祈りの果てにあるモノ

天蛍のえる

祈りの果てにあるモノ



差し込んだ陽光の眩しさが朝の訪れを告げた。

瞼を焼く光に叩き起こされたムペルギティスが先ずしたのは祈りであった。


「クロデア様、我らを魔族からお守りください。リデア様、我らに恵みをお与え下さい。メモリア様、我らの生をお覚え下さい。」


祈りの言葉は彼が考えたものではなく、教会で習った通りに言葉を連ねているに過ぎない。一介の農民に過ぎないムペルギティスにとって大事なのは『教会の教えを守って祈りを行った』という行為だけだ。

権威ある教会の教えを守っていれば女神様のご加護がある、作物もたくさん育つ、魔族も襲って来ない。それを信じる為に彼は朝の祈りを欠かした事は無い。


祈りを終えると昨日の内に用意しておいた黒パンと豆のスープを手早く腹に収めて家を出た。ムペルギティスが村の広場に着くと、そこにはすでに村の男衆が集まっていた。


「おぅ、今日も遅かったなムペル。俺達の分も祈っといてくれたか?」


体格の良い髭面の男が手を挙げてムペルギティスに声を掛けた。彼はこの村のまとめ役で名をヤドゥラハインといった。


「遅くなってすいませんヤドゥラさん」


「気にすんな、この村でお前以外に祈りの言葉を覚えてる奴はいねぇんだ。皆の為に祈ってくれる奴を責めたりはしねぇよ」


そういうとヤドゥラハインは他の男衆に向き直り、手にした鍬を掲げて「行くぞ!」と声を挙げた。その号令を合図に男達は群れとなって歩き出す。

行く先はそれぞれの畑、だが畑に向かうだけであっても警戒を怠る事は出来ない。


人々の住まう大地は今も尚、魔の脅威に晒されているのだから……


「ま、魔物だ!犬頭の奴等が来たぞ!」


先頭を歩いていた男が叫ぶように声をあげた。

犬のような頭を持ち人間の様な手足で二足歩行を行うそれがコボルトと呼ばれる魔物である事を知る者は、この場には誰一人として存在しなかった。

だが名前は知らずとも、彼等とて日々の暮らしの中、ただ怯えていたわけではない。


「そいつらは強い臭いに弱い筈だ、ヘルベリッカん所の虫除けを使え。あれはクセェぞ!」


ヤドゥラハインの声に応える様に男達が水筒を放り投げると、中から毒々しい緑色の液体が飛び散って臭いが一気に漂った。


「クセェ!!」「くせぇええ!」「グゲェェ!」


男達の悲鳴と共にコボルトの呻き声も響いた。

これで目の前の犬頭を追い払う事が出来る、そう思っていた。


「ピグェッ」


今にも逃げようと背を向けた一匹のコボルトの頭が跳ね飛んだ。緑に染まった地面を、流れ出た真紅が染め上げようとしていた。


「無様、惰弱にも程がある。エサを前に背を向けるとは何事か」


氷の様な冷たさを言葉に乗せてコボルト達の後ろから現れたのは、異形の甲冑であった。

右腕は胴体に釣り合わない程肥大化しており、逆に左腕は細く鋭く研ぎ澄まされた刃の如く。足は不安定な上半身を支えるかの様に8本分が歪に繋がっており、ただ一カ所異常性の無い胴体部には胸に剣と麦穂の紋様が描かれているのが見て取れた。

そして特筆すべきはその鎧には中身が無く、甲冑だけが生き物の様に動いている事であった。


あまりの異様にか、恐怖にか、微動だにしない村人を掻き分けて一人の男が異形の前に躍り出た。


「なんだテメ」


「口を開くな下郎」


再び鮮血が舞った。

ヤドゥラハインの身体は頭を失って地面を一層朱に染めた。


「私は、王だ。わかるか?王に不遜な口を利く無礼は命で贖って貰う。」


男達は無言で首を縦に振った、皆知識は無くとも理解していた。目の前に居るモノが、眼前の異形こそが


『魔王』


人類の大敵、勇者にしか倒す事の叶わない脅威、そして……


「エフェルメリア……なのか?」


「む?私の名がもう知れ渡って居るとはな。如何にも、私が魔王エフェルメリアだ。ヒトの分際で我が名を呼び捨てた事は、その知見に免じて許してやろう。」


口を開いたのはムペルギティスであった。彼の目にはエフェルメリアの胸の紋章が、剣を携え勇者となり旅立った妻の鎧が映っていた。


「なんで、なんで君が!勇者になったんじゃないのか!魔王を倒したらまた一緒に暮らそうって」


「不敬は許さんと判らんのか」


最後まで言い切る事は出来なかった。鈍重そうな見た目からは予想も出来ない速度で繰り出された右の巨腕が、他の男達諸共ムペルギティスの口を閉ざした。


「気色の悪い餌だ、それとも恐怖で気が狂ったか?……まぁどちらでも構わん。行け、コボルト共!さっさとこの地を私に献上しろ!」


エフェルメリアはコボルト達をけしかけるとつぶれた肉塊を一塊、本来首のある筈の場所から鎧の中に放り込み、骨を砕く音が響いた。



何度か繰り返し肉塊が無くなるとエフェルメリアは村へと歩き出した。そこに新しい領地が出来ていると信じて。

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