暗黒祭儀

 神に舞を奉納する建物だという舞楽殿の、周囲の床よりせりあがった円形の舞台。その石畳に描かれた魔法陣の線が黄色く発光して、複雑で不気味な図形を立体的に浮かび上がらせる。

 グレッグは魔法陣の一画に立っていた。足元には玉座を図案化した模様が描かれている。そして六七メートル離れた魔法陣の中央には、一組の男女が背中合わせに腰を下ろしている。魔法陣の中央の石畳には、鉄杭を打ち込んで固定した鉄環が据え付けてあり、後ろ手にした二人の手首に嵌められた手錠の鎖は、この鉄環に通してあり、二人は立ち上がることも出来なかった。

 グレッグは、黄色く浮かび上がる魔法陣の中央に引き据えられた二人を眺める。中年の男女だ。身なりから察するに、このあたりの農民であろう。夫婦者か、まあ、どうでもよいことだった。どの道、もうじき死ぬのだ。この魔法陣の仕組みは知らぬが、稼働すると中央の二人はミンチ肉よりも細かく、霧のような粒子サイズにまで分解されて、そこから抽出した生命のエッセンスを浴びて、受益者は劇的変貌を遂げるのだとグルザムに教えられた。

 人の命を奪っておのれの力とする。それを聞かされた時は、なんと罪深いことかと戦慄した。一歩前に口を開けた罪業の底深き淵は、やはり越え難きものに思えたのだ。だが、振り返れば戻るべき道など何処にも無いのだ。行くか、さもなくば無用の者として路傍に佇み、ただ朽ちてゆくだけだ。そう悟った時、グレッグは罪業の深淵を跳び越えていた。あるいは、その深淵に身を投じただけかもしれぬが。とにかく、それまで彼なりに持っていた良心というやつ、そいつを用済みの服のように捨てて、もはや着古したシャツほどへの執着もない。生贄となる男女を見ても憐みの情もなく、家畜を見るかのごとき心境だ。だがグレッグには、自分が殊更に悪道に堕ちた意識はない。自分一人の料簡でこうなったわけではなく、しょせん世の中というものが、他者を犠牲にしてのし上がるように出来ている。今よりもマシになるには、金であれ物であれ、または命であれ、あるいはもっと別の何かであれ、とにかく他者との争いに打ち勝って、奪いせしめるしかないのだ。それが最も露骨に現れているのがファイターの世界だ。敵を倒して経験値を得てレベルアップする。この仕組みに、人間もヴァルカンもヴァルムもない。そして善悪は絶対的なものではなく、それぞれが立場の違いによって主張し合っているだけだ。そのように考えると、ヴァルカンになるというのも生き方の一つのバリエーションに過ぎず、邪神に魂を売るというような、そんな大げさなこととは思えぬのだ。

「それにしても、待たせやがる」

 準備ができたと言われ案内されて来たが、グルザムめはどこかへ行ってしまい、かれこれ一時間近く置いてきぼりにされている。イライラのつのるグレッグに、

「もし、そこのお方」

 魔法陣の中央に引き据えられた男女の、男が声をかけてきた。

「ご立派な騎士殿とお見受けいたします。どうか、私どもをお助けください。一生恩にきますので、なにとぞ、この鎖より解き放ってください」

 男の懇願に、

「それはならん」

 グレッグはぴしゃりと応えた。

「お前たちには、俺が生まれ変わるための、生贄となってもらわねばならぬ」

 グレッグの言葉を聞いて、女は悲鳴をあげた。

「お待ちを、それでは悪道に堕ちてしまいますぞ」

 男は懸命に説き伏せようとする。

「死んだ後は天国も生まれ変わりもなく、永劫地獄をさまよう宿命が恐ろしくはないのですか」

「死んだ後のことなどどうでもよい。今生のみが大問題なのだ。この人生を思い通りに屈託なく生き抜ければ、その後の事は、そのとき考えればよいのだ。お前たちだって、エウレカの善信徒として天国へ行けると信じているのなら、泰然としていればよいものを、助けてくれなどと命乞いをする。死んだ後のことなどあてにはならぬ。誰しもこの世の生しかないのだ。そして誰にとっても一番大事なその命を、奪い合って力を得る武人の道こそ、この世の中の最もエグく、コク深きところ、すなわち醍醐味よ。俺はな、お前らを生贄とする業も含めて、この世の醍醐味というやつをとことん味わって生きるつもりよ。そちらは、まことに甲斐なき人生であろうが、これも運命と諦めよ」

「よくぞ申された」

 張りのある声に振り向くと、グルザムが配下の修道士たち、いや、修道士の衣をまとったヴァルカンどもを率いて来ていた。これもその正体は邪教の怪物である、うわべだけの老司祭の顔は、称賛の表情であった。

「私が見込んだだけのお方だ、よく事の道理をわきまえておられる」

 グルザムはローブの裳裾を揺らして、しずしずとやって来た。

「ずいぶんと待たせるではないか」

 苛立ちも露わなグレッグに、

「いろいろと片付けねばならぬ用事があったのです。それと、数匹ネズミどもの迷い込んでいましてね」

「ネズミだと」

「例の小僧と、どうやら貴方の仲間の老いぼれ魔道師のようだ。それともう一人・・・・」

 グルザムは、石畳の床に繋いだ生贄の二人に意味ありげな視線を送る。

「まあ、ゴミみたいな者どもです。どこかに隠れているようですが、いずれ見つけ出して始末します」

「おのれ、よくもいままでだましたな」

 生贄の男が、恨みの言葉を吐く。

「見抜けぬお前らがうつけ者よ。しょせんお前らの信心、いや、エウレカという神そのものがあやふやな、何の力もない、蜃気楼の如き幻影に過ぎぬ。だが、ヴァルムヘルの神々は違う。運命を切り拓く力を与えてくれるのだ。もっとも、生贄となるお前たちに、それを見ることはかなわぬがな」

勝ち誇るグルザムに、生贄の女が訴える。

「お願いです。私たちはどうなっても構いません。ですから子供だけは、どうか子供だけはお助けください」

「子供?」

「ああ、こいつらの子供を、一匹捕らえてあるのだ。フフフッ、それは儀式の生贄とは別、私がいただくつもりだ。自分へのご褒美というやつさ」

 グルザムの口元は、爬虫類の貪婪に緩む。

「そんな、ひどい、あの子だけは助けて」

 母親は狂乱の叫びをあげるが、グルザムはそれも見ものというように、ケタケタ笑って見下していた。

「おっと、生贄をくすねたなどと思わんでくださいよ」

「そんなことは思っていないが」

「そうですか。あなたはまだ、生贄を受けてヴァルカンに生まれ変わる、この変成の儀式、我らは単にサークルと呼んでいますが、サークルについて何も知らないでしょうから話しておきますがね、二人の生贄を一人に使うなど、ずいぶんと贅沢なことなのです。普通は、二人の生贄となれば十五六で分け合うものです。一人の生贄を二十人で分けることだってある。なぜこんな贅沢をして差し上げるかといえば、あなたの素質に期待しているからです。ヴァルカンに生まれ変わられたら、きっとひとかどの武者となられるでしょう」

「あまり期待されても困るが。しかし、生贄は人間でなくてはならぬのか」

 グレッグは、いまや死を待つばかりの男女をチラッと見た。

「同情ですか、お優しいことで。しかし、動物を生贄に使うのは、よしたほうがいいでしょう。そもそものカルマの形が違いますから。どうしても試したいというのであれば、無理に止めはしませんが、悲惨なことになりますよ」

「聞いてみただけだ。そういうことならさっさと済まそう。こういう愁嘆場はウンザリだ」

「よろしい、すぐに取り掛かろう。なに、魔法陣が動き出せば、ものの四五分で済みます」

 既にグルザムの手下たちが、壁や柱に据え付けてある燭台のロウソクに火を点し、黄色く発光する魔法陣からの光もあり、舞楽殿の内部はかなり明るくなっていた。

「さあ、そこに立って」

 グルザムは、グレッグを魔法陣の玉座を模した図形の中に立たせた。

「魔法陣が稼働している間は、そこから一歩たりとも出ないように。これは儀式を無事に終えるための、唯一にして、絶対に守らねばならぬ注意事項です」

「わかった」

「グレッグさん、そいつから離れろ」

 突然の声に、見ればマユラとエレナ、そしてカムランの三人が、舞楽殿の隅に姿を現していた。

「父さん、母さん」

 エレナが魔法陣の中央、後ろ手に鎖に繋がれた二人に叫ぶ。

「エレナ」

「エレナ逃げて、こんなところにいてはダメ」

「そこの人、どうかエレナを連れて、今すぐ逃げてください」

「嫌よ、父さんと母さんも一緒じゃなきゃいや」

「うるわしい親子愛というやつですか、いよいよ食欲がそそられますな」

 グルザムが赤い舌をしゅるっと覗かせる。

「グレッグさん、そいつは化け物だ」

 大声で知らせるマユラに、

「知っている」

 グレッグはそっけなく応え、

「俺はグルザム師の導きにより、この人たちを生贄として、ヴァルカンになる」

 きっぱりと宣言した。

「グレッグ、血迷ったか」

 カムランが叫ぶ。

「血迷ってなどいない。むしろ長年の迷いから覚めて、クリアになった心境さ。これは運命であり、俺の人生の正しい選択だ。無用のなまくらとして朽ちるのを待つよりも、宿業を負った魔剣妖刀となってでも、自分の切れ味のほどを世に示したいと思うのが、武人の意地というものであろう。俺は意地を通して、最後まで武人として生きるつもりだ」

「たわけたことを申すな。ヴァルカンになって武人の意地もあるものか。ヴァルカンは、異界ヴァルムヘルの魔人ヴァルムの眷族、もはや人ともよべぬ存在だ」

「顔に邪紋が現れるだけで、俺たちと変わりもないようだが。もっとも、例外もあるようだが」

 グレッグは、ちらりとグルザムを見た。

「人が人を食うなどということが、許されるはずもなかろう。グレッグ、考え直せ、そのような汚れに、魂を染めてはならぬ」

「魂などどうでもよい。俺は強くなりたいのだ。強くなって、少しぐらい使えるからといって、何様のつもりか気取ってやがる志摩の奴に、へらずぐちもいまいましいサブリナ、そして、あのえげつないニンジャ野郎、この俺様をコケにしたレギオンシリウスの連中を、片っ端から斬り捨ててやるのだ」

「なんと・・・」

 仲間だと思っていたグレッグの、思いもかけぬ憎悪の言葉に、カムランは絶句した。

「ふざけんな!」

 怒鳴り返したのはマユラだった。

「悪魔だか邪神だかに魂売って、たとえ千倍強くしてもらったところで、おまえみたいなヘタレ野郎が、志摩先生の足元にも及ぶものか」

「ガキが、あなどりおって」

 怒りのあまり、剣に手をやるグレッグを、

「待ちなさい」

 グルザムは止めた。

「まずは、ヴァルカンとして生まれ変わることです。復讐はその後でもよかろう」 それもそうだと思い直したグレッグは、グルザムの指示した、魔法陣の玉座に戻る。

「お前たちに、偉大なヴァルムヘルの神々の御業を見せてやろう。エレナ、両親との今生の別れだ」

 グルザムは言い放つと、足早に魔法陣の外に出た。

「いやよ」

 エレナは叫び、飛び出そうとするのを、カムランが腕を掴んで引き止める。

「放して」

「駄目だ、行けばおまえさんも死ぬことになる」

 エレナは必死に振りほどこうとするが、カムランも老人ではあっても、傭兵チームの一員として旅しているだけに矍鑠としていて、がっしりつかんだ手は、少女の力で振りほどけるものではない。

「任せろ」

 代りに飛び出したのはマユラだった。抜き放った錆刀片手に、ストリームで翔けるが、

「邪魔をさせるな」

 グルザムの命に、修道士の服をまとったヴァルカンどもが四人ほど、ブレイヴ体となって応じた。顔に邪紋も露わな四人が、マユラの前に剣を連ねる。

 構わず切り込むマユラだったが、相手も剣術の心得のある連中で、四人を相手に切り抜けるのは、マユラの技量では難しかった。

「殺すなよ、そいつにはたっぷり礼をせねばならん」

 グルザムは、既に司祭の顔から蛇顔へと、化け物の本性を露わにしていた。

「小僧、見よ」

魔法陣へと手をかざしたグルザムが、短く稼働の呪文を唱えると、魔法陣の黄色の光が渦を巻きながら立ち昇る。

「エレナ!」

「エレナ、愛しい・・・」

 最期を悟って娘の名を叫ぶ二人。

「イヤー」

 エレナの叫びもむなしく、魔法陣の光はあたりの空気を震わせながら、竜巻のように立ち昇っていき、あたりは白昼のような明るさとなり、魔法陣の中にあったエレナの両親とグレッグの姿は、立ち昇る光に吞まれて見えなくなった。

 

 窓からさしこむ夕陽に、ジェリコ砦の広間は赤く染まったが、それよりも更に濃い朱の、方々におびただしく流れ、床のいたるところに動かぬ骸、うめく負傷者、そして、剣を振りかざして躍る影の、あちこちで必死のせめぎ合いを演じていた。

 ジェリコ砦の外壁の内側、城でたとえるなら本丸と言うべき、主砦正面の広場で始まった戦闘は、今や砦の建物内部へと流れ込んでいた。今日中に砦を制圧せねばならぬのだが、砦内にはまだグルザム一味のひしめいていて、戦いに終息の気配は見えない。

「負傷者を運び出せ、いったん陣形を整えてから押し込もう」

 両軍にらみ合い、膠着しつつある前線で志摩が指示を出す。一介の傭兵に過ぎない志摩であったが、戦闘の主軸となっている彼の指示に、クリオ勢の将兵たちも従う。

「ベイロードめ、集めやがったな、予想の倍はいるぜ」

バルドスが横に来て肩を並べる。

 もっとも働き目覚ましいのが、太刀風凄愴のサムライと、豪槍熾烈のバトルランサーであった。両雄浴びた返り血も生臭いが、慣れてしまったようで気にも止めない。

「こちらが攻めていなかったら、今夜のうちにもクリオ砦に夜襲を仕掛けるつもりで、かきあつめたのだろう」

「一帯の毒虫どもが、こぞって集まったってわけか。となれば、この戦いは地域の大掃除にもなるってわけだ」

 おおらかに言ってのけるバルドスに、

「ヴァルムやヴァルカンは簡単に降伏せぬし、ジェリコ砦の将兵も共闘してくれば、まだまだそこかしこぬかるむほどの流血か、先は長いぞ」

 気の抜けぬげな表情の志摩であった。

「となれば、ガス欠が心配だな。俺やアンタは問題ないが、キャパの小さな連中は危ないぜ」

 ブレイヴファイターは、無制限にブレイヴ体になっていられるわけではない。ブレイヴファイターは、目にも見えなければ、形も質量もない燃料タンクを装備しているようなもので、キャパシティーと呼ばれるその能力の内包しているのが、ブレイヴの素となる、バイオクォンタムと呼ばれる霊的エナジーである。ブレイヴは、バイオクォンタムを気燃焼させることで形成される。バイオクォンタムを消費し尽くして残量ゼロになれば、当然普通体に戻ってしまう。キャパシティーはレベルアップとともに拡大してゆき、上位レベルの志摩やバルドスは八時間以上連続して戦えるぐらいのキャパがあるが、一般的な兵士の標準クラスは二時間前後だ。ガス欠とわバイオクォンタムを消費し尽くして、ブレイヴが消失して普通体に戻ることであり、戦闘中のガス欠は致命的である。

「うちのチームの者なら、この程度の戦闘では、まだガス欠にはならないはずだが、砦の将兵の中には、尽きて来るのも出てくる頃だ」

 実際はチームのメンバーでも、レベル下位のファルコやレオンあたりは、単純に戦闘中の開始からこれまでの時間をキャパシティーに当てはめれば、苦しくなってくる頃合いだ。しかし、経験をつんだそれなりの猛者は、キャパを何割も延ばして戦えるのだ。ブレイヴ体となって消費したバイオクォンタムは、普通体に戻った瞬間から徐々に回復して、レベルの低い、キャパの小さな者ほど、逆に回復の速度は速いのだ。ブレイヴ体と普通体のこまめな切り替えをエナジーを拾うという。戦闘中に普通体に戻るのは勇気が要り、初心者や戦場勘の悪い者は、ついつい連続消費してガス欠を招いてしまうのであるが、レベルが低くても、いっぱし猛者と呼べるほどの者は、厳しい戦闘中でもブレイヴ体のこまめなオンオフの切り替えで、そつなくエナジーを拾い<ブレイヴ体でいられる時間を何割も延ばす。どれぐらい拾えるかは戦闘の密度にもよるが、ファルコとレオンだったら、この程度の戦闘なら、まだ余裕があるはずだ。

「ウィランド男爵の率いて来た加勢が心強い」

 そちらは戦闘参加が遅かっただけに、ガス欠の心配もまだないはずだ。

「よし、このまま一気に斬り込むぞ」

 短い膠着の後、再度決戦の構えが整う前線で、志摩が声音も荒く言い放てば、つわものどもも猛くどよめく。

「志摩殿、頼みましたぞ」

 ライゼン隊長が声をかける。そしてややすまなそうに、

「お手数だが、ベイロードは生け捕りにしてもらいたい。アレを殺されると、後の収拾が面倒でな」

「嫌な野郎だが、今日のところは、首は付けたままにしておきます」

 志摩は憮然として答えた。

 砦内の戦闘によるクリオ側の死者は十八名。これと負傷者を運び出し、ガス欠の者も下がらせて、後にはウィランド男爵の率いて来た郷士たちを充当して補う。

 敵も新手を繰り出してきて、血戦の再びたけなわとなる。

 ストリームで翔ける志摩が群がる敵に振る舞うは、愛刀ミスリル一文字。

 建物内の限られた空間での、機動力の煮詰まったブレイヴファイトでは、一瞬のうちに三方四方から刃の迫る状況となる。いま、志摩の正面からゴブリンが、一メートルぐらいの高さを水平に滑る距離のある跳躍で槍を突き掛けて来る。高さのある跳躍からの、頭上に降らせる刺突よりも、胸ぐら辺りの高さに滑り来る、低い跳躍からの槍が受け難いのである。更に左後方から胴を薙ぎに来るヴァルカン、真後ろからも一人来て、志摩は一二秒後に三方から殺到する刃を読み、正面から来るゴブリンの槍を弾きざま、ストリームを駆っていた足を広げて、踏ん張り強く鋭く反転、左後方のヴァルカンを斬り捨て、真後ろの敵の剣を弾き初撃を弾かれたゴブリンが、すぐさま素早いステップで突き掛けて来るのを、ストリームを流して躱し、正面に捉えて斬り捨てる。これがほんの数秒間の立ち回りで、あたりは飛影入り乱れ、剣光錯綜の様であった。

 チームのツートップのもう一方のバルドスも、志摩に遅れじと敵中に身を躍らせれば、炎の如き烈槍の敵を撃つ。ファズ、ダオ、ファルコ、レオン、チームの面々に、クリオ勢の将兵と郷士たち、集いしつわものどもの、剣身一体となって敵に当たる。

しかし敵も、ヴァルカン、ヴァルム、次々繰り出してなかなか底を割らない。白兵烈しく切り結び、そこかしこペンキをぶちまけたような朱に塗られ、生臭さも凄まじい。

 両軍刃を立てて押し合う最中、疾風草を分けるが如く、グルザム陣営を切り裂いて駆け来る褐色痩身、言わずと知れたサブリナである。

「生きてやがったか」

 ごあいさつなバルドスに、

「こんなの相手に、くたばるわけないでしょ。そっちこそ、なにチンタラやってんの」

 サブリナは、斬りかかってきたヴァルカンを、あっさり斬り捨てざまに返す。

「ご苦労だった」

 志摩も血刀片手に、ストリームを流して来た。

「ジカルとは楽しめたか」

「ええ、久しぶりに楽しいランデブーだったわ」

「それは結構。頼もしい限りだが、いつサブリナに追い越されるかもわからぬ、俺たちもうかうかしておれんな」

「まだまだ、小娘にゃ引けはとらんぜ」

 負けん気のバルドスに、サブリナはフフンと鼻で笑い、

「そんなことより、敵はもう後ろがスカスカよ、ここで破れば新手はないわ」

「よし、一息に潰そう」

 槍握る腕にも力のこもり、意気込むバルドス。

「ベイロードたちに動きはないか」

 志摩はまだ慎重である。

「グルザム一味と共闘する動きは、見なかったはね」

「アジトを提供してはいるが、一枚岩ではないということか」

「グルザム一味を倒したあとに、どう出てくるかは分からぬがな」

「いずれにせよ、今は目の前の敵を倒すだけだ」

 敢然たる志摩に二人も笑みを刷き、あとは言葉もなく、風を駆り、風を跳ぶ、刃携えた三匹の獣の、猛然と敵中に飛び込んで行く。

 たき火の消える間際に、ひときわ大きな炎が上がるように、戦闘は激しい局面を見せた後、グルザム一味の敗走となって、急速に下火となった。ヴァルムの筆頭格だったジカルも討ち取られ、支えとなる者もなく、志摩たちを中心としたクリオ勢の激しい斬り込みに、耐える術もなかったのだ。

 グルザム一味は多くが討ち取られたが、何割かの者は砦の裏門より夜の山岳地帯へ逃げ込んだ。

「朝になったら一帯の郷士たちに触れを出して山狩りをします。グルザム一味を恐れて今日の戦いに尻込みした者たちも、こぞって参加するでしょう。総出で山狩りをして、一匹たりとも逃がすものじゃありません」

 溜飲を下げるかのウィランド男爵だったが、この人もベイロードと一緒にグルザム一味のビジネスの片棒担いで、相当稼いできたはずなんだがと、内心白け気味の志摩であった。

 あらかた事が片付き、血臭むんむんの広間で、既に普通体に戻っていた志摩はタバコを吸っていた。紫煙ならぬ緑煙をくゆらせ、一心地つきたいところだが、革手袋の指先まで血に汚れていて、タバコを指で挟むたびに、独特の生臭さが鼻をかすめるのだ。

「遅くなりました。奥様を無事にクリオ砦にお送りして参りました」

 レイウォルは入って来るとライゼン隊長に報告した。

「ご苦労だったね。家内の様子はどうかね」

「いつもとお変わりなく気丈に振る舞っておられましたが、かなり恐い思いをされたと思います」

「この一件が片付いたら、帝都の娘のところに行かせよう」

「お嬢さんが、帝都に住んでおられるのですか」

「帝都で教師をしております」

 志摩に隊長は答えた。

「恥ずかしながら未婚の母というやつでして、小さな家に二人の子供と暮らしています。わたしらが押しかけるには手狭なのですが、そうも言っておられぬ。この界隈は、この先も何があるか分からぬし、ひとまず家内だけでも、帝都にやっておくつもりです」

 帝都プレアデスは、アルスター帝国の首都にして、人口百万の絢爛たる大都市。治安のよさも格別で、ヴァルカンやヴァルム、のうろつけるようなところではない。

「グルザム一味の成敗、祝着に存じます」

 レイウォルが、戦いの勝利を讃えた。

「少なからぬ犠牲者を出したが、宿願だった悪逆非道の賊徒どもの討伐を、あらかた成し遂げることが出来た。皆良く戦ったが、殊に、志摩殿をはじめとする傭兵チームの働きは見事だった」

「それは拝見したかった」

「大した見世物でもないさ。ただ、俺たちも腕っ節を売り物にしているからには、多少は水際立ったところを見せねば、格好がつかぬというやつだ」

 タバコをくゆらせながら、誇るでもない志摩であった。

「血生臭さに、むせてしまいそうだぜ」

 雲母のような羽をキラキラさせて飛ぶフェアリーは、この凄惨な状況に、なんともミスマッチのメルヘンであった。

 ウィルはレイウォルたちと共にジェリコ砦を離れていたが、それは無力のフェアリーが戦闘に巻き込まれるのを危惧した、志摩の指示であった。

「久々全員血まみれの大活躍ってところだね」

「まだ終わったってわけじゃない」

 タバコをふかしながらも、志摩の目は、いまだ抜き身の如き眼光を収めていない。

「あとはベイロードの出方次第だ」

「できることなら、これ以上帝国軍人同士で争いたくはないのだがね」

 心苦しそうなライゼン隊長の言葉に、

「同感だよ」

 厚かましそうな声が意外に近くで応える。声のぬしはフルアーマーの兵士で、兜を外すとベイロードであった。

「きさま!」

 レイウォルが剣に手をやる。

「無粋なまねはやめたまえ。私はライゼン殿をお茶に誘おうと来たのだよ」

「お茶だと」

「ここは私の砦だ。あるじが客人に茶をもてなすのは当然であろう」

「これだけ血を流しあっていながら、なにをいまさら」

 気色ばむレイウォルを、

「待ちなさい」

 ライゼン隊長は制止して、ベイロードの前に出た。

「ちょうどのどが乾いていたところだ、お招きにあずかろう」

「二人だけで話したい」

「それはなりません」

 レイウォルが止める。剣の腕はベイロードが格段に上だ。

「この期に及んで悪あがきはせぬ」

「信用できない」

「おまえごときには聞かせられぬ、内密の話しがあるのだ」

「俺がご一緒しよう」

 志摩の言葉に、ベイロードがじろりと見やる。

「よそ者の俺には、お二人の内密の会話など興味がないし、こう見えても口の固い男との定評がある」

 その言い草に目を剝いたベイロードだったが、

「よかろう」

 舌打ちの後で答えた。

 装飾はなくテーブルと五六脚の椅子、隅にはソファーもあって、詰め所のような部屋だった。テーブルには既にティーセットが用意されていて、ポットの紅茶をカップに注ごうとするベイロードを、

「茶はいい、さっさと本題に入ってくれ」

 志摩が遮った。

「茶に毒が入っているとでも」

「さあな。だが、そちら側のドアの向こうには、なにやら物騒な思惑の連中が詰めているようだが」

 志摩は奥のドアに、見透かすような視線を送る。

「部下たちが、私の身を案じて待機しているだけだ」

 ベイロードはポットを置くと、

「下がっていろ」

 ドア越しに命じた。人の離れる気配があって、

「掛けたまえ」

 椅子をすすめた。

「そちらが飲まれるぶんには、いっこうかまわぬが」

「客人の前で、自分だけ茶を喫するのも、礼を失する行為だからな」

 ベイロードはティーセットを脇にのけると椅子に腰かけた。

 ライゼン隊長はベイロードと向かい合って席に着き、志摩は護衛だからと、ライゼン隊長の後ろに控えて立つ。

「単刀直入に聞こう、ムラサメとの交易は、太守様の指示であろう」

 太守は、州政府の最高権力者である。

「・・・・」

「しらばっくれずともよいさ。あの方はそちら側のボス、これほどのことを何もご存知ないはずなかろう」

「・・・・」

 ライゼン隊長は無言のまま、眉一つ動かさない。

「答えられぬのならこれ以上は聞かぬ。こちらが知りたいのは今後のビジネスのやり方について、早い話が利益の分配だ。そちらが利益を独占するつもりなら、たとえこの場はそちらが勝利したとしても、いずれまた、血みどろの争いは起きるぞ」

「その心配は無用だ。上の方々は運営は掌握しても、利益を独占するつもりはない」

「こちらが納得出来る分配があると」

「どの程度で納得してもらえるか知らないが、利益を独占するつもりはないということだ」

「実を言えば、グルザム一味と共闘すべきか迷ったのだ。我々が引いて、グルザム一味が正面に出た戦いも、そちらが優勢のうちにウィランドの加勢も来て勝敗は見えた。だが、あそこで私がジェリコ砦の兵力を再度投入していたら、まだ勝敗は分からぬところだった」

「なぜそれをしなかった。われらを全滅させるつもりだったのだろう」

「相場や商売、そして戦略、何事に於いても損得勘定というものは、状況によってうつろうのだ。最初はそちらを全滅させる。これが当方にとって一番都合が良かった。そちらが先手を打って攻めて来て、ならばと、わざと砦の中に引き入れて殲滅することにした。グルザム一味と共闘するならこの時だったが、部下たちが反対してね。実はグルザム一味との共闘作戦は部下たちに不評なのだ」

「部下をトロールに食わせたりしてりゃ、そりや好評なわけもなかろう」

 志摩がチクリとやった。

「トロールは、下手に止めると暴れだして手がつけられなくなるので、あの場は見ているしかなかったのだ」

 ベイロードは平然としたもので、いささか開いた口の塞がらなぬ、志摩とライゼン隊長であった。

「私は、我が軍だけでは勝てぬと思っていたが、グルザム一味との二段構えで潰せるだろうと思っていたのだ。しかしグルザム一味も破られて、更にそちらにはウィランドが郷士どもを率いて加勢に駆けつけ、戦況は極めて不利。我が軍を投入すれば、まだ勝敗は分からなかったかもしれぬが、正直自信は無かった。大きな犠牲を出した上に全てを失ったとなれば、私とてただでは済まぬ。ならば和睦して、多少でも得るものを得たほうが、上の怒りも抑えられ、私の身も何とか保てるのではと考えたのだ」

「それで、グルザム一味を見限ったか」

 グルザム一味は許せない悪党だが、ベイロードには仲間だったはず。ライゼン隊長の声には、仲間を簡単に見捨てる薄情への非難があった。

「おぬしも今後、ムラサメの者どもと付き合うことになるだろうから教えてやる。連中との付き合いに、情を絡めるなよ。ヴァルカンどもと友情や信頼関係など築けやせぬし、心を許せば寝首を搔かれるぞ」

「それは、おぬしが組んだのがグルザム一味だったからであろう。あの者どもはフェルムト国の民で、かの国は気風殺伐で血を好む国柄だとか。対してムラサメ国の人々は、礼節を重んじて残虐行為は働かぬと聞いたぞ」

「ムラサメの者がそう言って、おぬしはそれを真に受けたか。これはおめでたい」

「・・・・」

「北の狼だろうが南の狼だろうが、狼は狼だ。まあ、どうせ私はこの砦の指揮官を更迭されるだろうから、遠くから、君とムラサメとの蜜月が精々長く続くことを祈っていよう。ちなみに、ハバロスクで血の嵐を巻き起こしたリクサク・オーキッドは、ムラサメの女王カーラ・リジェの腹心なのだがね」

「ご忠告ありがとう。だが、グルザム一味の悪逆非道を見て見ぬふりしてきた君が、したり顔で言えた義理かね」

 ライゼン隊長は声音も強く言い返す。

「グルザム一味を見捨てたのであれば、もはや首領のグルザムへの義理立ても要るまい。奴の居所を教えてもらおうか」

 志摩の問いに、ベイロードは口もとに笑みを浮かべ、

「グルザムか、いいだろう。しかし、既に諸君らの顔見知りの人物だがね」

「なにっ!」

 これには志摩、そしてライゼン隊長も驚きを禁じ得なかった。

「どういう事だ」

「正体を隠すとき、黒い奴は白い衣をまとうのさ」

 気取った口ぶりのベイロードに、

「誰のことだ、もったいぶらずにさっさと言え」

 志摩が声を荒らげる。

「ローラン司祭だよ。奴こそがグルザムだ」

「信じられぬ。半世紀以上聖職に身を捧げてきた人物だぞ」

 啞然たるライゼン隊長。

「おぬしの知っているローラン司祭は、とうにこの世にいないのさ。今のローラン司祭は、グルザムがその血肉を食らい、姿を写し取って化けたるところのものだ」

「なんと、それはおぬしの指示か」

「まさか、私とてそこまで不信心ではない。後で正体を明かされて驚いたのだ」

「こうしてはおれん」

 志摩が危急の声を放つ。

「チームの者がケルト神殿に行っている。しかも司祭、いや、グルザムの誘いを受けて」

「それは危ない、皆のもとへ戻ろう」

 ライゼン隊長は慌てて席を立った。

「腹黒い奴だ。用心するのだな」

 ベイロードは、どこか傍観者の冷やかさである。

「おぬしに腹黒いと言われては、悪魔も心外であろうな」

 志摩の皮肉に、フフンとベイロードは鼻を鳴らして、

「おぬしとは、またどこかで会うやもしれぬ。だが、覚えておけよサムライ、いつもいつも勝負は剣で決まる、というわけではないのだ」

「そんなことはとうに承知だ。しかし俺は、腰の刀で嚙みつくしか能のないサムライ犬でね。またどこかで会うようなことがあったら、そのときはくれぐれも、噛みつかれぬよう用心することだ」

 志摩は切るような視線とともに言葉を投げつけ、不快そうに顔を歪めるベイロードを残し、ライゼン隊長と共に部屋を出た。

 

 発動した魔法陣より溢れ出る光に、あたりは白昼のような明るさとなった。魔法陣の円周より立ち上がる光の障壁に遮られて、不気味に鳴動する円陣の中の様子は窺えない。

 マユラはストリームを噴かせて、光の障壁に切りかかった。刀が触れた瞬間、強烈な衝撃に弾かれて、少年の身体がボールのように転がった。

「巻き込まれていたら、一瞬でミンチだっていうのによ、まったく、命知らずなガキだぜ」

 なかば呆れるヴァルカンに、

「うるせぇ!」

 マユラは吠えて立ち上がる。

「小僧、いきり立っても、もはやどうにもならぬ。見よ」

 自信に満ちたグルザムの言葉とともに、魔法陣から溢れる光の急速に弱まる。光の障壁の次第に小さくなり、やがて消えて、現れた光景に、

「イヤー‼」

 エレナは絶叫した。

 魔法陣の中央、そこに、エレナの両親の姿はなく、代りにどす黒い塊が残されていた。臓物や骨、眼球、指なども見える。

「ああ、お父さん、お母さん・・・」

 両親の変わり果てた姿に、エレナは呆然として、膝から崩れるのであった。

「滓が残ったか。受益者一人に二人の生贄は、さすがにエナジーが濃すぎて還元しきれなかったか」

 グルザム冷淡に言って済ます。

「てめぇ、ぶっ殺す」

 マユラは凶賊の首魁のヴァルカンに、殺意の咆哮を放つ。

「小僧、お前には偉大なる神の御業がわからぬか。見よグレッグ殿を、彼は戦士として見事に復活を遂げたのだ」

 グレッグは意識もはっきりしていない様子で、魔法陣の、受益者の位置に立ち尽くしていた。それは酒に酔ったときのグレッグそのもので、マユラには、どこか変わっているとも見えなかった。

「人を生贄にする外道野郎が、エレナの両親を返しやがれ」

「有効活用してやったのだよ」

「なんだと」

「あの者たちが生きたところで、つまらぬ農民の一生を終えるだけだ。

それならば一人の優れた剣士の復活の糧となったほうが、ずっと意義深い人生というものであろう」

「ひどい‼」

 グルザムの言い草に、泣き崩れていたエレナは、拳を握りしめて悲憤する。

「化け物の分際で、人さまの一生をつまらぬだのとほざきやがって、てめぇこそ、その醜悪な身体をさっさとどこかの肥だめに沈めて肥やしにでもなったほうが、世のため人のため、有意義ってもんだろうが」

 エレナに代わって、マユラがしたたかなる悪口を返す。

「悪たれ口は一人前だな。よほど育ちが悪かったと見える。しかし、私にそんな口を叩いて生きている者はいないし、一人として楽に死なせもしなかった。おまえはどうしてやろうかね。生きたまま皮を剥ぎ取るか、想像を絶する苦痛だぞ」

 グルザムは爛々たる蛇眼に怒りを込めて、マユラの悪口が気に障ったようだ。

「ふん、カエルやネズミじゃあるまいし、青大将に凄まれたぐらいじゃちびりもしないぜ」

「そうか、まあ、言わせておいてやる。程なく、その口は悲鳴しか吐き出さぬようになる。そうやって悪態をつけばつくほど、苦痛にのたうちまわるおまえの悲鳴が耳に心地よく聴こえるというものだ。ところで、生贄はアレでしまいというわけでわない。まだ、かわいいおやつが残してある」

 グルザムの目配せで、一人の少年が引っ立ててこられた。年齢はマユラより四つぐらい下か、幼い顔は痛ましいほどにおびえていた。

「イオ」

 エレナが叫んだ。

「お姉ちゃん」

暗闇の中で一条の明かりを見つけたように、弟は姉を呼ぶ。

「親子泣き別れの後は、姉弟の一幕ですか。しかし悲しむことはない。すぐにまた、家族は再会できるのだからな」

 グルザムは、ひよこを前にした蛇の如く、貪婪な光を両眼に満たして、今にも丸吞みにしそうな形相であった。

「させるか!」

 マユラがストリームを噴かせる翔ける。約二十センチ浮いた身体は、足下にジェットのような気流を噴いて、走るのではなく、二十センチ浮上した空中を、線を引くように翔けるのである。

 阻もうとするヴァルカンの横をすり抜け、エレナがイオと呼んだ少年めがけて、ストリーム全開に翔ぶ。右手の刀を大きく振ってグルザムを追い払いざま、さながら蛇の鼻先から獲物をかっさらう飛燕、少年を左手で抱きかかえ、エレナのもとえとストリームを噴かせる。

 その後ろ姿を、グルザムはたわいもなしと見やり、おもむろに手をのばす。広げた掌からムクムクと黒い瘴気の雲が現れる。範囲を絞り凝縮された術効果で、実際は掌から出しているのではなく、手の先で形成されているのだが、それがグルザムの手の先より放たれて矢のような速度で飛び、マユラの背中に命中した。

 マユラは、一瞬にして意識が黒く塗りつぶされるような。、急激な昏睡状態に落ちいりつつも、暗く翳りゆく視界のエレナ目指して翔け、意識を失う寸前、抱きかかえた弟を差し出すようにして、そのまま床に倒れた。

「マユラ!」

 エレナは弟を腕に抱き留めながら、倒れ伏すマユラの名を呼んだ。

「マユラ、しっかりするのだ」

 カムランも声を掛けるが、何の反応もなく、まるで死んでいるかのようだ。

「死んではいない」

 グルザムは、陰湿な声も余裕たっぷりであった。

「死んではいないが、睡眠系の魔道の強力な術を浴びせてやった。当分目を開けることはない。そして次に目覚めたとき、小僧は切り裂かれた腹から引っ張り出された、自分の腸を見ることになる」 

 冷血動物の喜悦満面のグルザムと、その配下のヴァルカンたち。邪悪の影の迫るなか、こちらは頼みのマユラが昏睡状態である。老魔道師と年少の姉弟は、なす術もないままに身をこわばらせて、恐怖に耐えるばかりであったその時、意識もなく倒れていたマユラの肩が動いた。

「マユラ!」

「マユラ君、目を覚ませ」

 二人の呼びかけに、マユラはゆっくり身体を起こして立ち上がる。まだ意識もはっきりしないのか、ゆらゆら立ち上がりながらも、二人と、そしてエレナの弟の、抗う術のない三人を背後にかばうようにして、ヴァルカンどもに立ち向かう。

 グルザムは信じられぬものを見るように、その蛇眼を大きく見開いた。確かに睡眠系の強力な術を浴びせたのだ。大した対魔防御もありそうにない少年が、そう簡単に目覚められるはずはないのだ。

 マユラはまだ意識がはっきりしないのか、目は半眼に、右手の刀をだらりとさげて、なんともおぼつかなげな風情ではあるのだが、グルザムには、立っていること自体が信じられぬのだ。しかもこやつは、その半眼のおぼつかなげなる顔を、不敵に微笑ませてさえいるのである。

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