第4話 生き抜くために

 目を覚ましたのは、硬いベッドの上だった。左腹部の違和感は消えており、無事に弾は摘出できたのだろう。

 そうだ、愛未は。

「愛未お嬢さまなら、学校に行かれましたよ。最後まで正親さまを心配しておられました」

 グレーのジャケットを着た男が左手に見える。物腰は柔らかだが、しかしただものでない命輪使いだった。僕は身構えようとしたからだが動かないことを知って、ため息混じりに問いかけた。

「あなたは」

「申し遅れました。私は楢橋。七条の家の、小間使いのようなものです。おてんばなお嬢さまがすぐに家から出て行かれるので、陰ながら見守っているのです」

「楢橋さん、ですか。なぜここが」

「愚問ですな。お嬢様ですよ。数年ぶりに連絡してきたと思ったら、私の連れを見ていてほしいと」

 僕は驚いた。実際のところ、彼女がそこまでしてくれるとは思わなかったのだ。

「なるみが、ですか」

「ええ。お嬢さまはあれでいて、義理堅いところがあるんです。ご存知とはおもいますがね。それでどんなお人かと思えば、なかなかどうして立派な命輪をもっていらっしゃる。その胸に提げているのは、あなたのご親族のものでしょうか」

 楢橋と名乗った男は、まだ動かせない僕の体を見回している。これだけの視線を受けながら嫌味なところがひとつもなく、彼の人となりを感じさせた。だからこの人には、少しくらいは話してもいいような気がしたのだ。

「これは僕の父のものです。父が去って二年が経ったある日、送られてきました。送り主も何も書いてはいませんでしたが、父のものだとすぐにわかりました」

「お父様のものでしたか。よろしければお父様について、お聞きしてもよろしいでしょうか」

その問いに答えるまでもなく、僕の口からは言葉が溢れ出ていた。

「正親瑞庵。よく家を空けるひとでした。今思えば父も戦っていたのでしょう。この病院は、なにかあったときのためにと父が紹介しておいてくれたのです。なかなか命輪使いが人目を忍んで治療できる場所はありませんからね」

 そう言うと、楢橋さんは大きく頷いた。

「なんと。正親ときいてもしやとは思っておりましたが、瑞庵さまのご子息にございましたか。それでしたら、その命輪も納得というものです」

「楢橋さん。それで命輪についての話を、詳しく聞かせていただけませんか。父は僕に、なんの言葉も残してはくれなかったのです」

 なんと。楢橋さんは先ほどと同じようにそう言って目を丸くした。数往復の受け答えのすえ、僕が本当に何も知らないことを悟った彼はゆっくりを口を開いた。

「さようですか。では、一からお話しいたしましょう」

 ことの起こりは、今の世に近世と呼ばれる時代に遡ります。人は拳銃を生み出し、持ち運びが容易な銃は様々な目的で用いられました。次第に銃の弾は神聖な意味をもつようになり、自らの血を捧げた儀式を行うものまで現れました。多くは他愛もないまねごとだったのですが、ある時それが成功してしまったのです。それらの弾はより強く対象を破壊し、軌道をねじ曲げてでも命中したのです。その時はまだ、命輪は使い捨てでした。そしてそれが、人の体に宿ることがわかったのはごく最近です。北米の小さなマフィアに所属するある男が、神前に祈りを捧げたときのことです。形式張った所作でしたが、違ったのはその手に握られた命輪。それは抗争に敗れ命を失った友への祈りでした。男はその弾から力が失われていくのを感じ、そして代わりに自分の中にある命輪を知りました。彼が親しい友にそのことを知らせると、たちまち新興マフィアが結成され付近一帯を支配するまでに成り上がります。そうして敵の命輪を全て集めた彼は、その幾千の命輪を全て使ってある願いを叶えたのです。

「これが、今の時代における命輪の始まりだと言われています」

 そう言われても、聞かねばならないことが山のように存在した。

「いや、僕は儀式などしていませんし、生まれつきこの力はありました」

「そうなのです。儀式の方法は完全な秘匿とされ、一般人にまで知られることはないでしょう。しかし命輪使いとなった者は、その子供も命輪の素質を持つようになるのです。人にもよりますが、多くの命輪は拳銃を手にするだけで開花します。そして当然、大きさに差があります。それは人の意志の力であるとか、親から受け継いだ才能の大きさであるとか。抽象的になりましたが、このようなものです」

「そういえば、能力を奪うこともできるとか」

「はい。命輪使いであれば、死んだ人間の命輪は簡単な所作ひとつで銃弾に収めることができます。そしてそれを自分の体内に埋め込むこともできます。そうするとその弾には何も残らず、その力はすべてその人に宿ります。お嬢さまはそれを拒まれているようですが、先ほど戦われた唐木という男はそうやって自分の命輪を強くしていったようですね。ですが子に受け継ぐのは、元来持っていたものだけ。それもいくつかのうち開花しない者もあるらしく、その点は未だ謎に包まれています」

 だいたいが分かってきた。親から受け継がれて命輪使いになった者がほとんどなのだろう。そしてその先には狂気の命輪使いがいる。その秘密を知るものからは疎まれるだろうし、それから逃れることはついにできないのだ。

 それともうひとつ。これから対峙せねばならない人が何を求めるかを知らねばならない。生徒の命輪使いも、唐木も、僕を狙う明確な意図があったのだ。

「それで、願いが叶うというのは」

「はい。これが命輪が持つ一番の謎だと言われているものです。基準は集めた光の大きさとも言われますし、一定以上の光の命輪をいくつかといった文献もあります。ですが実際、願いが叶ったと言ったのは彼ひとりなのです。その確証があるとはとても言えません。ですが命の安い世界では、人が叶えたい願いなど山ほどあります。叶えなければならないと盲目に殺人を繰り返す命輪使いもいますが、無論そういった者は表社会の法で裁かれます。いまや警察はおろか政治家にも命輪使いはいますが、彼らは基本的には命輪使いを守るように権限を行使します。あくまで最低限の規範を守る命輪使いだけが、願いを叶える土俵である社会の裏側にいられるのです。ですがその願いを叶えるということ自体のあり方を知る人となると、これはいないのではないか。私はそう思うのです」

「愛未にも、叶えなければならない願いがあるのですか」

「はい。彼女の願いも、多くの命輪使いと同じでしょう。大切な人を、生き返らせたい。彼女は多くのものを失いすぎました。両親、友、それに師と仰いだ者まで。彼女がそれを取り戻したいと命輪に縋るのは自然でしょう。それは命輪に奪われたようなものなのだから。ただ正直を言ってしまえば、それができるのかには疑問が残ります。命輪がどのように世界に働きかけるのか、それにより死者さえ蘇うるのか。ですが彼女の目を見てしまうと私には、どうか無茶をなさらぬようにと祈ることしかできないのです」

 そういって遠くを見る楢橋さんは、柔らかな表情に悲壮の色を浮かべた。

「どうか彼女を守ってあげてください、正親さま。命輪使いはそうであるがために多くの苦難が降りかかります。ですが、あなたは彼女が見初めただけのことはあります。きっと乗り越えられますよ。わたしはできる限り、それをお手伝いいたします」

 楢橋さんはそう言って去っていった。おおかたの疑問は解決したが、一部余分な気がかりが発生したような気がした。

 ふと携帯を見ると、唐木との戦いから四日経過していることがわかる。さすがに脇腹に酸の銃弾を撃ち込まれれば傷は深いだろう。それにその状態で無茶をしすぎた。あとで来た医者の話では死んでいてもおかしくなかったという。

 もう夕方になるが、冷めた昼食がレンジの中に入っている。立ち上がってみたが、まだ完全に修復できているわけではないらしく多少の痛みを伴った。

 たまたま通路の先にある病室をちらと見た。そこにはひとりの少女がいた。少女は体を起こして外を見ていたが、僕の姿をみとめると小さく会釈した。命輪使いが頼る病院であるため、当然患者同士の接触は好ましく思われない。ちらと僕のほうを見た少女の赤く澄んだ光彩は、鈍く虚ろに光っていた。彼女に命輪の気配はない。だが凍るような冷たい雰囲気だけが、彼女の周りを取り巻いているような気がした。

 用を済まし、個室に戻る。特にやることもないため、僕は眠ることにした。とはいうものの簡単に眠れるとも思えないので、楢橋さんから聞いたことを反芻しておくことにした。彼は七条家の小間使いといっていたが、察するに愛未は相当な血筋を持っているのだろう。銃の実力は高く、命輪の光も大きい。でも彼女は奪った命輪をひとつも取り込んでいなかった。唐木のものも、取り込まないのだろう。彼女はまだどこかで、自分だけで戦おうとしているのかもしれない。僕を頼ることでその痛みは和らぐのならば、今はまだそれでよいのではないか。

 明日退院できるらしいが、クラスメイトはどのように迎えるのだろうか。また、命輪使いはどうか。時間があるだけそのような余分なことまで浮かんでくる。僕は無理にでも寝ることにし、退院の時を待った。

 腹を決めてしまうと、思いの外時間は早く過ぎていく。もとよりなにもすることがないため、それはなおさらだった。僕は晴れて退院した。学校には明日から行くことになる。僕はひとまず、誰も帰りを待たない家に帰ることにした。

 家には知らない人が数人いた。命輪使いではないらしいが、しかし命輪使いは家の中にいた。僕は北風もかくやというほどの大きなため息をしたのち、そのドアを開けた。そこには質素な白のメイド姿の愛未がいた。

「あら、辰矢おかえり。ごはんできてるよ」

「なあ、なんでここにいるんだ」

「聞いてなかった? あなたの家のもの、狙ってる人も多いからさ。うちの若いの駆り出して守ってるの」

「これはさすがにやりすぎでは」

「いーの。ささ、夕飯にしましょ」

 そう言うので僕はいつも僕ひとりで座る食卓へ向かう。するとそこには、一汁四菜からなる手料理があった。こんな特技があったとは。僕は驚きを隠そうともせず、席についた。

 主菜を一口。僕はこの時点でまだ、彼女がつくったと言うことに懐疑的だった。だが彼女のこれ以上ないくらいの笑みをみれば、その疑心自体が非礼であることははっきりとわかった。

「あ、おいしい。お肉柔らかいし、味付けもすごくいい」

「でしょー。これくらいいつも作ってるし」

 僕は箸が止まらなくなっていることに気が付いた。そのままふたりで全て食べ終え、そのまま自室へと向かう。

「なんで、ついてくるんだ」

「そりゃ、私の部屋だしね」

「僕の部屋だ」

 おかまいなしに入っていく愛未は、どうも楽しそうだ。

「わー、広いね。ベッドは硬いけど、これくらいなら許したげる」

「なあなるみ。こうして家主が戻ってきたから、帰ってくれてもいいんだよ」

「あら、レディに失礼ではなくて?」

 そう仰々しく口にするわりに、僕のベッドでごろ寝する少女は完全にくつろいでいる。レースをあしらったかわいらしい寝間着にも、どこかに隠し持っているのだろうか。僕は不躾にも彼女の年相応の胸元をちらと確認した。

「ばか、持ってるわけないでしょ。そこにおいてあるわ。それと」

「それと?」

「あなたって銃持ってるのね。なんで使わないの」

「それは、父親のだから。父親の命輪がまだ使いどころじゃないって言ってる気がしたんだ」

「ふーん。あんまり無茶するようなら持っててもらうわ。あなた死にかけたのよ」

 それもそれで、その通りであった。だが僕の命輪の力は、両手が空いてこそのものばかりだ。父親の銃は父親の命輪と同時に手にするべきだとも思う。

「考えておくよ。これからさらに危険な状況になったら」

「よろしー」

 そう言って寝始めてしまった。早すぎる。僕は近くに布団を敷いて寝ることにした。さすがに父の部屋で眠ることも、僕の部屋に愛未ひとりを置いていくこともできない。であればこうするしかなかった。眠気はなかったが、目を閉じてむりやり眠ることにした。

 朝になった。窓から見ると七条家の若い衆が消え去っていた。ベッドにいた愛未の姿も見えない。さすがに帰ってくれたのだろうか。僕は胸をなで下ろしながら、誰もいないはずの食卓へと向かった。

「あ、おはよー。朝ごはん、冷めちゃうよ」

 そして、これなのだ。エプロン姿でむくれている彼女に対し、僕はむしろ喜ぶべきなのではとも思い始めていた。なかなか美味しいし、栄養も考えられている。これを食べていればもう少し体格も良くなったのではないか。僕は危うくそんなことを考えている自分に閉口していた。

「ごちそうさま」

「はーい、じゃあ学校の用意をしなさい」

「なるみは」

「全部終わってるわ。あとは着替えるだけ」

「わかったよ。まっててくれ」

 僕は荷物を確認すると制服に手をかける。着替えながら、この異様な事態に対して首を傾げた。

 ふと背中に強い殺気を感じる。彼女が制服を着たのだろう。

 僕の新たな一日が、始まろうとしていた。

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