問答無用

 グレッグは、しばらく呆然としていた。魔法陣が稼働してまばゆい光に埋まると、強烈な衝撃が彼を襲った。最初炎に包まれたかとも感じたが、すぐに熱くないことが分かった。しかし、熱と錯覚させる程の激しい衝撃で、一個一個の細胞を震わせ、細胞壁に浸潤して存在の核にまで達する程の激しい波動だった。やがて光が収まると、身体を襲っていた衝撃も消えて、グレッグはひどく疲弊した心地となった。期待したような力のみなぎりはなく、やはり生まれ変わることなど出来ぬのだと失望しかけたが、不意に強い鼓動とともに、胸の奥から泉の如く溢れ出るみずみずしいものが、全身の細胞に浸みわたっていった。全身が刷新されたと思った。あやふやだった感覚がクリアになり、何年ぶりかの、そう、酒浸りとなる前の戦士としての皮膚感覚が蘇った。

——これだ——

 身体を動かすと鋼のような逞しさを感じて、失っていたものをすっかり取り戻したと悟った。

——生まれ変わったのだ——

 歓喜とともに呆然たる状態から脱却したグレッグは、やがて、数十メートル離れた場所で演じられている一幕に目を止めた。やがてその表情は怪しむ色となるのだった。

半眼を開き、右手の錆刀をだらり下げたマユラは、虚ろな表情であった。

「まだ寝ぼけ面だな、目を覚まさせてやるぜ」

 一人のヴァルカンが、マユラに向かって歩いた」

「剣でバッサリやられたら、寝ぼけまなこもいっぺんに覚めるぜ」

 笑いながら片手の剣を振り上げる。

「マユラ、しっかりして」

 後ろのエレナが声を掛けるが無反応で、声が届いていないかのようであった。

「心配するな、殺しはしない。ちょっと切り刻むだけだ。ないせこいつはたっぷり苦しませて殺すとの、グルザム様のご意向だからな。じわりじわりとなぶり殺しにしてやるのさ」

「美しくないね」

 不意にマユラが口を開いた。半眼だった目も見開かれている。

「なんだと」

「手間ひまかけて切り刻むなんざ、いかにも変態野郎の悪趣味さ。野暮ったくて見られたもんじゃないぜ」

「ほざきやがれ、これからきさまを、その悪趣味で料理してやろうというのだぞ」

 怒りも露わに詰め寄るヴァルカンに、

「そいつはいただけない」

 マユラはおどけた様子で肩をすくめた。

「俺を料理するというのなら、せめてこれぐらいの腕は備えていてくれよ」

 マユラは駿足を放つとともに、右手の刀を縦に大きく一旋させた。

「あっ」

 ヴァルカンは、五六メートルの距離を一瞬にして縮めるマユラの駿足に意表を突かれて、反応ができなかった。

 マユラの刀は大きく弧を描いてヴァルカンの頭上に落ち、寸前でピタリと、止まらなかった。ヴァルカンの頭部を数センチ食い込んで、しかし血が噴き出ることもない。ヴァルカンは金縛りにあったかのように身体を硬直させている。すぐさま仲間のヴァルカンたちが助けようとしたが、

「大人しくしてろ」

 マユラが、少年とも思えぬ威圧轟く声で制した。

「よそでは滅多に見られない芸当を披露してやっているんだぜ、じっくり拝んどけよ」

 マユラの刀は、ヴァルカンの身体の中をゆっくり落ちていく。人体を豆腐でも切るように、滑らかにゆっくりと割ってゆくのである。ヴァルカンは、自分の眉間を割り鼻筋を下ってゆく錆刀を、寄り目となって見送った。痛みもなく血も流れないが、冷たい分断の線が体内に引かれてゆく感覚に、硬直状態にありながらも、戦慄を禁じ得ないのであった。

 グルザムは、その蛇眼の不可解なまなざしのまま、油断なく事の推移を見ていた。

——なぜ奴に、あんなことができるのだ——

 グレッグは、離れた場所にありながらも、マユラの太刀筋の絶妙なるを見取っていた。人体をナメクジの這うにも似た緩慢さで断ち切る。これだけでもそこいらの達人レベルに為せる技ではない。しかも、切ったはしから切り口がピタッとくっついて一滴の血も流さないとは、どれほどの域の技か、師匠の志摩にも為せるとも思えぬ。

「マユラ・・・」

 エレナが、恐々声を掛ける。

「しっ、微妙な加減なんだぜ」

 マユラは夢中になっている子供のように太刀行きに集中して、無邪気なまでの残酷さで悦にいる。

 カムランは怪しみながらも、今はとにかくこの窮地を脱するのが第一で、機会を逃さぬように、慎重なまなざしで状況を観察するのである。

「終わったぜ」

 マユラの錆刀は緩慢に、しかし淀みなくヴァルカンの身体を通り抜けたのであった。身体を真っ二つにされているはずのヴァルカンは、切られたという様子もないままに立ち尽くしていた。

「ボスの所へ行けよ」

 マユラに言われて、ヴァルカンは呆けた様子で振り向き、のろのろとグルザムの元へと歩き出す。有りえぬ光景に、マユラ以外のその場にあった者たち皆、固唾を吞むかのような緊張があった。

 マユラはヴァルカンの後ろ姿を見ながら、一振りして手元も見ずに右腕だけで切っ先を鯉口へと導き、スルスルと刀が鞘に納まる鮮やかな手並み。納刀の瞬間、ビイィィィンと甲高く鐔鳴りの響いて、ヴァルカンの動きが止まった。プツプツプツ、細かな赤い泡が、身体の中心を線を引くように吹いて、次の瞬間、ヴァルカンの身体が左右に分かれた。二つのものとなって両側に倒れたそれは、人体の縦割の解剖模型のような、奇怪にして鮮やか断面を晒していた。

「どうだい、これぞ剣と血のアートさ」

 会心の手並みを自賛するマユラに、

「マユラ」

 まるで、彼がマユラであることを祈るような、エレナの声であった。

「んっ」

 振り返ったマユラの顔が、獲物を前にした獣のような獰猛な表情となって、エレナを慄然とさせた。ガルルッと歯を剥くような形相は今にも噛みつきそうであって、しかし内面に葛藤するもののあるかのように逡巡して、次の瞬間、マユラは飛鳥の如く跳んだ。

 ヴァルカンどもが一斉に襲いかかってきたのだ。

 修道士の服をまといながらも、顔に邪教徒ヴァルカンの証の邪紋も露わな連中の、エアで跳ねる駿足の刃が殺到する。マユラは敵中に身を躍らせ、十数メートルを秒余で迫る敵刃に対して、先ほどゆっくりと人体を断ち切った錆刀が、次は一転音速に霞む。バシュ、厚味のある斬撃音が響いて、二つの物体が石畳の床に転がった。腰のあたりで両断されたヴァルカンの死体だった。

 ヴァルカンは数を頼んで襲いかかるが、マユラの断然の太刀に次々五体を断ち切られる。戦いと呼ぶのをためらわせるほどの一方的な自滅の舞い、それほどまでに圧倒的な技量の差であった。一刀にて五体を断ち切らねば済まさぬ凄絶なる刀勢に、手足が飛び、胴が分かれ、ぶちまける血ももの凄い。

——あれじゃ百人いたって案山子と同じだ——

 グレッグは、魔法陣に佇み戦いの様子を見ていた。

 どれほどの間もなく、八人のヴァルカンが屍となり、残った一人が恐怖に駆られて逃げ出そうとするのを、背中に一太刀浴びせて仕留めた。

「きさま、何者だ」

 手下どもを倒され、一人残ったグルザムが質す。

「てめぇが八つ裂きにすると息巻いていたガキさ。今になってビビったかい」

「ふざけるな! 今のが小僧に出来る技か、いかなるもののけがとり憑いたか」

「長虫野郎が、人をもののけ呼ばわりかよ」

 マユラは笑った。

「黙れ。いずれ魍魎の類のとり憑いたのであろうが、わしは、そのような手合を払う術を心得おる」

 グルザムは右手を高くあげて、早口に呪文を唱えた。術を発動させるトリガーの呪文で、右手が青白く光った瞬間、バリバリと稲妻がマユラを撃った。極めてクイックな術の発動で、術構築を省けたのは、その身に飼っている蛇どもが、魔道アイテム的な役割を果たしたからである。

 グルザムの放った稲妻は、範囲を絞った高威力の単体直撃タイプで、まともに食らえば生身の人間には致命傷のダメージだが、瞬間、マユラは刀を一振りして、直撃する稲妻を切った。青白い光が炸裂して、電撃に焼かれているはずのマユラが、何事もなく立っているのに、グルザムは驚愕した。

「なぜだ。あれだけの稲妻を、おまえのようなガキが、耐えられるはずないものを」

「心の一文字」

 マユラはなんということもない顔で答えた。

「サムライ刀法による術効果無効スキル。タイミングはシビアだが、決まればインフェルノ級の火炎魔道を食らっても、髪の毛一本焦がすもんじゃない」

——心の一文字か——

 エレナとイオの姉弟と共に、事のなりゆきを見守っていたカムランがつぶやいた。

 カムランも、以前に志摩がこの技を使うのを見たことがある。だが、志摩においても心の一文字は高難度スキルで、術効果を避けられないときの、一か八かの緊急手段として使用していたのだ。入門してまだ日の浅いマユラが、あっさりものに出来る程度の技ではないし、そもそも初歩段階のマユラが、教わっているはずはないのだ。

「グレッグ殿、早々に、生まれ変わった御身の腕を、試す機会がまいりましたぞ」

 グルザムの呼びかけに、グレッグはブレイヴ体となって駆けてきた。その顔には、くっきりと邪紋が表れていた。

「マユラ、おまえ、いつの間に師匠を追い越した。今のお前なら志摩だって斬れるであろう」

「どうかな。だが、アンタを斬るほうがずっと簡単そうだ」

「なめるな、俺は、今までの俺ではない」「顔にワッペン貼って、強くなったつもりかい」

「悪たれ口の続きは地獄でたれろ」

 グレッグは抜き打った。これまで剣を抜いたところを見たことがないので、以前のへタレ具合はわからないが、この抜き打ちは標準以上、手練れと呼べるレベルであった。

 マユラは素早い動きで躱し、たて続けの切りつけを刀で払う。

——こいつ、ストリームタイプじゃないのかよ。ていうか、ブレイヴ体になっていないぞ——

 グレッグは今さらながらに気づいて驚いた。マユラは普通体のまま、スプリントタイプのような駿足を駆使しているが、もちろん普通の人間に出来ることではない。

——いったいどうなっている。こいつに、どんなバケモノがとり憑いたと言うのだ——

 しかもマユラは左手をまったく使わない。まるで左手が無いかのように、右腕一本で扱う刀で、グレッグの剣と渡り合うのだ。

「なめやがって。この俺を甘く見た代償は、腕一本では済まさぬぞ」

 グレッグは、久しぶりの躍動感に夢中になっていた。感覚は冴えて反応は速く、四肢は力強い。失った以上のものを得たのかもしれない。長らく渇望し、ようやく得た金剛力に心は高ぶり、マユラの正体不明のバケモノじみた力など、恐れるに足らぬという気概だった。しかし、また掛け値なしの恐怖というものを、程なく思い知る事となるのだ。

 グレッグは、自分の激しい打ち込みに、右腕一本のマユラはタジタジとなっていると思い込んでいたが、そのマユラの顔に笑みが浮かんだ。

「そこそこ使うね。じゃあコレ、しのげるかな」

——なに——

 突如それは来た。グレッグの目には、マユラの剣身一体雷光に変じたかのように見えた。そして須臾の間、自分がどう反応したのか、グレッグの意識にはなかった。おそらく意識して反応していたら、命はなかったであろう。五手一組の仕留め太刀で、マユラはそれを一秒足らずの間に電光の太刀行きで仕掛けてきたのだ。一刀人体を断つ威力をはらんだ電光の斬撃の、一秒に五度降りかかってしのぎきった。リアクションだけでは防ぎきれず、読みを入れて(相手の次の太刀筋、次の次の太刀筋を予測すること)初めてしのげる業前だった。練達の剣士の勘は、意識よりも先に敵の剣を読むのである。しかし、これはヴァルカンとなったことの恩恵と幸運が、たまたまかみ合っただけであり、もう一度やれる自信は、グレッグにはない。マユラであってマユラでないこの相手は、間違いなく、これまでの最強の敵の、数段上の実力を持つ、いや、別次元の強さと言ってもいい。さっきまであった生まれ変わった高揚感は、サウナで温まった体に、いきなり冷水を浴びせられたみたいに、いっぺん冷めて跡形もない。

「よくしのげたね。次はもう少し難しいの、いくよ」

 激烈なる秒余の剣戟の一幕の後、距離を取って向かい合う、いまはマユラとしか言いようのない相手の、少年らしからぬ冷笑を見せて迫るのに、グレッグはもう、沽券も体面もない。

——グレッグ殿——

グルザムの声が、いきなり脳裏に響く。魔道による遠隔話法、声を使わずに、離れた相手に意思を伝えるスキルだ。ただし、グレッグにはこのスキルが無いから聞く一方になるのだが。

——私が、魔道で加勢します。二人で小僧を仕留めましょう——

「ごめんこうむる」

 グレッグは言い放った。

——なっ、なんですと——

「おぬしの魔道は、さっき通用しなかったではないか。そんなものに命を預けられるか」

「待たれよ」

 驚いたグルザムは、声に出して言った。

「私はあなたのヴァルカンへの導き手。あなたの導師なのですぞ」

「それがどうした」

「いや、あなた、そんなミもふフタもないシャレを言われても」

「黙れ。せっかく一大決心をしてヴァルカンに生まれ変わりながら、なにをするでもなく、すぐにこんなところで死んでしまっては、それこそシャレにならん。ゆえに、これにて退散致す。悪く思うな」

 グレッグはそれだけ言うと、一秒も置くものではない。ブレイヴ全開にエアを蹴って突っ走った。それこそ矢のようなスピードで出口へと遁走して、途中エレナたちの横を通り過ぎたが、手を出すでもなく、ただこの場より遠ざかりたい一心で出口より飛び出し、夜の中をいずこへか去って行った。

「臆病者めが」

 置き去りにされたグルザムは、蛇顔に憎悪を刷く。

「負け犬を虎に生まれ変わらせても、負け犬根性はそのままなのさ」

したり顔のマユラの目が、グルザムを笑う。

「海千山千のウワバミも、遂に年貢の納め時だな」

——・・・・——

 グルザムは必死に考えを巡らせた。もちろんいまはマユラをただの小僧とは思っていない。どんな事情かは分からないが、とんでもないバケモノになりおおせていて、どうにも自分では分の悪い相手だということは理解している。この建物内にいた手下たちは全員やられた。他にも五六名の手下たちが、まだここの異変を知らずに、神殿内の各所にいるが、遠隔話法で集めたとしても役に立ちそうにない。逃れる手だても見えず、悪らつの蛇人も、さすがに窮したるかであったが、

「アイツ、もう」

 意味不明のつぶやきとともに、マユラがよろめいた。

「マユラ」

 エレナたちが駆け寄る。

「エレナ」

 ふらつく体をエレナに支えられて、彼女に向けたマユラの顔は寝起きの表情だった。

「マユラくん、大丈夫かね」

 カムランも心配そうに声をかける。

「カムランさん。なんともありません」

 マユラはふらつく体を立て直した。そして、エレナの弟のイオの無事な姿も確認する。

「や、キミも無事でよかった」

「お兄さん、すごく強いんだね」

 イオは興奮の表情だった。

「それほどでもないけど」

 照れくさそうにするマユラだったが、その視野にグルザムの姿を認めて険しい表情となり、また、ヴァルカンどもの死体の転がるあたりの惨状にも気づいて、驚きに目を瞠った。

「コレって?」

「お兄さんが、自分でやったんじゃない」

「ええっ!オレが」

 マユラは身に覚えのない所業に、エレナとカムランを見るが、二人の顔もそれを否定せず、また、いつの間にか返り血を浴びている自分の有り様にも気づいた。

「オレ、人を殺したの」

 これがしっかりと意識のある状態での、命懸けの戦いの末の惨状なら、マユラも傭兵を志す者、それほどに衝撃を受けなかったであろう。しかし意識のない間に、たとえそれが悪人だとしても、何人もの人間を手にかけていて、その事実を知らされたら、何せまだ十代半ばの少年であり、それはショックだった。

「グルザムの術で意識を失ったキミの体に、英雄の霊の宿って我らを助けたのだ。その奇跡がなければ、私たちは死んでいる」

 カムランの言葉は、動揺したマユラの心を立ち直らせた。またしてもこの刀に宿る英雄の霊に助けられたのだと解釈した。英霊がこの身に宿って為したる仕業ならば恐れることもなし。マユラは感謝するように錆だらけの愛刀を拝した。

「君が意識を取り戻したからには、自分の力で倒すしかないぞ」

「はい」

 マユラはグルザムへと敵意の視線を射る。

「マユラお願い、アイツを殺して」

 とてもエレナの口から出たとは思えない、殺伐の言葉だった。

「どんなに強くても、何かの取り憑いていたようなあなたには、頼む気はしなかった。本物のマユラにこそ頼みたいの。アイツを、成敗して」

「承知した」

 マユラは快諾した。

「きっと討ち取ってみせる」

「お兄さん。父さんと母さんが捕まっているんだ。アイツをやっつけて、二人を助けてよ」

 イオの言葉に、彼がまだ両親の死を知らないのだと知って、エレナは弟の肩を抱き、カムランは痛ましそうな表情となった。

「マユラくん、奴は私が遠隔話法を使えることを知らないかもしれない。奴めはグレッグと共闘しようとしたが、それはグレッグの腰砕けでならなかった。今度は私とキミが組んで、奴めを出し抜いてやろう。まだ一つ、結び目が残っている」

「けど、アイツに魔道は効かないのでは」

「確かに、厚い対魔防御を備えているが、最後の結び目の術は、あのタイプの敵には相性の良いものだ。大きなダメージは与えられなくとも、キミの切り込みのチャンスぐらいは作れるかもしれぬ」

「だったらもう、勝ったも同然だね」

「その意気だ。ただしあなどれぬ敵だ。油断するなよ」

 マユラはブレイヴ体になった。足元に形成するストリームに二十センチばかり浮く。グルザムを見据え、両手で持つ刀は斜め青眼、しばしの凪の後、ストリームを噴かす。

 グルザムは全身から、もやもやと黒いガスを湧き出させた。黒いガスに身を包むその姿は、雑木林でエレナを襲った怪物であった。ハヤブサの如く、ストリームを駆って襲い懸かるが、シュッ、黒いガスの中から蛇が飛び出して噛みつきかかる。それは予測していて難なく躱すマユラだったが、シュッ、シュッ、シュッ、シュッ、次々と蛇は現れ、鞭のごとく身をしならせて噛みつきかかる。マユラは、次々と来る蛇の牙を逃れ、一旦グルザムから離れる。

 八匹ばかりの蛇が、グルザムを包む黒いガスの中から現れ出て、タコの触手のごとくうねうねと宙に身を泳がせている。

「蛇は三匹じゃなかったのかよ」

「グフフフ、もう一匹いるぞ」

 黒いガスに包まれた体の真ん中あたりから、ひときわ大きな蛇が現れた。他の蛇は、長さは三四メートルあっても、太さは青大将ぐらいのものだが、胴体の真ん中あたりから、ぬうっと伸び出たそいつは、ニシキヘビぐらいの太さがあった。

「うわぁぁ」

 マユラは奇怪さにタジタジとなって遠ざかる。

「どうなってるんだよ、コイツの体」

 生来蛇は好きではなく、いささか腰の引け気味のマユラに、

——飛び道具に気を付けろ。嚙みつくだけでなく、術も来るぞ——

「ご忠告ありがとう」

 マユラは一人ごち、ストリームを全開に翔ぶ。

 直後に胴のニシキヘビの口から火炎が吐き出されて、半秒前までマユラがいたあたりの空気を焦がした。食らっていたらローストビーフだ。いや、マユラぐらいの瘦せっぽちなら、大食いの蛇野郎にはローストチキン程度か。

 忠告も早々の火炎魔道を間一髪かわしたマユラは、火炎の熱気を肌に感じながらも、心中冷や汗のにじむ思いだった。蛇の目に炎の色が映ったのでとっさに翔んだが、微妙な変化で、カムランの忠告がなかったら、気づいてなかったかもしれない。

——マユラ君、無事にかわしたようだね——

 脳裏にカムランの遠話が飛び込んできた。マユラは遠隔話法のスキルがないから聞く一方である。

——今の火炎は心の一文字でも無効化出来ない。体内で術を発動して、既にリアルとなった炎を吐き出しているのだ。普通の人間に出来る芸当ではない。自分の作り出した炎で、体内を焼くことになるからね。きっとキミの心の一文字を警戒しての事だろう——

 心の一文字と言われても、そのあたりの記憶のさっぱりないマユラには、意味不明の単語だが、どうせ聞き返すこともできないのでスルーする。

——しかし、これは好都合なことだ——

 カムランの声は脳裏に流れる。マユラは、黒いガスの塊からニョキニョキと蛇の生える、メデューサの首状態になったグルザムの周りを、ストリームで流しながらこれを聞く。

——対魔防御は常に一定ではなく、状態によって強弱の変化が起きる。何の負荷もかかっていない状態を百とすると、プロテクトなどの対魔防御力強化の術を被っている状態がプラス五十、術構築に入ればマイナス二十という具合だ。そして術を発動する直前が対魔防御は最も弱くなる。そこでだ、グルザムにもう一度さっきの術を使わせてくれ。その時重要なのが奴をこちらに向けること、つまり、奴を私の射線に入れるのだ。奴を警戒させないためにも、私は動かないほうがいいと思うのだ。ここでおとなしくおびえていながら、一発必中の時を待っているよ。そしてもう一つ重要なのが、キミが素早く射線から外れることだ。術を放つ直前に遠話で知らせるが、ある。程度の範囲に効果の及ぶ術なので、五六メートルは跳んで欲しい。以上がこちらの作戦だ。武運のあらんことを——

 カムランからの遠話は途切れた。

 つまりはグルザムに、胴から出たニシキヘビが火炎を吐くように仕向けながら、カムランの爺さんの射線に入るように誘導して、奴が術を放つ直前に跳んで射線を離れて、後は爺さんの一発必中を祈るのみというわけだ。火炎を吐かせるのは、どうせグルザムは、オレを丸焼きにせずにはおかぬつもりだから、放っておいても向こうから吐く。だが、方向とかタイミングをドンピシャ決めるのは難しそうだ。しかし、やるしかないと腹をくくるマユラだった。

 グルザムは、マユラに突然現れた鬼神の気が消えたのを感じて安堵した。ゆっくりとなぶり殺しにするつもりが、いきなり鬼神の気をまとったマユラに手下どもを殺され、正直焦った。しかし、どうやらその鬼神の気も、失せた様子。ただのガキならば、ストリームを駆るのが少々わずらわしいが、自分がが負けるはずはないと思うのだった。もっとも、いつまた鬼神の気がとり憑くかもしれず、早めに始末するに限る。老魔導師はその後で片付けて、エレナは最後にじっくりと味わっていただく。弟は、ベイロードに預けてあるヴァルムどもへの手土産にしてもよい、などと考えるのだった。

 ストリームの機動力を駆使してグルザムに挑むマユラだったが、黒いガスに包まれた体のあちこちから蛇の生え出る、蛇団子みたいな相手は戦い難かった。何匹もの蛇が鞭みたいに襲って来るし、切り払おうとすると、これがワイヤーみたいに硬い。攻め手を欠いたマユラに、グルザムは、蛇の飛燕を飲み込もうとするがごとく迫って来る。

——小僧、美味そうに焼けてくれよ——

 黒いガスの下でグルザムはほくそ笑み、腹から出るニシキヘビが首を伸ばす。火炎系の術を体内で発動させた熱気が、蛇の喉に溜まる。炎を吐き出そうとする直前、正面にいたマユラが、ストリームを目いっぱいに噴かせて跳んだ。

——ちょこまか跳んだところで、この炎から逃れは!——

 グルザムは魔道の術波動を感じた。クイックな発動はアイテムによるものか。そういえば、以前に老魔導師が、同様のクイック発動で術を放ってきたことを思い出したが、対魔防御で造作もなく弾いたのだった。性懲りもなくと、たかをくくっていたグルザムだったが、痛烈な衝撃に体が震えた。術を吐き出す直前で対魔防御が下がっていたところに、この術は‼

 直前に、カムランの遠話での合図を受けて、グルザムの前から飛んだマユラだったが、五六メートル離れていたにも関わらず、足に凍るかと思うほどの冷気がきて、靴には霜がおりた。

 カムランの放ったのは冷気魔道の術だった。グルザムは火炎系の術を発動していて、ちょっと考えると術効果が相殺されるように思えるが、術を発動中で対魔防御が下がっているところに、正反対の属性の術でぐさりとやられると、溶岩に水をかけると、急激な冷却の衝撃で岩が割れるように、術同士の反発が、衝撃となって術者を襲うのである。

 グルザムは冷気ではなく、術同士の反発による衝撃で体が痺れ、うねうねと動いていた蛇どもも、力なくしおれていた。

——いまだ、マユラくん——

 カムランが遠話で叫ぶが、それを待つまでもない。マユラは既にストリームで反転、足は雪に埋まっているみたいに冷たかったが、かまわず刀を大上段に振りかぶる。ストリームの速度を緩めず、渾身の力とブレイヴの波動を刀身に載せて、躍動する少年の全エネルギーが、鋭利の一断に集約されて振り下ろされる。

「ウギャァァ」

 グルザムが悲鳴をあげる。

 マユラの一刀は、グルザムの胴から生えていたニシキヘビを、ズバッと切り落とした。体が麻痺して硬化が緩んでいたこともあるが、力とスピードと波動が、打ち込みの瞬間にピタッと一致した会心の一刀であった。

グルザムは苦痛にのけぞり、しおれていた蛇どもが一斉に首をもたげたが、マユラは構わずストリームで飛び込み、草を刈り払うように、一匹残らず薙ぎ落とした。

 その身に飼っていた全ての蛇を切り落とされて、グルザムはのたうちまわった。体を覆っていた黒いガスが消えて、現れたのは皺だらけの皮膚に、ボツボツと黒い斑点の染みとなった、醜怪な老人の姿だった。

「やい、化け物ジジイ、覚悟しやがれ」

 マユラが刀を突きつけると、床にのたうちまわっていたグルザムは、恨みのこもった目で見上げた。

「おのれ、よくも我が蛇たちを」

 恨みの声を上げるが、どうにも衰弱しきった様子で、術の一つも放つ気力もないようだ。

「よくもだと、そいつはこっちのセリフだぜ。よくもエレナの両親を」

「そこまでだ、小僧」

 いきなりの声に振り返ると、四人ほどのヴァルカンが、エレナたちを取り囲んで、剣を突きつけていた。

「剣を捨てて老師から離れろ、さもなくば、この者たちが死ぬことになる」

 残りの手下どもを、グルザムが遠隔話法で呼び寄せたのだ。

「クソッ」

「意地を張るな、お前には。あの者たちを見殺しにできぬ」

 グルザムは、形勢逆転に安堵して、よろよろと立ち上がりながら、遠隔話法でカムランを殺せと命じた。厄介な魔導師は、早めに取り除いておくのが何よりと考えたのだ。

 ヴァルカンはさりげなく剣をカムランに向け、刺し殺すつもりだったが、

「うちの爺さんをどうするつもりさ」

 不意の声に振り向くと、若い黒人女性の姿がそこにあった。黒いアンダーウェアに革のベストを重ね、革パンツにブーツ、腕や膝に防刃プロテクターを装着した軽捷堅固の身ごしらえのスレンダーボディーは、獰猛なる佇まいにて、左右の腰のホルスターに落とし差した一対のショートソードが、いかにも武骨であった。

「なんだ、てめぇは」

「おじいちゃん思いの孫娘ってところかしら。けなげさに免じて、さっさと退散してくれない」

 けなげと言うよりも、むしろふてぶてしげなサブリナである。

「この剣が目に入らないのか、イカレたアマめが」

「ヴァルカンの修道士なんて、とびきりイカレたアンタらに、言われたくないんだけど」

「なんだと」

「四の五の言ってないで失せなさいよ」

 サブリナはまだブレイヴ体にもなってなく、殺気立つヴァルカンどもに対して落ち着いた表情だったが、

「言う通りにしないと、死ぬわよ」

 褐色の口もとが、死の呪文のように告げた。

「ふざけ・・・」

 サブリナはブレイヴ体になると同瞬、エアを蹴って黒き疾風と化す。カムランを刺し殺そうとしていたヴァルカンは剣を握ったままの腕が落ちているのを見たが、それが自分の腕だと気づくのに須臾の間あった。

 双剣の旋風が吹きすさび、骨肉を断つ音と悲鳴、そして噴きあがる血しぶきの、ゾッとするような修羅の騒然に、弟の肩を抱いて目を閉じるエレナであったが、カムランは驚くでもなく、相変わらずの冴えた手並みに、感心の面持ちだった。

 ヴァルカンどもはなにをする間もなく三人が倒され、残った一人はとっさにエアで跳ねて逃げ出そうとしたが、前に現れた屈強の戦士の槍に、突き伏せられた。

「爺さん、無事だったかい」

「おお、バルドス殿」

 そしてバルドスの後ろから、大小を腰に差した偉丈夫も現れた。

「戻ったら砦にいなかったので心配したが」

「申し訳ない。つい、マユラくんの様子が気になっての」

「いいさ、どうやらそれが正解のようだったからな」

 志摩はそして、刀を構えるマユラと、その切っ先を前に、身動きのとれぬ様子のローラン司祭、ではなくて、今まで司祭に化けていた、賊の首領グルザムに目を向けた。

「いよいよ最期だな化け物ジジイ。こうなったら天地がひっくり返らないかぎり、お前の勝ち目はないぜ」

 チームの面々の駆けつけて、万人の味方を得たよりも心強いマユラであった。

「どうも、そのようだな」

「観念したか」

「ああ、観念した。ゆえに、その物騒な物を鞘に納めよ」

「なんだと」

「力の源泉たる、身に飼っていた蛇どもを全て切られてしまい、いまのわしは、ただのしおれた爺よ。術一つ使えづ、おぬしをたぶらかすことも出来ぬ。ゆえに、そんな物で脅す必要もないのだ」

「脅すのではなく、斬るつもりだけど」

「斬ってどうするね」

「どうもしないけど、とにかくアンタは、今までに犯してきた悪事の報いを受けなくちゃならないのさ」

「悪事の報いね」

 グルザムは幼稚な理屈を揶揄するような顔で、たぶらかすことも出来ぬなどとのたまっていたが、さっそく舌先三寸、マユラをたぶらかしにかかっていた。

「君にはまだ、世の中の道理というものが分かっていない。いいかね、因果応報などという俗な理屈では、世の中の、真の道理というものは測れないのだ」

「マユラ」

 エレナが叫んだ。

「そいつを斬って、父さんと母さんの仇を討って」

「父さんと母さんの仇ってなんだよ」

 両親の死をまだ知らないイオは、姉に問うが、エレナは固い表情のまま、マユラに決意の視線を送るのみであった。

「承知」

 マユラは大音声で応え、グルザムに向ける、その眼は据わっていた。

「まっ、待て。わしは、もはや何の力も無い哀れな年寄りだ。無抵抗の老人を、君は斬るというのかね」

 そう出られると、マユラもちょっと気が引ける。

「マユラ」

 志摩の声が飛んだ。

「サムライはそのようなとき、問答無用、と言うのだ」

「問答無用」

 マユラはその言葉を口にすると、感情的だった意志が、固い芯を持つように感じられた。

「止せ、早まるな」

 マユラの眼に危険なものを感じ、うろたえるグルザムに、

「グルザムよ、おぬしも賊の首領として悪名を馳せたほどの者ならば、せめて往生際は潔く致せ」

 断ずるがごとき志摩の言葉であった。

「嫌だ。わしはまだ、死ぬわけにはゆかぬのだ」

「エレナの両親を平然と殺し、更に、本物の司祭様をはじめとして、多くの人々の命を、イタチがニワトリを餌食とするみたいに食らってきたお前が、死ぬのは嫌だとは、身勝手すぎるぞ」

 マユラは憤り、全身より湧き出る陽炎のようなブレイヴの波動を、ひときわ激しく燃え上がらせ、ストリームを流してグルザムに詰め寄る。

「まっ、待て。わしの話を・・・」

 逃れるように後ずさり、両手を前に出して、尚も命乞いの弁舌を繰るグルザムに、

「問答無用!」

 遮断するが如き烈声を放ち、大上段に振りかぶった大刀を、グルザムめがけて、渾身の気合いで振り下ろした。

「ウギャァ」

 グルザムは悲鳴をあげ、マユラの一刀は、グルザムの体を割るとともに、四五メートルもはじき飛ばした。

 グルザムは、そのまま倒れるかに見えて、何とか体勢を立て直して立ち尽くす。どうにかこの世の土俵際に踏みとどまっているという感じだが、マユラの一刀は、グルザムの頭蓋からへそ下まで、背骨を割りこむ程に深々斬り下していて、とても、あと幾ばくとてもつものではない。

「げふっ・・カ・・・さ・ま・お・ゆ・・し・を」

 とめどなく血を吐きつつも、途切れ途切れに今わの際の言葉を口にして、やがてこみ上げてくるどす黒い血を大量にぶちまけるとついに倒れた。悪行三昧の怪人も、自らの血の海に沈む最期となったのである。

「見事であった」

 志摩が来た時、マユラは震えていた。初めて人を斬ったのである。グルザムのような化け物じみた怪人でも、人であるのに変わりはない、人の言葉を使い、人並みの知性を持っていたのだから。

 志摩が手を添えてやると、マユラの震えはおさまり、どうにか刀を鞘に納め、それと同時にブレイヴは消えて普通体となった。

「落ち着いたか」

「はい。無抵抗の者を斬ってしまいました」

「よいのだ。斬るべきは断固として斬る。それが、サムライが討つ、ということなのだ」

「マユラ」

 キララと羽ばたいて来たのは、フェアリーのウィルだった。

「やったな」

「うん」

「まったく、どこか抜けているようで、何か持っている奴だぜ」

「抜けているは余計だろ」

「それにしても、こんな化け物が、司祭になりすましていたとはね」

 ウィルは羽ばたいたまま、グルザムの死体をちらりと見やって顔をしかめた。

「それじゃあ、僕が最初に感じた蛇の気配は、司祭様に化けていた、この化け物爺さんだったんだね」

「きっと、キミが極上スイーツに見えて、喉を鳴らしてたんだろうぜ」

「ゾッとしないぜ」

 ウィルは肩をすくめるしぐさをした。

「マユラ」

 エレナが弟の手を引いてやって来た。両親の死を知ったばかりのイオの顔は涙に濡れていた。

「ありがとう」

「君たちの両親を助けられなかった」

「あなたは勇敢に戦ってくれたわ」

「お兄ちゃん、ありがとう」

 弟のイオも、涙に汚れた顔に笑みを見せた。

「礼なんて、いいさ」

 二人の気持ちを察すると、いたたまれず、不器用げにはにかむマユラだった。

「やあ!」

 頭上から声を掛けるウィルを、姉弟は一瞬悲しみも忘れ、不思議な顔で見上げた。フェアリーは希少種族であり、そうそうお目にかかれるものではなく、田舎の子供などは、絵本の中でしか知らないのだ。

「ウィルって言うんだ」

「エレナです」

 エレナはきちんとあいさつをするが、

「フェアリーだよお姉ちゃん、フェアリーって本当にいたんだよ」

 イオは目を輝かせてはしゃいだ。

「ウィルはチームの先輩なんだ」

「それじゃあ呼び捨ては失礼でしょう」

「いいさ、体は小さいが心は大きいのがフェアリーだ。小さなことにはこだわらないのさ。君たち、悲しいことがあったみたいだけど、オレなんかでなぐさめになるのなら、相手してやるぜ」

 ウィルは舞い降りてきて、エレナの差し出す手に腰かけた。

「軽いわ」

「ダイエットしているのさ。重けりゃ飛ぶのも一苦労だからね」

 ウィルは言ったが、マユラの知る限り、このフェアリーは、食べたいだけ食べているはずだった。

 イオは触れようと、そっと手を伸ばす。

「おいおい、乱暴はダメだぜ」

「うん、友達になってくれる」

「いいとも」

 ウィルはひとっつ飛びして、イオの肩に腰かけた。

「これでオレたちは友達さ」

「ボク、イオって言うんだ」

「イオか、強そうな名前じゃないか。強い男になって、姉さんを守るんだぜ」

「うん、マユラ兄ちゃんみたいな、強い男になるんだ」

「マユラか。クソ度胸はあるけど、ケツにカラのついたひよっこさ」

「そんなことないよ、一人で何人もの悪者をやっつけたんだもの。背は低くても強さは本物だよ」

 ひと言余計だろと、苦笑いのマユラだった。

「本当かよ」

 ウィルの問いに、グルザムを倒した以外はまったく記憶になく、曖昧に笑って済ませるマユラだった。

 志摩はマユラたちから離れて、転がる死体を検分して歩いた。どの死体も目を瞠るほどに見事な切り口だった。人間の体が、ニンジンや大根みたいに二つにされていたが、そこに骨肉断ち切る凄絶な刀勢の跡はなく、まるで人体を断つなど、ダイコンやニンジンを切るのとさして変わらぬとでも言うような、実にさっぱりとして事も無げな切り口は、志摩をもゾッとさせるほどの業前であった。

 バルドスとサブリナも、転がる死体を見て回って怪訝の表情だった。

「アンタ以外にも、こんなことができる者がいるとはな」

 舌を巻くげなバルドスに、

「さて、俺に出来るかどうか」

 謙遜でもない志摩であった。

「で、傭兵業界じゃそれと知られた使い手の、志摩ハワードもシャッポを脱ぐほどの達人はどこ?」

 サブリナの問いに、

「マユラくんだよ」

 カムランが答えた。

「爺さん、冗談は止してくれ。昨日今日剣を持ったようなマユラに、どうして、こんなことができるんだよ」

 到底真に受けられぬバルドスに、

「おぬしが信じまいと、この目で見た事実は、そうなのだ」

 老魔導師も頑として言い張り、日頃虚言を口にする人間ではないだけに、三人は戸惑いの目を見交わした。

「いろいろと、話さねばならぬ」

 カムランは志摩に視線を向けた。

「そのようだな。グレッグはどうした」

「そのことも話さねばならぬが、面倒なことになった」

 カムランの心苦しさをにじませたような顔に、志摩は、ベイロードやグルザム一味との戦いに勝ったものの、勝利の余韻にひたる間もなく、穏やかならぬ予感を覚えた。一服つけたくもあったが、あいにくタバコを切らしていた。仕方なくマユラを見ると、ウィルも交えて、エレナとイオの姉弟となにやら話している。エレナの前で、その顔は、にやけているようにも見えた。

「詳しい話は帰ってからだ。行こう、ここにいても、生臭さが沁みるだけだ」

 志摩の言葉を受けて、

「いつまでもイチャついているんじゃない。帰るぞ」

 バルドスはマユラたちに大声を放った。

 マユラはエレナと二言三言、言葉を交わして、

「エレナたちの両親の遺体があります。彼女は、置き去りにしては行けないと言っています」

「両親の遺体だと」

「そうであった」

 思い出したカムランであった。

「これについては、我らにも責任があってな」

「どういうことだ」

 バルドスの問いに、

「後で話す」

 言葉を濁したカムランだったが、志摩にはひらめくものがあり、険しい表情となった。

「グレッグか」

 志摩の眼光に、カムランは仕方なくうなづいた。

「グレッグがどうしたんだ」

 話の見えぬバルドスに、志摩は、床にいまだおぼろな光を放っている、魔法陣を指さした。

「魔法陣だ」

「それが、なんだってんだ」

「司祭の正体がグルザムだと知って、俺は、奴めがなぜグレッグを、神殿に招いたのか気になった。だが、この魔法陣を見てピンと来た。ヴァルカンの生贄の儀式には、魔法陣が使われると聞いたことがある。グルザムは、酒で身を持ち崩したグレッグなら、誘いをかければヴァルカンにもなるだろうと考えたのだ」

「それじゃあグレッグは、ヴァルカンになっちまったって言うのか」

「残念ながら、リーダーのお察しの通りだ。エレナさんの両親を生贄にして、彼はヴァルカンに成り果てた」

「あの野郎」

 感情にまかせて飛び出そうとしたバルドスを、

「待て、どこへ行く」

 志摩が止める。

「野郎をこのままにしておけん」

「もう近くにはいないだろうし、夜中にやみくもに出て、見つかるものでもなかろう」

「クソッ」

 地団駄を踏むバルドス。

「すまん。止めたのだが、聞き入れなかった」

「アンタが謝ることじゃない。だが、なぜすぐに話さなかった」

「ヴァルカン堕ちを出すと言うのは、気の重いことだからな」

「・・・」

 しばし無言の志摩であった。

「グレッグの野郎、さんざんお荷物したあげく、チームに泥をかけて失せやがるとは、許せん」

 怒り心頭のバルドス。

「奴も相当の鬱屈を抱えていたらしい。あんたたちを斬るとまで言っておった」

「そう出てくれたら、こっちも捜す手間が省けるってもんだけど」

 歯牙にもかけぬサブリナに、

「あなどるな、堕ち者が腕を上げるのは知っておるだろう。以前のグレッグではない。相当に使うと、私は見たぞ」

「グレッグのことは後だ、とりあえず棺を用意しよう。あの子たちの両親の遺体を、そのままにしてはおけまい」

「ここに来る途中に村があった。棺と荷馬車ぐらい用意出来るだろう。一っ走りして来る」

「頼む」

 バルドスはブレイヴ体となり、エアを蹴って、疾風の如く飛び出して行った。

「今、棺の手配にバルドスが向かった。それが来るまで待機だ」

 志摩の言葉に、

「わかりました」

 マユラが答えた。

 マユラやウィルとの会話で気を紛らわせていたが、両親の死を意識すると、イオは泣き出し、エレナも弟を励ましながら、涙をこらえられなかった。そんな姉と弟の姿に、マユラも自らの境涯を重ねてもらい泣きした。そんな三人に、ウィルは処置なしと手をこまねいていた。

 サブリナはそんな一幕には興味もなく、

「グレッグが一丁前の腕を身につけたとして、なぜあなたたちに手を出さなかったの。これまでのよしみで、まさか、見逃してくれた」

「手を出してきたさ。だが、マユラくんのまえに、尻尾を巻いて退散したのだ」

「尻尾を巻くのはアイツらしいけど、マユラも強くなったものね。さすが達人のご指導の賜物ね」

「強くなるにしても、重要なのはその力がどこからきてるかだ」

 サブリナの皮肉は意に介さず、懸念を顔に表す志摩であった。

「マユラくんはエレナさんと、鬼退治をしたという、伝説の英雄の遺した刀を探しに行ったのだ。いま、マユラくんの腰にあるのが、どうやらそれらしい。となると、マユラくんに取り憑いて、悪者どもを成敗したのは英雄の霊ということになるが、わしにはそんなたちの良いものには感じられなかった。英霊というよりは、あれは剣の修羅。凄まじくも無邪気に、人を斬っているようだった」

「あのパッとしない坊やに、そんなに愉快なオマケがついたというのなら、一度手合せしないとね」

「サブリナよ、武芸は専門外のわしだが、お前さんたちの戦いを見てきて、目はそれなりに肥えているつもりだ。あの状態のマユラと戦えば、お前さんでも手加減はできまい。やればどちらかが死ぬこととなろう」

「ますます、そそられるわね」

「待てよ。まだ正体も分からぬうちから、そうそう爪を研ぐこともあるまい」

 サブリナの短兵急を、志摩が制する。

「でも、いつ暴発するか分からないものを、抱えておくのもリスクでしょう」

「そうかもしれないが、しばらく様子を見てみよう。それに、マユラにとり憑いたのがなんであるか検分するのは、師匠であり、チームのリーダーである、私の役目だ」

「役得ってやつ」

 おもしろくなさそうなサブリナに、志摩は微かに笑って、マユラに視線をやる。

 その、当のマユラは、姉弟の横でもらい泣きしていたかと思えば、エレナに手を握られてにやけ面になったりと、単純で、パッと見冴えたところのない少年なのだが。

 




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