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◆ ◆ ◆
郷から少しはずれた、
祠には近寄ってはならないと、幼い
郷の長老の話は
まだ十にもならない頃に、友人たちと怖いもの見たさでそばまで近寄り、扉に触れたことがあった。
その
──開けろ…
空耳かと思った。だが確かにその声は、同じ言葉を
──開けろ…!
無我夢中で郷に
あの祠には、悪しきものが祀られている。
彼女はそれ以来、祠に極力近寄らないようにしていた。
そのあとも、長老の言いつけを破り度胸
だから大人たちは、あそこには決して近づくなと子どもたちに言い
「ふう…」
まだ少ないわらびやぜんまいを、背負ったかごに入れて、彼女は郷につづく道を進んでいた。
この道は、遠目に祠が見えるのだ。
幼少時の恐ろしい体験は彼女の心に深い傷を作っていた。視界に入るだけでも体が
祠のそばに、白いものがあった。
なんだろう。
恐る恐る目をやると、祠の前に郷の子どもが倒れている。彼女の家の近くに住んでいる、下の子と同い年の少女だ。
彼女は
「どうしたの、しっかり…」
抱き起こして、彼女は絶句した。
少女は目を開いたまま、氷のように冷たくなっていた。光を失った
だが、まだ息はあった。かすかに
「あれほど、ここに来たらだめだって言っておいたのに…!」
昔の自分と同じように、好奇心に負けてしまったのだろう。とにかく早く郷へ。
ずしりと重い少女を
反射的に背後を
石を組み合わせた祠、木
がたんと、重い音がした。
祠の中に、さらに白い石がある。
がたん。
「……ひっ…」
少女を抱えたまま、必死で
生ぬるい、
──開いた……!
黒い
言葉にならない悲鳴が風を
◆ ◆ ◆
冷たい風の中に、春の
「そうよね。もう
「
自分を呼ぶ声がする。あまり感情の見えない、子どもの声なのに大人びた口調の
聞こえているのだが、彼女はあえて気づかぬふりをしていた。
だが、あそこには。
「太陰、そんなところにいたのか」
自分を見つけた
太陰は舌打ちした。もっと見つかりにくいところにいればよかった。
「……なによ」
気乗りしないながらも太陰は視線を落とした。七
小さく呟いた声は、風に乗って玄武の耳に
「昌浩が心配しているぞ、何かあったのではないかと」
「仮にも十二神将が、この
「何もないならさっさと戻ってくるべきだろう。
「とっくに終わったわ。そこ」
そっぽを向きながら、下のほうを指差す。
視線を樹上に戻し、玄武は眉を寄せた。
「なら、戻るぞ。余計な心配をかけると、また体調が悪化する可能性がある。
太陰は眉をひそめた。
「……そうね。わかってるわ。でも…」
言い
危なげなく着地して、
蔓を手に猪をずるずる引きずる太陰に、玄武はそれまでとは
「そばに寄りたくない気持ちはわからないでもないが、それでは護衛ができないだろう」
自分たちの役目は、
「わかってるわ。晴明の命令だもの」
でなければ、
その野望を
その折の激しい戦いで、昌浩はひどく
太陰と玄武は、安倍晴明が率いる十二神将だ。昌浩の護衛と、都にいる晴明に
昌浩のほかに、もうひとり、晴明の孫である安倍
「
成人男性を
「
「成親がつくまで、あと半月近くはかかるでしょう。それくらいあれば、万全に近くなるんじゃない?」
「通常の精神状態であれば、いくらでも快復を見せるだろうが、いまの状態ではなんとも言えん」
玄武の言わんとするところを読み取って、太陰はうつむいた。
「……そう、ね…」
近くとはいえ、大分距離がある。ふたつの入海の東の海に面していて、
彼らが現在
もっとも、郷人もいまは山に入るどころではないのかもしれないが。
急ごうと言いながら走ろうとはしない玄武が、思い出した様子で視線を投げてきた。
「先日、郷を見てきたのだろう。混乱していたか?」
足を止めて、太陰は
「うん、しばらくつづくんじゃないかしら。生き神様が
そのまま彼女は北東の空を
十数年前に現れた智鋪の宗主が建てた社は、郷人の
「心を寄せていたものが突然消えるのって、どんな感じなのかしら」
「我々にはそういう対象はないからな」
本気で思案顔を作る玄武だ。
「そうよね……。
安倍晴明を
再び足を
そろそろ庵だ。この森を
ふと、玄武が息を
「………ほら、言わないことはない」
舌打ちしそうな口調だ。視線を向ければ、庵の戸口に近い木の根元に、いささか青ざめた顔の子どもが座り込んでいた。
「昌浩、そんなところにいては…」
玄武の
「玄武? どこだ?」
ふたりははっとして、
ほんの
突然姿を見せた玄武と太陰を認めて、昌浩がほっとしたように笑う。
「お帰り。あんまり
「すまん。少し、時間がかかってしまった」
しょげる玄武に昌浩は慌てて手を
「や、
許可したとはいっても、おおかたため息混じりにだったのだろうが。勾陣はあまり
ほんの少し視線を落として、昌浩は
「……やっぱり、ちょっとしんどいかな。あ、そばにいるな、ていうのはちゃんとわかるし、声も聞こえるから、大して問題はないと思ってたんだけど…」
これでも、昔よりははるかにましな状態だけど。
そう結んで、昌浩は立ち上がった。
「そろそろ日も暮れるし、中に入ろう…ん?」
太陰が引きずってきた猪に気づき、昌浩は目を丸くする。
「わ、すごいねぇ。どうやって仕留めたんだ?」
「簡単よ。突進してくる鼻面めがけてこう、風の
ひょい、と何かを投じる仕草を涼しい顔でしてのける太陰を見つめて、昌浩はいささか引き
「…………簡単なんだ」
「ええ、簡単。一発で動かなくなるから、とどめを
こともない
「これからの季節に毛皮は必要ないだろう。それに、ここにそれほど長期滞在するわけでもない。さしあたっての食料確保ができればいいのではないか?」
玄武の意見に、太陰は素直に頷いた。
「それもそうね。じゃあさばいたあとで山奥に捨てに行きましょう。自然のものは自然に帰す、これが基本だわ」
うんうんと頷く太陰の仕草に昌浩は
「勾陣たちは中か?」
「うん。
警護のための
ついと空を見上げて昌浩は目を細める。
「六合が
刻一刻と過ぎた時間は確実に太陽を西に
昌浩の顔に
空を見はるかしている昌浩の横顔に、玄武は表情の読めない
平気な顔をしている。あえてそういうそぶりをしているのだろうか。
おそらくそうなのだろう。精神力も何もかもを限界まで
案じる一同に、そのひとりは
──ここで死ぬなら、それだけの
冷めた目で、
そしてその言葉は、昌浩が
数刻後に目を覚ました昌浩は、それまで飲み込むことのできなかった
思い起こし、玄武の胸中に苦い感情が広がった。
果たして彼は、あのとき本当に
「………………」
「昌浩」
「ん…?」
空を見ている昌浩に、玄武は僅かに
「勾陣と六合はわかった。……騰蛇は、どうしている?」
傍らの太陰が、びくりと
昌浩の表情は変わらない。
「さぁ…。近くには多分、いると思うんだけど。勾陣たちがそう言ってたし。でも、そういえばさっきから、姿を見てないな…」
まるで
「……そうか」
「でも、近くにはいるんだと思うよ。朝方ちらっと白い
ふいに昌浩は笑う。
「不思議だよね。玄武たちのことは見えないし、近くにいるはずの
気づいたのは、六合だったと
眠っているのか起きているのか。そんなあやふやな状態を
横になったままぼんやりと
「……六合、近くにいる、よね」
そのとき六合は、昌浩のすぐ傍らにいた。たまたま隠形もしていなかった。気配も殺してはいなかったし、何よりそれをする必要がなかった。
「ここにいるだろう。……昌浩?」
そのとき昌浩のそばにいたのは、六合と勾陣だった。玄武は食料の確保に、太陰は朝から周辺を見回って、ついでに
なのに、昌浩の目が六合を素通りする。
「…ここにいる、よね。……うん、だって、手がある」
「昌浩?」
ふたりの様子に勾陣が近づいてくる。確かめるように六合の腕を
「……見えない…」
自分の手や、かけられている
だが、『
幼い頃そうだったように、
十二神将たちは
それが、視えないという。気配は感じる。声も聞こえる。ただ、視えないのだと。
昌浩は、大陰陽師安倍晴明の末孫で、その
色を失う神将たちに対し、当事者である昌浩は淡々としていた。
目が見えなくなったわけではないし、自分はちゃんと生きている。
本当は命を失うはずだったのに、生きている。だから、これくらいの
視えない
対策を考えるのは、それからでもいいと考えた。
都へ帰れば祖父がいる。多分びっくりするだろうが、自分だって
思案顔の昌浩の手を、太陰が引っ張った。
回想のふちから帰ってきた昌浩が視線を向けると、子どもの
内心でしまったと呟いて、昌浩は口を開いた。
「そろそろお
基本的に十二神将は人間とは一線を画するので、食事を
「
ここで言うところの「人型」とは、文字通り「人間の姿」を取ることだ。ほぼ現在の姿のままで人間と同じような暗い色の
玄武の言葉に、昌浩は眉を
「あー、冷たいなぁ。ひとり
「むなしくても食べなきゃ元気になれないわよ」
相変わらず無造作に
「元気になって、成親が
そうだねと
庵の屋根に、白い
まるで大きな
昌浩を見下ろしている大きな丸い目は
十二神将騰蛇が、変化した姿だ。
物の怪は昌浩が視線を向けると、すいと顔を
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