第4話

 翌朝、修練終わりに決意してアーサーさんに口を切った。

「アーサーさんみたいなオトナの男になるには、どうしたらいいですか?」

 突然のこんな質問にも、アーサーさんは顔色も変えないでとまどいを見せない。その態度もオトナっぽい。

「聞かれてもわからないよ。性格なんて、気づいたら完成されているものだろう?」

 そう、かもしれない。

 気づいたらそばにいて、気づいたら強固なキズナがあって、気づいたら必要以上の距離感だった。

 戻るには、遅すぎたのかもしれない。

 よぎっても、長年かけて蓄積された感情は、諦める道を簡単に選ぼうとはしてくれない。

「トストは、どんなオトナになりたいんだい?」

「……頼りがいがあって、男気にあふれる人です」

 アーサーさんみたいになりたい。

 そう思ったのに。アーサーさんの心にある感情をかすめた今は、素直に言うのがはばかられた。

「頼られたいなら、まず頼ることが必要だよ」

「どうしてですか?」

 頼るなんて、弱い面を見せて甘えるのも同じだ。そんなヤツを相手に『頼ろう』なんて思えるのか?

「剣が苦手なら、まず剣の得意な人に頼って教えを請うだろう? 1人で修行に励んでも、上達は遅い」

 今のオレと同じだ。オレも今、アーサーさんに剣の技術を頼っているんだ。

「満足な技術を身につけたら、今度は頼られる側になるんだ。学びをさける者に、栄光はない」

 『教えるのも勉強になる』って聞いたことがある。アーサーさんもオレに剣を教える際、そう言った。教えるために知恵をまとめる際、新たな発見や穴に気づけるとか。教えるレベルに至っていないオレは、本当かはわからない。

 少なくともアーサーさんは、そう思ったんだよな。だからこそ、オレに剣を教え続けてくれているんだ。

 頼って、学んで、吸収して……それでいいのか。

「1人に責任を押しつける頼りはいけないけど、助けを請う頼りはすばらしいよ。自身の実力を見極められているし、苦手を認められているし、誰に頼るのが最適か見極められている。『協力しあう』という、最も誇るべき心を持っている」

 続けられる雄大な言葉が、じっくり体にしみる。

「人間1人のポテンシャルなんて、たかが知れている。だからこそ誰からも頼られて、誰にでも頼れるのは、とっても大切だと思うよ」

 オレは及びもつかなかった壮大な考え。

 聞いて、改めて『アーサーさんはオトナの男なんだ』と実感できた。まるで、オレと対極の位置にいるような感覚さえ覚える。

 オレがアーサーさんみたいになれるのは、追いつけるのはいつになるんだ?

 果てなく遠い未来なのか、そんな未来すらないのか。

「トストはトストの長所がある。悩まなくても、今のままでも、誇れるオトナになれるよ」

 ダメだ。

 今のままだと、ピオの態度は永久に変わらないまま。未来永劫の平行線を歩きたくはない。

「アーサーさんって……ピオを特別に思ってたりしますか?」

 ピオが同等の態度をしてくれるアーサーさんがうらやましい。

「……バレちゃったかい?」

「露骨ですよ」

 認める言葉に、そう吐くしかできなかった。

 ピオを特別に思う人が、いる。実感は、心に確実に焦燥を生み出す。

「誰かを思って努力する姿に、心を奪われてしまってね」

 この前の『弟に料理を作りたいと話すピオに教えた』がよぎった。

 アーサーさんの感情が生まれるきっかけを作ったのは、オレの存在か? どんな皮肉だよ。

「口を開いたら弟さんの話題ばかりで、恋愛に興味があるのかすらわからなかった」

 気になる人はいる。

 それは、そう簡単に口にできない内容なんだ。

 アーサーさんも知らないからには、オレにしか話していないのか? 小さく生まれる優越感。

「告白、するんですか?」

 知りたくない。だけど聞きたい。

「まだ、諦めていないよ」

 軽口のような言葉は、すとんと耳に届いた。

 『まだ』という言葉を使うからには、過去になにかしらあったのか? 積極的に攻めたのに、一切の反応を示してくれなかったのか?

 既に告白済み……とかはないよな? 平然とピオと話していた。したつもりなのに、ピオに告白だと気づかれなかったとか?

 さすがにそこまでは聞けないけど、アーサーさんの強い思いだけは伝わった。

「そろそろ身をかためたいしね」

 ピオはアーサーさんの感情に気づいたのか、そうでないのか。気づいていながら『気になる人』を思って、気づかないフリをしたのか。

 そばにいたのに、わからない。

 気になる人を語る瞬間のピオの表情の意味すら、いまだにわからないんだから。


 少し背伸びしてオトナっぽい言動をしても、ピオは一切の反応も示さない。

 ずっとずっと、そうだった。

 変えられない関係をどれだけもどかしく思っても、続くのはひたすらの空回り。

 それでも『諦める』の単語は、出てこなかった。

 そばにいられたらいい。幸せを見守れたらいい。

 そんな寛大な感情はないから。

 ピオの優先順位は、いつでもオレが上位だった。それが当然だった。

 介在する存在がいるなんて、思いたくない。ありえない。許したくない。

 弟としてはなによりも大切に思われても、男としてはきっと誰よりも評価は低い。評価すらされないかもしれない。

 平行線を変えるために荒れ狂う川を渡る必要があるなら、オレはその道を選ぶ。永久に安全が続く道で満足したくはない。


「ふーふーするんだよ? 骨に気をつけてね?」

 食堂の卓上に並んだ魚介のムニエルを前に、当然のピオの心配の嵐。

 朝の修練のあと1人で本部を歩いていたら、わざとらしく偶然を装われて昼に誘われた。断る理由もなく、今に至る。

「そっちこそ。ヤケド、まだ治ってないだろ」

 ムニエルの隣で、もわりと湯気を立てるクリームシチューを眺めて発する。

 ピオの口は、前のグラタンの敗北をひきずったままだろ。なのに、熱々シチューを頼むかよ。アホめ。

「その心配で治っちゃうよー」

 オレにそんな言霊回復機能はない。それで治るなんて、ピオの体内はどうなってやがる。

 さすがにヤケドの上塗りはしたくないのか、ピオはやりすぎなほどにスプーンでシチューをかき回している。シチューはフチまで届いて、今にも食器から飛び出しそうだ。

「お姉ちゃん、あした依頼入ったの。日帰りだけど、お昼、一緒に食べられないよ」

 『シチューってそんなにまぜられるんだ』と思うほどの一心不乱な行動は、あしたを思ってのことだったのか? シチューの中心はぽっかりくぼんで、そこにまたシチューをもりつけられそうなほどだ。

「やった」

 小さく拳を握って嫌みに笑う。しゅんと肩を落とされた。

「さみしいよー」

 そんな反応をしてくれるのが、特別を感じて満たされる。すぐに消える。弟としてのものだってわかっているから。

 姑息にしかならない優越感のために心にもないことを言って、本当になにをやってんだか。

 ……こんなだから、ダメなんだよな。オトナの男らしくならないと。

「飯を作るってなら、待ってやらなくもないけど」

 アーサーの言葉を思い出して、真意を探る意味もあった。

 女が料理を習うなんて、男のため、家族のためが多いよな。裏にあるのはやっぱり『気になる人』なのか。本当にオレに作ろうとしただけなのか。

「遅くなっちゃうから、そんな時間はないよー」

 裏を返したら、時間があったら作るってことか? 今まで『料理を習っている』なんて、教えてもくれなかったくせに。

「料理、できるようになったの?」

 あくまでもなにも知らないフリで、あきれ眼を貫く。

「まだ修行中。おいしくできるようになったら、食べてくれる?」

 アーサーさんは『満足にできる』って話していたのに、ピオはそうは思わないのか? 気になる人はかなりの美食家……とか?

 顔も知らない『気になる人』に、イライラが募った。

「やだ」

 誰かもわからないヤツのためにみがいた料理の腕を、どうしてオレが味わわないといけないんだ。オレは実験台かよ。練習に使うな。

「お姉ちゃんの誕生日に提供させて? 年に1回だからいいでしょ?」

「10年に1回でも、やだ」

 隠されない悲しみのリアクション。満たされる一瞬の優越感。変わらない平行線。

「……なんのために料理なんか習ったんだよ」

 認めてほしい人がいるのか? あんなにつらい表情になるほどに、厳しい言葉でも食らったのか?

「みんな、料理上手なの。お姉ちゃん、驚いちゃった。『食べれるのが作れるからいいかな』って思ってたけど、ぜーんぜんそんなことなかった」

 リゾットの概念をくつがえしておいて、のん気に考えていたのか。吐くほどの味ではなかったとはいえ『食えるものが作れた』と思ったのかよ。あの瞬間は謝ったくせに、反省なんかしていなかったのか?

 あきれはするけど、ピオらしいと安心する心もある。考えを変えるだけ『気になる人』の思いがあったと考えると、イライラはする。

「トストに『お姉ちゃんの手料理を食べてほしいな』って思って。アーサーに教えてもらったの」

 アーサーさんから聞いた話と同じだ。本当に『オレに食わせたい』って思いだけなのか? 裏にかすめる存在はないのか?

 本人の口から聞いても、思いは晴れない。

「アーサー、とっても料理上手なんだよ。へたっぴなお姉ちゃんにつきっきりで教えてくれたの。なんにもお礼できなくて、申し訳なかったな」

 敬称をつけないで語る姿は、親しい関係を浮かびあがらせた。

 アーサーさんの思いを知った以上、にじみ出る深い交流は身を切られる衝動に駆られる。

 2人の関係は、姉と弟なんかではない。オトナとしての関係。適度な距離があって、そのあとどうなるかわからない。

「今でも自主練は続けてるよ。うまくなってるといいなー」

「……結婚でもする気かよ」

 ピオは湯気をなくしたシチューをたっぷりほおばった。熱をなくしたそれに悶絶することはなく、おだやかな笑顔が向く。

「お姉ちゃんがお嫁にいっちゃったら、さみしい?」

 『気になる人』のかげりを見せない、変わらない笑顔。出会った頃から変わらない、見なれた笑顔。

「ぜんっぜん。さっさと嫁げ」

 また口撃が出てた。

 瞬間、ピオの顔が、くにゃっと悲しげに揺らいで。

 シチューに顔を戻して、いつもの『さみしい』の声……があると思った。切なげにシチューをすするだけで、返る言葉はない。

 シチューに映った顔は曇って。まるで、届かない思いをかすめてしまったかのようで。

 ピオの心にちらつく『気になる人』の影。

 ふいにのぞかせるかげは、きっとそいつのせいだ。

 いつもへにゃへにゃと笑うピオを苦しめる存在。

 思っているのに、笑って話せない。

「……楽になりゃいいじゃん」

 そんな相手は吹っ切れて、新しい相手を見つければいい。オレの存在に気づけばいい。

 苦しむな。笑え。オレがいる。

「そう、だよね」

 悲しげな言葉は『気になる人を思い出せちまったんだ』と理解できた。いまだに消えない、その思い。

「どうせヒマだし、オレがいくらでも一緒にいてやる」

 弟ではないオレを見ろ。オレに気づけ。

 心に空いた隙間を、全部オレで埋めろ。

「へーきだよ」

 すっかり少なくなったシチューを、笑顔をなくしたままかき回す。こんなに沈んだピオを見るのは、いまだになれない。

「お姉ちゃん、強いもん」

 力ない言葉は、ウソしかなかった。

 それだけではない。

 また無意識にそびえた、姉の壁。

 堅牢なる防壁は、破れない。


 昼飯のあと『依頼の準備がある』と早々にピオと別れた。

 翌日。

 アーサーさんの修練を終えた今も、ピオの姿を見かけない。

 もう依頼に出たのか? 朝から見かけなかったし、早朝から出たのか?

 『帰りも遅い』って言っていたし、日帰りとはいえ1日拘束されるのか。大変だな。

 依頼先でも、ずっとオレの話をしているのか? 『会いたい、さみしい』ってしゅんとしているのか?

 でもその話では、オレはずっと『弟』で。『弟みたいな存在』ではなく『弟』で。

 この殻を破りたい。

 弟ではなく、オトナの男になりたい。

 1人で昼飯を終えたあと、剣の修練に励んだ。

 実力をつけて、認められるように。安心して依頼を任せられる存在になるように。ピオとの距離を変えられるように。

 ピオを『気になる人』の呪縛から解放できるように。

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