骨を集める女は無垢な魂の夢を見るか?

諸根いつみ

第1話

 いくつかの骨のかけらが、母の形見だった。唯一手元に残った、故郷から持ち出した品でもある。

 僕の故郷は山間の村だった。村人のほぼ全員が農作業をして暮らしていた。子供も、鋤や鍬を持てるようになると、仕事を手伝わされた。

 その子供たちの中で、さらに特別な仕事を任される者がいた。僕と、アズベルという女の子がそうだった。おそらく、アズベルと僕が、比較的従順な子供だったからだろう。

 村の外れにある、今にも崩れそうな掘立小屋に、一人の女が住んでいた。僕たちの仕事は、週に一度、彼女に油を届けることだった。

 金髪碧眼のほっそりした若い女で、僕たちが訪ねると、いつもにこにこと笑って出迎えてくれた。しかし、ほかの家へ訪ねた時のように、白湯やふかし芋を出してくれたり、火に当たっていきなと言ってくれたりすることはなかった。小屋には、火を起こす場所もなければ、家具もなかった。食べるものも一切ないように見えた。彼女は、僕たちの前で、缶に入った油を飲み干した。

 幼い僕にとっては、彼女の言うことは謎だらけだった。油が好きなのかと尋ねると、好きとか嫌いとかではなく、体を滑らかに動かすために必要なのだと答え、ほかにはなにか食べないのかと尋ねると、

「わたしは光を食べるの」

 と、笑顔で答えた。

「名前はなんていうの?」

「名前はないの」

「つけてもらえなかったの?」

「そう」

「そんな薄い服で寒くない?」

「わたしは大丈夫なの」

「どうしてみんなのところに来ないの?」

「その必要がないから」

「友達はいる?」

「いないと思う」

 好奇心から彼女を質問攻めにする僕と答える彼女を、アズベルは黙って見ているだけだった。

「僕と友達になってくれる?」

「それはもちろん」

 彼女がそう答えた日、帰り道でアズベルは言った。

「友達になるなんてだめよ」

 僕は、いつも大人しいアズベルが、突然意地悪なことを言い出したので驚いた。

 わけを訊くと、アズベルは真剣な顔で言った。

「パパが、あの人は危ない人なんだって言ってた。子供のことは襲わないけど、大人が近づいちゃいけないんだって」

「襲うって?」

「殺すってこと」

 誰も聞いているはずがないのに、大げさに声を潜めるアズベルがおかしくて、僕は笑った。アズベルはむきになったように続けた。

「それに、あの人はひとの心が読めるんだって」

 僕はますます笑って、アズベルを怒らせてしまった。アズベルの頬がビクビクと痙攣していたのを覚えている。

 家に帰ると、僕はいつも、今日はなにがあったか、どんな話をしたかを母に話した。その日課が、僕の記憶力を向上させたのかもしれない。

 痛々しい生傷の絶えない顔で、母は微笑んで僕の話を聞いてくれた。母は、怒りという病を抱えた父に毎日のように殴られていた。母も僕も、父から逃れるすべを知らなかった。

 掘っ立て小屋の女の話も、母は同じように聞いてくれた。そして、いつも決まったことを言った。

「すぐに時は流れるし、あなたも大人になる。役目はもうすぐ終わるからね」

「大人になったら、あそこへ行っちゃいけないの?」

 母はうなずいた。

「あの人には、邪悪な魂が見えるのよ。大人の魂は邪悪だから、大人はあの人に近づいてはいけないということになってるの」

「お母さんの魂も邪悪なの?」

 僕にはそうは思えなくて、しがみつくようにして尋ねた。

「そうよ。でも、罰せられるほどじゃない。良い魂になりたいと願っている魂でもある。あなたは、大人になっても、きっと良い魂になるわ」

 母に頭を撫でられて、僕はとりあえず安心したのを覚えている。

 アズベルを怒らせてしまった次の週、掘っ立て小屋に行くと、床に袋が二つ置いてあった。

「塩を持ってきたよ。みんなに持って行ってあげてね」

 金髪の女は、アズベルと僕に袋を示した。

 数カ月に一度ほど、彼女はこうやって塩を僕たちに持たせた。村の外から調達してくるようだったが、僕には、村の外の世界は想像することもできなかった。彼女に村の外のことを尋ねると、彼女は淡々と言った。

「どこも同じよ」

「いつか外へ出てみたいなあ。大人になったらってことだけど」

 わくわくと言う僕をアズベルが苦い顔で見ていることに気づき、僕は思い出した。

「そうだ!あなたは、ひとの心が読めるんでしょ?」

「人間の脳活動を読み取れるの」

 理解できなくても、僕は気にしなかった。

「僕が思い浮かべたものを当ててみて」

「やめなよ、ユーキ。そんなことしてもつまんない」

 アズベルがこわがっているのは明らかだった。

「別にいいだろ。ほら、当ててみて」

 彼女は、僕をただ見た。

「子犬ね。お友達のリョウくんが飼っている犬のことを思い浮かべています」

「わあ、当たった!」

 僕は素直に喜んだ。

「お母さんがお父さんに殴られていますね。毎日繰り返されている?」

 彼女が続けた言葉に、僕は首を振った。

「そんなこと思い浮かべてないよ。嘘つかないで」

 僕は、わけもわからず腹を立てた。

「嘘つきは嫌いだよ」

「ごめんね。傷つけるつもりはなかったの。許してくれる?」

 僕は少し考えた。

「友達だから、許してあげる。でも、許してあげたお礼に、なにかしてくれなくちゃいやだよ」

「たとえば?」

「もし僕だったら、大切にしているものをあげる。集めた木の実とか」

 彼女があまりに優しいので、僕は意地悪をしたくなってしまったのだと思う。本当はなにもほしくなかったのだけれど、彼女の反応を見てみたかった。

「わかった。わたしが集めているものをユーキにあげる」

 彼女は、床の板を外すと、下からなにかを次々と取り出しはじめた。

「全部ユーキにあげます」

 それは、床に置かれるたびにコトンと音を立てた。羽と脚をぴんと伸ばした、奇妙な昆虫のように見えた。しかし、昆虫にしては大きすぎ、硬すぎ、色が茶色で変だった。

 なにこれ、と尋ねると、彼女は答えた。

「蝶形骨。人間の骨よ」

 僕は、悪い冗談だと解釈した。

「こんなのいらないよ。じゃあ、つまんないし、もう帰ろう」

 僕とアズベルは、貴重な塩を村長の家へ持って行った。村長は、甘い団子を出して労ってくれたが、表情は暗かった。昨日、村の女の子が森に連れ込まれ、何者かにいたずらされたのだという。村長は、きみたちも絶対に一人では出歩かないように、と釘を刺した。

 そして、明日、再び二人で小屋へ行き、彼女に渡してほしい、と言って、僕に手紙を渡した。僕とアズベルは、言いつけを守った。

 手紙を渡した日の真夜中、いつものように父が怒鳴る声がして、僕は目覚めた。ベッドの上に起き上がり、ドアの外の音にただ耳を傾けた。

 しばらくすると静かになったが、すっかり目が冴えてしまった僕は、ぼんやりと窓の外を眺めた。僕の部屋からは、村のメインストリートが見え、月明かりが土の地面を照らしていた。

 その道を向こうからやってくる人影が見えた。肩にかかる金髪が冷たく輝いているようだった。小屋以外で彼女の姿を見るのは初めてだった。おそらく、出かけて戻ってくる途中だったのだろう。

 僕は、彼女が前を通る時、窓をたたいて、手を振った。

 彼女は僕に気づくと、いつもの笑顔で手を振り返してきた。その手は黒く濡れているようだった。

 彼女のもう片方の手には、羽を広げた形の、てらてらと光るなにかが握られていた。それは、彼女が見せてくれた蝶形骨に似ているように見えた。

 翌日、ある男が死体で見つかったという噂を聞いた。

 時は流れ、僕は徐々に彼女に対する考えを固めていった。彼女は人々から恐れられていて、人の骨らしきものを集めている。彼女を夜の道で見かけた日以降、誰かが襲われることはなくなった。僕は、彼女は悪さをする人を狩る特別な存在なのだと結論づけた。貴重な塩を持ってきてくれる、村の守り人なのだと。

 ある日、いつものように彼女の小屋へ行った帰り道、アズベルが口を開いた。

「わたし、もうこの役目を引退しようと思うの」

 僕は、アズベルがこの仕事を好きではないのではないかと思っていたので、驚かなかった。

「そう。僕一人で油も塩も持てるから、大丈夫だよ」

「ユーキも、そろそろ引退する時期よ。ユーキのパパからなにか言われてない?」

 僕の父は、相変わらずだった。父が僕に関心を持つはずがなかった。

 なにも言われていないと答えると、アズベルは少し戸惑ったようだった。

「まあ、そのうち言われると思うけど。もうわたしたちは大人になりかけてるんだから、次の子に役目を引き継がないと」

「アズベルはあの人のことがこわいんだな。大人になったらあの人に殺されるって思ってるの?」

「大人は近づいちゃいけないって言われてるし」

「あの人は、悪い人間だけを殺すんだよ。ひとの心が読めるから、悪い人間を見分けられるんだ」

「でも、人殺しであることに変わりはないわ。ユーキやわたしが殺されるとは思わないけど、子供が油を届けるという決まりは、守るべきよ」

「そんなの、誰かが勝手に決めたことじゃないか。みんな、あの人がこわいから、子供に押しつけてるだけなんだ」

「ユーキはあの人のことが好きなの?」

 汚いものでも見るような目をするアズベルの言葉を、僕は無理に笑顔をつくって否定した。

「じゃあ、なんで行きたがるのよ。やっぱり好きなんでしょ」

 アズベルは言葉を重ねたが、僕が否定し続けると、機嫌を損ねて、頬を痙攣させた。アズベルは、思い通りにいかないことがあると、すぐに鬼のような形相になった。

 僕はまったく役目を終えるつもりなどなかったのだが、それからしばらくすると、村長の命で強制的に、僕たちより年下の子が小屋へ通うようにされてしまった。僕は小屋へ行かなくなり、彼女と会うこともなくなった。

 僕は農作業に加えて、遺跡の発掘作業にも加わるようになった。村の外れの崖からは、時々、前時代のものが発見された。わけのわからない金属類や人骨が主だが、加工して、農具の修繕や装飾品などに使った。

 気がつくと、もう僕は子供ではなくなっていた。

 ある夜、今までにないほど、父が怒り狂っていた。連日、雨が続いていて、その晩も強い雨が降っていたのを覚えている。父も母も、まだ若く、母は美しさを保っていた。

「ほかの男の家へ通ってるんだろ?俺が知らないとでも思ったか?」

 父は怒鳴った。

「なんのことですか?」

 椅子に座った母は静かに言った。僕は、母が近所の若い男と恋仲になっているのを知っていた。見て見ぬふりをして、父にバレないことだけを祈っていた。

「睦ましげに話してただろ!男の家から出てくるお前を見たってハウゼンも言ってたぞ。とぼけるなよ、このあばずれ!」

 殴りかかろうとする父と、身をすくませる母の間に割り込み、僕は父を押し返した。

「母さんを殴るな!」

 何回も言ったセリフだった。

「地獄に落ちろ!クソ親父!」

 これと同じようなことを、何度言ったかわからない。

 僕は、父に思いきり殴られ、床に転がった。僕は立ち上がり、反撃した。

 父と僕はもみ合い、父が僕の上に馬乗りになって殴り始めた。僕はどうしても父に勝つことができなかった。後にも先にも、あれほど殴られたことはない。

「白状しろ!息子を殺しちまうぞ!」

 父は、僕を殴りながら母へ怒鳴った。父にとっては、僕はどうでもよかったのだと思う。

 突然、父の動きがとまった。

「ふざけんなクソアマ」

 震える声で振り向いた父の胸に、母の持った包丁が突き刺さった。

 あんなに大きくてしぶとく見えた父が息絶えるのは、あっという間だった。背中と胸から血を流し、父は死んだ。

 涙で顔をぐちゃぐちゃにして取り乱す母をなだめ、僕は床を綺麗にし、土砂降りの中、父を裏庭に埋めた。その時の感情はよく覚えていない。

 翌朝、起きてきた母は、完全な無表情で、ちょっと出かけてくる、と言って小雨の降る外へ出て行った。

 夜になっても、母は帰ってこなかった。僕は心配して、不倫相手の男の家へ行こうかとすら考えたのだが、決心がつかず、眠れぬまま夜を過ごした。

 夜が明け、どんよりとした灰色の空の下、雨上がりの土のにおいが立ち上っていた。

 母は、顔が爆発したような状態で発見された。騒ぐ村の人々と、制止を無理やり振り切り、遺体にかけられた布をはぎ取って目に飛び込んできた惨状が、やけにはっきりとした夢のように目に焼きついている。母の顔は跡形もなかったが、いつもの作業服、豊かな黒髪、荒れていても美しいと思えた手は、間違いなく母のものだった。

 母の不倫相手――確か、ヒューという名前だった――が、涙を流していた。

「彼女がなにをしたっていうんだ。俺はあいつを許さない!」

 彼は涙をふくと、立ち上がった。ずんずんと道を歩き始め、多くの人々もそれに続いた。気がつくと、僕もついていっていた。

 彼は、掘っ立て小屋の扉を乱暴に開け放った。中には、金髪の女がいた。

 数年ぶりに見た彼女は、ちっとも変っていなかった。身に着けた薄い粗末なワンピースも、陶器のような肌も、記憶にあるそのままだった。

 彼女は、骨を布で拭いているところだった。蝶形骨は赤黒くまだらで、布は汚れていた。

「なぜリサを殺したんだ!」

 ヒューは彼女の前で叫んだ。

「リサさんは、彼女の夫を殺しました」

 彼女は無表情でヒューを見上げて答えた。見た目は変わらなくても、子供の頃に接していた彼女とは口調がまるで違っていた。

 村長がヒューの横に進み出た。

「しかし、あなたは誰かの依頼があった時のみ、犯人探しをして、断罪をすることになっています。誰がリサの断罪を頼んだりしたのです?」

「はっきり言って、ジョージは殺されても仕方のない野郎だった」

 父の名前を口にしたのは、殴られたように顔を腫らしたハウゼンだ。ほかの者も口々に言った。

「あいつが殺されたなんて、誰も知らなかっただろ」

「リサを殺すなんて。あんなに良い人だったのに」

「ユーキが断罪を頼むはずもないし」

「こいつは、俺たちのひいじいさんたちが土から掘り出してやったっていうのに、俺たちの仲間を殺したんだ」

「恩知らず!裏切り者!」

「罰を望んだのは、リサさん自身です」

 彼女は声を張り上げた。

「夫を殺したので、罰してほしいとおっしゃったのです」

「それで、あんな残忍な方法で……」

 ヒューは声を震わせた。

「死因は窒息死です。首を絞めて殺害したあと、蝶形骨を取るように指示したのは、あなた方人間です。確実にわたしが殺したという証拠になりますから」

「そんなの知るか!百年も前の誰かの指示だろ!お前は、僕の大切な……僕たちの大切な仲間を殺したんだ」

「そうだそうだ」

「こんなやついらない」

「やっちまえ」

 今にもみんなが彼女をリンチしそうな空気になった時、鋭い声がほかの声を切り裂いた。

「みんなやめて!その人がいなくなったら、誰が険しい山を越えて塩を持ってくるの?犯罪があった時に、誰が守ってくれるの?」

 そう言ったのは、アズベルだった。

「それに、その人は、昔のこの村の人たちが見つけた、貴重な前時代の史料でもあるのよ」

 みんな、アズベルの言っている意味がよくわからないようだった。それは僕も同じだった。

「その人は、素手で人間の頭部の骨の一部を取り出すような怪物よ。闘っても勝てるわけないし、みんな帰りましょう。ユーキのママを埋葬してあげないと」

 そう言われて、みんなは母をほったらかしていることを思い出し、道を引き返し始めた。ヒューも、うなだれてあとに続いた。

 僕は、彼女の美しい水色の目と目を合わせてから、最後にそこを立ち去った。

 もちろん僕は、それで終わらせるつもりなどなかった。

 母の埋葬に立ち会ったあと、僕は鍬を持って小屋へ向かった。

 その途中で、僕を呼びとめる声がした。アズベルだった。

「どこに行くの?」

 尋ねられて、小屋へ行くと答えた。ただ話をしに行くだけだと。

「話をするのに鍬はいらないでしょ。やめて。つらいのはわかるけど、あの人にはかかわらないほうがいいよ」

 僕はアズベルを無視して進んだが、彼女は追いすがってきた。

「わたし、いろいろな人から話を聞いて学んだの。あの人は人間じゃない。何百年も前の地層から掘り出されたものなの。あなたがどうこうできるわけもないし、理解もできない存在なの」

「きみはそうやってずっと勉強してればいいんだ。僕はやりたいようにやる」

 アズベルの気配は、背後に遠ざかっていった。

 小屋の扉を開けると、彼女が正座していた。かたわらには、綺麗になった骨が置かれていた。

「僕は騙されないよ。母さんが僕を置いて死ぬはずがない」

 彼女はじっと僕を見て黙っていた。

「なんか言えよ!」

「きちんと質問してください」

「本当に母さんが自分を殺すようにあんたに頼んだのか?」

「ええ」

「嘘だ!」

「言い忘れていたことを言わせてください。村長さんのおっしゃったことは、間違っています。わたしは、誰かから依頼があった時と、殺人があった時に、断罪をします。ここ何十年も、この村では殺人が起こらなかったので、みんな忘れてしまったのですね」

「貴様……」

「しかし、わたしは半径十メートル以内でないと、人間の脳活動を読み取れません。リサさんがわたしのもとに来たので、リサさんが殺人を犯したとわかったのです。リサさんは、罪の意識に耐えきれなくてわたしのもとに来たとおっしゃいました。リサさんは、あなたのことも話していました。あなたに対しての親としての役目は終わったと」

「そんな」

「本当です」

 僕の心は冷たい炎のように感じられた。体の震えがとまらなかった。

 僕は鍬を振りかぶり、彼女に襲いかかった。彼女は必要最低限の動きで身をかわした。

「お前さえいなければ……お前さえいなければ!」

 多分、僕はそう喚き散らしていたと思う。

「わたしは九十八年前、この村を守るように、みんなの役に立つように人々に言いつけられました。わたしは自分の役目を果たしただけです」

「人殺し!」

 僕は、かすりもしないもう鍬を力いっぱい振った。骨につまずき、硬い音がして足に痛みが走った。

 彼女が動きをとめた。

「しかし、あなたがわたしに不満を抱き、わたしの外装を壊すことで少しでも気が晴れるなら、わたしは自己防衛欲求を制限します」

 僕の鍬が、彼女の額に刺さった。

 僕は、馬乗りになって彼女をめった刺しにした。彼女の肌の表面は柔らかく温かかったが、鍬が深く入ると、硬いものとぶつかって火花が散った。白い肌が剥げて、銀色の内部が見えた。その時やっと、僕は彼女が人間ではないということを真に理解した。

「反撃しろよ!」

 僕は思わずそう言った。無抵抗な彼女に、どうしようもなく腹が立った。

「あなたはわたしを壊すことを楽しんでいるじゃないですか。そして、わたしに殺されたがってもいる。欲望と絶望を膨らませた混沌の魂が見えます」

「僕の心を勝手に見るな!」

 カッと鍬の先が食い込み、彼女の右目を割った。

「恥ずかしがることはありません。大人の魂はみんな同じです」

「……どうして子供の頃は優しかったの?」

「子供は大切にするようにと教えられましたから」

 所詮、そのような理由しかなかったのだ。ただ決まりに従うだけの人形。

 僕は力を込めて割れた眼球から鍬を抜き、大きく振りかぶった。

 その時、右肩に鋭い痛みが走った。

 振り返ると、鍬を持ったアズベルがいた。刃先には、僕の血がついていた。

「アズベル……!」

 僕はなにが起きたのかわからなかった。

「壊しちゃだめ。その人はこの村に必要なのよ」

 アズベルの昏い目には、迷いはなかった。

「なにすんだよ!痛いだろ!」

 僕はパニックになり、血のあふれる肩を押さえて泣きそうになった。

 人形ががばと起き上がり、僕の肩に手をかざした。

 彼女の指先から、ジジジという音とともに、レーザーのようなものが出て、僕の傷口を焼いた。

 僕は驚いて彼女を押しのけたが、彼女は剥がれた顔で冷静に言った。

「応急措置です」

 しかし、次の瞬間、彼女は突然力が抜けたように倒れ、ゴンと頭を床に打ちつけた。

「壊れた!壊れた!」

 アズベルが狂ったように叫んだ。

「あなたのせいよ、ユーキ。彼女が生きて動いていれば、いつか外から学者を呼んで調べてもらうこともできたのに。こんなど田舎の村も、注目されて豊かになったかもしれないのに!」

 アズベルは鍬を持った腕を僕に向かって伸ばした。

「自分勝手なマザコン」

 アズベルが振り下ろした鍬が、とっさに上げた僕の腕に突き刺さった。僕は悲鳴を上げた。

「あんたなんか死ねばいいのよ。どうせいつかあんたの父親みたいになるんだから。父親と似てるんだから」

 アズベルの鍬が、肩や腕にぐさぐさと刺さった。僕はわけがわからず、身を丸めることしかできなかった。

 その時、アズベルの体が吹き飛び、背を壁に打ちつけて倒れた。どうやったのか、鍬が粉々になって床に散った。

 人形の女が立ち上がっていた。彼女は僕に向かってひざまずくと、再び指先からレーザーのようなものを出して、僕の傷口を焼き始めた。

 僕が痛みに泣き叫ぶと、「動かないで!」と有無を言わせぬ力強い声で言い、作業を続けた。

 彼女は、すべての傷の応急措置を終えると、ゆっくりと床に横たわった。

「充電が切れます。どうか、わたしを日光の下へ……」

 そう言って、彼女は動かなくなった。

 その時の僕には、彼女の言葉の意味がわからなかった。

 アズベルがよろけながら立ち上がった。

「わたしが殺さなくても、あんたは誰かに殺されるよ。村の守護者を殺したんだから」

 薄れる痛みを意識しながら、僕はアズベルを睨んだ。完全に狂っていると思った。

「彼女を埋めて、どこかへ行ったということにしましょう。あんたも自分が可愛ければ、黙ってることね」

 アズベルは扉を開け、「家からシャベルを取ってくるわ」と言って出て行った。

 目を落とした僕は、母の骨が粉々に砕けていることに気づいた。僕は骨をかき集めた。母の優しかった目の奥の骨を。

 その時僕は、村を出ることを決意した。もし、なにも起こらなかったとしても、いつか同じことを決めたかもしれない。しかし、僕の決断はその時だった。父と母の思い出もなく、頭のおかしい幼なじみとも離れた、僕を知っている人が誰もいない場所で、別の自分になろうと。

 僕は、不気味な顔をさらした彼女を一瞥し、骨を持って小屋を出た。

 故郷の村がどうなったかは知らない。充電が切れた彼女が埋められ、土の中で眠っているのか、それとも今も動いているのかもわからない。あれから、彼女と同じ種類の者に出会ったことはない。しかし、密かに探している自分がいることに、時々気づく。前時代から長い時を経て、さまざまなものを捨て去った人間の中に、人間でない人間のようなものが混じってはいないかと。

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骨を集める女は無垢な魂の夢を見るか? 諸根いつみ @morone77

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