エピローグ

遠くの丘の頂きには古城が建ち、丘の裾野より伸び広がる地平には、広大な農地が緑の絨毯のようであった。河の水面が陽にきらめき、水車の大らかに回る田園風景を貫くように延びているのが、サルバーン街道だ。大陸の西の主要街道で、アルスター帝国五大都市の一つにも挙げられるアナハイム市にも近いこの辺りとなると、物流に支障をきたさないように、道幅は更に広く整備されたものとなる。

「アナハイムじゃ祭でもあるのかな」

 街道沿いに店を構えた旅人相手のカフェの、屋外に並べたテーブルの一つで、コーラを飲みながら往来を眺めていたマユラが、聞くでもなしにつぶやいた。

「なぜだ」

 横で、ジョッキのビールを飲んでいたファズが反応した。

「荷を満載の荷馬車が、何台も通って行ったよ」

「そんなのは日常だ。アナハイムで聖夜祭などの大きな祭のある前の日なんかには、この大きな街道だって、祭に合わせた様々な物資を積んだ荷馬車で、終日ごった返すのだぜ」

「そうなんだ。いったいどれだけの人が暮らしているの」

「見れば分かるよ」

 テーブルの上で、薄切りハムをくるくる丸めて食べていたウィルが、至極当然の答えを返す。

「エレナと別れてしょげていたが、ようやく元気が出てきたみたいだな」

 ジョッキを傾け、ぐびぐびとビールを飲んでいたダオが、プハァーと酒臭い息を吐き、人懐っこい目をマユラに向けた。

「しょげてなんてねぇよ」

 乱暴に言い返すマユラに、

「いやいやけっこう落ち込んでたぞ。もう、メシも喉を通らないって顔で、ガツガツ食ってたけどな」

 ファルコもからかう。

「朝な夕なに空を見上げちゃ、田舎芝居の二枚目よろしく、おお、愛しのエレナ、もしも余に翼があれば、白鳥の如く空を翔け、君が元へ舞い戻るのに、翼無き身の恨めしさっ、てか」

 レオンが芝居がかって言うと、どっと笑いが起こり、マユラを肴にテーブルは盛り上がった。

「言ってねぇし」

 ふくれっ面のマユラだったが、エレナとの別れが辛くなかったと言えばウソになる。

 クリオ砦を経ってから十日あまり、チームの旅も終わりに近く、拠点であるレギオンシリウスのあるアナハイム市が目と鼻の先、日暮れまでにはシリウスの館にも到着しようというあたりにまで来ていた。エレナの暮らしている村からは、もう何百キロと離れている。

 隊長夫妻をはじめとして、クリオ砦の将兵や大勢の人に見送られての出発のとき、エレナも見送りに来てくれて、マユラの頬にキスをした。チームの仲間たちから冷やかされて赤くなっているマユラに、彼女は革紐で編んだ腕輪をくれた。ミサンガといって、よそではべつの意味合いがあるみたいだが、この地域では離れ離れになった恋人たちの、再会を叶えるアイテムとされている。対になっていて、男は右手に、女は左手にしているといつか再会出来るのだそうだ。おまじないみたいなものだが、以来ずっと、マユラの右手の手首にはエレナから贈られたミサンガがあった。

「まあ、マユラが落ち込むのも無理はないさ。なにせあんな美少女にモテることなんて、この先一生無いだろうからな」

 したり顔のファズに、

「人の一生を勝手に決めるな」

 マユラが不服げに言い返す。

「まったく、のんきなもんだぜ」

 ハムを腹に収めたウィルが、羽をキラキラさせてテーブルの中央に舞い上がり、ぐるりと一同を見回す。

「堕ち者一人出しているんだぜ。ビールかっ食らって笑ってる場合かよ」

 堕ち者とは、ヴァルカンに転向した者を指す傭兵たちの隠語である。チームからヴァルカンが出たなどと大っぴらに話せるものではない。陽気に盛り上がっていたテーブルもしゅんとする。他のメンバーは別のテーブルで飲んでいて、そちらも話が弾んでいる雰囲気ではない。もっともバルドス以外は、志摩にサブリナ、カムランと飲んではしゃぐといったキャラではない。

「そんなこと言ったってよ、グレッグがいたら成敗してやるけど、この広い大陸のどこにいるか分からない者を討ち取りようもないし、奴が見つかるまで、お通夜みたいな顔をしていられないぜ」

 ファズがつまみの干し肉を口にくわえ、つまらなそうに言い返す。

 クリオ砦の兵士たちも動員して、数日グレッグの行方を追ったが、その所在をつかむことは出来なかった。

「オレが言いたいのは、油断をするなってことさ。カムランの爺さんの話じゃ、奴はチームのメンバーを恨んでいたそうだぜ。いつ、現れるか分からないぞ」

「その時には返り討ちにしてやるさ」

 ウィルの忠告に、ファズは事もなげに返す。

「もうオレたちの知っている、酒びたりのよれよれのグレッグじゃないぜ」

「けどよ、マユラに恐れをなして逃げたって聞いたけど」

「いくらなんでも、それはないだろう。どうなんだよ」

 ウィルに問われ、マユラは曖昧に首をかしげた。

「よく覚えていないんだ」

 マユラに何者かの取り憑いて、豪剣を揮ったことについては、志摩の考えでチームの全員に詳しく説明していない。当のマユラに至っては、意識を失っている間の出来事で、まったく記憶にないのだ。

「まあ、グレッグも一人前の剣士になったのなら、マユラを恐れたりはしないさ。こいつにゃさほどの恨みもないし、奴なりに情けをかけて立ち去ったってことじゃないのか」

 ファズが推量した。

「そうかもな。けど、アイツも堕ちたからにはもう戻れない。次に会うときは、情け無用で懸かってくるぜ」

「狙われるのならサブリナだろう。アイツが一番コケにして、イジってたんだから」

 レオンが迷惑そうに言う。

「奴にそんな度胸あるかよ。まずは一番弱ちぃお前たちから腕試しさ」

 ファズが、ファルコとレオンに目をやると、

「そうとも限らんぞ」

 と、ダオはにんまりとファズを見た。

「サブリナの次に、奴にきつく当たってのはお前だからな。まっ先に狙われてもおかしくないぜ」

「来るなら来いってんだ」

 ファズは強気に応えた。

「爺さんの話じゃ、カンネリのことも、かなり恨んでいたみたいだぜ」

 ウィルが言うと、

「そいつはいい」

 ファズは愉快そうに手を叩いた。

「ついでに相打ちにでもなってくれりゃ、嫌な野郎が二人同時に片付いて、万々歳ってもんだぜ」

「そうなりゃグレッグも、少しは見直してやろうってもんさ」

 カンネリなる人物は、余程人望が無いか、もしくは嫌われているらしく、テーブルは再び盛り上がった。

 マユラはしかし、そんなざわめきをよそに、ふと腰に手をやった。そこに例の錆刀はなかった。刀は志摩が預かっていて、今はチームの荷を運ぶロバの鞍の、荷物の山の中にあった。あの刀はエレナとの思い出のよすがでもあり、腰に無いのは寂しいが、師匠の言葉には逆らえない。しかし、今マユラの心に引っかかっているのは刀のことではない。さっきグレッグのことを聞かれたとき、マユラには覚えていないというしかなく、そこはまったく記憶にないのだが、グルザムの術を食らって昏睡の淵に沈む刹那が、唐突に脳裏に甦ったのだ。あの時、眠りに落ちる瞬間、慄然としたのを思い出したのである。

——ほんの一瞬だったけど、背筋が凍る程に恐ろしかった。あの時オレは、なににあんなにも怯えたのだろう。意識を失うことへの恐怖だったのか、それとも・・・何か、ゾッとするものの到来を予感したような気もするけど——

「ぼんやりしてるんじゃない、行くぞ」

 声に気がつけば全員席を立っていた。マユラも慌てて立ち上がり、ふと湧いた奇妙に考えは、意識の片隅に押しやられた。

 一行は徒歩でゆく。街道は馬車も通れば荷馬車も通り、また、徒歩の旅人も多かった。この時代、旅と言えば歩きが主流である。旅に馬車を使えるのはよほどの金持ちである。庶民にも使いやすい乗り合い馬車もあるが、州を超えて行くような長距離航路のものはない。一部の地域には、グルザム一味のような凶賊の跋扈もあり、生活圏を大きく離れた運行には、リスクがともなうのだ。

 リュックを背負い、チームの荷を山積みしたロバの手綱を任されて、最後尾を黙々とロバの手綱を取って歩くマユラだった。ロバに積まれた荷の中にはあの錆刀もあり、これなら自分が腰に差して歩いた方が、ドンキーだってその分軽くなって楽だろうにと思った。ドンキーとは、マユラが勝手につけたロバの名前で、このロバには名前が無いみたいで、他の仲間たちは単にロバとしか呼んでいない。ロバにしてみれば、刀一本分の目方などさしたる重量ではないが、腰の軽さがなんともわびしいマユラだった。

 気がつくと、チームは大きな街道を外れて枝道を進んでいた。

「近道なの」

 マユラは、ロバの背の荷物の上で寝そべっているウィルに聞いた。

「かえって遠まわりさ。だけど、西の街道から帰ってきた時には、必ず通る道だ」

「どうして」

「行けば分かる」

 しばらくして、道は緩い勾配の登り坂となり、大きな丘の裾野を巡りながらの登り坂となっていた。マユラたちだけでなく、街道を行く旅人の一二割はこちらに流れているみたいで、シャンシャンと鈴を鳴らして駆け上がっていく馬車もあった。

 さっきのカフェではサンドイッチを一つ食べただけで、あと一二時間もすれば晩飯の頃合いだが、登り坂ときたものだから、歩いていてもう腹が減ってきた。寄り道なんかしないで、さっさとアナハイムに入ってメシにしてくれないかと思うのである。

三十分も上ったであろうか、ようやく頂きにたどり着いた。そこは広々とした草原で親子連れやカップルが高台からの景色を楽しんでいた。荷物の上のウィルも不意に舞い上がり、

「来てみろよ」

 頭上から呼びかける。チームの面々も、前の方で横に並んで、物静かに眺望している様子だった。

「行けよ」

 レオンが手綱を持って促した。マユラは手綱をレオンに預けて走ると、仲間たちの横に並んで遥かに見渡せる、その景色に言葉を失った。

 見渡す地平を目地の彼方まで建物が埋め尽くしている。城があり塔が建ち、何千、いや、何万軒であろう、数え切れないほどの家々が、苔のように地表を覆いつくしている。灰色の舗装された道が縦横に延びて都市を区画し、河が煌めく線となって流れる。そして豆粒程にしか見えない人や馬車が道を行き交い、いたるところに人の姿があり、都市の喧騒の、遠い潮騒のように聞こえてるかのようだった。都市の写真や絵は見たことがあったが、かくも広大に人工物の自然を圧倒している光景は、田舎と言うよりも、むしろ辺境に近い環境に育った少年の想像を遥かに超えていて、大都会のリアルに、マユラは度肝を抜かれてしまった。

「どうだい、ダナンの丘、標高百二十メートルの高台から望むアナハイムの景色は」

 頭上からのウィルの問いかけに、

「素晴らしいよ」

 マユラは驚きをどう表現していいか分からず、月並みな言葉を口にした。

「西回りのツアーから帰ったときには、いつも、このダナンの丘に登って我が愛しのアナハイムを一望して、無事の帰還を感謝するのさ」

「ぶったまげたって顔をしているが、街に入ればもっと驚くぞ」

 とファズ。

「どれぐらいの人がいるの」

「六十万と聞いたがな」

「六十万‼」

 マユラには一万人の町でも都会に思えるのに、人口六十万の大都会は、想像の枠を超えていた。

「帝都は人口百万人だぞ」

 ダオが笑った。

 アルスター帝国の民衆は国を誇るかのように、よく「帝都は人口百万人」と口にする。マユラも聞いたことがあったが、しかしマユラにとってそれは、人がごちゃごちゃいそうな場所ぐらいのイメージでしかなかった。なにせ陸の孤島とも言うような、人口千人ほどの辺境の開拓団の町で、あまり外部との交流もなく育ったので、千人以上は想像の範囲を超えていたのだ。それが人口六十万の大都市を目の当たりにして、ようやく百万の大都市の威容をも推し量れるようになったのだ。そして、自分などヒヨッコどころか、そのヒヨッコについばまれるミミズぐらいのものだとも思った。

「オレ、今日からこの街で暮らすんだね」

 アナハイムの大市街を一望にして、奮い立てるものの如く目を輝かせる。

「都会には善悪両面あるが、悪に感化されぬように気を付けることだ」

 カムランは説教臭いことを言う。

「騎士学校じゃあるまいし、傭兵レギオンの子狼が、そう行儀良く育つかよ」

 バルドスは大らかである。

「気をつけないと、なれの果てはこんなよ」

 サブリナが、目線で男どもを指す。

「はあ、素行の悪さでは、てめぇがピカ一だろうが」

 ファズが言い返す。

「明日からはビシビシ鍛えるが、とにかくアナハイムに、そして、我らがシリウスにようこそ」

 志摩は改めてマユラを迎え、

「よろしくお願いします」

 マユラはしおらし気に一礼する。

 笑い声が上がり、帰還の感慨になごむ傭兵たちと、新たなる生活への期待に胸のふくらむ少年の和気あいあいとした一場面であった。おりから傾く日が、地面に彼らの影を長く伸ばす。が、なんと奇怪なことに、マユラの影には、あるべきはずの左手が無かった。本人は所在無げに両手をさげたり、片手を腰にあてたりしているのに、地面に伸びるマユラの影には左手が無いのである。しかもその影法師は、次第におどろおどろしく地面を黒く塗りつぶし、とてもマユラの影とも思えず、それが一瞬、笑うかにも見えたのだった。

 足元で起こっているこの怪異に気づく者はなかったが、ふと志摩が地面に目をやった。マユラの影はマユラの影そのものであり、もはやなんの怪異の跡も留めていなかったが、志摩はしばし、マユラの影に見入っていた。

「どうした」

 バルドスに声をかけられ、

「何でもない」

 志摩は首を振り、視線を向かうべき前途、アナハイム市へと転じた。

「行こう」

 一行は歩き出し、斯くてまた一個の妖雲、アナハイム市へと到るのであった。


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アサルトファング 七突兵 @miho87

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