第7話 鉛色の初デート
慣れないコーヒーの苦味に舌を覆われ、僕はしかめっ面を隠せない。すまし顔で喫している愛未を見るにつけ、やはり育ちの違いなのだろうとため息をついた。
約束していた新牧田駅前のカフェには、結局十分以上遅刻した。愛未は席でにこにこしながら、かばんに手を突っ込んでいる。本来であれば由々しき事態なのだが、もはや慣れてしまった僕はそのまま向かいに座っていた。
裏通りで見た少女の命輪は、僕らでも感じることができなかった。確かに、ごくまれに銃を撃つところまでいった者でも、開花しない場合はある。だが彼女は、あろうことか僕らの命輪の力を一切受けなかったのだ。愛未が持つ軌道を可視化する能力も、僕の歪める能力も。おそらく掴む能力もだろう。
「ねー辰矢」
しかし僕の能力はそもそも、弾に作用する能力だ。銃に作用する能力であれば命輪使いにしか効かない可能性も考えうる。だが発射された弾にもう所在などはない。だからこそ確信できることがある。
「おーい、正親くーん」
「どう考えても、あの子は命輪使いだ」
これに驚いたのは他でもない、愛未だった。
「まだそんなこと考えてるの? 私を目の前にして。失礼しちゃう」
でも現に彼女は。そう続けようとした僕の唇に、愛未は人差し指をつけてくる。
「あいつは命輪使いだけど、たぶんすごく特殊なんだと思う。命輪使いに対して効果を持つ命輪使いってところかしら。ね、そんなことはどーだっていーでしょ。今日はデートなんだから」
そう言ってパフェを口に運ぶ愛未は、どう見ても女子高生なのだ。女子高生であることに違いはないのだが、周囲に非日常が多すぎて彼女をただのクラスメイトとして見ることはもうできないだろう。
「物は言いようってな。すべきことはもうしたんだし、僕は別に何でもいいよ」
「わーい、じゃあ遊びに行こー」
そうして僕の一日が始まった。朝の限りなく濃密な時間に比べれば、午睡にふけっているのと大差ない。電車でそう遠くない場所にある大型遊園地はなぜか人も少なく、昼から行った割には十分遊ぶことができた。
ジェットコースターは初めてだったが、お互い気に入ったようで何度か乗り回した。幸いここには種類もいくつかあり、より角度がきつくて高低差がある方が愛未は楽しそうにしていた。怖すぎると評判のお化け屋敷では、彼女の手が懐に伸びるのを抑えるのに必死だった。なぜこんな場所まで来て、僕はさすがに驚いた。そのせいで演出を楽しむことが全くできなかったが、側から見れば僕が怖さのあまり狂乱しているように見えただろう。実際すごく怖かった。だが本質はもとより、怪しまれるより仲が良さそうに見える方がよほど楽だった。
キャラクターの着ぐるみなどもいて、僕の感性では到底理解しがたいような奇怪な生き物を愛未はいたく気に入っていた。女の辞書から可愛いの項目を引いてみたいと切に思う。だがそのようなことを思っていても仕方がないので、ふたりと一匹で写真を撮ってもらった。思えば彼女のここまで明度の高い表情を見たのは初めてではないか。
結局夕方まで遊び倒したが、愛未はその間ずっと笑顔だった。誰に対して気を遣うこともない時間は彼女にとってすごく貴重なのだろう。当然僕にとっても楽しい時間だったが、あっという間ということもなくあくまでゆったりと流れていた。
西に向かう太陽は待ちわびたように周囲を赤く染める。僕はふと彼女の方を見た。
「なーに? 正親くん」
「そろそろ帰ろうか」
「そーだね、今日は楽しかった」
「ならよかった」
僕はこのふたりの時間を、虚構だと思った。中身がないような、血が通わないような、距離が遠いような。では彼女はどう思っているだろう。もしかしたら、同じなのかも。
彼女は他人にしては恩義がありすぎる。そういうのを含めて、今日は今までの疲れを癒してもらおう。あるいは、癒してあげよう。そう思っているのだ。
「どう、元気出た?」
「私はいつでも大丈夫だよ。そっちはどーなの? いろいろ巻き込んじゃって、今日も付き合わせちゃったけど」
「ああ、元気になったよ。ありがと」
であれば、この時間は虚構などではない。むしろこれが本物でなくて何なのか。
隣で戦友が笑う。僕は七条愛未のことが、昨日よりすこしだけわかった気がした。あの血染めの路地で、この偽りばかりの場所で、僕は人並みの何かを得たのかもしれない。
帰り道、ふたたび路地の前を通ったふたりは、異様な気配が充満しているのを察した。命輪が近い。しかも、よく知った形のものがある。
「愛未、まさかこれって」
「うん、緒形のだ」
察知できる命輪の形は、明らかに彼のものと酷似していた。学校は当然ないが、それにしても不思議だった。
「なんでだろ」
「わからない。だが仲間が危険に瀕したなら、彼は行くかもしれないな」
「じゃあ、私たちも行かないと」
おそらく敵は今までとは比較にならぬほど強い。だが唐木のような敵と戦って勝っていくには、このような場所で二の足を踏んでなどいられない。
雑魚は引き下がっているようで、ふたりは緒形の気配にまっすぐ向かうことができた。
深い場所まで来た。ここは歓楽街のような場所であり、刃傷沙汰が横行する無法地帯でもあった。こんな場所には一度も行かぬどころか、存在すら知らずに生まれて死ぬ人も多いだろう。だがそれでも、命輪が生み出した闇のほんの一欠片にすぎない。
「緒形先輩、いますか」
「おう、正親か」
その声は地上の低い場所から聞こえた。緒形は横たわっていたのだ。
「だいじょーぶ?」
「七条、それに正親も。逃げろ、化け物がいる」
「化け物?」
瞬間、僕は悪寒のような感覚に襲われ、咄嗟に手を突き出す。手を開くと、そこには銃弾があった。そこで見た命輪は今まで見たものとは比べ物にならないほどに強く、邪悪だった。
人影はふたつで、背の高い男と朝見たばかりの少女。男は僕達を一瞥すると、口を開いた。
「化け物とは酷い言われようだ。私は久喜と言うものだ。君たちは彼のお友達かな? であれば、聞くよ。私たちの仲間にならんかね」
これに即答したのは、起き上がった緒形だった。
「ならないって、言ってるだろ」
「僕も同じです。彼女もおそらく」
「そうか、骨のある子供達だ。だがいいのか? 君たちはここで死ぬことになるが」
「そんなの、やってみなきゃわかんないでしょ」
緒形は左腕を撃ち抜かれ、体も疲弊している。だが三人であれば、あるいはどうにかなるかもしれない。
「お前ら、あの男は異常だ。まるで手品のようにどこからでも撃ってきやがる。そして女は、俺の速射を受け付けない。俺ひとりでは、まるで歯が立たなかった」
愛未は含み笑いを浮かべる。
「まさか、また会うとはね」
「馬鹿ね、おにいちゃんたち。死ぬよ」
「はん、随分と見くびられたものだこと。そんなに私たちが負けると思うなら、やってみればいいじゃない」
合図は、愛未の銃声だった。緩慢な動作で男はそれをかわす。避けた先の頭の位置に、緒形の速射が待っている。だが、これも男の後ろへと通過していった。
「頭を狙うのかい? 確かに頭なら当たれば死ぬが、それは一体いつになるかな」
男は笑いながら銃を構える。これもゆっくりと銃口をこちらに向け、そしてこちらにもわかる速度で引き金が引かれた。
僕の左手に吸い込まれたのは一発分の衝撃、ただそれだけだった。弾はそこにはない。異変が起きたのは、その直後のことだ。とっさに握った手の中には、鉛弾が確かに螺旋を描いていた。
それは偽の斜線だった。本当の弾は後ろから来ていた。だがそこには誰もいない。あるいはいるかもしれないが、この完璧な時間差を見るに目の前の男の仕業だということは明らかだった。
「よそ見は、いけないよ」
愛未はとっさに左へとかわす。またもや後ろからだ。射線を可視化できるというのは、こういう時に役に立つ。見なくてもわかるというのは、見ればわかるよりはるかに優位だからだ。だが、だからこそ彼女は異変に気が付いたようだ。
「どういうこと? 射線が多すぎる」
「愛未?」
「四方八方から、バラバラに射線が伸びてるの。上からも、下からも」
つまり、彼女の目には無数の射線が配置されているというのだ。射線は有色に映るが不透明でもないため、それで視界が遮られるということはないはず。だがその数は不可解だった。この場に銃はそんなに多くはないのだから。僕もひとりの命輪使いとして、ただならぬ量の殺気と射線を感じていた。
「辰矢、くる!」
愛未が身を逸らすのと同じタイミングで、左手が銃弾を掴んだ。銃弾は螺旋の回転ののち、静止する。異変が起こったのは、手を離し弾を捨てようとした時だった。
「な、なぜ」
「辰矢、ごめん。受けたみたい」
「私がこうして新牧田に根を下ろして久しい。こいつは貴重な発見だった。だから、命輪狩りはやめられないんだよ」
手が、動かないのだ。愛未は背中に受けてしまったらしく、ダメージは深刻だろう。
これは以前の酸による痛みより重大だ。なにせ動かないのだから。
「緒形先輩、これに当たったのか」
「そ、そうだ。あいにく、腕が言うことをきかないんだ。すまないな、巻き込んでしまって」
「何を諦めてんのよ。まだやれる」
だが言葉とは裏腹に愛未がまだやれるとは思えない。弾を掴む僕も、二丁を操る緒形先輩も、もう実力は半分も出せそうにない。
「終わりか。少しは骨のある子供だったが、仕方ない。命輪の町の、新牧田の土になってもらう」
男は銃口を向けない、その必要がないからだ。代わりに手を挙げた。
静寂があった。それに狼狽したのは立ちふさがる男の方だった。
「どうした、動け。なぜ動かん」
男が何度も念じても、控えている無数の弾は微動だにしない。それは、千載一遇の好機だった。
「行くぞ、愛未、緒方先輩」
「りょーかい」
「わかっている」
一転して三つの銃口で取り囲む。
「久喜さま」
「来るな! お前は逃げろ」
「ですが、久喜さまは」
「大丈夫だ、早く行け」
少女は一歩二歩下がったのち、背を向けて走り去った。直前に見せた表情は、彼女の本心かもしれなかった。
「さあ君たち、殺すがよい」
「言いたいことはそれだけ?」
「ああ。だが、妙なこともあるものだ。私の銃弾が全て封じられるとは」
やはり、彼にとっても想定外だったようだ。
「そーね、私はそんなことができる男を、ひりだけ知ってるわ。やーな奴よ」
ねえ、いるんでしょ。出て来なさいよ。愛未は視線を動かさず、吐き捨てるようにそんなことを言った。
「楢橋」
「一時はどうなるかと思いましたよ、お嬢様」
愛未の言う通り、現れたのは楢橋さんだった。
「しかし、久喜嘉彰殿。若人が迷い込んでしまったようで、私としては恐縮するばかりです」
「楢橋と言えば、その名は東京のどこにいても聞こえてきたものだ。私は、とんでもない男を敵に回したということか」
「しかし疑問ですね。あなたほどの名士が、なぜこのような場所に」
「この仙川を命輪の町にする。命輪使いが危険な目に遭わず、ただ暮らせる社会。そこにいる君たちは知らんだろうが、これでも政治を志したこともある。だがそれも、夢に終わったよ」
「上院選に二度当選しておりましたが」
「何もできんかったよ。行政府も、命輪使いの層は尋常でなく厚い。弱きものは淘汰されるべきだと、誰もが思っている」
声をあげたのは緒形だった。
「大それたことを言う割には、随分と手荒ではないか」
「今は雌伏の時だ。警察もここまでは手を出さん。だからここで、地盤を固める必要があった」
戦える者を。彼はそう嘯いた。もはや観念した、と言う風には見受けられなかった。未練がましいものが感じられないのだ。
お嬢様。楢橋は薄く微笑を浮かべた。僕にはそれが、ひどく熱を放っているように見えた。
「帰りましょう。我々はここに来るべきではなかった。久喜殿、どうか今回は見逃していただけませんか。追って補填はいたしますゆえ」
「ちょっと待って、勝手に決めないでよ」
「お嬢様。あなたではまだ、目の前の男に勝てない」
今は引くのです。そうはっきり言われてはさしもの愛未でも従わざるを得ない。
「楢橋、あんたはどうするの」
「私ですか、私は久喜殿と話がありますゆえ」
仕方がない。今の僕たちでは、どうにもならなかったのだ。緒形を見つけた時のように、楢橋さんは自分たちに気づいたのだろう。僕たちは路地の入り口まで戻ることにした。
「ここまで来れば大丈夫かな」
「ああ。しかし恐ろしい敵だった」
愛未は言葉もなく、振り返る。僕が手を引いても、彼女が動こうとしなかった。
「愛未、帰ろう」
「私、楢橋に話つけてくる」
そう言って走っていく愛未を、追わないことにした。
「正親、いいのか」
「はい、楢橋さんがいますから。きっと、実力不足を痛感したのでしょう。僕も、何かしなければいけませんね」
緒形先輩はそれにひとつ頷く。久喜と呼ばれた男は尋常でない力を持っていた。これに太刀打する力を持たねば、どうやらこの社会で自分の意思を通すことすらできないらしい。
「今度、俺たちの拠点に来てみないか。力にはなれんかもしれんが」
それは意外な申し出でもなかった。愛未はおそらく一時的に七条に戻るだろう。であればその誘いを、受けてみようか。
命輪の町の通りを出た先にある現実が、来た時よりもよほど陳腐なものに感じられた。
命輪 北家 @AnabelNorth
★で称える
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