんなことを言ったら、あなたは怒るかもしれないけれど…』
目をしばたたかせる晴明に、彼女はほんの少し
『決して会うことなどできないはずのこの子に会えて、
闇の中でもまったく平気なふりをして見せるほど。
本当は、あなたのことをたくさんたくさん聞きたかったけれど、それも
冷たい炎は変わらずに燃え
それは、
晴明の表情からそれを見て取った若菜は、ほっとしたように息をつく。
彼女は、
『私はもう
「暗くて静かなところにか?」
『ええ。あなた…、晴明様』
『私は勝手にあなたを待っているだけ。暗くて静かな寂しいところだけれど、勝手に待っているだけよ、だから…』
彼女の言わんとするところを理解して、晴明は
「勝手に先にいって、勝手に待っているのか。本当に、お前は変わらない」
そして、そのすべてがいとおしい。
せめて、その
炎が消えて、辺りは完全な闇に戻る。
静寂の中で、晴明はひっそりと
「……すまない。もう少しの間、私はそちらへは行けそうもないよ……」
命の代わりに、命の次に必要なものを、あの子は失った。
それが、条理を曲げてしまったことに対する
それほどのものを失っても。
「お前は本当に、取り戻したかったんだな…」
その
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます