第6話 ライフリング・ストリート

 僕はいつも通り、目を覚ました。今日は休日であり、学校の用意をすることもない。近頃は不要な外出は控えてもいる。家を空ける気になれないのだ。

 家にあるテレビも久しく付けていない。それが自分を満たさなくなったからなのだろうか。高校に入るまでは、夕食のあと居間でゆっくりする時間があった。今はすぐに自室に戻る。小さな変化は、思い返せばいくつもあった。

 父が去ってからというもの、僕は彼の遺した財産を使って生活している。父は命輪により命を狙われ、真っ当な職には就けなかった。だがそれでもまとまった金を稼ぎ、人望は厚かったそうだ。それは父を知る大人からうかがい知れる。毎年さまざまなものが父の遺児である僕に対して届くのだ。多くは肉や野菜などの食べものだが、中には父の持ち物や父から譲り受けていたものもある。父は人にものをあげるのが好きだったようだ。

 この銃はその中のひとつだ。これは僕の十五の誕生日にくれる予定のものだったらしい。もしかしたら、彼はその時もうこの世にいなかったのかもしれない。もはや手紙からしか、僕の成長を祝う言葉からしか父を知ることはできなかった。

 だが僕はどこかで、父がその手で僕にくれるのを待っている。一時は僕が銃から離れることを望んだ父が、何を思って送ったのか。確かめなければならないことは山ほどあった。

 黒い銃身に赤銅のラインが引いてある三十七口径の自動拳銃。この特殊な口径は父が愛用した特注のものだ。弾は指定された場所に連絡すれば通販のようにすぐ補充でき、なくなる心配はない。

 そしてその銃は、握ると手に吸い付くようにぴったりと合うのだ。父は別れ際に僕の手を握った。その記憶から十五歳になる僕の手の大きさを計算して作ったのだろう。構えたそれは、僕の左手の延長線上にあった。

 僕はこれで、脅威に立ち向かうことができるだろうか。唐木は今の僕らひとりずつでは到底勝ち目のない相手だった。命輪使いは人の命を吸って強くなる。であれば、まだ見ぬ強敵と出会うことも想定される。

 何にしても、情報が必要であった。これから敵対しうる命輪使い、危険な能力など、知るべきことが多すぎる。僕の手もすべての弾を受けきれるわけではない。三発以上はもちろん、触れるだけで傷を負うものがまだあるのだろう。

 さて。思案をやめた僕は、鏡に映る自分をぼんやり見つめる。今日はなぜか愛未と待ち合わせていた。理由は聞いていない。正直を言えば気乗りしないが、しかし行く以上身なりは整えねばならなかった。

 銃を鞄にしまうと、言い知れぬ緊張感が走る。ああ、この感覚でいい。こいつを持つことはいつも通りではない。僕には、大事にすべきいつも通りがあるんだ。

 家を出て、駅まで向かう。するとある瞬間、僕はひとつの殺気を感じた。

 手を握り、そして開く。するとそこにはひとつの銃弾がある。なんだ、いつも通りなんてどこからでも作れるじゃないか。

「おはよ。いつになったら射抜かれてくれるの?」

「まだまだ死ねないよ」

「ふーん。じゃーその時までよろしくね」

 結局四月から今に至るまでの三ヶ月半の間、僕と愛未は特に何かしたわけではない。当然だろう、別にただのクラスメイトなのだから。一晩は家に泊めたこともあったが、それはそれだ。周りの者はすでに付き合っていると誤認しているだろう。それもまた、仕方のないことだった。

「あついねー」

「ああ、君がそんなことしてるからな」

「えー、だって私服だとこうするしかないじゃん」

「無理して狙わなくてもいいんだよ」

「私の前で、一息なんてつかせない」

「はいはい」

 このような空気にも慣れてきた。上は薄着のため、黒い銃を隠せるはずもない。だから左手の小さなバッグに常に右手を入れている。不自然さについてはもはや言うまでもないが、彼女の夏スタイルなのだろう。特に詮索はしないことにした。

 近頃は私生活でも電車は避け歩きを選ぶ。確かに遭遇する確率は高いが、電車の中では逃げ道が全くないためその方が危険だとされる。なりふり構わない相手を的確に仕留めることは困難だからだ。

 さすがに唐木を倒してからは迂闊に近寄ってくる影も減ってきた。それだけ名も広まってきたということか。彼らに見えている命輪は生きているものがふたつ、全部で三つだ。愛未は奪った命輪を家に置いてきているらしい。おそらく命輪使いである楢橋さんが管理しているのだろう。だから彼女はまだほとんど能力を持っていない。だが彼女のような命輪使いは多いらしい。それは多くの場合、受け継ぐにつれて能力の性質が弱まり消えてしまったものだ。だが彼女のものはそうではないだろう。発現しない理由は他にもある。

 ひとつは、技量が不足している場合。これはおおよそ考えにくいだろう。彼女はむしろ技量だけで戦っているようなものだからだ。そしてもうひとつは、誰かによって封じられている場合。名家の父から受け継いでいる彼女には、これが考えられた。

 僕は思いきって、聞いてみることにした。

「なあなるみ」

「なーに」

「君の命輪のことだけどさ」

 愛未の捉えどころのない視線が曇る。そしてその視線が、まっすぐこちらに向けられた。

「うん、私の命輪の力はまだ発現していない。今の能力は五歳で初めて命輪使いを殺したときのってこの前言ったよね。射線がみえるなんてちゃちな能力、そもそも私にはあってもなくても同じ。そんなもの、もとより見えてしかるべきなのよ」

「じゃあ、やはり誰かに」

「いや、違うわ。この力は少し特殊なの。まだ私は発現するための鍵を持っていない」

「君ほどの射撃センスを持つ人はなかなかいないが」

「そりゃあずっと鍛えてきたものね。でも、才能ってのはそんななま優しいものじゃないのよ。一部の能力は子の才能がなければ死ぬまで発現することはない。鍛錬を重ねることは当たり前で、そこから先が必要なの」

 ねー、少し遊んでかない? 僕はその問いの意図を汲み取ることができなかった。それでも漠然と、危険なことだということはわかった。しかしそんな気持ちとは裏腹に、手を引かれても特に抵抗せずに付いていってしまう自分が存在した。

 学校のある朝霧台から徒歩で十分ほど。ここ新牧田が命輪の町と言われている理由は、命輪使いが足を踏み入れればすぐにわかるだろう。ここは命知らずの集う場所だった。

 ホームレスの命輪使いなんかもいる。普段は真っ当に日銭を稼いでいるが、時折紛れ込む一般人を襲うこともある。そして彼女がたどり着いたのは、明らかにそんな無法者たちの巣窟だった。

「生きた命輪がふたつ、紛れ込んだな」

「お、これはこれは。可愛らしいお嬢ちゃんがおいでなすったじゃねえか」

「なんや彼氏っぽいのもいてるみたいですね。兄貴、どうします?」

「いつも通り、奪えばいい」

 声が聞こえてくる。物陰からだが、近いものならば場所はわかる。少なくとも五つはあった。細い路地は射線が途切れにくく、一対多に不利だった。

「ねえ正親くん」

「なんだい、七条さん」

「私たち、こんなとこで死なないよね」

「ああ、もちろんさ」

 両手を高く上げ、そして握る。愛未が撃つ。僕がその手から銃弾をこぼす時には、ふたつの命輪が寄る辺を失っていた。

「兄貴、あいつらやりますぜ」

「仕方ねえ、増やすぞ」

 そう言ってひとりが遠ざかる。僕は地形を把握するため、交差点に立った。ここは攻撃の集まる場所だ。すぐに襲いかかってくるだろう。互いの背を合わせ、周囲を警戒する。

「あなた、銃持ってる?」

「ああ」

「もちろん、射線見えるよね」

「だいたいならば」

「じゃ、仕掛ける。こちらから減らしてこ」

「おいおい、そんなことしたらもっと人が来るだろう」

「それでこそ、試しがいがあるってものよ」

 僕は言われるがまま、銃を取り出す。銃を取ってしまえば僕も彼女と同じ、力を持たない命輪使いだ。彼女はもしや、それが狙いなのだろうか。

 今度は言葉もなく、銃撃を浴びせてくる。油断は感じられない。明確な命の危険を、僕らふたりに感じたのだろう。その殺意が持つ圧力よりも、僕はむしろその右手に収まるものの緊張感に気圧されていた。

 自然な動作で敵の攻撃を避けると、二発放った。歪みない射線を描くその弾は、まっすぐに敵の心臓に吸い込まれた。僕は久々の射撃の感覚にひとり頷く。そこからは左手の受けも駆使して、敵を寄せ付けない。愛未もまた、一発一発正確に敵の数を減らしていた。

 だが数の差はやはり無視できなかった。徐々に背中に感じる愛未の体温が強くなってきている。回避するごとに後ろへと動かされているのだ。おそらく背後一メートルよりは近くにいるだろう。こうなると、回避すら危険だった。互い呼吸を合わせ、射線が通らぬよう体をずらす。銃弾の雨の中でも、案外彼女との連携が取れていることにひとり驚いていた。

「ちょっとまずいんじゃない?」

「そーね、ひとまず退くよ」

 そう言って同時に銃を撃つ。そして十字路の左手方向に走る。愛未が前、僕が後ろを警戒する。一旦は難を逃れたようだが、敵は前にも数人いた。今度の命輪は比較的サイズが大きい。数の不利がある中では少々危険だった。

「やつは能力持ちだろーね」

「ああ、手袋はつけてるから威力強化なら多少は大丈夫だ」

「軌道変更なら?」

「地力でどうにかするしかない」

「おっけー」

 ゆるやかな返事が妙に心強い。僕は両手に心地よい緊張を感じながら、その敵を狙った。

 向こうからは三発。僕は射線に異変を感じ、遮蔽物に身を隠した。

「あー、これは地力でどうにかするしかないね」

「まずはどういう軌道変化か見極めよう」

 こちらも撃って出る。どうやら三発は同じタイミングで飛んでくる。つまり減速の能力を持っているのだろう。そしてどうやら、タネもわかってきた。

「なるみ」

「なるほどねー。あなたがいればこの勝負、負けはないわ」

「もしもの時は援護頼む」

「はーい」

 エアコンの室外機の陰から飛び出すと、敵が見えた。こちらを狙っている。僕の姿を認めると、即座に三発撃ってきた。僕は一歩半だけ後退し、イメージした通りの場所に手を置く。握る、そして開く。

 そこには三つの鉛弾がある。予想通りの結果を確認した時にはもう、敵は無力化していた。どうやらまだ息があるようだが、時間の問題だろう。

「お前ら、強いな。だがな、ここに来ても明輪は手に入らねえよ。俺たちは皆、明日のない身。明輪の力は誰にも、子供にすら受け継げない呪いがかかってる」

「あいにく、私たちが同情してもその傷じゃ助からないよ」

「いいさ。その代わり、もう少しお前らの顔を見せてくれ」

「顔?」

「私たちの顔、なんかついてる?」

「いや、そういうんじゃないんだ」

 男は苦痛の中でも、どこか穏やかな表情をしていた。

「生気のないおっさんばかりで飽き飽きしてたんだ。才気ある男女が寄り添って血の海を渡る。俺はこういうのが見たくてここにいたのかもな」

 そういう仲では、僕はそう動かそうとした口を止める。横でなぜかすごく満足げな愛未を見ると、それでもいいかという気持ちも起こるというものだ。

「あなた、いー人ね。とどめ刺してあげる」

「結構だ。情けはかけられん。俺が死んだとわかったら、奥からもっと強い奴が出てくるからな。早めに引き返すといいぜ」

「やーよ。進む」

「なるみ、本気か」

「え、正親くんは行かないの? びびりなんだね」

 真顔でそんなことを言ってのける。彼女としては、どうしても僕についてきてほしいのだろう。

「はあ、仕方ない。行くよ」

「わーい。正親くん大好き」

 わざとらしく腕に抱きつく。もうそんなのにも慣れてきた。クラスのお嬢様ならば直視できないくらいどぎまぎしてしまうが、相手はこの女だ。大したものではない。

 そんな意味のないやりとりをしている間に、男はこと切れている。命に関わる問題を扱っているんだから、もう少し緊張感を持ってほしいものだ。

 さて。ここから先の敵は、わけが違うぞ。数ならば十以上。大きさならば、唐木より大きいものが三つ。いくのか? 否。行くのだろう。

「ねー辰矢」

「なに」

「楢橋から聞いたわ。君のお父さんが、あの不動の瑞庵だったとはね」

「そうだが、それが何だ」

「跡取りが、こんなところで死にやしないよね」

「ああ、自分で言うことじゃないけどね」

「うるさい」

 深呼吸を三つ。あとはすべて忘れて、突っ込むだけだった。

 ひとり、またひとり。弾が空をうねり、僕の心臓を狙う。左手で受け止め、右で返す。背中は愛未に預けてあるから、よほどのことでは抜かれないだろう。能力を落とさない命輪など拾う価値もない。僕は遮蔽物の合間で瞬時にリロードし、その隙を狙う弾を受けた。

「なるみ、そっちはあといくつ」

「見える範囲には四つ。もう少しなら持ちこたえられる」

「わかった、一分で片付けよう」

 どう言うわけか僕の射撃精度は高い。これは幼少期の父の指導によるものなのか、それとも命輪のものだろうか。これもおそらく身体で受けてはいけない弾を手に取り、最後のひとりを撃ち抜く。こちらに命輪の気配はない。

「いいよ!」

 愛未が僕の背後に隙を作る。そこに向かって放たれた銃弾を左手で受け止め、振り返った。そして両手で銃を構え、一発二発。これで全員だった。

 裏路地に静寂が戻る。僕は道の脇にへなへなと崩れ落ちてしまった。いくらなんでも疲労がすごい。なるみもそれは変わらないようだ。思えばそもそも愛未が対峙する敵の方が多かった。

「なるみ」

「なーに?」

「なんか、発現した?」

「うーん、だめみたい」

「能力なしは、なるみでも厳しいかな」

「一応、すべての射線が正確に見えるのは便利よ。他の人より射線に集中しなくていいし。まー今はそれを駆使して戦うほかないね」

「そうだな。しかしこの町どうなってる」

「早く抜けた方がいいかもね」

 なぜか通行人も戻ってきている。数人道を歩いていったのち、また静寂がふたりを包む。次の人影は、ひとつだけだった。

 女の子がひとり、この道を歩く。そして僕らの前で止まった。ふとこちらを向く。その顔、その氷のような雰囲気に、僕は見覚えがあった。

「こんなところにいては、危ないよ」

「あなたこそ、こんなところでなにしてるのよ」

「すぐに立ち去った方がいい。あの人が、来る」

「あの人って誰よ」

「知る必要はないよ。会えば殺されるのだから」

 そう言ってゆっくりと銃を取り出した少女は、その先をまっすぐこちらに向けてきた。

「おにいちゃん、その手で止めるつもり? 痛いよ。やったら二度と掴めなくなると思う」

「あなたに、辰矢のなにがわかるのよ」

「おねえちゃんでは、なにもできないよ。その意味がわかるでしょ」

 愛未は明らかに動揺していた。

「あなた、何者? 命輪も、射線も見えない」

「命輪使いでは、私に勝てないよ。あの人を除いては」

「あの人ってのは、いったい誰なんだ」

「言わないよ。あの人は、私の全てだから」

 少女の瞳には、冷たさの中に強い力がこもっていた。

「でも、取り入ってあげることならできる。どう? さっきの連中みたいに命輪をあげて、代わりに封印する。きっと今より強くなるわ」

「お断りだ。親からもらった大事な命輪だからね。きっと子に受け継いでみせるさ」

「そう、なら帰って。あの人に見つかる前に」

 そう言って少女はくるりと背を向ける。彼女は間違いなく命輪使いだ。だがその命輪は見えない。このような例はこれまでなかった。

「待ってくれ、僕はその先にーー」

 少女が銃を撃つ。命輪使いでなければ出せない速度だった。そしてそれは、僕の顔の横を通り過ぎる。その軌道は、少しも曲がってはいなかった。

「帰って。お兄ちゃんたちには、ここはまだ早い」

 薄暗い路地に少女が消えていく。追うことはできなかった。彼女の言っていることは、おそらく本当だろう。それをまざまざと見せつけられた僕らは、動く術を持たなかった。

「なあ」

「なに?」

「遊びに行かないか」

「辰矢ってけっこうダイタンだね。どこいくの?」

 笑顔はない。それはある種当然のことだろう。だがその曇った顔は、少しだけ穏やかになった気がした。

「まだ決めてない」

「えー、エスコートしてよ」

「難しいな。じゃあまだ時間もあるし、駅前のカフェに行かないか」

「うん、じゃあ行こー」

 おそらく、僕は彼女と同じことを考えているだろう。強くなりに来て、自身の弱さを見せつけられた。方法を探さなければ。僕と愛未がもっと前へ進むため。もっと強くなる術を。

 でも今はまだ、自分の弱さと向き合いたくなかった。

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