第5話 早さと速さ
高校生活もはや三か月が経過しようとしている。日差しはいやおうなしに体に突き刺さり、地面から湧き上がる湿り気はじっとりと僕たちを包み込んでいた。
この国の夏は、最悪の気分で始まる。放課後の屋上階はいつもは命輪使いが幅をきかせているが、おそらく僕らが破ったふたりはその一部だったのだろう。使えることも多くなっていた。彼女のすすめでここ最近は弁当を作っているのだが、いつも敗北感に苛まれていた。
「暑いよー、辰也なんとかして」
「仕方ない。昨日は雨が降ったんだから」
「ねー、購買でアイス買って。高いやつ」
「五十円のアイスバーならいいけど」
「じゃーそれでいー。冷たいのがほしー」
横で駄々をこねている女は七条愛未。本来であればクラスの中心にいるような美少女なのだが、ここのところ何かにつけ僕の席にいる。
そのせいであらぬ噂が立つことも一度や二度ではなく、何事もなく七十五日など経つわけもない。女性陣には、まだいい。もとより愛未とは表面上の付き合いだろうし、だから僕にぶつけるほどの感情など持ち得ない。問題は、学校生活のほとんどを付き合っていく男性陣に白い目で見られることだった。
だが彼らはなぜか愛未を殿上人だと思っている節があり、表立って冷やかしてこないのはいいことだった。楢橋さんの話もあるが、一歩引いて見ると確かにこの女はお嬢様なのだ。所作もいちいち様になるし、他人への物腰も柔らか。銃を隠し持ってることを除けば、あれは高校生として完成形にあるのだろう。
あれというか、これなのだが。教室を外れると、途端にだらしなくなる。彼女なりに糸を張っているのだろうか。
「はい、辰也立って。今日は私は行かない」
「はあ、わかったよ」
僕は外に出る。彼女も周りの目を気にしているのだろう。命輪使いであれば、ふたり歩いていれば手出しできないから問題ない。だが問題はその他の生徒。糸を張っているべき場所は、彼女なりに考えているのだろう。
だから僕ひとりで購買に向かう。この前の奴はさすがに大人しくしているらしく、命輪使いも焦ることなくパンを選んでいる。
それでもアイスに関しては戦場だった。僕は彼女の好みを聞いていな買ったことを思い出し、バニラ、チョコ、フルーツの三つを買っていくことにした。
無論、四階の上にある屋上には走って戻る。これを見れば誰であっても、愛未の使い走りだとわかるだろう。クラスメイトや命輪使いならばなおさらだった。
「はい、戻ってきたよ」
「わーい、どれどれ」
弁当を入れていた保冷容器を開け、アイスを取り出す。顔がくるりとこちらを向く。それはごく柔らかなしかめっ面だった。
「抹茶がない」
「抹茶は八十円だった」
「そ。ならいーよ。許したげる」
そう言ってチョコアイスを手に取った彼女は、それに白い歯を立てた。
「やっぱ夏はこの
「そうだな」
僕は残った二本を彼女に見せ、彼女がしかめっ面をしたバニラを食べることにした。そろそろ彼女が銃を構えないのであればなんでもいいと思い始めていた。
ともかく、やはり暑い日には冷たいアイスバーに限る。僕はその冷たく甘い感触を舌で感じるとともに、彼女が二本目のアイスバーに手を出すのを見ていた。このくらいは想定内どころか、単勝一番人気だろう。勝ったって一パーセントも増えやしない。ただ美味しそうに食べる愛未自体は、嫌いではなかった。
奇妙な時間を共有するふたり。それは本当に、境遇が似ているもの同士の協力だけだろうか。
そうであるならば、発せられたこの殺気に対し同時に反応するということはないだろう。僕が立ち上がるのに対し、彼女は座ったまま銃を抜き小さく声を出した。
「あいつは二つ上の命輪使い。見た目より危険よ、気をつけて」
「へえ、珍しいな。この屋上に生きた命輪がふたつあると思ったら、こうなってたのか。一年一組の七条愛未に、正親辰也。俺たちでも容易に手出しできないカップルだ」
「緒形冬慈、久しぶりね。その節はお世話になったわ。今日はどういうつもり?」
愛未は目の前の男の心臓をまっすぐに捉えている。男は両手を胸の前で振った。
「待ってくれ、今日はそういうのじゃない。さすがの俺でも二人相手は疲れるからな。組まねえかって、言ってるんだよ」
「組む? 誰がよ」
「俺たちと、お前たちがだよ」
緒形という男は、誇示するかのように両手を広げた。
「そうして私たちに何の意味があるの」
「その命輪の数、お前たちも苦しい戦いを経てきたことだろう。それに最近、高校生の手にはとても負えないようなやつも出歩いている。俺たちはこの学校の外にある脅威から、他でもない俺たち自身の身を守りたい。それにはまず閉じた系での統制が必要だ。俺はこの学校の命輪使い全てから仲間を募る。どうだ? 俺とともに戦わないか」
「嫌だ、と言ったらどうするつもり」
「その命輪をいただく。言うまでもなく、俺自身が強くなって身を守るためだ」
彼の話はなるほど筋が通っている。人が多い方が銃撃では有利だし、仲間にならぬとなればその命輪でさっさと構成員を強化してしまった方がいい。それ自体は、唐木と対峙した身としてはもはや明らかだと言えた。
ふと横を見る。愛未がどう思うか、だった。そんなあり方、自分が許すはずはない。その顔は明らかにそう言っていた。
「今、どれくらいいるの」
「俺を含め十六人だ。多くは賛同してくれたよ。だが無頼を貫く者もいた。彼らはそこそこ強かったけど、もうこの世にはいない」
そう言って男は冷たい笑みを見せる。一瞬、殺気が頬を切り裂くのを感じた。命輪のサイズは愛未と同等。では実力はどうか。唐木は多くの能力を集めていたが、彼もそのような手合いだろうか。
「すこし、考えさせてはくれないかしら」
緒形はそれを聞いて吹き出すと、おかしくてたまらないと言った様子で笑い始めた。
「考えさせてくれだって、中学生の告白じゃないんだぞ」
「すぐには答えられないって言ってんのよ」
そういうと緒形の目が、一転して氷のように冷たい色に変わった。
「真剣に考えろ。俺やお前たちより強い奴など腐るほどいる。生きたいのか、死にたいのか。俺の問いは詰まるところそれしかない。何を悩むことがある」
ここで決めろ、俺たちは待たない。それはある種宣告のようでもあり、それは僕の答えが決まったことを示していた。
「ああ、決まった」
「ふん、じゃあ俺たちとともに」
「いや、僕らは僕らでいかせていただきます」
これに驚くのは緒形の方だった。おそらく彼としても、重要な戦力として数えていただろう。目論見が外れた失望感はそのまま強い怒りとなり、目の前に向けられる。
「じゃあ、死ねよな」
「避けて!」
愛未がそう言った瞬間、僕は両手を胸の前に動かす。その手のひらには銃弾がある。奴の腕は、ポケットから出ていないのに、である。
愛未は間一髪でその射線をかわしていた。早すぎて僕の方に向ける余裕もなかったのだ。
「こ、これは」
「ああ、正親は知らないよな。俺の命輪の力のひとつは早撃ち。肉体に働きかけ、コンマ一秒を切るタイムを叩き出す」
「言ってしまえば、それだけよ」
彼女は心臓を狙って二発撃った。だがそれは、その道のりの半ばほどで弾けた。彼は銃弾を狙って撃ったのだ。
「早く撃てるということはどういうことか。こういうことなんだよ。相手の構えを見てからなら、その弾が自分に当たらなくすることは容易だ」
「なるほど、前とちがって射線は見えるようで安心したわ。見えれば、当たったりしない。そうよね、正親くん」
「ああ、そうだ」
だが、それだけだろうか。僕は緒形にそれ以上の敵意があるのならば、相当危険だった。
もう二発。それを両手に収め僕は接近する。それに対し、ポケットから手を出し二丁で受ける。当たり前だが、短い間隔で三発以上来ると受けるのが難しい。だからこそ二人で圧力をかけ続けなければならない。
愛未は射線を予測し回避して撃つ。僕は銃弾に行く手を阻まれながらも、着実に愛未と反対側から寄っていった。もう少しで敵に手が届く。そう思い踏み込んだ僕をひらりとかわし、緒形はこちらを見た。
「なるほど、ならばこれでどうだ」
手が脊髄反射で心臓へと動く。手のひらにはひとつの銃弾があった。ここまできて僕は、状況が必ずしも有利とは言えないことを知った。
「まさかあなた、あれができるの」
「ああ。俺の命輪の力のひとつ。これが速撃ちさ。音速の倍で飛ぶようになれば、いくら洞察眼が発達した命輪使いでも容易には避けられん。わかるかい? 早撃ちと速撃ち。このふたつの絶大な相性を」
「ご丁寧に説明してくれるわね。冥土のみやげのつもり? おあいにく様、まだ死ぬ予定はない」
辰也。そう短く叫ぶと、二発撃った。そして相手の手を見ながら回避動作に移る。僕は手を開く。
「はは、いくら狙われるからってあらぬ方向へ撃ち始めたな。当てたい気持ちはわかるが、丸腰でこれが避けられるのか?」
それは緒形のいう通りで、僕の大きな懸念のひとつだった。彼女が射線を見る時間が短すぎる。どれだけ先読みをしても、体を動かすのが間に合わないことは十分に考えられた。
「人のことより、自分の身を案じたら?」
緒形はとっさに小さく銃を撃ち、軌道を捻じ曲げ心臓に迫る弾を落とした。すかさず攻撃に転じる。無論後ろへの警戒も兼ねて、前進して撃った。僕はさらに迫り、組みつこうと試みる。だが緒形は横撃ちで、その目論見をぴたりと咎める。そのまま僕の接近をいなしながら愛未と撃ち合いを続けるこの男は、確かに僕の想定をはるかに上回った。
「いい連携だ。その力があってなぜ、俺と協力しない。お前が無様に負ければ、その命輪が他の誰かに奪われるのだぞ。それは生徒にとって大きな脅威となる。お前らがふたりで勝てないような相手がその命輪を携えてこれば、俺はなすすべなく殺される。そしてそれは、お前らだって同じこと。たった今お前らだが苦戦しているこの能力が、より強いものの手に渡ることもある」
そうなったら終わりだ、それが怖くないのか。彼はむしろ嘆くようにそれを口にした。
それでも。口を開いた愛未を遮り、僕は手を胸に寄せた。
「緒形先輩。あなたの言い分はわかります。ですが今回は見逃してくれませんか。もし次あなたが数人ほど連れて来た場合、僕たちは負けるでしょう。ですがあなたと争う意味はありません」
「それがぬるいと言っているんだ。俺が見た男は狡猾だったぞ。酸をまとった弾は急所をあえて外して肉体をズタズタに引き裂く。しかも射線をねじ曲げる能力まである。悶え苦しむ味方を見て、俺の戦線は崩壊した。十六人と言ったな。その日までは二十人いた。お前らがこれに勝てるとは思えん」
そう言った途端に、愛未の両手がぶらりと降りた。銃もしまい、ひとつ気の抜けたため息をついた。
「緒形冬慈。あんた、偉そうなこという割に弱いのね。そいつは、唐木千種は私たちふたりで殺したわ。証拠にこれ。見覚えがあるでしょう?」
見ると首にかけた命輪のひとつが赤黒く光っている。
「な、まさかお前らが」
相手がひとりであれば、よほどの敵でない限り負けはしない。挟撃すれば視界に二人を収めることができない以上、僕の接近戦か愛未の弾のどちらかは届く。緒形がどのように撃っても、その瞬間に勝負が決まる。数の利は、活かせばあまりに大きかった。
「ああ、ギリギリでしたけどね。そして先ほどの話ですが、僕らは属しません。これからもふたりで行動すると思います。ですが敵対するのは、今日が最後にしましょう」
追い詰めた。今回ばかりは悪いのは僕らだぞと、愛未の方を見やる。愛未もそれはわかっているようで、渋い顔でひとつうなづいた。そうして詰めの作業をするための我慢比べを、始めようとしたところだった。
ぱちん。緒形が手を高くあげて鳴らしたそれは、合図だろう。僕が次に見た景色は、僕と愛未に向けられたふたつの銃口だった。彼は荒い息遣いながらも、明確な殺意をもって僕らを見据えていた。
「はあ、はあ。この速さはまだ、体が追いつかんか。最近わかったことだが、受け継いだ命輪は成長する。これがあれば唐木なぞに遅れは取らなかっただろうな。なんにせよ、俺の負けだ」
二発ずつ撃つ。僕はもはや見ることもできないその弾を感覚だけで受けた。たとえ見えずとも射線さえわかれば回避できるだろう。だが危険なのは緒形だった。腕を広げてその両端で銃を撃てば、中心に対して恐ろしいほどの反動が来る。膝から崩れ落ちる緒形に対し、愛未は銃口を向けたまま近づいた。
「私はあなたの下にはつかない。だけど、協力はしてあげる。干渉しない。余裕があれば助けもする。それでいいでしょ」
「ああ、お前たちからそれを引き出せただけでも十分だ」
緒形を起こし、壁にもたれさせる。いくら消音装置があるとは言ってもグラウンドでは部活をやっており、いつ誰が見ていてもおかしくはない。
「ねえあなた、その命輪って何人から奪ったものなの」
「七条、お前は失礼な奴だな。俺は誰の命輪も取り込んじゃいないよ。そんなことをするより仲間を強くしてやる方が先だ」
「ふうん、じゃあさっきの能力は全てあなたのなんだ」
「そうだ。それでも一対一なら十分戦えるからな。それで、正親とか言ったな。いろいろな奴と会ってきたが、その能力は初めて見た。お前自身のものか」
「はい。僕も他の命輪は取り込んでいませんから」
緒形は興味深そうに僕の手を見た。見た目に変化はない。だがこの手には銃弾の強烈なエネルギーを打ち消す力があるのだ。そう思うと不思議だった。
「七条、お前はどうなんだ。おそらく俺の次に大きな命輪となるとお前だが、それにしても能力が弱い。射線など、銃を取る人間なら完全ではないにせよ見えてしかるべきだ」
「そうよ。私の命輪はまだ力を見せていない。この力は私が五歳の時、初めて銃で人を殺した時のものよ。その時から私は命輪を取り込んでいない。必要なかったから」
「ふん、どんな能力が発現するかもわからんのか」
「そうね。七条の家に伝わるものが本当ならば、わかる。でもあなたたちには言えない」
緒形はそこに食ってかかるかと思ったが、意外とすんなりと受け入れた。命輪の力を明らかにするリスクはやはり承知の上なのだろう。
「じゃあ、俺は行く。気が向いたら俺たちの拠点に来てくれ。なにかあったときはここに連絡してくれ。状況にもよるが、俺だけで向かう。あいつらはまだ、お前らが苦戦するような相手とは戦えない」
「わかった、ありがと」
「あとお前、学校で正親といるときはさすがに表向きの顔の方がいいんじゃないか」
「うるさいうるさい、あんたには関係ないでしょー」
緒方は立ち上がると、ゆっくりと歩いて去っていく。不意に彼が立ち止まった瞬間、僕の命輪は反応した。手を開くと、そこには銃弾がある。歩き始めた彼はそのまま振り向かずに、右手を振った。僕はそれを見て笑みがこぼれる。愛未はなぜか鬼の形相でそちらを睨みつけていた。
「なにあいつ。それは私の特権なのに」
「仕方ない」
言ってしまえば、学校の全員が敵ではないことだけでも大きな収穫だった。それが協力の余地もあるというのだから喜ぶのが吉というべきだ。
「アイス、溶けちゃったね」
「仕方ない」
僕は緩やかな疲労が体を覆っている。彼女が残念そうにしているのを横目で見やりつつ、僕は立ち上がった。
今日は疲れたし、少しくらい高いものを買ってやるか。僕は重い腰を動かしながら、彼女を促してコンビニへと足を運ぶことにした。
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