第6話(完)
オレが弟ですらなくなって、数日。壊れちまった日常になれ始めちまった頃だった。
またたき始めた夜空を本部の窓から眺めていたら、アーサーさんに声をかけられた。
「少しいいかい?」
隣の壁に背中を預けて笑いかけられる。
朝の修練以外で、アーサーさんとそこまでの深い交流はなかった。こうしてわざわざ声をかけてくるのは珍しい。
「話しておきたいことがあるんだ」
修練のあとでも時間はあるのに、わざわざ今を選んだ理由。
急に依頼が決まって、あしたの修練はなしとか?
「だめだったよ」
視線を天に向けながら続けられた言葉の意味は、理解できなかった。
「さっき、ふられちゃった」
耳朶にふれたのは、衝撃的な内容だった。
考えるまでもなく、ピオが浮かぶ。
天井に笑いかけるアーサーさんは、ほのかに悲しげだった。
「どう、して?」
アーサーさんになら、いい。
そう思って作りかけた決意は、どうしたらいい。
「予感はしたけどね。一緒にいても、心はどこか遠くにある感じで」
遠く……アーサーさんといても、気になる人を思っていたのか?
アーサーさんを持ってしても、思いは揺らがなかったのか?
「トストには知られちゃっているし、隠すべきではないと思ってね。時間をとらせて、ごめんね」
返す言葉が見つからなかった。なにを考えたらいいのかわからなかった。
「どう……言われたんですか?」
プライベートなこと、本来は聞くべきではないと思う。
でもよぎった可能性が、言の葉にした。
「『いい人だとは思うけど、好きになれなくてごめんなさい』って……謝られたよ」
努力はしたのか?
ピオは『気になる人』を忘れるために、アーサーさんに歩み寄ろうとした。
でも、ダメだった。
まだピオの心に、ヤツはい続けているのか?
あんなにつらい表情をするだけの思いを、捨てきれないって言うのか?
「結果はこうだったけど、ピオには幸せになってほしいよ。またあしたね」
最後にふわりと笑って、立ち去るアーサーさん。
無理だ。
事情を知るオレは、アーサーさんの言葉をすぐに否定した。
今の思いを抱えたままのピオの先に、幸せなんて。
オレだけでなく、アーサーさんまでも不幸にするつもりかよ。
ふざけんな。
アーサーさんすら突っぱねるなんて、どんな相手だよ。
不幸にしかならない未来に進んで、どうしたいんだよ。
両の拳を強く握る。
言いたい。
今すぐピオに、バカって。
ピオの背中を強引にでも押して、アーサーさんへの言葉を撤回させたい。
いつもへにゃっとゆるんでいた顔を、唯一曇らせた『気になる人』の存在。
『そんなヤツに突撃するのは、大バカ者だ』って一喝してやりたい。
アーサーさんの言葉がよぎった。
もしかして。
よぎると同時に、駆け出した。
駆けた先にあった小屋は、昼間とは別物に見えた。おんぼろな外観は、近寄りがたさを全力で演出する。
アーサーさんは『さっき』ふられたと言った。
告白を断った罪悪感、忘れられない存在を思い出したピオは、ここにいるんじゃないか。
とは思ったけど……夜の闇で不穏さしかないこの廃屋。さすがにこもりはしないか?
無我夢中で駆けこんだとしたら、外観とか構う余裕なかったかもしれない。
妙な緊張を感じつつ、扉を開ける。
外観以上の不気味さを放つ暗闇の中に、ぼんやり感じる存在。
「ピオ」
正体なんかまだわからないのに、直感で思えた。
びくりとして、もぞもぞ動いたそれは、ゆっくりこっちに向く。
月明かりで認識できた顔は、やっぱりピオだった。この廃屋に閉じこめられていたかのように、表情には不安に似た感情が乗る。
「な……んで」
歯の根のあわない声は、聞きとるのがやっとだった。オレでなかったら、声ってわからないレベルだ。
「バカが」
しゃがんだままオレを仰ぐ姿は弱々しい。それこそ、誰かの支えが必要そうなのに。
「どうしてアーサーさんを断ったんだよ」
双眸が、かすかに一瞬見開いた。
「聞いて、たの?」
「アーサーさんから聞いた」
どちらにしろ意外だったのか、ピオの瞳は細かく震える。
「こんなの続けて、どうすんだよ」
思い出すたびに、心を痛めて。こんな感情を抱え続けて、なにになる。
むしばまれて、終わるだけだ。
その先にあるのは、ひたすらの不幸でしかない。
今だってこんなに、苦しそうな顔をしているのに。どうしてしがみつく。
「……わかってるよ、ごめんね」
力ない謝罪は、心が乗っているように感じられない。
ちっとももわかっていない。真っ暗の未来に、希望があると信じてやがるんだ。
ピオの腕をつかんで、力任せに立たせる。
「これ以上、思い続けるなよ! すっぱり別のヤツのところに行けよ!」
無益な未来にしがみつくな。せめて笑え。
ピオはオレに顔を見られるのを嫌うように、首を強くひねったまま聞いて。
「わかってるよ……」
はかなく返されたのは、同じ言葉。
なにもわかっていない。
言葉にする前に、ピオの顔が向けられる。
「ずっとわかってる! 変態だもん! おかしいもん! とっくに自覚してるよ!」
発せられた悲痛な声につんざかれて、呆気にとられる間にも言葉は続く。
「アーサーはいい人だし、今度こそ好きになれるかもって思ったんだもん! でも全然、だめだった!」
言葉と同時に流れる、大粒の涙。
初めて聞く大声に、あふれ続ける感情に、思考が完全に奪われた。
「友達が話す『魅力的な男の人』も、どこがいいのか理解できないんだもん。どうしたら好きになれるのか、わからないよ……」
沈静化した声が、すすり泣く音に変わる。
ピオは努力していたのか。『好きになろう』とはしていたのか。
なのにできなくて、ここまで感情を乱すほどに悩んで。
冷静に考える心に、さっきの言葉がよぎる。
変態? おかしい?
そんな自覚を持つような相手が『気になる人』なのか?
「ごめんね、トスト……」
漏れたオレの名前。
さっき発せられた単語は『ずっとわかっている』だった。
裏を返したら、ピオの気になる人はずっと変わっていない?
情報をつなぎあわせて導き出されるのは……まさか。
いや、待て。うぬぼれはなはだしい。
とは思っても、よぎった可能性に確信を伝える言葉がほしくなる。
「……いつから好きだった?」
静かに暴れる動揺のせいか、漏れた声は少し震えていた。
「わからないよ。気づいた頃には、もうトストしか考えられなくなってたもん」
まさか、が現実になった。
予想外すぎる事実に、言葉が見つからない。
「誰よりもトストと一緒にいたかった。トストの成長はうれしいのに、いつか恋人ができて離れてっちゃうのかなって嫌だった。ほんの数日会えなくなるだけで、心がトストで満杯になった」
つづられるピオの言葉は、オレの思いと合致して。
なのにどうして。
「ずっと、姉ちゃんだったじゃん」
関係は変わらなかった。変えられなかった。
ピオがかたくなに『姉』だったから。
「そうでないといけないよ。あんなにちっちゃい頃から恋愛対象だなんて変だもん。『お姉ちゃんだから』って言い聞かせるしかなかったもん。ただの家族愛だって。こんな思いを知られたら、嫌われちゃうもん」
強固なまでに続けられた『姉』の壁は、全部意図されたものだったのか。
「そのくせ、ずっとガキ扱いされたけど?」
恋愛対象として見ているなら、あそこまでのガキ扱いは矛盾する。
『ガキ相手に恋愛感情を抱くのは異常』と思ったなら、ガキ扱いをやめればいい。オレも来年成人だし、そのほうが自然だ。
「『幼い』って思ったら、抑制できるもん。でもさわれるもん」
抑制したいのに、さわりたい。ツッコミをいれたい、矛盾を感じられる言葉。
それでも口にできなかったのは、ピオは『笑わせよう』とか『冗談を言おう』とかの感情を感じられない、真摯な瞳をうるおわせていたから。
矛盾を自覚しながらも、こうする道を選ばざるを得なかったのか。
オレの話を誰かにする際も『弟みたいな存在』ではなく『弟』としたのも、その感情からだったのか?
「周囲にオレを『弟』って話したのも?」
きっと予想そたままだろうけど、聞かずにはいられない。
「そう言ったら、自分にストッパーできるもん。周囲に『弟』って認識されたら、自分でも『トストは弟なんだ』って思えるもん」
そこまでするほどだったのかよ。
「……1人、真実、知ってなかった?」
いつだかピオが女と恋愛話中に『オレは義弟ですらない』って否定する声があった。全員に『弟』って話したわけではなかったのか?
「あの子はつきあいが長いの。『トストっていう男の子と仲良くなった』って話してたくらいだから」
そう聞かされていたら『オレは弟』にねじ曲げるのは無理がある。それであの人だけは知っていたのか。あの人が常にピオと行動していたら、弟発言をそのたびに否定して、広がらないで済んだかもしれなかったのか。
「『オレを好きになるなんてありえない』も?」
友達に話していた、この言葉。
今までの話を聞いて、ぼんやり真意は見えてきた。
「だって、本当にありえないでしょ? 今くらいのトストならまだしも、物心もついてない頃のトストから好きだなんて」
いましめのため、だったのか。
ガキに恋愛感情なんて、異常性を感じる気持ちもわかる。当事者のオレですら、正直困惑がある。
思えば、物心つく前から、抱きしめられるとか、風呂の誘いとかはなかった。自分の使ったスプーンで飯を食わせなかったのも、裏事情があったからなのか。ちゃんと良識はあったんだな。
オレの使ったスプーンでなら抵抗なく食ったのも、そのためか。潔癖なんかではなくて、罪悪感。オレから渡されたなら、罪悪感なく食える。ちらつきはするかもしれないけど『拒否したら傷つけるかも』とでも弁解できる。
涙を拭いたピオに、悲しみに光る瞳をまっすぐに向けられた。
「でも、大丈夫だよ。ちゃんと、離れるから。諦めるから」
「……なんで?」
どうしてそう続くのか、理解できない。
「言ったじゃん」
「誰が?」
流れ的にはオレだろうけど、一切の心当たりがない。
「トスト以外にいないよ」
そりゃあそうだよな。
オレ、なにか言ったか? そもそもピオの真意すら今初めて知ったオレに、そんなの言うなんて無理だ。
「無自覚。誤解。どうしてそうなったか教えて」
「えぇー」
お手あげポーズを決めたら、ピオから間が抜けた声が漏れた。
さっきのシリアスムードとは一転、なじみある声に戻ってちょっと安心する。
「『お姉ちゃんなんてお断り』って言われた」
友達に『オレを好きになるなんてありえない』って話した際のか。それからも多干渉はあった。
「依頼で会えなくなるって言っても喜んだし、料理を作りたいって言っても断られたし、嫁げって言われたし……『離れたがってるな』とは気づいてたよ」
言ったような気がする。数が多すぎて把握しきれないけど。
「料理を習ったのって、本当にオレのため?」
今の話で、ちょっとした疑問がわいた。ここまでしたピオなら、あるいは『教えてもらったら、その人の優しさを好きになれるかも』って真意があったんじゃないかとさえ思える。
「お嫁さん修行して、少しでもトストから離れる覚悟を作りたかったの。修行中も浮かぶのは、トストだけだった。結局、いつの間にか『トストにおいしいご飯を作りたい』以外に考えられなくなっちゃってた」
予想とは違ったけど、料理修行には強い覚悟があったのか。
「そんなだから……もしかしてお姉ちゃんの本当の思いに気づかれて、気持ち悪がられたのかなって」
ピオの本心なんて一切よぎりもしなかった。
それでもピオに不安を与える材料になったのか。
ほんの少しの心ない言葉が、少しずつピオをむしばんだのか?
「でも、一緒にいたかったの。なのに『お姉ちゃんヅラするな』って……『お姉ちゃんとしてそばにい続けるのもだめなんだ』って。違ったの?」
力ない言葉に、不安と悲しみの宿った表情。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんとしてならそばにいていいの? 許してくれるの?」
「嫌だ」
かすかにひるんだピオの顔。
きっとオレの思いとは真逆の考えが支配したんだ。
「姉ちゃんヅラなんて、絶対に嫌だ」
ピオが不必要に姉を作りすぎたのが、そもそもの発端だろ。
『ガキの頃から好きだった』はともかく、今くらいの年齢になったオレになら、罪悪感を抱えなくていいじゃん。
「ごめ――」
その瞳がまた涙を作るより前に、体を抱きしめた。
耳元に、息をのむ音が届く。
ピオの体温を全身で感じるのは、いつぶりだ? きっと互いに、まだ家族に近い感情しかなかった頃。
なれきったはずのにおいも、こうしてまとうと一切別のものに感じる。
ようやく手にできた安心と、暴れ始める高鳴りと、どうしようもない緊張。
入り乱れて、まとまらない。
でも、言いたいのは。
「女としか思ってないから」
我ながらはずかしすぎて、全身が燃えるように熱を持った。
それでも伝えたかったから。知ってほしかったから。
『お姉ちゃん』が、そうでなくなった日はいつだった?
もう覚えていない。それほどまでに昔で、長い期間。
「それって――」
耳元にかかる吐息が、近すぎる距離を自覚させた。
「ピオが変態なら、オレだってそうだからな」
強く『姉』でい続けたピオに、オレはあっさりと落ちたんだ。
「年下と年上なんて、わけが違うよぅ」
「黙れ」
『ガキのオレにほれていた』なんて、手放して喜べるかと言ったら、そうはいかない。ここで口論したら、ピオの罪悪感は消えないままだ。ピオにつらい思いさせ続けるなんて、ありえない。
オレだって強固な姉に落ちちまったんだから、お互いさま。
「ピオは……オレを男と思ってるの?」
弟ではなく、男に。ピオにとってのそんな存在になれるのか?
「はずかしながら……」
控えめに、オレの背中に手が回された。ぎこちない指先は、まだとまどいを感じる。伝わる熱が、オレを高鳴らせた。
「こんなに男の子になってたんだね」
ようやく、認められた。
「覚悟しろよ。今までのが、かなりたまってるからな」
オレのものになったピオを、強く抱きしめる。
姉ちゃんだったピオは、もういない。いや、ずっと前からいなかったのか?
今いるのは、これからの未来にいるのは、ピオという1人の女。
オレがずっと求めていた存在。
「その倍たまってるから、へーきだよ」
耳をくすぐった幸せと同時に、よぎった。
……アーサーさん、どうしよう。アーサーさんも隠さないで話してくれたし、真実を伝えるべき?
とっても言いにくい。
きのうのきょうどころか、きょうのきょうにこうなっちまったし。アーサーさんと2人で何回か出かけていたピオが、悪女みたいに感じられないか心配だ。
そもそもアーサーさん、オレが『ピオの弟』って思ったままだ。
『オレは弟』とピオが話しまくっていた以上、誤解した人は多そうだ。
……真実は、とても話せないのかもしれない。ピオの姉ちゃんヅラは、まだ続きそうだ。
……いいか、女としてのピオはオレだけのものと考えれば。こんな独占もアリだろ。
堅牢強固なる『お姉ちゃん』の壁 我闘亜々亜 @GatoAaA
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