第3話

 翌朝、もやもやした思いを抱えたまま本部についた。

 既に約束の場所にいたアーサーさんは、剣をみがいてた。

 アーサーさんが私用で時間に遅れたことは一切ない。しっかりした面も、信頼を強める。

「おはようございます」

 顔をあげて笑ったアーサーさんは間髪をいれずに腰をあげて、構えの姿勢になる。準備の早さも、アーサーさんの特徴だ。せっかちではないけど、修練中は『油断が命とり』と気の休まる瞬間を与えてくれない。

「本日もよろしくお願いします」

 挨拶も早々に、オレも構えた。


 修練が終わって、荒れる息。未熟を痛感する瞬間だ。

 涼しい顔をするアーサーさんが特別なんかではなくて、自警団にはこんな人がうじゃうじゃといるんだ。ピオだって、依頼をこなせるからにはそうなんだよな。

 オレがまだこの程度なのも、ピオの態度の原因になっているのかもな。もっと力をつけて、強くならないと。

 どれだけ変えられるかわからないけど、強くなることは無益ではない。

「お疲れさ――」

 不自然にとぎれた言葉。顔をあげて、アーサーさんを見る。アーサーさんの視線は、オレの奥の一点を刺す。

 気になって振り向いた先に見えたのは、本部の窓からこっちに熱視線を送るピオ。

 重なった視線にピオは小さく口を開けたけど、隠れたりはしなかった。行動を決めかねる様子のまま、こっちに視線を送っている。

 ……見ていたのか?

 隠れてやっているわけでもない。見ようと思えば、いくらでも見れる。わかっていたけど、こうして見られていたって実感するとはずかしい。

 『努力は人に見せるもんじゃない』って思いもある。それ以上に、ピオには絶対にしない敬語とか、マジメな態度とかを見られるのが嫌だ。

 ……いや、見せたら、ピオの態度も変わるのか?

 『オトナな対応できるようになったんだね』とか……はないか。うまく運びはしないよな。その程度で変えられるなら、とっくにこの関係を脱している。

 考える隣で、アーサーさんがおだやかな瞳で手を振っていた。視線の先にいるのは、当然オレではなく。

 オレではなく。

 ……どうしてアーサーさんが、ピオに手を振るんだ? 見られたからって、見ず知らずの他人にはしないよな? アーサーさんはそこまで気さくでも、お調子者でもないはず。

 疑問に思う間にピオは窓から消えて、本部の扉から出てきた。

 しとやかな笑顔をたたえて、ゆっくり近づいてきて。

「ごめんねー。邪魔するつもりじゃなかったんだけど」

「終わったところだから、いいよ」

 オトナな返しをする、アーサーさん。

 ピオもオレではなく、アーサーさんを見て発して。

「トストのお師匠様って、アーサーだったんだね」

 オレが剣を習うのは、ピオには言ってない。どこからか漏れたのか。この光景を見て、そう思っただけか?

 むしろ気になるのは、アーサーさんの名前を知る事実。

「ピオの知人だったのかい?」

「そー」

 親しげに話す2人。オレと接する態度とは違うピオ。

 世界に隔離されたような気分になって、ただ眺めた。

「トスト、疲れてない? お姉ちゃん、ご飯でも買ってこようか?」

 よりによってアーサーさんの前でくり出された『姉』の顔。アーサーさんと話す際とは違いすぎる言動。

 わきあがるはずかしさに任せて、軽くにらんだ。

「黙れ。失せろ」

 瞬間、垂れるピオの眉。

 悲しげな顔を見るのは趣味ではないけど、もう見なれちまった。罪悪感は皆無にはならないけど、こうでも言わないとピオはずっと変わりはしない。

「トスト、そんな口を聞いたら――」

「いいのいいの。邪魔者は退散しまーす」

 回転扉のように表情をぱっと明るくして、オレに小さく手を振って本部に消えた。

 よかった、案外早く消えてくれた。アーサーさんに見られた事実は変わりないけど。

 あきれられていないか心配になって、アーサーさんに視線を送る。ピオの消えた方向を見つめていた。

 いつものやわらかな笑顔とは違う、どこかかげのある、なにかを秘めた表情。

 かすめる予感にうながされるがまま、アーサーさんから目を離せない。少しして、視線がオレに戻る。さっきまでの表情を隠すような、変わらない笑顔。

 見続けてしまった事実をごまかしたくて、小さく揺らめいたオレの視線。気づかれてはいない、はず。きっと。

「驚いたよ。トストがピオの『弟』だったんだね」

 弟。その言葉がひっかかった。

「ピオがそう言ったんですか?」

 さっき『お姉ちゃん』と使っていた。それだけでは片づけられない誤解。

「いつも楽しそうに、弟の話をしていたよ」

 おだやかに笑うアーサーさんが、ウソをつくわけがない。ウソを言う理由もない。当然、ピオも。

 ピオに兄弟はいない。弟も、義弟もいない。

 オレだ。

 ずっと一緒にいた『弟みたい』なオレを、ピオは外で『弟』だと話した。ピオの紛れもない本心なんだ。

 ピオにとってオレは『弟』でしかない。またしても突きつけられる現実。

 また強固に、鋼鉄の防壁がそびえたった。

「アーサーさんこそ、ピオと知人だったんですね」

 オレには見せない顔で話すピオが、脳裏から離れない。

 オレには見せられたことがない、オトナを相手にする態度。相変わらずのゆるさだったけど、まるで幼児相手かように接されるオレとは明らかに違った。

「依頼で一緒になったことがあるんだ」

 同じ自警団にいるからには、その可能性も当然ある。

 オレ以外に親しい異性がいる。考えたくないし、考えたこともなかった。

 『気になる人はいる』の言葉がよぎる。

 依頼で一緒になった人に、相手がいるのか? あるいは、依頼先で出会った人?

 オレの知らない誰かが、ピオの心を奪った?

 これだけ一緒にいるのに、オレは気づきもしなかった。ピオは教えてもくれなかった。

「あんな人だから、最初は『大丈夫かな』って心配になったよ。しっかりした芯を知るたびに、思いが改まっていったんだ」

 記憶の扉を開けるように、アーサーさんはまぶたを閉じた。

 一般にはピオは、そんな評価なのか。オレにはただの多干渉アホにしか思えないのに。

 つまり、ピオにとってオレが『弟』である証拠。オレと他の人への態度が違う証拠。

「弟を語る瞬間がなによりも楽しそうで、その笑顔にはとても癒されたよ。『弟に食べさせたいから』って、料理も積極的に挑戦して」

 ピオが料理? そんな話、聞いたことがない。そもそも料理、できないだろ。オレの知らないピオが、まだあったってのかよ。

「僕は料理が得意なほうだったから、よく手ほどきをしたんだ。満足に作れるのに『もっとおいしいものを』って強い向上心があった」

 アーサーさんが語るピオは、オレの知らない面を浮かばせる。

 オレはピオの料理なんて、ガキの頃に1回しか食ったことがない。

 両親が不在のオレに『代わりにご飯を作る』と意気揚々と挑んだピオに、ポタージュみたいなリゾットを提供された。米粒感をなくしたそれは、ライスポタージュだった。

 失敗はピオも自覚して、かなり謝られた。食えなくもないけど、うまさを感じられない絶妙な味は、ガキのオレには厳しかった。

 結局、ピオと外食したんだっけ? 本物のリゾットを頼んで、違いにガキながら驚愕した記憶がある。今でもリゾットを口にすると、あの微妙なライスポタージュが脳裏をかすめる。悪い意味で忘れられない味だ。ピオの前でリゾットを注文したら、口には出さないけど明らかに表情が暗くなる。そんな経緯もあって、いつからかオレの中でピオにリゾットの話題はタブー認識になった。

 以来、ピオから『作る』とかの話は出なくなった。てっきり懲りたのかと思ったけど。

「弟さんのために努力する姿は、とてもいいお姉さんだったよ」

 ふわりと向けられた笑みより、届いた言葉が気になった。

 オレが『弟』と思ったのに、わざわざ『弟さん』なんて言葉を使うか? いくらアーサーさんとはいえ、弟子に『さん』をつけるとは思えない。オレを名前で呼ぶ際に『さん』なんてつけないし。そもそも『弟さん』ではなくて、名前を使えば済む。

 考えられる理由は……オレの他にも、弟がいると思われた。幼い弟がいると思われた。それしか浮かばなかった。

 ピオが外で話す『弟』は、かなりちびっこ補正されたんだ。それしかない。だからアーサーさんも、オレより下にも弟がいると誤解したんだ。

 オレに対する態度だけでなく、外に話す際もそうなのかよ。ピオの中のオレは、出会った頃からちっとも成長していないのか?

「ピオにとって、弟はとっても大切な存在だよ。ぞんざいにあしらったらいけないよ」

 オレがどんなに冷たくしても、ピオはせいぜい一瞬悲しげな表情を浮かべる程度。関係が壊れそうになった瞬間なんてなかった。

 怒った、怒られたはあっても、気づいたらいつもの関係に戻って。

 『帰るべき場所はそこである』とでも言うように、いつも隣にピオがいた。

 簡単に切れない縁が、そこにあった。

 だからこそオレは、冷たくしたのかもしれない。

 『この程度で縁は切れない』とわかっているから。ほどよく切って、家族らしさを消したいから。続けた努力が実を結ぶことはなかったけど。

「オレの勝手でしょう」

 漏れた声が冷たいものだったのは、変わらないピオの態度がよぎったせいだけではなかった。

「そうかもしれないけど、悲しむピオは見たくないよ」

 ちらほら見え隠れする、アーサーさんのピオへの思い。

 仲間だったから。それだけで片づけられないほどの情があるように感じられた。

 ピオと同等の存在。弟みたいに扱われない存在。

 そんな存在が、ピオに特別な感情を抱いているとしたら。

 どんな未来を運んじまうんだ?


 修練終わり。ピオに昼に誘われる現場にアーサーさんが偶然通りかかったのもあって、3人で飯を食うことになった。

 アーサーさんには、ピオとの絡みを見られたくないのに。

 アーサーさんの心中をかすめてしまった今、2人の会話を見たくないのに。

 断りたい理由はとても言えるわけもなく、アーサーさんの『ぞんざいにしたらいけない』の言葉だけがよぎって、拒否できる空気ではなかった。

 結果は、予想したまま。

 熱いものは過剰な心配があると踏んで、わざわざパンとサラダで挑んだのに。ピオは『むせないでね』『苦くない?』『味つけは濃くない?』のオンパレード。どんな飯相手でも心配ワードをひねり出せるのは、もう尊敬してやるから黙れと言いたくなった。

 アーサーさんはそれを見て笑って、時折『本当に弟さんが好きなんだね』の言葉をかけるだけ。『弟みたいな存在』という否定もなく点頭したピオに、嫌気はあった。

 ひたすら続く多干渉の中盗み見たアーサーさんは、やっぱりピオに向いて。オレに向けられる笑顔とは違う、特別な思いを秘めた瞳で。

 『思い違いではないんだ』と、実感した。


 どれだけ年齢を重ねても、ピオからの態度は変わらない。

 オレが年をとっても、ピオも同じだけ歳をとる。いつまでたっても、縮まらない。

 このままずっと、変えられないのか?

 よぎった可能性は、信頼性が高まってきて。

 変わらないまま、変えられないまま、ピオは誰かのものになる。

 誰かのものになったピオは、オレに幸せな笑顔を向けて言う。

 トストも、いい人を見つけてね。

 そしてそのまま遠くなる。手の届かないところに消えていく。

 きっとこれは妄想なんかではなくて、このままを続けたら到来する未来。

 ピオがいないなんて、嫌だ。

 それだけでも嫌なのに、今の思考の中にある不安な点が嫌だ。

 曇った表情で告げられた『気になる人はいる』という、ピオの言葉。幸せな恋愛とはかけ離れた、あの表情。

 もしピオがつらい恋をしているなら、幸せな未来なんてありえない。

 実らない恋に走って届かない存在になるのは、絶対に嫌だ。

 オレがいるだろ。

 そう言って、踏みとどまられさせられるようになりたい。

 苦しみを消して、笑顔にさせて。

 変わった関係で、変わらなくそばにいてほしい。

 そこに立ちふさがるのは、ひたすらな『姉』の壁だった。

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