第5話

 見たのは、翌日のことだった。

 昼前にピオに会って、大仰な『会いたかった』の嵐を食らった。1日ぶりだからオレは出迎えなかったし、しなくても騒がないと思ったのに。

 多干渉をあしらいつつ、いい時間だから昼飯の誘いがあると思った。

 飯の誘いもなく、ピオのほうから離れて。

 毎日毎日誘われるわけではない。友達と食うのかと思って、深く気にとめなかった。

 しばらくあとだった。

 並んで本部を出る、ピオとアーサーさんを見たのは。

 2人が依頼なんて聞いていない。

 ざわついた心にちらつく、アーサーさんの言葉。

 まだ、諦めていない。

 鮮明に心中に響いて。

 ピオをリードするアーサーさんは、紛れもなく紳士だった。

 まっすぐ、けがれのない思い。嫌なほどに伝わって。

 アーサーさんを仰ぐピオも、笑顔でおだやかだった。弟に見せる笑顔とは違う。

 にじみ出るオトナの関係。

 両の拳の握る力がこもって、震える。

 オレのほうがずっと長くいた。重ねた思い出も誰よりも多い。

 なのにどうして、他人の干渉を許されないといけないんだ。

 ピオに足が向かいかけて。

 でも、動かなかった。

 感情に任せた行動。これこそなによりもオトナに遠い。そう思えたから。

 オトナの男になりたい。

 だったら、黙ってこのまま見届けるしかないのか?

 遠くなる2人の背中を、黙ってにらむ。

 親しくなる2人を前に、オレは笑えるのか? 『ピオは幸せだから』と喜べるのか?

 ……無理だ。できるなら、なにも悩まない。

 行動して、変えられなくてもどかしくて、イラついているんだ。

 変えたいのに、変えられない。

 ぶ厚すぎる姉の壁。

 どう壊したらいいのか、わからない。

 年数を重ねて堅牢になりすぎた壁は、もう壊せない領域になっちまったのか?

 このまま壊せなかったら。

 オレとピオの関係は、変わらないまま。

 変えられないまま。

 ずっと弟でいるしかないなら。

 せめて、笑顔が見たい。

 つらい恋に心を痛めて悲しむより、幸せにくるまれた笑顔でいてくれたほうがマシだ。

 きついことを散々言って、さみしげな表情をさせ続けたオレだけど。『気になる人』を語る際のあの表情は、もう見たくない。

 アーサーさんは、悪い人ではない。人間的にも男としてもとても尊敬できる、すばらしい人。

 けがれのない思いをまっすぐに向けられたら、ピオも『気になる人』の思いを払拭できて、幸せな恋ができるかもしれない。

 男としてオレはなにもできないなら、弟として見守るしかないのかもしれない。

 ピオの幸せを。心からの笑顔を。

 決意を確固にしたくて、2人の背中が完全に消える前に視線を外した。


 翌朝、修練を終えたオレにアーサーさんの笑顔が向いた。

「きのう、ピオと食事をしたんだ」

 隠されもしないで話された真実。

 オレに思いを知られているし、隠す必要もないと判断したのか? 出かける際も、人目を気にする様子すらなかった。

「こぼしたりしませんでした?」

 オレへの心配ばっかりで、他の注意が散漫したピオ。自分のを冷まし忘れて悶絶を筆頭に、杯を倒してこぼす、肘鉄で物を落とす……数え切れないミスがある。

「そんなことはないよ。とてもきれいに食べていた」

 きれいに食えるものを選びやがったな。

 グラタンはぐっちゃぐちゃにするし、魚の骨をとるのが壊滅的にヘタなピオがきれいに食うなんて、できやしない。

「食事だけだけどね。トストには報告したほうがいいかと思って」

 他にはなにもなかったのか? ただの飯で、関係は変わらなかった?

 きのうの決意はどこへやら、安心にくるまれる自分がいた。

 ダメだろ。納得しろよ。

 アーサーさんなら、安心して任せられる。そう思えるだろ。思ってくれよ。

「いちいち報告しなくていいですよ。聞きたくもないです」

 本心だった。

 報告なんていらない。親しくなる様子を聞きたくなんかない。ピオが誰かのものになる過程なんか、知りたくない。

 認めるべきなのに、拒絶の心は一向に消えてくれない。

「口論でもしたのかい?」

 心配の声に顔をあげる。アーサーさんと目があった。

「きのう、ピオもトストの話は少なかった。仲良くしないといけないよ?」

 諭すような笑顔で、アーサーさんは本当にそう思って心配してくれたんだとはわかった。

 でもオレは、内容にひっかかりを覚えた。

 前にアーサーさんは『ピオはずっと、弟の話をしていた』と言った。なのに、きのうは少なかった? 弟としてのオレすら、いらなくなったのか?

「事情は知らないけど、あまり悲しませたらいけないよ」

 去るアーサーさんの背中を見ながら、いわれのない不安に襲われた。


 まとまらない心のまま本部を歩く。杞憂だったのかと思うほど変わらない笑顔のピオが近づいてきた。

「お昼、食べたーい」

 オレが見返しても、続けられる言葉はない。アーサーさんと飯をしたことを、話すつもりはないのか。

「他に誘いたい相手、いないのかよ」

 オレは知っている。アーサーさんと飯をしたこと。黙ったって、わかるからな。

「トストがだめだったら、さみしく他の子にあたるよ」

 オレが最優先。そう思える言葉。

 でもそれは、オレが弟だから。誰よりも長いつきあいがあるから。

 なのに。

 ピオの中からは、弟としてのオレすらも消えそうになっているのか?

「……ふざけんな」

 強固なキズナ。近すぎる距離。

 だけどあくまでも、血のつながりのない他人でしかない。切ろうと思えば、あっさり切れる縁だった。

 ピオにとって、オレはずっと弟で。不要になったら、他人以下にしようってのかよ。

「いい加減にしろよ! もうオレを振り回すな!」

 ぐちゃぐちゃまとまらない感情のままに叫ぶ。呆気にとられるピオを背に逃げた。

 弟として見守る。

 決心を固めきれないまま。『弟としてのオレすらいらない』と、それすら拒絶された気がした。

 駆けて、駆けて、駆けて……ついた先はあの小屋だった。

 荒れた呼吸のまま飛びこんだオレに、相変わらずのホコリが押し寄せて喉にダメージを食らう。構う心の余裕なんかなかった。

 なにを決意して、なににイライラしているのかすらわからない。ピオとアーサーさんが、ただひたすらにちらつくだけ。

 吹っ切れたいのに、吹っ切れない。

 どうしようもできない、ごちゃごちゃとした感情。また遠ざかる、オトナへの道。

「トスト……」

 背後から届く、ピオの声。

 また、すぐ見つかった。あるいは『すぐに見つけてほしい。オレの行動を理解しているって実感したい』と思って、オレに単純な行動をさせたのか。

「ごめんね。お姉ちゃん、怒らせちゃった?」

 心痛な声に隠された『姉』の単語が、イライラを強める。

 この単語を嫌になったのは、いつからだったか。もう覚えてもいない。

「嫌なとこあったら、言って。お姉ちゃん、全力で直すよ」

 くり返される『姉』の呪文。

 もう、嫌だ。

「いつまでも姉ちゃんヅラしてんじゃねぇよ!」

 ピオに振り返って、思いの丈をぶつけた。

 双眸を見開いて呆然と立ちつくすピオ。

「オレなんかに構ってないで、アーサーさんといればいいだろ!」

 どうやっても壊れなかった、姉の壁。

 とっくにオレに攻撃の手段なんてなかったんだ。

「オレに姉ちゃんなんていらない!」

 ほしいのは、ピオという個人。姉ではない姿。どれだけ求めても、オレの手に渡ることはない。

「失せろ!」

 両の瞳が涙でそまって。絶望にそまった顔を隠すように、ピオは駆けて消えた。

 消えた。

 消えたのが、姉としてのピオだけならいいのに。

 次に会った瞬間には、トストとピオという個人の関係になれたらいいのに。

 届きはしない絵空事に、1人冷笑した。


 ピオからの多干渉はなくなった。

 それどころか、ただの干渉すら。

 会っても、目礼や短い挨拶だけ。驚くほどあっさりと、ピオとの縁は切れた。

 誰からも心配されることなく進む飯。誰からも絡まれることのない日常。

 依頼でピオがいない際、こうすごすことはあった。今回からは違う。

 ピオが本部にいても、この時間をすごすことになる。そんな現実が始まる。

 そんな中でも続くのは、ピオとアーサーさんの交流。

 また2人で出かける姿を、何回か見かけた。前の言葉が効いたのか、アーサーさんからの報告はなかった。

 去る2人の背中を見て、よぎることはあった。

 どうしてこんなことになった?

 ピオとの関係は変えられたけど、悪い方向で。

 アーサーさんとむつまじく歩く姿を見つめるしかできなくて。

 『気になる人』を思い続けて不幸になるくらいなら、これでいいと思いたかったのに。

 晴れやかな気持ちで2人を見られたことはない。

 でも、なにもできなかった。する意味がなかった。

 とぎれたピオとの縁をたぐり寄せても、姉弟に戻るだけ。わかっているから。

 弟として見守るのも、他人として見守るのも、変わりやしない。どんな関係でも、オレがピオに抱く感情は同じだ。

 だったらせめて、アーサーさんとの関係を笑って見守れるようになろう。そのほうが楽だし、ピオのためにもなる。

 少しずつでも、時間がかかっても、切り替えるしかないんだ。

「ケンカでもしているのかい?」

 ある日の修練終わり、アーサーさんからの声に視線を向ける。

「最近、ピオと一緒にいないみたいだけど」

 そのことか。

 さすがにアーサーさんには、ピオとなにがあったか話していない。ピオも同様だろ。

 それでも気づかれるほどに、露骨にさけあっていたのか? アーサーさんがピオを目で追って気づいただけ?

 どちらにしろ、真実を伝える必要はない。

「ようやく離れてくれて、せいせいします」

 心配の声が聞こえなくなって、1人の時間をのびのび楽しめる。

 前向きに考えて、少しずつこの現状を受容しよう。

 オレだって、もうすぐ成人だ。姉ちゃんにいつまでもべったりされるなんて、おかしいもんな。これが、自然な形。

「……なにかあったなら、すぐに仲直りするんだよ。ここ最近のピオは、ずっと沈んでいるんだ」

 オレの言動のせいなのか。あるいは『気になる人』を思ってなのか。

 真実はピオにしかわからない。わかったところで、オレにできることはなにもない。

「なぐさめたらいいじゃないですか。チャンスですよ」

 オレは、弟に戻りたくない。でもオレは、ピオの弟にしかなれない。

 だったらもう、これしかないんだ。

 アーサーさんなら、ピオにあんなつらそうな顔はさせない。そう思えるから。

 これが、最善だ。

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