第2話

 翌日、武術の師匠のアーサーさんに、本部で剣の稽古をつけてもらった。

 長く剣をやっているから交戦できるまでの実力はついて、何回か魔獣討伐系の依頼にも参加させてもらった。とは言っても、サポート程度の活躍だったけど。

 もっともっと技術をみがいて、堂々と討伐系依頼にくり出せるようになりたい。

 そんなオレの思いに応えてくれたのが、アーサーさんだった。

 やわらかな物腰で、人当たりがいい。怒る姿を見たことがないし、想像もできない。

 だからと言って、オレへの指導が生ぬるいなんてことはない。ダメな部分は、ちゃんと指摘してくれる。

 アーサーさんも依頼で本部を空けることもあるから、毎日指導をつけてもらえるわけではない。だからこそ会える日は、より多く吸収できるように真剣に挑む。

 剣の腕も優れて、どんな依頼もこなせて、まさに理想のオトナの男といった存在だ。

 きょうもためになる指導で、稽古は終わった。

「お疲れ様」

 息があがるオレに対し、アーサーさんは汗もかかないで平然とたたずむ。まっすぐ立てないでいるオレとは違って、棒で固定されたかのごとくまっすぐだ。稽古のたびに感じる差。体力づくりは欠かさないのに、日々激しくなる稽古。終わる頃には、毎回くたくただ。

「お水でも持ってこようか?」

 続けられた軽口に、首を横に振る。

「いえ……大丈夫です」

 仮に本当に欲していたとしても、師匠に持ってこさせるなんてありえない。きっとそこも見ているんだ。

 息を整えながら答えたら、アーサーさんは目を細めて笑った。

「きのうは会えたのかい?」

 質問に、声が漏れかけた。

 ピオが帰ってくるきのうは、剣の稽古を早めに切りあげてもらった。はずかしいから理由は言っていない。なのにどうして。

「本部の前でそわそわしていたから、誰かの帰りを待っているのかなと」

 オレの疑問はあっさり悟られたのか、オトナの笑いを見せられた。

「見てた……んですか?」

 頭わしゃわしゃを見られていたなんて、考えたくない。他の人に見られるのは、悲しいことになれっこだけど。憧れの存在であるアーサーさんだけは、別だった。

「用事があったから、すぐに離れてしまったよ」

「よかった……」

 心の底から安息する。

 あれを見られたら、さすがに数日は立ち直れない。ピオの顔面にグラタンを投げつけたくなる。食い物を粗末にはできないから、フリだけで驚かせるにとどめるけど。ピオなら、やってもそこまで驚きはしないか? 『わー』とか『もー』で終わりそう。それはそれで、ピオらしくて楽しい。

「見たら、楽しいものだったのかい?」

「ぜんっぜん!」

 強く、全力で、天地をひっくり返すかのような勢いで否定した。アーサーさんにだけは見られたくない、知られたくない。

 常にオトナなアーサーさんには、オレがピオに子供扱いされているなんて知られたくない。

「いつか会える日を楽しみにしているよ」

 ふわりとした笑顔に、ぞわりとする。

「言霊禁止です!」

 『言葉の持つ魔力』なんて信じないのに、嫌な予感がしたのはなぜだ!?

 杞憂! これは杞憂だ! そうであれと願うしかない!

「ふふ……ゆっくり休むんだよ」

 笑いながら本部の扉を開けて、アーサーさんは消えた。

 そうだ、休息も修練のうち。

 最初の頃、アーサーさんからくり返し言われた言葉。疲労は最大の敵。自分の体が自分を裏切ることもある。

 慌てたせいで荒れた心も休めるために、大きく深呼吸する。

 動転するってのも、ダメなんだよな。いつだってアーサーさんみたいに堂々としないと。

 堂々として。風格。貫禄。

 そんなのがそなわったら、ピオの態度も変わるのか?


 休憩を終えて本部を歩く。雑踏の中でも響く複数の女の笑い声が届いた。

「えー。ピオって年下好きじゃないの?」

 聞こえた名前に、その内容に、ゆらりと顔が向く。

 通路の奥の部屋に、座ってくつろぐピオと数人の女が見えた。

「なんでー」

 ざわめきの中でも、ピントをあわせた耳は安易にピオの声を拾う。カクテルパーティー効果だっけ?

「きのうだってあの子、構ってたじゃん?」

 オレのこと、だよな? きのうは帰ってきたピオと、結局ほとんど一緒にいた。

「えっ、あれって弟でしょ?」

「違うって。義弟ですらないから」

 誰かの誤解は、別の女によって否定された。一部にそう誤解されるほどなのか。その時点で、ピオからの評価が見えてくる。

「じゃあ、やっぱ年下好き?」

 からかうような女の言葉。

 続きを、聞いたらいけない気がする。

 だけどその場を立ち去れなくて。聴覚に意識が集中して。

「違うよー。トストを好きになるなんて、ありえないよー」

 刺さった。

 深く、強く、鋭く。

 ぼんやりとわかってはいたけど、こうもはっきりと言葉として突きつけられると冷酷で。

 強く、唇をかんだ。

 どうして。

 『弟』なんかでいないといけないんだ。いつまでたっても、子供扱いされないといけないんだ。

 同じ速度で年齢を重ねるから、ピオとの年齢の差は一向にせばまってくれない。

 変わらない態度がイライラを沸騰させて、駆け出した。

「バカが!」

 ピオたちのいる部屋に顔を出して、声をはる。

「ピオなんか、こっちからお断りだ!」

 呆気にとられるピオたちを背に、部屋を飛び出す。

 駆けて、駆けて、駆けて……本部の外にある、使われなくなった小屋の扉を開けた。

 何年も前から使われなくなった、この場所。当然管理する人もいないから、扉もかなりバカだ。今、乱暴に開けたせいで、扉の役目を終えてばたりと倒れるんじゃないかとすら思える。

 ガキの頃から隠れるのに使って、今でも変わらない。

 元々、ピオが秘密基地として見つけたんだっけ? 拾った石とかを勝手に運んで遊んだ。室内には、それらしきものはない。どこかに消えたのか、別の場所に移したのか記憶にない。

 ホコリとクモの巣だらけの室内で、尻をつけないで腰を落とす。

 ……なにやってんだか。

 まるで別人格かのように、冷静に思った。

 好きになるなんてありえない。

 予想できた言葉を聞いただけで冷静さを欠いて、思ってもいないことを口にしちまった。

 『お断り』だなんて、思っていないのに。アーサーさんみたいに、堂々としたかったのに。

「トスト~」

 伸びやか声と同時に足音が近づく。身じろぎもしなかったオレの隣に座った。

 ゆっくり顔を向ける。ピオの笑顔が至近距離にあった。眉を垂らして、悲しげな笑みを作る。

 オレ1人でこもる時間が、数えるほどしかなかった。ピオは迷いなくここに来たのか。

 『オレを知りつくしてくれている』とわかってうれしいような、単純すぎたオレの思考回路をたたきたくなるような。

「ごめんね」

 呼吸を感じられるほどの距離。この距離感では、心臓が反応しないほどになれっこだ。

 ずっと一緒にいて、頬をすり寄せられることもあった。いつからかやられなくなったけど。

「あれはね、恋愛のお話をしてたの」

 知っている。あの流れで『好き』なんて、その意味しかないだろ。

「だから『ありえないよー』って言っただけで、トストはずーっと好きだよ。好きにしかなれないよ」

 くり返された『好き』は、オレの求めるものとは違う。

 だからこそ、心をえぐられる。追撃をかけられる。

「お姉ちゃんがトストを裏切るなんてしないから、安心して」

 優しく背中をなでられる。

 まるで、姉が弟をなぐさめるように。

 実際、ピオはそのつもりなんだ。

 変わらない態度。

 オレのこんな行動のせいでもあるのかもしれない。

 オトナになりたいのに、気づいたら子供じみた態度をとっちまう。成人になるってのに、これでいいのかよ。

 情けなさすら感じる自分にも、変える手段がわからなくて。

「トストがつらい目にあったら、お姉ちゃんはぜったい助ける。うれしいことがあったら、お姉ちゃんもとってもうれしい。好きな人ができたら、お姉ちゃんは全力で応援するよ」

 お姉ちゃん。

 無自覚で建てられる、鉄壁の防壁。

 崩れることなく今までそびえ続けた、堅牢なる壁。

「いい人ができたらいいね」

 言葉は優しいのに、フルパワーで突き飛ばされる。

 『弟』以外のオレは、ピオに砂粒ほども近づけやしない。イライラを感じるほどのガード。

「……ピオは、いんの?」

「なぁに?」

 オレが『弟』の仮面をはいで近づいたら、どんな反応をするんだ?

 予想はつくのに、なにもしないで逃げるなんてしたくなかった。

「好きなヤツ。恋人とか」

 聞くのは、初めてだった。

 今まで『当然いないもの』と思ってきたし、できないと思ったから。『そうであってほしい』って希望もあった。ひたすらオレに構ってくるから、デートの時間もないだろうし。

 でも、もしかしたら。

 好きな相手はいるのかもしれない。

 恋人だって、いる可能性を否定できない。

 四六時中、オレといるわけでもない。依頼先で会うとか、遠距離とかも考えられる。

 ただ1つの言葉を求めて届けた質問に、すぐに返答はなかった。

 いない。そう返すだけで済むのに、それがない。

 嫌な予感が、喉からこみあげる。

 違う。まさか。そんな。

「……気になる人はいるよ」

 届いたのは、知りたくなかった現実。

 動揺を察知されないように、がくりとピオに顔を向ける。

 隙間をぬって届く光に反射して輝くホコリの奥に、ゆるやかに笑う姿。

 かすかに細められた瞳は、おだやかさより悲しさを感じた。長いつきあいなのに、はじめて見る表情。

「……誰?」

 知りたくない。聞きたくない。認めたくない。

 でも、好きな人の話題なのに、紅潮もなく笑う姿がひっかかった。

「トストには、秘密」

 顔をかたむけて、かげりを感じさせながらへにゃりと笑った。

 恋愛の話をする際の女って『どこにそんなテンションを隠してやがった』ってくらいに明るくなるんじゃないのか?

 気になる人はいる。

 なのに、喜々を少しも感じさせない。むしろ、どこか悲しげで。

 オレにも、話せないなんて。

 とても人に言えないような相手に、悲しい恋をしているのか?

 嫉妬、懸念、心配……様々な感情が交錯した。


 そのあと当然のような流れで、昼飯に誘われた。

 さっきまで話していた友達を無視していいのか気になったけど、オレを追うために早々に別れを告げたらしい。

 友達より、オレを優先していいのか。優先されてうれしい。

 相反する感情が同席する。

 結局一緒に食ったけど、その際も『気になる人』の話はさせないような空気を感じられた。単純に、オレの思いすごしか?

 いつだって崩されなかったへにゃへにゃした笑いの奥で、どんな感情が隠されているのか。

 知りたいけど、知りたくなかった。

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