第一話(ⅱ)

 街中、石畳の道の上をアルバンは大きな木箱を担いで黙々と歩いていた。彼の人生

はつい先刻、不本意な形で大きな転換を強いられた。そのことに関して、彼の胸中は

憤怒と悔恨の念が渦巻き、人目も憚らず大声で喚き散らしてしまいそうだった。

 この事態を回避する機会はあった。ルー・ガルーが捕らえられている地下に入る前、アルバンは確かに嫌な予感を感じていた。あそこで逃げていれば――ルー・ガルーという秘密を知る前なら、少なくとも教会に命を狙われるようなことにはならなかったはずだ。回避できていたかもしれないと思えば思うほど、アルバンの後悔は大きくなり、さらに遡って自分の行動を悔いた。うまい話につられてこの街に来てしまったことを悔い、遂には傭兵になるために田舎を出たことまで後悔していた。

「ハアァ………こんなことになるくらいなら、田舎で大人しく猟師を続けていればよ

かった」

 アルバンは足を止め、大きなため息と共にそう呟いた。

 ずっと考え事をしながら歩いていたアルバンは、そこで初めて自分の周囲のある状

況に気付いた。すれ違う人々が彼のことをチラチラと見ているのだ。アルバンは最初、田舎者丸出しな自分が大きな木箱を担いでいる姿が都会の人間には奇異に映るのだろうと思った。しかし、すぐに先程ロロに押し付けられた自分の同行者の存在を思い出した。

 アルバンが後ろを振り返ると、その同行者であるホムンクルスの少女が彼のはるか

後方を焦って追いつこうとするでもなくゆっくりと歩いていた。周囲の人々からすれ

ばアルバンは人攫いには見えないにしても、娘を蔑ろにする非道い父親に見えていた

に違いなかった。

 アルバンはその場で少女が追いつくまで待ってやった。やがて、少女はアルバンに

追いつくと、彼を見上げ、じっと見据えた。

「悪い……考え事をしていて……歩くのが速かったな」

 アルバンは少女に謝罪すると、今度は意識的にゆっくりと歩き始めた。

 しかし、歩き始めてしばらくすると、アルバンと少女の距離はどんどん開いていっ

た。大柄なアルバンと小さな少女とでは歩幅が違いすぎるのだ。それにアルバンはこ

んな小さな子どもを連れて歩いた経験がなかった。

 アルバンはまた立ち止まり、少女が追いつくのを待った。少女は再びアルバンに追

いつくと、先程と同様に彼を見上げ、じっと見据えた。どうやら、これがこの少女の

次の行動を待つ基本動作らしかった。

「……出来れば、もう少し速く歩いてくれ」

 アルバンは頭をガリガリと掻きながら、つっけんどんにそう頼んだ。彼は少女が焦

る素振りも見せず、一定の速さ――それもかなりゆっくり歩くのに少し苛立っていた。少女はアルバンの指示に対しコクリと小さく頷いた。

 アルバンは今度は肩越しに後方に視線を向けながら歩き始めた。少女はアルバンの

すぐ後ろを精一杯歩幅を広げ、早歩きでついて来た。

 しかし、アルバンがその姿を見て、「やればできるじゃないか」と思ったのも束の

間、少女は石畳の隙間に足を取られてバターンと派手に転んでしまった。周囲の冷た

い視線がアルバンに一斉に突き刺さる。

 アルバンは慌てて、モゾモゾと立ち上がろうとしていた少女を抱き上げその場に立

たせると、服についた汚れを払ってやった。少女は転けた際に顔を打ったらしく、鼻

とおでこが赤くなっていた。

 アルバンは事ここに至って、ロロが「扱いに慣れろ」と言った意味を理解した。少

女の身体能力は普通の子どもよりも低い――つまり、ドン臭いのだ。これからこの少

女を連れて旅をすることを考えると、アルバンはひどく気が滅入った。

「オレが悪かった。普通に……ゆっくり歩いてくれ」

 将来の苦労に思いを馳せ、疲れたようにアルバンがそう言うと、少女はコクリと頷

いた。アルバンはそれを見届けると、今度はかなり気をつけて少女の歩く速さに合わ

せてゆっくりと歩き始めた。

「ハアァ…………」

 何かの苦行のような歩行速度にアルバンはため息を付いた。背負った木箱の肩紐が

先程までよりも強く肩に食い込むのをアルバンは確かに感じていた。


 ロロが用意した宿にやっとの思いで到着したアルバンは、二階の自分たちの部屋に

入るなり、背負っていた木箱を床に置くと、自分はベッドに倒れ込んだ。

「…………疲れた」

 自然とその言葉がアルバンの口からこぼれ落ちた。

 ロロによる面接、ルー・ガルーの存在、教会の秘密、新しい仕事、ホムンクルスの

少女――その日アルバンの身に降り掛かったすべてのことが、かつて感じたことのな

いほどの疲労感を彼に与え、その身体をベッドに深く沈み込ませていった。

 一切の思考を放棄して少しカビ臭いベッドに顔を埋めていたアルバンだったが、自

分のすぐ横からの視線に耐えきれず、面倒くさそうに顔を上げた。視線の主であるホ

ムンクルスの少女がベッドの隣で直立不動の体勢でアルバンをじっと見下ろしていた。

「……オマエも歩き疲れただろう? 座って休んだらどうだ」

 ベッドが置かれただけの簡素な部屋だったので、アルバンはベッドの端に身体を寄

せ、少女が座れるスペースをつくりながら、立ちっぱなしの少女にそう促した。しか

し、少女はその言葉に反応せず、直立不動を保ったままだった。

 なぜ少女が座ろうとしないのかわからないアルバンは少女を見上げたまま、その理

由を考えた。その為、二人が見つめ合ったまま、しばらくその状態が続いた。熟考の

末、アルバンは言い方を変えてみた。

「ここに座って休め」

 少女のために開けたスペースをポンポンと手で叩いて示しながら、アルバンは今度

はより明確に『指示』を出した。少女は頷くと、クルリと向きを変え、ベッドの端に

腰を下ろした。

 アルバンは少女の背中を見ながら、少女の性質について得心していた。つまり、こ

のホムンクルスの少女に行動を促すときにはわかりやすくはっきりとした指示をして

やる必要があるようだった。アルバンは猟師をしていた時に猟犬を飼っていたので、

その感覚に近いなと感じていた。

「確かに人間とは違う……か」

 アルバンはロロに言われたことを思い出しながら、そう呟いた。魂――感情や意志

がないから、指示が曖昧だと行動できないのだろうか、とアルバンは考えた。それに

関してさらに考察を巡らせようとしたが、すぐに頭を振って自らそれを制止した。ど

うせ、学のない自分にはわからないことだし、わかる必要もないことだと思ったから

だ。

 アルバンにとって重要なのは、指示を出せば少女がそれに従うということだけだっ

た。これから共に旅をするにあたって、少女の行動をうまく制御してやることは旅を

円滑に進めるためには必須の技術だ。そして、それはルー・ガルーを狩るときにも言

えることだった。

 少女に向かって「大人しくルー・ガルーに喰われろ」と指示を出すときが遠くない

将来にやってくる――少女の小さな背中を眺めながらアルバンはその瞬間のことを思

い浮かべた。

 アルバンはノソノソと身体を起こすとベッドから立ち上がり、ベッドに座っている

少女の背中をポンと叩いた。少女は一拍置いてアルバンをゆっくりと見上げた。

「飯食いにいくぞ……ついて来い」

 夕食にはまだ少し早い時間だったが、沈んだ気分を切り替えたかったのと、今日は

もう食事を済ませて早く眠ってしまいたかったので、アルバンは宿の一階にある食堂

に向かうことにした。

 アルバンはドアの前に立つと顔だけを向けて、少女がベッドから立ち上がりアルバ

ンの後ろに来るのを確認し、それからドアを開けた。


 アルバンと少女が食堂の席につきしばらくすると、二人の目の前に豚肉、ニンジン

とタマネギを煮込んだシチューと薄くスライスされたライ麦のパンが運ばれてきた。

アルバンは料理を運んできた店員に追加でワインを頼んだ。

 すぐに陶器のコップに注がれたワインがアルバンの元に運ばれてきた。アルバンは

赤黒い液体に映った自分の顔をしばらく眺めると、一口口に含み、しっかりと味を楽

しんでから、喉の奥に流していった。それは質の悪い安物のワインでアルコールも弱

かったが、それでもアルバンはゆっくりとワインを飲むのが久しぶりだったので十分

に満足感を得ていた。

「フー……うまいな」

 ワインを飲んで悦に浸っていたアルバンは少女が料理を目の前にしてピクリとも動

かないのに気づいて、「しまった」と思った。すぐに皿からパンを一切れ取り上げる

と少女に差し出した。

「ほら、オマエも食べろ」

 アルバンが差し出したパンは一切れとは言っても、元々大きな丸いパンをスライス

したものなので、少女の顔ほどの大きさがあった。少女はそれを両手で受け取るとそ

のままかじりついた。しかし、パンはライ麦製の堅いものだったため、少女の顎の力

では噛み切れず、結局少女は両手で持ったパンの端っこをガジガジと噛み続けること

になった。

「フフッ……オマエはリスか」

 アルバンは少女の姿に思わず頬を緩めたが、自分が笑ったことに気づくと真顔に戻

った。少女には感情移入すべきではないからだ。

「ちょっと貸してみろ」

 少女の手からパンを取り上げると、アルバンはそれを小さくちぎり、少女の口に放

り込んでやった。少女はしばらくモグモグと口を動かしてから飲み込んだ。

「こうやって少しずつちぎりながら食べろ……わかったな?」

 少女は頷くと、アルバンから再びパンを受け取り、今度は自分で小さくちぎり口に

運んだ。それからしばらく、少女がパンだけを食べ続けたので、アルバンはシチュー

の皿を少女の方へグイッと押した。

「シチューも飲め……飲み方わかるか?」

 アルバンはスプーンの使い方から説明することを覚悟していたが、少女はアルバン

の問いに頷きで返事をすると、テーブルの上に置かれたスプーンを手に取り、シチューを飲み始めた。少女は食事の仕方がわからないわけではなく、どうやら堅いライ麦のパンが初めてだっただけのようだ。

 アルバンは少女の食事する姿を見ながら、これからは堅い食べ物は避けた方がいい

な、と考えていた。そして、そんなことを自然と考える自分に対して、「これは狩り

までの間に必要なただの『世話』だ」と心の中で言い訳のように唱え、酔えない安物

のワインを飲み干した。


 食事を終えて部屋に帰ってきたときには、すっかり夜になっていた。少女の食べる

速さに合わせていたら、随分と長い食事になってしまった。アルバンは部屋の壁に掛

けられたランプに火を灯した。

 明かりをつけてすぐにアルバンは自分の左腕の袖の裾が引っ張られていることに気

づいた。驚いて振り返ると、少女の左手がアルバンの服の袖をギュッと掴んでいた。

「どっ、どうした? なんだ……腹でも痛いのか?」

 初めての少女からの自発的な行動にアルバンはひどく動揺した。しかし、少女は服

の袖を掴んでアルバンを見上げるだけで何も言わないので、アルバンには何をどうす

ればいいのか見当もつかなかった。

 しばらく、ただオロオロとしていたアルバンだったが、少女を観察するうちにその

右手がスカートの上から股の辺りを押さえていることに気づいた。

「……もしかして、トイレに行きたいのか?」

 少女はコクリと頷いた。

 アルバンは少女のその反応を見るなり、少女の身体を抱き上げた。少女の尿意がど

れほど差し迫ったものかはわからなかったが、少女がその訴えを起こしてからアルバ

ンが気づくまで、それなりの時間が経過していた。

「もう少し我慢しろよ! この状態で漏らさないでくれよ」

 少女に懇願しながら、アルバンは少女を抱きかかえたまま、宿の一階にあるトイレ

まで駆け下り、勢いそのままにトイレの中に飛び込んだ。アルバンは少女をトイレの

床に立たせると、その下半身に視線を向けた。

「……良かった……間に合ったみたいだな」

 そう言って安心したのも束の間、アルバンの脳裏に次の問題が浮かんだ。アルバン

は視線を少女の顔まで上げ、恐る恐る尋ねた。

「その……トイレは……一人で出来るんだよな?」

 少女がコクリと頷いた。

「よし! ごゆっくり」

 アルバンは急いでトイレから出てドアを締めた。そして、気が抜けたようにその場

にしゃがみ込んでしまった。

 しばらくすると、少女がドアを開けてトイレから出てきた。

「ちゃんと全部出してきたか?」

 しゃがみ込んだまのアルバンは女の子にするべきではないような質問を投げかけた

が、少女は頷いてそれに応えた。少女の表情が心なしかスッキリしているように見え

て、アルバンはまた「フフッ」と笑ってしまった。

 アルバンは両手で顔を覆い、「ダメだ、ダメだ」と心の中で繰り返し、平静を取り

戻した。

「部屋に戻るぞ」

 わざとぶっきらぼうに指示を出すと、アルバンは少女を連れて二階の部屋へ向かっ

た。アルバンは部屋に戻ったら今日はこのまま寝てしまおうと心に決めた。

 しかし、部屋に戻り、いざ寝るぞと思ったアルバンにさらなる問題が浮上した。こ

の部屋にはベッドが一つしかないのだ。最初からそうだったにも関わらず、アルバン

はこの時まで気にもかけていなかった。

「……あの野郎っ!」

 アルバンはこの部屋を手配したロロに対して怒りがこみ上げてきた。だが、ロロは

ホムンクルスの少女を人間扱いはしないのだから、ベッドを用意していないのも仕方

ないことと言えばそれまでだった。

 それに少女はアルバンが指示すれば床の上だろうと、なんの不平不満を言うことも

なく眠るだろう。それどころか、その指示もなければ、一晩中部屋の隅で立ち続けて

いるかもしれない。少女はそういう存在なのだ。

 それでも、アルバンにはそれを受け入れることは到底できなかった。自分がベッド

に寝て、少女が床に寝ている姿を想像するだけで、自分に腹が立った。そんな状態で

自分がグッスリ眠ることなど無理だと思った。だから、いま悩んでいるのは少女のた

めではなく、自分のためなのだと、アルバンは言い訳がましく自分に言い聞かせた。

 アルバンは解決策の一つとして、少女と一緒にベッドで寝ることを考えた。しかし、その解決策をアルバンはすぐに放棄した。今日、初めて出会った少女と同じベッドで眠ることもアルバンには不可能だった。親子ほど年が離れているにも関わらず、割り切って考えることが出来ないくらいに、田舎育ちのアルバンはいい年をして純朴だったのだ。

 そうなると、残された方法は一つしかなかった。アルバンはベッドの横に立つと掛

け布団をめくり、少女に視線を向けた。

「オマエがベッドで寝ろ」

 少女はベッドに近づくと、アルバンが掛け布団をどかした場所に横たわった。少女

は服を着たままだったが、もうそんなことは些細なことに思えたので、アルバンはそ

のまま少女に掛け布団を被せた。少女はその状態でもアルバンをじっと見ていた。

「もう目を閉じてお休み……」

 少女が目を閉じるのを確認したアルバンはランプの明かりを消すと、上着を脱いで

床に敷き、その上に寝転がった。

「……やっぱり床の上は硬えなぁ」

 久しぶりにベッドの上でゆっくりと眠れると思っていたアルバンは自嘲気味にそう

言うと、ギュッとまぶたを閉じて、無理矢理にでも寝てしまおうと努力した。


 翌日、アルバンはホムンクルスの少女を連れ、街から出て、北西部に広がる草原地

帯に来ていた。そこは開墾もされず、街道からも外れた場所で人気がまったくなかっ

た。アーバレストの練習のためにと、ロロから教えられていた場所だった。

「視界も開けてるし、弓の練習には悪くない場所だな」

 ベッドを二つ用意しない、気の利かない男が選んだにしてはいい場所だ、とアルバ

ンは思った。

 早速、アーバレストの試し打ちと行きたいところだったが、朝早くから行動を開始

したにも関わらず、少女の歩行速度のお陰で、もう太陽がかなり高い位置まで昇って

いた。仕方なくアルバンは先に昼食をとることにした。

 アルバンは荷物の中から、街で買っておいたパンと革袋に入ったバターミルクを取

り出し、少女に手渡した。そして、近場にあった手頃な大きさの石を指差した。

「ここに座って、それを食べろ」

 少女はアルバンの指示通り、石の上に腰を下ろしてパンを食べ始めた。昨晩、アル

バンが教えたようにパンは小さくちぎって食べている。アルバンも荷物から自分用の

パンと革袋に入ったワイン――昨晩飲んだものよりもさらに安価でアルコールの低い

ものを取り出した。少女が黙々とパンだけを食べ続けているので、アルバンは少女に

渡した革袋の栓を開けてやった。

「これはこうやって飲むんだ。口の中が乾いたら飲むんだぞ」

 アルバンは自分でワインを飲む姿を実際に見せながら、少女に指示を出した。少女

は膝の上にパンを置いて、アルバンの真似をして革袋の中のバターミルクを口にした。

 アルバンは少女の扱い方が昨日に比べて上達していることを実感した。この調子な

ら、例え長旅でもうまくやれるだろうと感じていた。あとは、狩りのときに最後の指

示を淀みなく伝えることが出来るかどうかの問題だとも思っていた。

「……まるでピクニックみたいだな」

 広い草原で昼食をとる自分たちの姿を客観的に見て、アルバンはやるせなさそうに

呟いた。そして、その言葉をかき消すように、口の中にパンを詰め込み、安いワイン

で一気に流し込んだ。

「オマエはまだ食べてていいぞ」

 チビチビとパンを食べ続けている少女に指示を出すと、アルバンはアーバレストが

収められた木箱の蓋を開けた。箱の中にはロロが書いたと思われる図解つきの説明書

と分解されたアーバレストの部品がぎっちりと詰まっていた。と言っても、強度を保

つためにそこまでバラバラに分解されているわけではないので、ロロの説明書を見な

くてもアルバンには簡単に組み立てられた。

 アルバンは組み立てたアーバレストをじっくりと観察した。一度見ているとは言え、実際に持ってみるとその姿は圧巻だった。弓の部分はアルバンが戦場で見たロングボウと変わらないほどの長さがあり、そこに張られた弦は太く頑丈でとても人間の力では引けないものだった。それだけで、ここから放たれる矢の威力が窺い知れた。

 ただ、その大きさと重さゆえ、持ち上げた状態で狙撃することは不可能な代物では

あった。何かの上に固定するか、腹這いの状態で使うのが最も効果的で、そのために、木箱の中には台座の先端に取り付けられる、高さの違うスタンドが数種類用意されていた。そして、腹這いのまま、ほぼ姿勢を変えずに第二射の準備ができるように、台座の側部に取り付けたハンドルを回し、歯車と歯竿で弦を引く方式が採用されていた。一撃必殺を謳いながらも二射目のことを考慮に入れてある設計にアルバンは好感をもった。

「じゃあ、試しに一発射ってみるか」

 アルバンはハンドルを回して弦を引き、槍のように太い矢を載せた。そして、まず

はその飛距離を見るために、あえて的を設けず、中空に向かって引き金を引いた。

 弦が「ビュンッ」と力強い唸りをあげ、太い矢を弾き出すと、その矢は風切りをそ

の場に残し、一瞬で遥か彼方に飛んでいってしまった。

「…………とんでもねえな」

 アルバンはその矢の軌跡を追って、呆れたように呟いた。曲射したわけでもないの

に矢は300フィート以上は飛んでしまったのだ。

 アルバンは一旦アーバレストを置き、荷物の中からウリを取り出した。仮想ルー・

ガルーの頭として、朝に街で買っておいたものだった。アルバンはそのウリを射撃場

所から200フィート以上離れた岩の上に置いて的にした。

 的を設定しての一射目は僅かに逸れた。しかし、アルバンはその結果に悔しがるこ

ともなく、冷静に的から矢がどれだけ外れたかを確認し、同修正すればいいのかを分

析した。200フィートも離れれば的はかなり小さくしか見えないが、アルバンはそ

れがはっきりと見えるほど視力が良かった。それは子どもの時分から父親の狩りに同

行し、その技術を教えられる過程で磨かれたものだが、アルバンが弓の名手である最

大の要因だった。

 一射目の結果を踏まえ、微調整を行った二射目でアルバンは見事に的のウリを見事

に射抜いた。ウリは矢が刺さった瞬間に衝撃でバラバラにはじけ飛んでしまった。

「わかっちゃいたが威力も凄えな!」

 アルバンはアーバレストの射ち出す矢の威力に素直に感嘆の声を漏らした。そして、とんでもない見た目と威力に反して、アーバレストの矢の軌道は癖のないものだったので、アルバンはその設計の確かさに感心した。

 的にしていたウリが粉々になってしまったので、アルバンは他に的になるものがな

いか周辺を見渡した。そうしながら次の矢を拾い上げようとして、アルバンは手を滑

らせその矢を落としてしまった。落ちた矢はコロコロと転がって、パンを食べ終えて

石の上でじっと座っていた少女の目の前で止まった。

「その矢を拾って、こっちに持ってきてくれ」

 アルバンの指示を受けた少女はその矢を重そうに持ち上げると、両手で抱えてアル

バンの元へ運んだ。

「ありがと――」

 少女から矢を受け取り、自然とその言葉を口にしたことで、アルバンはその言葉を

言い終える前に苦虫を噛み潰したような顔で口をつぐんだ。アルバンは自分が少女を

完全に人間扱いしていることを自覚してしまった。

 それからアルバンは黙々とアーバレストの試射を繰り返した。的の距離を変えたり、矢が受ける風の影響を見たり、とにかくその作業に没頭した。そのお陰で、アルバンはこの日だけでアーバレストの扱いをほぼ習得してしまった。

 あとは夜間の射撃を練習しておきたかったが、今日は夜に行動するための準備を一

切していなかったので、アルバンはそれは翌日に改めて行うことに決めた。

「おい、今日はもう帰るぞ」

 アルバンがアーバレストの練習に没頭する間、ずっと石の上で大人しくしていた少

女は、その言葉を待っていたかのようにすくっと立ち上がると、アルバンの直ぐ側ま

で歩み寄った。少女のその姿を見ながらアルバンは複雑な表情を浮かべた。

 アーバレストに対する不安がなくなる一方で、少女に対する不安――いや、アルバ

ン自身に対する不安は大きくなっていた。たった二日間でアルバンはホムンクルスの

少女のことを『エサ』や『道具』として認識することはできなくなっていた。つまり、狩りの成功のためにはアルバンが『非情になる』必要がある。自分にそれが出来るのか……アルバンにはまだそれがわからなかった。


 翌日、まだ朝のうちからアルバンはロロに呼び出されて、少女とともにロロの元を

訪れた。二人を迎えたロロの表情は浮かないものだった。

「アルバン……アーバレストの練習はちゃんと出来たかい?」

「あぁ、まだ昼間の射撃しか試せていないが、余程の突風でも吹かない限りは十中八

九、的ははずさないぜ」

 アルバンが事も無げにそう言うのを見て、ロロは少しだけ明るさを取り戻した。

「そうか……それは良かった。一日しかなかったから、どうかと思ったが……流石は

アルバンだ!」

「……おい、ちょっと待て。どういうことだ?」

 語気を強めて問い詰めるアルバンにロロは申し訳なさそうに、地図を広げて説明を

始めた。地図はこの街とその周辺を図解したものだった。

「実は昨夜、北の街道沿いのこの辺りで行商人が何者かに襲われ、殺害された。遺体

の状況から、犯人はルー・ガルーで間違いない。キミには今夜中にこのルー・ガルー

を駆除してもらいたい」

「今夜って……せめて、あと一日、夜間の射撃を練習してからじゃ駄目なのか?」

「いや、無理だ。この距離だと、今夜のうちに駆除できなければ街に入られる可能性

がある。それだけはなんとしても避けたい。街に入られればそれだけ目撃される可能

性が高くなるからね」

「被害者じゃなくて、目撃者の心配かよ……」

 アルバンはロロの言葉に呆れてそう呟いたが、ロロはそれを無視して説明を続けた。

「事は急を要するから、今回は現地まで馬車で送らせるよ。それから狙撃場所を選定

し夜に備えてくれ」

「…………わかった」

「大丈夫! キミの腕前ならきっと成功する」

 最初からアルバンに拒否権はなかった。渋々了承するアルバンを鼓舞するようにロ

ロは笑顔でそう言った。

「アルバン……わかっているとは思うけど、成功のカギは――」

「ルー・ガルーが『エサ』を喰うまで待つことだろ?」

 ロロの言葉を遮って、アルバンは吐き捨てるようにそう言った。アルバンの視線の

先にはホムンクルスの少女がいた。

「その通りだ! キミがそれを理解しているのなら、ボクはキミの成功を信じて疑わ

ないよ。幸運を……アルバン」


 アルバンとホムンクルスの少女は馬車に揺られて、昨夜ルー・ガルーが出現した現

場に向かった。その場所に着いたとき太陽はすでに傾き始めていたが、それでも徒歩

で来るよりは時間に余裕ができた。徒歩で来ていれば日が沈んでも到着していなかっ

ただろう。馬車の御者はアルバンに「幸運を」と言い残し、来た道を引き返した。

 アルバンはすぐに狙撃場所を探し始めた。街道の東側には森が広がっていたので、

アルバンは西側にその場所を求めた。

 街道を外れ、原っぱを歩き続けたアルバンはしばらくして、自分の希望に適う場所

を見つけた。開けた草原の中心に平べったい大きな岩が埋まっていたので、アルバン

は少女をその上に座らせておくことにした。その岩の周りには遮蔽物がなかったので、そこならルー・ガルーが現れて少女に近づこうとすれば、アルバンはその姿にすぐに気づけるようになっていた。

 アルバンは少女の位置を決めると、次に自分が身を潜める場所を探した。岩の上に

立ち上がり、辺りをぐるりと一周見渡した。そして、低木が数本かたまって生えてい

る場所を見つけると、少女を岩のところに残し、その場所の品定めに向かった。

 低木の陰で腹這いになり、岩の上の少女の姿を確認し、自分に狙撃可能な距離かを

考えた。200フィート以上の距離があったが、アルバンは問題ないと判断した。ア

ルバンはその場所でアーバレストを組み立て、実際の狙撃体勢も入念に確認した。

 自分の準備を済ませると、アルバンは再び少女の元に戻り、少女と同じ岩の上に腰

を下ろした。そして、日没までの時間をそのまま、ただ二人で並んで座って過ごした。

 やがて、太陽が完全に沈むと、アルバンはロロが用意したランプに火を灯した。そ

して、それを少女の左側――アルバンが身を潜める方に置いた。ランプの明かりで照

らされながら少女はアルバンを見つめていた。アルバンも少女のその姿をしばらく見

つめ返した。

「…………いいか、ここでこのまま……ずっと座っていろ…………何があっても動く

んじゃないぞ…………そして…………」

 アルバンは絞り出すように少女に最後の指示を出した。しかし、肝心の「ルー・ガ

ルーに喰われろ」という指示は、どうしても声に出せなかった。少女はなおもアルバ

ンを見つめていたが、アルバンはそれを振り払うように狙撃場所へと早足で向かった。

 アルバンは狙撃場所に移動すると、アーバレストのハンドルを回して弦を引き矢を

設置すると、少女の姿を的に見立てて狙撃の体勢を整えた。そして、アーバレストの

横に予備の矢を一本だけ用意して、すべての準備を終えた。

 そこからは、ただひたすら待ち続けた。いつルー・ガルーが現れてもいいように視

野を広く保ち、周囲への警戒を続けた。

 半月の光で青く照らされた草原はまるで影絵のようで、その中心でホムンクルスの

少女だけがランプのオレンジ色の光で浮かび上がって見えた。その光景が幻想的だっ

たのと、待つ時間が長すぎたのとで、アルバンはしばしば自分が現在置かれている状

況が現実なのか、はたまた夢の出来事なのかわからなくなってしまった。

 しかし、日没から待ち続けて、半月が夜空の天辺に登る頃、その時は遂に訪れた。

警戒を続けていたアルバンの視界の端で何かの影が動いた。それはアルバンから見て

左側、少女の位置からは正面に当たる場所だった。アルバンはその影を凝視した。

 影はゆっくりと慎重に少女の方に近づいていた。アルバンには黒い影しか見えてい

なかったが、それがルー・ガルーだと確かにわかった。その影の動きが、まさに獲物

を狙う肉食獣の動きそのものだったのと、それが二足歩行をしていたからだった。影

だけで判断しても、そのルー・ガルーは地下でロロに見せられたものよりも大きく、

逞しかった。

 ルー・ガルーは非常に警戒心が強かった。辺りの様子を伺いながら少しづつ、少し

づつホムンクルスの少女に近づいていた。もっと身体能力の高さに任せた行動を取る

と思っていたアルバンは焦らされた。そして、その焦らされた時間の長さがアルバン

にある考えを抱かせた。

 これだけゆっくりと近づくのなら、少女が喰われる前に狙撃できるのでは?

 アルバンはすぐにこの考えに囚われた。過信していたわけではないが、自分の腕な

らばそれが可能だとも考え始めた。なにより、アルバンは少女がルー・ガルーに喰わ

れる姿など見たくはなかったのだ。

 アルバンがそう考えている間にもルー・ガルーは少女との距離をジリジリと詰めて

いた。アルバンにその考えを振り払い、安全策を選ぶ時間は残されていなかった。

 ルー・ガルーが少女のすぐ目の前に立ち、ランプの明かりでその姿を顕にした瞬間、アルバンは決断し、ルー・ガルーの頭に狙いを定め、アーバレストの引き金を引いた。

ビュンッ!

 アーバレストの弦が矢を弾く音が静かな夜の草原に響き渡った。

 その音に反応したルー・ガルーは咄嗟に身を捩った。矢はルー・ガルーの身体に突

き刺さったが、それは頭ではなく右肩だった。

 それを確認したアルバンは血の気が引いた。しかし、狼狽えそうになる自分を御し

て、ルー・ガルーの次の行動を考えた。ルー・ガルーが野生の本能に従って行動する

なら、間違いなく逃げるはずだ。致命傷ではなかったが、重傷を負わせたのは確かな

のだ。だが、もし怒りに身を任せあの場で暴れ始めれば、少女が危険に晒される。そ

う考えた瞬間、アルバンは力の限り叫んだ。

「逃げろーっっ!!!」

 その指示を受けて少女がどう行動するか見届ける間もなく、アルバンはアーバレス

トのハンドルを回して、二射目の準備を始めた。少女が追われていれば、その矢で助

けてやるつもりだった。ただ、アルバンとしてはルー・ガルーがもう逃げていてくれ

ることだけを願っていた。

 矢を設置して二射目の準備を終えたアルバンが再び顔を上げた――

「グオオオオッッッ!」

 唸り声とともに怒り狂ったルー・ガルーがアルバンの目の前に迫っていた。重傷を

負いながらも、自分を攻撃してきた者を標的に据えるその闘争本能にアルバンは戦慄

した。

 右肩をアーバレストの太い矢で貫かれたまま、ルー・ガルーは左手を振り回してア

ルバンに襲いかかった。立ち上がろうとしていたアルバンはその攻撃をなんとかアー

バレストで受け止めたが、二本目の矢は吹き飛び、アルバンも凄まじい力で地面に叩

きつけられた。アルバンは苦痛に顔を歪め、死を覚悟し始めていた。

「グウウゥゥゥ」

 しかし、ルー・ガルーは一気呵成に攻撃を仕掛けてこず、右肩の痛みに唸り声を上

げた。アルバンはその隙きをついて、自分が身を潜めていた低木の間を這うように通

り抜け、ルー・ガルーとの距離をかろうじて取った。

 だが、ルー・ガルーはそれを物ともせず、低木の壁を突き破るようにアルバンに飛

びかかった。伸ばされた左手の鋭い爪がアルバンの顔面に振り下ろされた。

「ヒィッ……」

 アルバンは情けない声を上げ目をつぶったが、自分が受けるはずだった傷みを感じ

ることがなかったので、恐る恐る目を開けた。

「グルルゥゥ……ウヴゥゥ……」

 そこには唸り声を上げながら藻掻くルー・ガルーの姿があった。肩に突き刺さった

矢が低木の枝にガッチリと引っかかっていたのだ。

 その姿を見たアルバンは反射的に持っていたアーバレストをルー・ガルーの額めが

けて、力一杯振り下ろした。

「グオオオオッッッ」

 ルー・ガルーは雄叫びを上げてアルバンを威嚇したが、アルバンはそれを無視して、そこから何度も何度もアーバレストでルー・ガルーの頭を殴り続けた。すぐにアーバレストの弓の部分は砕け散り、ただの棍棒のようになったがそれも構わず、アルバンは力の限り殴り続けた。ルー・ガルーの額は割れ、アルバンが殴る度に血しぶきが舞い、それでも殴り続けると額から剥がれた肉片も飛び散った。

 それだけ殴ってもルー・ガルーはまだ生きていた。先に駄目になったのはアーバレ

ストだった。殴り続けた衝撃で真っ二つに割れ、武器としては使えなくなった。武器

をなくしたアルバンをルー・ガルーが殺意のこもった眼で睨みつけた。

 アルバンは背筋が冷たくなるのを感じた。これ以上の間をルー・ガルーに与えては

いけないと思った。ルー・ガルーが低木から解き放たれれば、殺されるのはアルバン

の方だった。

 アルバンは手頃な石が落ちていないか、足元を見渡した。しかし、暗さと焦りから

何も見つけられない。アルバンの心を焦燥感と絶望感が支配し始めていた。

「…………アルバン……」

 その時、アルバンは後ろから聞いたこともない声で自分の名前を呼ばれた。それは

とても小さく、鈴のなるような高い声だった。

 アルバンが振り返ると、そこにはホムンクルスの少女が立っていた。

「オマエ……なんでここに……」

 驚くアルバンに少女は両手で抱えた、アーバレストの矢を差し出した。それは、ア

ルバンがルー・ガルーに襲われた際になくした『二本目』だった。

 アルバンはそれを受け取ると、ルー・ガルーの殺意のこもった眼を狙って、投槍の

ような構えで力一杯突き刺した。そして、その勢いのままルー・ガルーが低木から解

放されるのも構わず、押し倒した。

「ギィヤァァァッ」

 叫び声を上げるルー・ガルーをそのまま押さえつけ、アルバンは矢に自分の全体重

をかけ、ルー・ガルーの脳味噌を潰すようにグイグイとそれを動かし続けた。ルー・

ガルーは地面に仰向けになったまま、矢の動きに合わせビクンッビクンッと身体を跳

ねさせていたが、遂には事切れて動かなくなった。

 アルバンはルー・ガルーが死んだのを確認すると、その場にへたり込んだ。

「ハァ……ハァ…………」

 すべての力を使い果たし、息も絶え絶えなアルバンの側にホムンクルスの少女が歩

み寄り、彼をいつものようにじっと見つめていた。アルバンは言いたいことは色々あ

ったが、今は声にならなかった。ただ、一言だけどうしても伝えたい言葉があった。

「……ありがとう…………オマエのおかげだ」

 アルバンが絞り出した言葉に、少女はコクリと頷いて応えた。


「アルバン……なんでホムンクルスが傷一つなくて、キミがボロボロになっているん

だい?」

 日付も変わり、時刻も正午を回った頃、ルー・ガルー狩りの成功報告に来たアルバ

ンを見て、ロロは開口一番そう言った。

「それは――」

「いや、いい……聞かなくてもキミが何をしたかなんてすぐにわかる。なんて馬鹿な

事をしたんだ。今、こうしてキミに説教できていることさえ奇跡だぞ」

「それは……まぁ……」

 アルバンもそれには同意せざるを得なかった。実際、何度も死にかけたのだから。

「ボクがキミに何度も忠告したのは、キミを否定したいからじゃない……キミに死ん

でほしくなかったからだ……それなのに」

「…………悪かったよ」

 ロロが本当に悲しそうな顔をするので、アルバンはそのことに関しては申し訳なく

思った。しかし、ホムンクルスの少女を生かしたまま連れ帰ったことには一切の後悔

はなかった。

 ロロはまだまだ言い足りなかったが、疲れ果てた様子で気のない返事を繰り返すア

ルバンの姿を見て、これ以上は意味が無いと悟った。

「ハァ……今日はもう何を言っても無駄だろう。今日はもう宿に帰ってゆっくりと休

むといいよ。ただ、この話は日を改めてキッチリさせてもらうからね!」

「あぁ……助かるよ」

 アルバンはロロの申し出に素直に感謝し、ロロの部屋から出ようとした。その後ろ

にピッタリとくっついてホムンクルスの少女が歩き始める。

「コイツはこのままオレが連れてっていいのか?」

「本当ならキミからソレを取り上げたって文句を言われる筋合いはないんだが……今

回は狩りの成功とキミが生きて帰ったことに免じて、キミが連れ帰ることに目をつむ

るよ。それに最初からそのつもりだったんだろう? ルー・ガルーに殴り勝つような

男に暴れられても困るからね」

 ロロは肩を竦めて、苦笑いを浮かべてそう言った。アルバンもそんなロロに対して

ニヤリと笑い返した。

「合理的な判断をしてくれて助かるよ、ロロ」


 機関の建物を後にし、石畳の道の上を歩いていたアルバンは突然足を止め振り向く

と、後ろを歩いていたホムンクルスの少女を見つめた。そして、狩りの最中に少女が

見せた行動を思い返した。

 少女は「逃げろ」というアルバンの指示を守らなかった。

 少女はアルバンの名前を呼んだ。

 少女は指示なしに矢を拾い、アルバンに届けた。

 それらすべての行動が少女の意志によって行われたものだとアルバンは考えた。そ

して、少女に意志があるのなら、少女は人間と何が違うのだろうか――少なくとも、

アルバンにとっては違いなどなくなった。

「オレの名前を呼んでくれないか?」

 アルバンは自分を見上げていた少女に指示――いや、お願いをした。

「……アルバン」

 鈴の音色のような声で少女はアルバンの名を呼んだ。

「そうだそれがオレの名前だ。それで、これから一緒に旅をするのに名前がないのは

不便だから…………クリオ。オマエの名前はクリオでどうだろう?」

 アルバンは顔を真っ赤にしながら少女に提案した。アルバンは少女につける名前を

ずっと考えていた。少女が反応を示さないのでアルバンは心配になって、恐る恐る尋

ねた。

「クリオ……気に入ってくれたか?」

 少女はコクリと頷いた。

「良かった……これから、オレたちはお互いに名前で呼びあうんだ……それは長い付

き合いになるようにっていう願掛けらしいから…………これからよろしくな、クリオ」

 それは、これからも狩りの度にクリオと一緒に生きて帰るという、アルバンの決意

の表明だった。クリオはそれにいつものように頷いて応えた。

 そして、二人は宿に帰るために再び歩き始めた。アルバンはクリオの小さな歩幅に

合わせた小さな一歩を踏み出した。

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狩人と少女のメソッド 文月 燈火 @fumiduki_touka

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