速記バトルの頂へ
逢神天景
速記バトルの頂へ――!
『レディース&ジェントルメェェェェェェェェン! 本日の速記バトルゥゥゥゥゥゥゥゥ! 対戦者はァァァァ、この二人ィィィィ!』
司会者が宣言すると同時に、ぷしゅー! と煙が噴出した。煙が晴れた時、そこには2人の男が立っていた。
『さあ、見た目は優等生、しかしその実体は前々年度チャンピオン! 神の手を持つ男! 早垣ィィィィィ、良平ィィィィィ!』
紹介された男は、ぺこりと観客に向かって頭を下げ、椅子の方へ向かう。
『それまで三年間王座を守り続けていた男が、去年遂に陥落いたしました。その悔しさを胸に、今日は屈辱を晴らしてみせると豪語しております!』
所謂「優等生」といった風体で、七三分けに眼鏡、そして黒い学生服だ。年齢も十七歳、高校二年生くらいに思える。一見すると、普通の学生。しかし普通の優等生と違うところがあるとするならば――その手にできた、巨大なペンだこだろうか。
明らかに、勉強だけで出来たペンだこでは無い。一度潰れ、さらにその上からペンだこが出来、さらにそれが潰れる――そうやって、何度も潰しては出来てを繰り返さねば、このようなペンだこにはなるまい。このペンだこだけが、凡庸な容姿の彼が最強の速記バトラーの一人であることを示している。
『対するは、前年度チャンピオンにして、今年の優勝候補! その厳つい風貌から、一体誰があのような神業が繰り出されると思っていたでしょうか! デュアルハンド、紗遊ゥゥゥゥゥゥ、司才ノ助ェェェェェェ!!!』
彼もまた、観客に向けて片手を挙げて答える。その挙げなかった手には――文鎮が握られている。
『前年度、唐突に現れて優勝をかっ攫っていた男! その独特な書き方は我流で身につけたと言われております! 「俺よりも早い奴がいたら、その時点で引退してやる」と、敗北=引退宣言をした男です!』
紗遊は、厳つい眼光と時代遅れのリーゼントを備えたいかにも『ワル』というカッコウをしている。当然、長ランにボンタンだ。
右手には、大きなペンだこ。そしてその左手にも――巨大なペンだこ。なんと、彼は左右両方の手にペンだこを備えている。
一体何故――前年度の大会では、全員がそう思った。
しかし、今年度の大会ではそんなことは無い。ここにいる全員が彼の両手のペンだこの理由を知っている。
去年からさらに大きくなっているペンだこに、早垣も含めたその場の全員が息を呑む。
「よろしく頼みます、紗遊くん」
「ふっ、去年よりも雰囲気があるじゃないか。大分練り上げてきたな」
「――君に言われると嫌味としか思えませんが……一応、ほめ言葉として受け取っておきますよ」
「何を言う。俺は『神の手』を侮ったことなど一度も無い」
そしてガッチリと握手。速記バトラーとして、相手への敬意を欠かすことはありえない。
速記バトルは一瞬の油断が命取りになる競技。二流同士の対決では、相手を舐めたせいで一文字差で負ける、なんてよくあることだ。
だからこそ、一流である彼らは相手を侮るなんてことはしない。勝負には常に真剣に――初代速記バトルチャンピオンにして歴代最強と名高い核野早志が弟子たちに伝えた言葉はすべての速記バトラーの合言葉となっている。
『さぁ! 両者が位置についたところでルールのおさらいだ。とはいえ、ルールはシンプル! まず、今からとある文章が五分間読み上げられる。そしてそれを正確に、より多く書くことが出来た者が勝者だ! ただし! 書き出さなければいけない文章は一つだが、他の文章も読まれるぞ!』
五分間書き続ける体力と、正確に聞き分ける耳。当然ではあるが素早く書き取る技術。これらがあって初めてこの決勝戦の土俵に立てる。
この二人は、既に書き損じることなんてありえない。だから、勝負が決まるとしたらそれは速度でだ。
文章が流れる速度は速く、そして抑揚が無い。どれほど素早く書くことに長けた彼らでも、全てを書き連ねることなどは流石に不可能だ。
だから、聞き取り、素早く書く――これが全ての鍵を握っている。
『では! 両者とも準備はいいか! 位置についてェェェェェェ!!! Let's GO Ahead!』
司会の号令とともに、課題の文章が読まれ始め、さらに別の文章も同時に流れ始める。
『さぁ! 神の手、早垣は得意の流線字だァァァ!!』
早垣の得意技は、もっともスタンダードな速記の型。ただし、練り上げられた「基本」とは、「究極」に至りうる。
流れるように書かれるその字は、まさに芸術。もはや、一種の美術品のような美しさを見せる。
『一方、前年度チャンピオン、紗遊は――出た! 彼独自、唯一無二の書き方! 両手同時書き――デュアルハンドライティングだァァァァァァァァ!!!』
そう、紗遊の技は彼しか出来ない必殺の型。邪道も邪道、なんと文鎮を置いて両手で文字を刻んでいくのだ。前年度大会で会場全員を驚愕させた技は、やはり磨きがかかっている。
「相変わらず不気味な技ですね」
「そっちこそ。相変わらず遊びが無いな」
二人は挑発を繰り返しながらも、手を止めない。むしろ、この極限の集中の中で相手の言葉に反応出来るほどの速記バトラーが何人いることか。
「どこで編み出したんですか、そんな技」
「去年言わなかったか?」
「聞いてませんね」
「そうか、師匠――巣具佐間閣臓からだ」
「なっ!」
速記の手を止めることこそなかったが、早垣の顔に動揺が走った。
その名前は――初代王者核野の一番弟子と何度も戦いを繰り広げた、紗遊が出るまでは史上最強の邪道使いと言われた男だ。
「あの方に師事していたとは……」
「ふん、しかし今師匠は関係ない」
紗遊の速度が上がる。
「今重要なのは、俺とお前どちらが速く正確に書けるか――そうだろう?」
「……そう、ですね」
ニヤリと笑う紗遊に笑い返し、早垣も耳にと手にすべての神経を集中させる。
『おっとぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!? ここで早垣もスピードアップだぁあぁぁぁぁぁぁ!! 両者譲らないぞ!」
永遠にも続くと思われた五分間。しかし、それでも制限時間が決まっている以上、終わりはやってくる。
『終了です!』
カラカラカラーン、と鉛筆が置かれる。あとは、採点を待つのみ。
採点が発表されるまでの間が、会場にもっとも緊張感が訪れる時だ。この緊張が破られるとき、それは今年度の大会のチャンピオンが決まる瞬間だ。
『採点結果、出ました!』
司会の男が宣言する。
シンと静寂に包まれる会場。果たして栄光はどちらの手に渡るのか。
『まずは早垣選手のスコアの発表です!』
その場にいた全員がスクリーンに注目する。
『出ました! 24563点! 日本新記録です!』
会場が揺れる。かつて早垣自身が持ち、そして紗遊に破られた日本記録は、再び彼の手に戻ってきた。
早垣は「どうだ!」と言いたげな表情で紗遊の顔を見る。しかし、紗遊は動じない。
まるで、早垣の日本記録など眼中に無いかのように。
『それでは、次に紗遊選手の発表です!』
再び、全員の注目がスクリーンに集まる。
普通は、日本新記録を出した早垣に勝ち目など無い。しかし何故だろうか、心なしか早垣の方が表情に余裕が無い。
紗遊があまりにも自然体だからか、はたまた――去年、自らの持つ日本記録を抜かされた記憶を思い出してしまっているからか。
去年、彼は自己ベストには惜しくも二点届かなかったが、それでも最高のパフォーマンスをした。なのに紗遊に負けた。その経験は彼を強くしたが、同時に恐れも生んでいた。
目の前にいる男は――危険だ、と。
『出ました!』
そして、スクリーンにスコアが表示される。
並んでいる数字は――24564点。
『な、な、な……に、日本新記録です! 日本新記録が出ました! 脅威です! なんと、一夜にして――いや、一瞬にして日本記録が更新されるとは!』
静寂。会場を静寂が支配する。
後年、早垣はこのときのことをこう振り返っている。
『一流の技を見たとき、人は歓声を上げる。しかし、超一流の技を見たとき、人は歓声を上げる前に、一度静まる。この言葉を強く実感しましたね』
一体、どれほどの時間静まりかえっていただろうか。3分だろうか、いや、それとも1時間? 実際には5秒にも満たなかっただろう。
会場は先ほど以上の大歓声を上げ、熱気が支配する。
『24563点対24564点! 以上をもちまして、今年度のチャンピオンは……紗遊ゥゥゥゥゥゥ!!! 司才ノ助ェェェェェェ!!!』
割れんばかりの歓声。それに紗遊は手を挙げて答える。
『『『さ・ゆ・う! さ・ゆ・う!』』』
「やれやれ、俺の日本新記録が抜かれるとは……流石にヒヤッとしたぞ」
「そうは見えませんでしたが……来年はこうも行きませんよ、紗遊くん」
「フン、返り討ちにしてくれる。それに――」
2人は、自らの出した記録を見る。
24563点と、24564点。
これは、世界ランキングにおいて、十位、九位の点数だ。
「俺は、来年から世界に挑戦する。お前はどうする、早垣」
「君を倒してから、と思っていましたが……そうですね、世界の場で君を倒すのも悪くないかも知れません」
そう言って、二人はガッチリと握手をする。
お互いの顔に笑みを携えて。
――これは、数年後世界に名を轟かせる速記バトラー達の物語。
早垣と紗遊は、これから何度も戦い、そして自らを磨き上げていく。
人々は、畏敬を持って彼らをこう呼んだ。
『光を超えし者』リョーヘイ・ハヤガキ。
『トワイスアクセラレーター』ジザイノスケ・サユウ。
しかし、今は誰もそんなことは知らない。
『会場の皆様! 激闘を繰り広げた彼らにいまいちど拍手をお願い致します!』
だからこそ、彼らは歩み続ける。
まだ見ぬ頂――速記バトルの頂点へと。
速記バトルの頂へ 逢神天景 @wanpanman
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