第一話(ⅰ)

 アルバン・デュマは通された部屋で借りてきた猫のように固まっていた。彼の上背

は一般に比べて高いぐらいだったが、今は窮屈そうに椅子に身体をねじ込み、背を丸

め小さくなっていた。

 割のいい仕事を紹介すると言われてここへ来たアルバンだったが、部屋の様子を見

るなり、自分が場違いなところへ来てしまったのではないかと後悔していたのだ。そ

の部屋は壁一面に置かれた本棚にギッチリと本が詰め込まれ、そこに入り切らなかっ

たであろう本が床に無造作に積まれていた。窓際に置かれた机の上も本と書類に埋め

尽くされていた。

「あの……ロシニョールさん」

 アルバンは自分が何かの手違いでここにいるのではないかという疑念に襲われ、対

面に座っている男に堪らず話しかけた。もし本当に手違いならば、その誤解を解いて

早々にこの場から立ち去るべきだと思ったのだ。

 対面に座っている男――自己紹介ではロロ・ロシニョールと名乗った――はアルバ

ンを部屋に招き入れ椅子を勧めると、自らもその向かいの椅子に腰を掛け、数枚の紙

の束に時折ニヤニヤと笑みを浮かべながら目を通していたが、アルバンの呼びかけに

顔を上げるとニコリと微笑んだ。

「ボクのことはロロと呼んでくれていいよ。その方が短くて呼びやすいし、時間の節

約になって合理的だ。ボクもキミのことはアルバンと呼ばせてもらうよ。ああ、でも

キミの場合デュマと呼んだほうが短くて合理的なのかもしれないが、これはファース

トネームで呼び合うことに違和感がなくなるくらいキミとは長い付き合いにしたいと

いう一種の願掛けだね。でも、勘違いしないで欲しいのは、『願掛け』と言うと非合

理的に感じるかもしれないが、実際、キミとの付き合いが長くなった時、呼び方の切

り替え時について思い悩まずに済むという点においてこれは合理的な手段であるとい

うことだね。で、質問は何かな?」

 ロロは一気にそうまくし立てると、持っていた紙の束をアルバンに差し向けて発言

を促した。

 アルバンはまるで口上のようなその長台詞を聞いて、ロロを変人と認定した。そし

て、この場から早々に立ち去るという思いを一層強くした。

「ロシニョ……ロロ、オレは仕事を紹介してくれると言われてここへ来たんだ」

「ああ、その通りだね」

「でも、何か手違いがあったんだと思う。オレはここでは働けないよ。オレに学者の

手伝いなんて出来っこない……文字の読み書きすら出来ないのに」

 申し訳なさそうにそう言うアルバンに対し、ロロは一瞬キョトンとした表情を見せ

たが、すぐに愉快そうに笑いだした。

「ハッハッハ! そうか……こんな部屋に通されればそんな勘違いもするか。安心し

てくれ、アルバン。ボクは研究の助手を戦場でスカウトするほど酔狂な人間ではない

よ。だって、それは全く合理的ではないからね……フフフッ」

 ロロはそう言いながら、まだ笑いが収まらず肩を震わせている。アルバンはその姿

を見てムッとした。その様子に気づくとロロは「コホンッ」と咳払いをすると努めて

真面目な表情を作った。

「いや、失礼。ろくに説明をしていないこちらが悪いんだ。申し訳ない。でも、本当

に安心して欲しい。たしかにボクは学者のようなものだが、教会直属のある機関の責

任者を任されていてね……これから紹介する仕事はキミの能力を存分に発揮できるも

のだよ。ただ、仕事の説明をする前に、もう少し詳しくキミのことを知りたいから、

いくつか質問させてもらってもいいかな?」

「……ああ、構わないよ」

 アルバンはまだ釈然としない気持ちを抱えていたが、さっさと話を先にすすめるた

めにもロロの申し出を受け入れた。

「キミは戦争に傭兵として参加する前は猟師をしてたそうだけど――」

 ロロが手にした紙の束に目を落としながら喋り始めたので、そこでアルバンはその

紙の束が自分に関する調査書類であることに気づいた。アルバンは自分を王国北部の

戦場で勧誘し、首都に立つこの建物まで案内してくれた男に道すがら身の上話を根掘

り葉掘り聞かれたことを思い出した。どうやらその書類にはその時話したことがまと

められているらしかった。

「狩りの対象は主にどういうものだったんだい?」

「そうだな……シカ、ウサギやカモが主な獲物だったな。それ以外だと、たまに牧場

主なんかの依頼でオオカミやクマをかることもあったな」

「へえ、オオカミやクマも! ちなみに、オオカミやクマが相手でもキミはクロスボ

ウで狩りをするのかい?」

「もちろん。オレは親父に仕込まれたそのやり方しか知らない」

「うんうん。いいね、すごくいいよ」

 ロロはアルバンの答えに満足したように何度も頷いた。そして、再び書類を眺めな

がら質問を続けた。

「それで、田舎で猟師をしていたキミは一念発起して傭兵になったと――」

「そんな自発的なものじゃない。友人に唆されたんだ……『オマエの弓の腕前があれ

ば戦場で一儲けできる』ってね」

 実際、アルバンは猟師としての暮らしに満足していたし、年齢も二十代終盤に差し

掛かり、今更新しく何かを始める気など毛頭なかった。しかし、隣国との小競り合い

が頻発する情勢に功名心を刺激された一人の友人がしつこくアルバンを傭兵の道に誘

った。はじめは断っていたアルバンだったが、その勧誘があまりにもしつこく、しか

も長期に渡って続いたため、最後は根負けし、その友人と戦争に参加したのだった。

「……どんなに頼まれても、二度と御免だね」

 戦場で体験したことを思い返してアルバンは吐き捨てるようにそう言った。雨のよ

うに降り注ぐ矢、押し寄せる歩兵の殺気に満ちた眼、地を揺らし迫る騎馬の蹄の音、

それらの恐怖すべてが最悪な思い出として心に深く刻まれていた。そして、そうした

恐怖以上に、高い技術を要するロングボウを巧みに扱いこちら側に甚大な被害をもた

らした敵国の弓兵の存在が衝撃的で、長年クロスボウを使用し、その腕前に少なから

ぬ自身を持っていたアルバンの自尊心を傷つけた。

「そうは言っても、キミはなかなかの戦果を上げているじゃないか」

 アルバンの心情を知ってか知らずか、ロロは口調は妙に明るかった。書類を見なが

ら喜々として言葉を続けた。

「何人もの歩兵の脚や肩を打ち抜き戦闘不能に陥れ、さらには騎馬を射殺し騎兵の捕

縛にも貢献したそうじゃないか! とても初陣とは思えない働きだよ。そして、極め

つけは相手側の士官の眉間を射抜いて討ち取ったってとこだね」

「お陰で、オレは大目玉を食らったがね」

「そりゃあ、生け捕りにしなくちゃ身代金がもらえないからね。キミが射殺した士官

はそれなりに身分の高い貴族だったんだろ。高額の身代金がふいになったんだ、怒ら

れもするさ。キミも知らなかったわけじゃないんだろ?」

 この時代の戦争では敵兵は殺すのではなく、捕虜にし身代金を請求するのが常識だ

った。アルバンだってそのくらいのことはわかっていた。だからこそ、それまでは相

手の脚や肩など致命傷にならないところを狙って射っていた。

「戦場に嫌気が差していた時にたまたま目の前に一際上等な鎧を着た騎兵が見えたん

だ。コイツを殺ればこの戦争は終わる……その時はそう思っちまったのさ。疲れてど

うかしてたんだろうな」

「目の前って、キミ……報告によると200フィート以上は距離があったそうじゃな

いか」

 自嘲気味に語るアルバンに対し、ロロは以外なところに食いついた。クロスボウの

有効射程はだいたい120フィートほどなのでアルバンはその倍近い距離で敵騎兵の

眉間を狙い撃ちしたことになる。

「条件が良かったんだ。風がほとんどなかったからな。それに、相手は馬に乗ってい

て遮るものがなかったしな」

「事も無げに言っているけど、なかなか驚異的なことだよ……うん、いいね。やはり

キミはボクらが求める人材そのものだな」

 そう言って、ロロは手に持っていた書類を机に置いた。それはアルバンに対する質

問が終わったことを意味した。アルバンもそれを察し、やっと本題に入るのだと気を

引き締めた。

「ボクが所属する機関では、故あって優秀なクロスボウの射手を探しているんだ。そ

のために戦場に人員を送り込んでいる。ここにキミを連れてきたのもその一人さ。し

かし、彼は良い仕事をしたね。キミは大当たりだ」

「お世辞はいいよ。結局、オレにやらせたい仕事はなんなんだ?」

 アルバンは先を急ぐようにそう訊いたが、ロロはすぐには答えず、椅子から立ち上

がり、部屋の隅へ移動した。そこには布が掛けられた何かが置かれていた。

「そうだな……一言で言えば、害獣駆除だね。コレを使ってね――」

 そう言うのと同時に、ロロは布に手をかけ、勢い良く取り除いた。

「なっ……」

 布が取り外され現れたものを見てアルバンは絶句した。

 それはとてつもなく大きなクロスボウだった。隣に立っているロロと変わらないほ

ど大きかった。ロロが小柄な男であることを差し引いても、その大きさはクロスボウ

としては尋常ではなかった。並べて置いてある矢もまた大きく――と言うより太く、

矢と言うよりは短い槍と表現したほうがしっくりきた。

 言葉も出ないほど驚いているアルバンの表情を見て、ロロは満足そうに笑みを浮か

べた。

「どうだい? 壮観だろ、この大きさ! 弦だって鉄でできているんだよ」

 ロロは得意気にその弦を指で弾いた。室内に響いた「ビィーン」という音の良さが、弦の質の高さを伺わせた。

「弦が鉄製で巨大なクロスボウのことを特にアーバレストと呼ぶらしいから、ボクも

こいつのことをそう呼んでいる」

 まるでお気に入りの玩具を自慢する子どものようなロロに対して、アルバンは呆れ

たように頭を振った。

「アーバレストねぇ……そんな御大層なものを持ち出して一体何を狩れって言うんだ?クマを狩るのだって、オレが普段使っているクロスボウで十分だぞ。まさか、ドラゴンを狩って来いなんて言い出すんじゃないだろうな?」

 アルバンは皮肉を込めてそう言ったが、ロロはそれを冗談だと受け取ったらしい。

「アッハッハ」と腹を抱え盛大に笑い始めた。ロロは余程その冗談が気に入ったのか、なかなか笑いが収まらず、アルバンはしばらくロロが落ち着くのを待つ羽目になった。

「……ハァ、キミにドラゴン退治を頼むなら、ボクはアーバレストじゃなくて魔剣バ

ルムンクを用意するべきだろうね……フフッ。しかし、ドラゴンを相手にする気概が

あるとは頼もしい限りだね」

「そんな気概は持ち合わせちゃいないよ。なぁ、いい加減勿体つけずに獲物が何なの

か教えてくれないか」

 愉快そうにするロロとは対象的にアルバンはイライラし始めていた。未だに自分に

与えられる仕事の全容がはっきりしなかったからだ。

「それは言葉で説明するよりも、実物を見てもらったほうがいい。ドラゴンほどじゃ

ないが、きっとキミは驚くだろう。付いて来てくれ」

 アルバンの驚く姿が今から楽しみだと言わんばかりにロロは意気揚々と部屋のドア

を開けた。アルバンは自分が非常に面倒なことに首を突っ込んでしまったのではな

いかと危惧し始めていた。彼はそんな暗澹たる思いを抱えた身体を殊更重そうに椅子

から持ち上げた。


 建物の外に大きな檻でもあるのだろうというアルバンの予想に反して、ロロが彼を

連れてきたのは同じ建物の一階の奥にある小さな部屋だった。明り取りの小窓がある

だけで部屋の中は薄暗かった。家具などはなにもなく、中央奥にかなりの長さがあり

そうな縄梯子が無造作に積まれていた。

「ちょっと待っててくれ」

 そう言うと、ロロはズボンのポケットから鍵を取り出し、部屋の中央でしゃがみ込

んだ。よく見ると、そこの床には4フィート四方ほどの鉄製の枠があり、取っ手と思

しきものもついていた。どうやら、それは地下への扉のようだった。ロロは取り出し

た鍵でその扉にかけられた錠前を開け、取っ手に手をかけると「ふぅー」と長く息を

吐き一拍置いた。

「ふんぐぬっ」

 素っ頓狂な掛け声とともに、ひょろりとした小柄な身体全体に力を込めてロロがそ

の扉を持ち上げる。そうするのも無理はないと思えるほど持ち上げられた扉は分厚く、相当な重量があることは一目瞭然だった。

 扉が持ち上がって程なくすると、強烈な匂いが少し離れてその様子を見ていたアル

バンの鼻を刺激した。きつい獣臭に糞尿や血の臭いがブレンドされ、分厚い扉で封じ

込められ熟成したその臭いは、まるで粘度があるかのように鼻腔にまとわりついた。

その不快な臭いは、ロロが『害獣』と呼ぶ何かが扉の奥――地下の空間に確かにいる

ことをアルバンに感じさせた。

 扉を開ききったロロは「ハァ…」と肩で息をしながら、床に開いた地下への入り口

に縄梯子を降ろし始めた。途中で絡まないようにロロは慎重に作業する。そのため、

縄梯子の長さも相まってその作業にはしばらくの時間を要した。

「じゃあ、ボクが先に降りて明かりをつけるから、合図したらキミも降りてきてくれ。かなりの深さがあるから、降りるときは十分に気をつけてくれよ。落っこちて怪我でもされたらたまらいからね」

 縄梯子を降ろし終えたロロは、手で鼻をつまみしかめっ面をしているアルバンに子

どもを諭すようにそう注意した。

「ふぁあ、ふぁかった」

 鼻をつまんだまま気の抜けるような声で返事をするアルバンの姿に苦笑いを浮かべ

ると、ロロは真っ暗な地下への入り口に姿を消した。

 ロロからの合図を待つ間、「このままバックレてやろうか」という考えがアルバン

の頭をよぎった。まだ正式にこの仕事を引き受けたわけではないが、この地下にいる

モノを見たら断ることは出来なくなるという予感がしたからだ。いや、これだけ厳重

に秘匿するように管理されているところを見ると、予感というよりは確信に近かった。

 しかし、またその一方では地下にいるモノに対する好奇心も大きくなっていた。先

程見せられたアーバレストが必要になるほどの獣とはどんなものなのか? アルバン

の人生の大半をかけた狩人としての血が騒いでいるのも隠しようのない事実だった。

「おーい! いいぞー、降りてきてくれー」

 アルバンの思考を遮るようにロロの声が地下のそこから響いてきた。アルバンは自

分で両頬をパンパンと二度叩いた。

「どんな化物がいるのか見てやろうじゃないか」

 アルバンは自分に言い聞かせるように小さな声で呟いた。狩人としての好奇心が勝

ったのだ。

 

 アルバンが縄梯子を降りると、そこにはランプを片手にロロが待っていた。地下空

間は石積みの壁で覆われており、さらに湿気のためにその表面は濡れていてランプの

明かりを怪しく反射させ、独特な雰囲気を醸し出していた。

「さあ、この奥だよ」

 そう言ってロロは、その奥に広がる暗闇に向かって歩き始めた。その通路はロロと

アルバンが並んで歩けるほどの広さはあったが、アルバンは少し離れてロロについて

歩いた。

「ヴウウゥゥッ……ヴウウゥゥッ……」

 歩きだして程なく、暗闇の向こうから鳴き声とも呻き声ともつかないくぐもった声

が聞こえてきた。

「どうやら、久しぶりのお客さんで気が立っているようだ」

 ロロは立ち止まって振り返ると、神妙な面持ちでそう言った。

 地下空間の異様な雰囲気と恐ろしげな呻き声、ロロのその態度が相まって、アルバ

ンは少なからず緊張し「ゴクッ」と生唾を飲み込んだ。

 ロロはアルバンのその様子を見るとニヤリと笑った。

「冗談だ。ボク一人で来た時もだいたいこんなものだよ」

 場を和ませるためか、それともただ単にアルバンをからかいたいだけなのか分から

ないその冗談にアルバンは苛立ち、その苛立ちを隠すことなくロロを睨んだ。

 アルバンの鋭い眼光を受けたロロは大袈裟に肩を竦めて、また暗闇に向かって歩き

出した。

 程なく二人の目の前に鋼鉄製の柵が現れた。見るからに頑強そうなそれはランプの

明かりを受け存在を主張するように黒光りしていた。アルバンは動物を閉じ込めてお

く檻があるものと想像していたが、これはまるで牢獄だなと思った。

「では、アルバン……これからキミの獲物となる獣とご対面だ」

 ロロは柵のすぐ手前まで移動すると、足元を照らすために低めに構えていたランプ

を目の高さまで持ち上げ、柵の内側を照らした。

「…………!」

 柵の内側にいるその獣を見て、アルバンは言葉を失った。驚いたというよりは戸惑

ったという方が正しかった。それはアルバンが今まで見たこともない生き物だった。

 短く太い毛に覆われた皮膚、そしてその毛皮越しでもわかるほど発達した筋肉によ

って、確かにそれは野生の獣にしか見えなかったが、頭や四肢のつき方は4足歩行の

動物に比べると、どちらかと言うと人間の体つきに近かった。革製の口枷で顔の半分

を覆われているため、顔の形ははっきりとは分からないが、ギラギラと血走った眼か

らはアルバンとロロに対する激しい敵意が発せられていた。

 その獣の風貌の異常さも然ることながら、それに対する拘束の仕方も常軌を逸した

厳重さだった。腕は後ろ手に組み手枷を嵌められ、両足首を拘束する足枷と太く頑丈

そうな鎖で繋がれ、さらに手枷、足枷それぞれに別に二本の鎖が繋がれていて、それ

らの鎖は牢屋の床に埋め込まれた金具に固定されていた。さらに首には鋼鉄製の首輪

が嵌められ、その首輪には四本の鎖が繋がれ、同じように床の金具に固定されていた。

 そのように厳重に鎖で固定されているため、獣は牢屋の中央で正座をするような格

好で身じろぎ一つ出来ず、鋭い眼光と「ヴウウゥゥッ」という唸り声でアルバンとロ

ロを威嚇しながらもその身体は上半身をモジモジと捩る程度の動きしかできないでい

た。

 ロロはアルバンがその獣に目を奪われている間、黙ってその様子を観察していた。

アルバンの反応を楽しんでいるようだった。

「……一体、何なんだ……これは?」

 アルバンは獣から視線を外すことなく、声を絞り出すようにロロに尋ねた。その様

子にロロはニヤリと笑った。

「長年猟師をしていた者として、キミはこの獣がなんだと思う?」

「わからないから訊いてるんだろうが! こんな動物は見たことがない。クマが一番

近いといえば近いけど……いや、どちらかと言えば骨格の感じは人間の方が近いかも

しれない」

「なかなか鋭いじゃないか、アルバン! 半分正解だよ」

 アルバンはその言葉の意味が解らなかった。また自分をからかうための冗談かと思

いながら、視線を獣からロロに移すと、彼の表情は真剣そのものだった。

「彼はね、ルー・ガルー……狼男だよ」

 真剣な表情を崩すことなく、ロロはその獣の正体をアルバンに告げた。ルー・ガルー――半狼半人の化物であると。

「はぁっ、馬鹿なこと言うなよ! そんな、おとぎ話じゃあるまいし……」

 アルバンは即座にロロの言葉に反発した。アルバンももちろんルー・ガルーという

化物のことは知っている。しかし、それは伝説上の生物、空想の産物としてだ。

「フフフッ、ついさっき『ドラゴン』なんて口走ったキミがそれを言うのかい?」

「あれは皮肉で言ったんだ。オレはおとぎ話を信じてるワケじゃない」

「アルバン……確かに、ドラゴンはおとぎ話かもしれない。でも、ルー・ガルーは実

在するよ、今キミの目の前にね」

 ルー・ガルーの存在を受け入れられずにいるアルバンにロロは静かに、だが、しっ

かりとした口調で念を押した。

 そう言われて、アルバンは再び視線を牢屋の中で拘束されている獣に移した。体毛

や敵意に満ちた眼は獣そのものだったが、骨格や筋肉のつき方は、異常に頑強に発達

していることを除けば、確かに人間のそれと同じものだった。

「なぁ、コイツがルー・ガルーなんだとしたら、元は人間の姿をしていたのか?」

「そうだよ。今でこそこんな獣じみた姿になってはいるが、元はれっきとした人間だ

った。彼が人間の姿から今の獣人になるまでをここで観察し続けたボクが証人だ」

 ロロが証人になったからといって、「はい、そうですか」と信じられるほど、アル

バンのロロに対する信頼度は高くはなかったが、少なくとも今、ロロが嘘をついてい

ないことだけはアルバンにもわかった。

「彼を観察してわかったことだが、ルー・ガルーは人間からいきなり完全にこの獣の

姿になるわけじゃない。まずは、夜の間だけ理性を失い凶暴化する。筋力の強化、五

感の鋭敏化などは見られるが、外見はまだ人間の姿を保っている。朝になれば夜のこ

となどなかったかのように普通の人間として生活する。しかし、夜を超えるごとに身

体にも次第に変化が現れる。犬歯が伸び顎も発達する。爪も厚く、鋭く形状を変化さ

せ、体毛も濃くなる。こうなると昼間の精神にも影響が見られるようになる。直情的

になり、他者に対する攻撃性が強くなる。そして、さらに日が経てば理性は完全に失

われ、外見は獣そのものになり……こうなるってわけさ」

 ロロは牢屋の中のルー・ガルーを指差すとアルバンに意見を求めるように一呼吸お

いた。しかし、アルバンは自分の理解を超えたその話に対しなんと言えばいいのかわ

からなかった。ロロはアルバンから意見や質問がないことを確認すると、さらに説明

を続けた。

「ルー・ガルーの特徴は、まずは非常に攻撃的であるということ。凶暴で獰猛で残忍

だ。そして、その攻撃性の対象は人間で、ルー・ガルーになった者は必ず人間を襲う

ようになる。次に、驚異的に身体能力が高いこと。視覚、聴覚、嗅覚が非常に優れて

いるため危機察知能力が高く、攻撃力、走力、敏捷性はたぶんキミが知っているどん

な野生動物よりも高いと思うよ。そうだな……クマよりも力が強く、オオカミより速

く移動でき、ウサギよりも素早く動き回れると言えばキミにもわかりやすいかな」

「まったく想像できないが……とんでもない化物だってことはわかったよ」

「本当にね……それだけでも十分に化物なんだが、ルー・ガルーにはもう一つ大きな

特徴があってね。これが一番厄介なんだ」

「おいおい……まだ何かあるのか?」

「まぁ、見ててくれ」

 アルバンはロロの説明するルー・ガルーの実態に、すでに驚きを通り越して呆れを

感じ始めていたが、ロロはそんなアルバンの様子など気にもとめずにそう言うと、手

に持っていたランプをアルバンに手渡した。アルバンは自分に代わりに牢屋の中を照

らせと言うことだろうと理解し、それを実行した。

 手の開いたロロは壁に立て掛けてあった棒を手にした。その棒の先端には鋭利な金

属の刃がつけられていて、さながら短い槍のようになっていた。ロロはその槍を柵越

しに牢屋の中に差し入れ、先端の刃を拘束されているルー・ガルーの肩に押し当てた。

「いくよ、よく見ていてくれ」

 ロロはそう言うと、槍を持つ手に力を込めた。一瞬の抵抗を受けた後、刃は体毛に

覆われた皮膚を裂いてズブっとルー・ガルーの肩に突き刺さった。

「ヴウウゥゥッッ!」

 ルー・ガルーの呻き声が地下空間に木霊する。アルバンはその耳障りな声に顔をし

かめたが、視線はルー・ガルーの肩に突き刺さった槍の先端から離さなかった。刃の

周りに血が滲み、一滴、二滴と毛皮の上をつたい始めた。

「…………フンッ」

 ロロが再び力を込めてルー・ガルーの肩から槍を抜いた。その様子を注視していた

アルバンが驚きの声を上げた。

「どうなってる……なんで血が流れないんだ?」

 突き刺した刃の長さから考えても、かなり深い傷であるにも関わらず、刃が抜かれ

たその傷口からは血が流れ出さなかったのだ。

「暗くてよく見えないかもしれないが、もう傷口が塞がっているんだよ。これがルー・ガルーが持つ厄介な特徴――異常な生命力の高さだよ。このぐらいの傷ならすぐに塞がるんだ。治癒というよりは再生に近いね。だから、ルー・ガルーを確実に仕留めるためには頭か心臓を潰すしかない」

「まるでデタラメだな……よくそんな化物を生け捕りに出来たな」

 アルバンは牢屋の中のルー・ガルーを見ながら感心したようにそう言った。凶暴な

獣ほど殺してしまうよりも生け捕りにする方が難しいことをアルバンは知っていた。

「彼はね……ボクの知り合いだったんだ……幸か不幸かね。たまたま異変に気付いた

ボクが日中の彼が人間の姿の時に拘束したんだ。彼のお陰でルー・ガルーに関する知

識を深めることが出来たんだ。感謝しなくちゃね」

 ロロがルー・ガルーを見ながら悲しそうな表情を浮かべたので、アルバンはそれ以

上二人の関係性などを追求することはしなかった。その代わり、一つの思いつきをロ

ロに投げかけてみた。

「どのルー・ガルーもコイツみたいに人間の姿の時に捕まえちまえばいいんじゃない

のか? ここは教会の管轄なんだろ。だったら、教会がさっきみたいな詳しい情報を

国中に通達すれば様子のおかしな人間なんてすぐに見つかるだろ」

 アルバンにとってはそれなりに自信を持った提案だったが、ロロは苦笑いでそれに

答えた。

「それは無理だね。何故なら教会はルー・ガルーの存在を隠したがっているから、絶

対に認めるようなことはしないよ。彼らはルー・ガルーの存在を隠すためにあらゆる

手段を講じているんだよ。伝説上の生物に仕立て上げ、その存在を否定する論文まで

を神学者に発表させている。キミもそれを信じていただろう?」

 アルバンは何か言いたそうにしたが、ロロは手でそれを静止して言葉を続けた。

「キミは教会が罪人に科す『狼』という罰を知っているかい? 7年から9年間、月

明かりの夜に、狼のような耳をつけて毛皮をまとい、狼のように叫びつつ野原で彷徨

うっていう変わった罰なんだけど……これは本物のルー・ガルーを隠すためのカモフ

ラージュなんだよね。もし本物がその姿を見られても、『狼』の罰を受けている罪人

として誤魔化せるようにね」

「なぜそこまでして、教会はルー・ガルーの存在を隠したがるんだ?」

「それはルー・ガルーに関して、発生原因も予防策も解決策も見つけられていないか

らだよ。もし、そんな状態でルー・ガルーの存在を公表すれば、社会は確実に混乱す

るだろう。考えてもご覧よ。ある日何の前触れもなく自分や隣人が人を襲う化物にな

る、と告げられるんだよ。しかも、それを予防することも出来なければ、元の人間に

戻ることも出来ないんだ。人々は疑心暗鬼に囚われ、他人のことなど一切信じられな

くなるだろう。そうなれば、通常の社会生活など送れなくなる。密告が蔓延り、ひど

い時には私刑が横行するだろう。そんな時、縋るべき教会にはなんの方策も打ち出せ

ないとなれば、教会の権威は失墜し、混乱はますます広がるだけだ」

「なるほどな……ルー・ガルーの直接の被害よりも非道いことが起きるってことか」

「その通り。だから、教会はルー・ガルーを公にすることなく、秘密裏に処分するた

めにこの機関をつくり、その責任者をボクに押し付けたってわけさ」

 ロロは冗談めかしてそう言ったが、アルバンは彼の眼が笑っていない事に気づいた。

「色々と苦労も多いんだろうな」と口には出さずにロロに少しだけ同情した。

「そこからは試行錯誤の日々だった……どうすれば効率的にルー・ガルーを狩ること

ができるのか? 最初は腕利きの傭兵を雇い、完全武装させた上で討伐隊を組んだが、これは失敗の連続だった。人数が少なければ返り討ち……と言うか、全滅させられるし、反対に人数を多くしすぎるとルー・ガルーには姿を隠し逃げられてしまう。例え、ルー・ガルーを討伐出来たとしても、こちらの被害も甚大でとても成功と呼べる結果ではなかった」

「予想はしていたがそんなに強いのか……」

 アルバンはゲンナリとした顔で呟いた。これからそんなに強い化物を狩ってこいと

言われているのだから当然の反応だった。

 しかし、自分の苦労の日々を饒舌に語るロロは興が乗ったのか、アルバンのそんな

様子にはお構いなしに話を続けた。

「そこで、ボクはこちらの被害を抑えるために罠を導入することにした。しかし、こ

れも芳しい効果は得られなかった。ルー・ガルーは感覚器官が鋭敏だから罠に気付い

てしまうんだ。しかも、例え罠にかかったとしても、傭兵たちが止めを刺す前に罠を

壊してしまうか、罠にかかったまま大暴れするかで、結局、被害を減らす助けにはな

らなかった」

 ロロは自分の苦労譚を饒舌に語り続けていたが、アルバンはこれまで一体どれだけ

の傭兵が犠牲になったのかを考えるとゾッとしなかった。

「ボクは考えを改めた……近接戦闘ではルー・ガルー相手にはどうしたって敵わない。遠距離から攻撃するしかない、と。それから、ボクは腕のいい弓兵を雇い、クロスボウでルー・ガルーを狙撃する方法を試した。だが、それも最初はうまく行かなかった。一般のクロスボウの射程距離だとルー・ガルーは矢を放つ前に射手の存在に気付かれてしまった。そこでクロスボウの射程距離の限界を超えた位置からの狙撃を試みたが、それだと命中率は落ちるし、当たったとしても致命傷を与えることは出来なかった」

「まぁ、そりゃあそうだろうな」

 長年クロスボウを扱ってきたアルバンはロロの話に呆れた。そんなアルバンの態度

に対し、ロロは弁明するように続けた。

「でも、失敗したとはいえ、こちらの被害もそれ以前に比べれば少なかった。方向性

は間違っていないと確信したボクはどう改善すべきか考えた。そして、ルー・ガルー

の知覚の範囲を超える超長距離から一撃で致命傷を与えることのできるクロスボウを

作ればいいのだという答えにたどり着いた……それが、あのアーバレストだよ」

 ロロの話に『アーバレスト』という単語が出てきたので、アルバンは長かったロロ

の試行錯誤の苦労譚がようやく終わるのだと思った。そして、やっと自分に与えられ

ようとしている仕事がどんなものなのかわかってきた。だが、同時にある懸念も浮か

んできた。

「射程距離と威力のためにアーバレストが必要なのはわかったが、どうやってルー・

ガルーを見つけて狙撃するんだ? 普通の狩りのように獲物を追跡し、見つけてから

射つ、なんてアーバレストのデカさじゃ無理だろう。アレを活かそうと思えば待ち伏

せて狙撃するのが一番だろうが……それも余程正確に『必ずここに現れる』くらいの

場所がわからなきゃ難しいだろ」

 アルバンは自分の懸念を率直に述べた。アーバレストを見たときからその巨大さ故

の取り回しの悪さにアルバンは不安を感じていた。狩りの獲物がよっぽど動きの遅い

生物か、または、かなり大柄な生物でなければ、アーバレストを使うメリットはない

と思っていた。そして、実際の獲物は化物じみた身体能力を持っているとなれば、ア

ルバンにはアーバレストを使う理由はなかった。アルバンはロロの返答次第では、い

くら威力に不安があると言われても、使い慣れた普通のクロスボウを使うと主張する

つもりだった。

「アルバン、キミは本当に鋭いね。確かにその通りだったよ。アーバレストを導入し

てからももちろん試行錯誤は続けた。より確実に、より効率的に、より安全に……そ

して、ボクはルー・ガルー狩りの完成形を導き出したんだ!」

 ロロは天を仰ぎ、両腕を広げ、恍惚とした表情で自らの成果を誇示した。それがあ

まりにも大袈裟だったため、アルバンは逆に胡散臭く感じ、露骨に眉をひそめてしま

った。

「……完成形ねぇ」

「あぁ、そうさ! なんせ、その方法ならたった一人で、確実に、被害を受けること

なくルー・ガルーを狩ることができるんだ。もちろん、狩人はかなりの弓の名手じゃ

なければならないという条件はつくがね。だが、安心してくれ。その点、キミの腕前

なら全く問題ないはずだ」

 ロロがそう言っても、アルバンは眉をひそめたままだった。「ルー・ガルーをどう

狙撃するのか」というアルバンの質問に対する答えをまだ聞いていなかったからだ。

「ロロ、肝心の狩りの仕方を教えてくれないか……じゃないと、オレは納得出来ない

んだが」

「まぁ、そうだろうね……じゃあ、移動しようか」

「ハァッ、またかよ! ここで説明出来ないのか?」

 ロロの提案にアルバンはうんざりしたとばかりに不平を漏らす。

「悪いね、アルバン……実は、狩りにはアーバレストの他にもう一つカギとなる重要

なものがあるんだけど、それはここに持ってくることが出来なくてね」

「なるほどね……だが、もう少し合理的に説明してくれると助かるんだがね」

 ロロは申し訳なさそうにしていたが、それでも早く話を進めてもらいたかったアル

バンは、ロロの言葉を借りて皮肉を言った。

「ハハハ、これでもわかりやすく説明しようと頑張ってるんだけどね。たとえ時間が

かかっても一回の説明でしっかりと理解してもらえれば、何度も質問されるよりも合

理的だと思わないかい?」

 ロロはまた申し訳なさそうにそう言って、地下の通路を引き返し始めた。ロロのそ

の言葉はアルバンの皮肉をサラッと受け流すものだったので、アルバンはバツが悪そ

うに「チッ…」と舌打ちをし、ロロに続いてその場を後にした。


 ロロがアルバンを連れてきたのは、最初の部屋とは別の、一階にある応接室のよう

な部屋だった。部屋には先客がいた。その部屋の中央には小さなテーブルとそれを挟

むように長椅子が二脚置かれていたのだが、その一方に一人の少女が座っていた。

 少女は長椅子の端にちょこんと大人しく座っていただけだったが、アルバンは部屋

に入るなりその少女に眼を奪われた。透き通るような白い肌、クリっと大きな青い瞳、整った鼻筋、小さいながらぷっくりと柔らかそうな薄桃色の唇、そして、肩口まで伸びたウェーブがかった金髪はキラキラと輝いていた。その少女は可愛いと言うよりは美しい、もしくは可憐といった形容詞が相応しい美少女だった。体格から年齢は10歳くらいだろう。真新しい濃紺色のエプロンドレスがよく似合っていた。

 アルバンはその少女をロロの娘だと思った。ロロとその少女の容姿を見比べれば、

とても信じられることではなかったが、それ以外でこんなところに少女が一人でいる

理由が見つからなかった。

 ロロが少女の隣に腰を下ろしたので、アルバンはその向かいに座った。ロロは「フー……」と一息つくと話を切り出した。

「随分焦らしてしまったから単刀直入に説明しようか……」

 アルバンは少女のことが気になったが、先程説明を急かした手前、少女に関する質

問は後に回すことにした。

「狩りの手順はこうだ……まず、エサをつかってルー・ガルーを誘き寄せる。そして、ルー・ガルーがそのエサを捕食し始め、意識が完全にエサに向けられているところをアーバレストによる超長距離射撃によって狙撃する、以上だ。だから、さっき言った『もう一つのカギ』っていうのはこのエサのことで……つまりはコレのことなんだ」

 そう言って、ロロは隣に座っている少女の肩にポンと手を置いた。そんな非常な宣

告をされたにも関わらず、少女は眉一つ動かさず、動揺する素振りを見せなかった。

 その一方で、アルバンはひどく動揺していた。最初はロロの言葉を理解出来なかっ

た。しかし、時間をかけてその言葉の意味がようやく理解出来た時、アルバンの脳裏

に地下で見たルー・ガルーに目の前の少女が喰い殺される姿がありありと浮かんでき

た。

 アルバンは勢い良く立ち上がると、ロロの胸ぐらを掴み、力一杯締め上げた。

「……ふざけるなよ! 化物を安全に殺すために、こんな年端も行かない子どもを生

贄にするっていうのか!」

 アルバンはロロを激しく睨みつけた。その眼には憤怒と侮蔑が込められていた。

 ロロは、血管が浮き出るほど力が入ったアルバンの腕をポンポンと手のひらで叩い

た。

「……おっ……おい、アルバン…………落ち着け……キミは……勘違いしている……

コレは人間じゃ……ないんだ」

 首を締められながらも絶え絶えにロロはそう言った。その言葉はまたもアルバンを

混乱に陥れた。ロロの首を絞めあげていた腕の力が緩み、開放されたロロは「ゲホッ

……ゲホッ……」と咳をし、呼吸を整えた。

 アルバンは恐る恐る「人間じゃない」と言われた少女に目を向けた。しかし、その

少女は人間にしか見えなかった。だが、アルバンはその少女のある奇妙な点に気付い

た。

 少女はロロとアルバンが部屋に入ってきてから一切動いていなかった。先程まで大

人の男が二人、目の前で諍いを起こしていたにも関わらず、怯えることも騒ぐことも

なく、ましてや止めに入る素振りも見せず、ただ椅子の上に行儀よく座ったままだっ

た。

「…………もしかして、人形か?」

 アルバンはそう呟いた。それは考えた末に出た答えではなかった。ただ、頭に浮か

んだ言葉が口をついて出てきただけだった。

「うーん、惜しいね……でも、そう認識してもらった方がいいのかもしれない」

 ロロは乱れた襟口を正しながらアルバンの言葉を否定したが、それがまたも勿体つ

けた言い回しだったので、アルバンは不快感を露わに冷たい視線をロロに向けた。

 アルバンのその牽制に気付いたロロは「コホンッ」とわざとらしく咳払いを一つし

て、率直で簡潔な説明をした。

「コレはホムンクルスだ。錬金術を用いて造り出された人工生命体――人間に見える

が全くの別物だよ」

 ロロの説明は非常に簡潔だったが、アルバンの知らない単語と想像もできない内容

で構成されていたため、結局アルバンの表情は険しいままだった。

「なんだ……そのホム……なんとかってのは? そんなこと本当にできるのか?」

「まぁ、キミが知らないのも無理はない。錬金術では古くから研究されていたことだ

が、教会が生命を造ることは神に背く行為として禁止してしまったからね……今では

試みるだけで異端審問にかけられる。秘匿された禁術だよ。今回はルー・ガルーの駆

除っていう大義名分のお陰で、特別に目をつむってもらっているけどね。どうやって

ホムンクルスを造るかっていうと……いや、それはいいか。まぁ、とてもこんなモノ

が出来上がるとは思えないような造り方なのは確かだよ」

 話の脱線を危惧したのか、はたまた、アルバンには理解できないと思ったのか、ロ

ロはホムンクルスの造り方の説明を端折ったが、アルバンも特にそれを気に留めなか

った。と言うより、話の途中からアルバンの興味はホムンクルスの少女に向いており、彼はしげしげと少女を観察していた。

「…………いやぁ、どこからどう見ても人間にしか見えない……これで本当に造り物

かよ」

「外見の完成度には特にこだわっているからね! エサとしての目的を果たすためと

は言え、ここまで人間に近いホムンクルスを造るのは並大抵の努力ではなかったよ。

ホムンクルス史上、最高傑作だと自負しているよ」

 禁術故に普段誰かに自慢することも出来ないのだろう、ロロはここぞとばかりに興

奮気味に語った。

「だが、所詮は造り物だ。外見や身体機能は人間と遜色ないが、決定的に人間と異な

る部分がある……コレには魂がない」

「……魂?」

「あぁ、少し抽象的だったかな。自我、心、感情、意志……そういった一切がホムン

クルスには備わっていない。しかし、命令を理解し実行する程度の知能はあるから、

ホムンクルスのことは動く人形くらいに認識してくれればいい。だから、コレをルー・ガルーにエサとして喰わせることに良心の呵責を感じる必要はないんだ」

 ロロは真剣な眼差しでアルバンを諭した。

 アルバンはホムンクルスの少女に視線を移し、じっと見つめた。また、少女がルー・ガルーに襲われ、喰われるイメージが浮かぶ。

「狩りにエサが必要なことも、この子が人間じゃないってのもわかったけど…………

なんで、見た目が子どもなんだ?」

「もちろんそれにはちゃんとした理由がある。実は、ルー・ガルー狩りにエサを用い

るのは罠を導入したときから始めていたんだが、最初は屍肉を使ったんだ。が、これ

は見事に失敗した。ルー・ガルーは屍肉に興味を示さなかった。だから、次に生きた

人間を用意した。非人道的だと思われるかもしれないが、罪人を使ったんだ。だが、

これも成功率が高いとは言えなかった。ボクらが罠を張った夜に関係のない近隣住民

が襲われたことさえあった。失敗の原因を考えたボクはあることに気付いた。アルバ

ン……大人のシカと子どものシカが目の前にいるとき、オオカミはどちらを獲物に選

ぶと思う?」

 突然の質問にアルバンは一瞬戸惑ったが、すぐに自分の経験から答えを出した。

「それは子どものシカだろ」

「その通り。どんなに強い肉食獣でも草食獣が複数いる場合には、その中で最も弱い

ものを獲物に選ぶ。それはどの肉食獣にもみられる習性だ。それがルー・ガルーにも

当てはまるのだと、ボクは考えた。そうなると、ルー・ガルーを誘き寄せるエサとし

て最も効果的なのは……子どもだ」

「……まさか……試したのか?」

 アルバンの両目が大きく見開かれる。ロロはすぐに両手と頭を振ってそれを否定し

た。

「いやいやいや……いくらなんでも、人間の子どもをエサにするなんて、そこまで外

道なことは出来ないよ。だから、一旦エサを使うことは諦めたんだ。だが、アーバレ

ストを開発し、運用方法を模索する中で再びエサの必要性に迫られた。そこで、子ど

も型のホムンクルスの開発に至ったわけさ。効果は想像以上だったよ。ルー・ガルー

は高い確率で誘き寄せられるし、ホムンクルスは恐怖で逃げ出すこともないから安定

して狙撃の狙いがつけられる。それまでルー・ガルーに翻弄され命懸けだった狩りで、初めてこちらが主導権を握ったんだ。狩人に被害が出ることが減ったから狩りの効率は上がり、成功率も格段に伸びた」

 ロロはホムンクルスの有用性を熱っぽく語ったが、反対にアルバンの心は冷めてい

た。ここまで熱心に説明されたのだから、ルー・ガルー狩りに対してロロが費やした

努力が並大抵のものではないのはアルバンにも少しは伝わっていた。だが、その狩り

の仕方はアルバンにはどうしても受け入れ難かった。

 アルバンは想像した――夜中、人気のない場所に少女の姿をしたホムンクルスを置

き去りにし、安全な距離をとって身を隠し、ソレが喰われるのただひたすら傍観する

自分の姿を。

 アルバンは「ハァ……」と溜め息をついた。想像した自分の姿があまりにも情けな

く思えたのだ。

「ロロ……悪いが、オレはこの仕事は受けられない。アンタの努力を否定する気はな

いが、そのやり方は……オレの性に合わないみたいだ」

「…………そうか……残念だ」

 アルバンの言葉にロロは沈痛な面持ちで天井を仰いだ。二人の間にしばしの沈黙が

ながれた。

「ところで、アルバン……キミ、家族はいるのかい?」

 沈黙を断ち切るように、ロロは唐突にそう質問した。まったく脈絡のない質問にア

ルバンは戸惑った。

「田舎に両親がいるけど……それがどうした?」

「そうか……キミのご両親は息子の戦死報告を受けたら、さぞ悲しむだろうね」

「はぁ?」

 アルバンはさらに戸惑った。両親にとってアルバンは一人息子で、そのアルバンは

今ここでピンピンしている。ロロの言葉の意図がアルバンには理解出来なかった。

「ボクもせっかくできた友人を早々に失うのは本当に辛い……」

 悲しそうな表情でロロはそう続けた。その言葉でやっとアルバンは自分が脅されて

いることに気付いた。

「おい……ふざけるなよ」

 アルバンの声は低く抑えられていたが、怒りが存分に込められていた。そして、そ

の怒りはアルバンの右の拳にも込められ、ロロの顔面に向かって今にも解き放てれそ

うな勢いだった。

 ロロは顔の前に両手を広げ、それを静止した。

「待てよ、アルバン。ボクがキミをどうこうしようってわけじゃない。ボクは無理強

いはしたくはないから、キミがこの仕事を断るなら、それでも構わない。ただ、教会

の連中がそれをどう考えるかはボクの預かり知るところではないよって話さ」

「教会がオレを消そうとするっていうのか?」

「彼らは、直接ルー・ガルーに関わることは避けるくせに、ルー・ガルーの秘密を守

るためには非常に積極的だからね。経験者のボクが言うんだから間違いないよ」

 話の内容に反してロロはおどけた調子でそう言ったが、その眼は一切笑っていなか

った。

「ボクは元々錬金術師で、ある研究の過程でルー・ガルーの実在に気付いた。それを

察知した教会はボクを捕まえ、これ幸いにとこの仕事を押し付けて来たんだ。『断れ

ば、一族郎党異端審問にかけ火あぶりだ』と脅しながらね。だから、もしキミが本気

で断る気なら、自分が彼らから逃げ切る算段と、それにご両親の身の安全も考慮した

上でにした方がいい」

「そこまでするのかよ……」

 アルバンは吐き捨てるようにそう言うと押し黙ってしまった。

 ロロも黙ってアルバンの最終的な決断を待っていた。しかし、その態度からは余裕

が感じられた。アルバンには仕事を受ける以外の選択肢などなかったからだ。

「わかった……やるよ」

 熟考の末、アルバンは遂に諦めたようにそう言った。ロロはその言葉にニコリと微

笑んだ。

「キミが冷静な判断を下せる人間でよかったよ。確かに気に入らないこともあるかも

しれないが、前向きに考えた方がいい。狩りは手順を間違えなければ本当に危険は少

ないし、報酬はかなりいいんだよ。日々の生活に困らないだけの額が定期的に支払わ

れる上、ルー・ガルーを仕留める度に成功報酬までもらえるんだ。金銭的には本当に

悪い話じゃないんだよ」

 アルバンを納得させるために、ロロは努めて明るい調子でそう言ったが、アルバン

はそれを無視してホムンクルスの少女をじっと見ていた。

「アルバン……うまくやるコツを教えてあげよう。認識を改めることだよ。ソレは人

間じゃない。道具なんだ……狩りに必要なただの道具の一つだ。非情になる必要すら

ないんだよ。そして、キミにはそれができるはずだ。何故なら、キミはルー・ガルー

のことは獣として認識してるじゃないか……アレの元は人間なのにも関わらずだ」

 そう言われてアルバンはハッとした。確かにその通りだった。アルバンは地下で人

間が変化したルー・ガルーを見たときから、それを『狩る』ということ自然に受け入

れた。それにも関わらず、人間ではない、少女の姿をしただけのホムンクルスをエサ

にすることには抵抗を感じている。「自分は見た目に流されているだけなのかもしれ

ない」と思うと、アルバンは余計に情けなくなってきた。

 ロロはアルバンが過剰に落ち込み始めたので、それを遮るように話を先に進めた。

「キミにはこれから、ルー・ガルー専門の狩人として王国中を旅してもらうことにな

る。ルー・ガルーの出現の報告があった土地に赴き、狩りを遂行してもらう。その際、アーバレストとホムンクルスはキミが運ぶことになる」

「あぁ……」

 アルバンは、消化しきれない葛藤に苛まれていたため、ロロの説明に生返事を返し

た。ロロもアルバンが説明をちゃんと聞いていないことに気づきながら、それを咎め

なかった。

 ロロは説明の途中で席を立つと、部屋の隅から大きな木箱をとても重そうにしなが

ら、テーブルの横まで運んだ。その木箱には背負って運べるように革製の肩紐が取り

付けられていた。

「この箱の中にはアーバレストが分解して収められているんだ。流石にアーバレスト

をそのまま持ち運ぶわけには行かないからね。この状態でも持ち運ぶのには少し大き

いけど、組み立て式にして強度を両立するにはこれが限界だったんだ。悪いけど我慢

してくれ」

「問題ないさ」

 小柄なロロが並ぶと、確かにその木箱はかなりの大荷物に見えるが、アルバンは大

柄だったし、体力には自信があったので、それについてはあまり気にしなかった。

「ホムンクルスについては連れて歩くことになるけど、子どものようにグズることも

ないし、『歩け』と命令すれば体力の続く限り歩き続けるから、煩わしく思うことは

ないだろう。ただ、少し注意して欲しいんだが、ホムンクルスを連れている時はなる

べく親子に見えるように振る舞って欲しい」

「ハァッ……何言ってんだ、オマエ?」

 ロロの説明に気のない返事を返していたアルバンだったが、その注意事項には明ら

かな苛立ちを示した。

「いやっ、言いたいことはわかる! 散々、人間扱いするなと言っておいて、こんな

ことを言うのは矛盾しているのはわかっているんだ……けど、これもキミが無用なト

ラブルに巻き込まれるのを避けるためなんだ」

「……どういことだよ」

「ホムンクルスはルー・ガルーに狙われやすいように造形にはこだわって、かなり美

形に造ってしまった。それが災いして……その……キミのような武骨な人間が連れ回

していると、人買いや人攫いと間違われることがあるんだよ。実際、役人に連行され

た狩人もいるから……人目がある場所でだけで構わないから、そこだけ気をつけてく

れ」

 アルバンは自分と目の前のホムンクルスの少女が一緒に歩く様子を想像した。そし

て、それは確かに犯罪の匂いがする光景だろうと思った。

「…………わかった。努力するよ」

 どんなに親子のフリをしようと、自分と少女の外見の差がそれを阻むような気もし

たが、アルバンはもうロロの言うことにいちいち反論する気力がなくなり、諦めたよ

うにそう言った。

「よし! じゃあ、キミには次のルー・ガルーの出現報告が来るまでは、この街に滞

在してもらうことになるけど、その間にアーバレストとホムンクルスの扱いに慣れて

もらうよ。ルー・ガルーはいつ現れるかわからないから十分な時間が取れるかもわか

らない。ということで、早速今日から持ち帰ってくれ」

「…………えっ?」

 アルバンは戦場から直接ここへ連れてこられ、ロロという変人の相手をし、世間に

秘匿された教会の秘密を聞かされ、厄介な仕事を脅迫混じりに押し付けられ、ひどく

疲労していた。出来れば今日ぐらい一人で過ごしたかった。

 しかし、そんなアルバンの心情などお構いなしに、アルバンの同意を待つことなく、ロロはホムンクルスの少女に対し命令を下した。

「これからはこのアルバンの指示に従って行動しなさい……わかったね?」

 ホムンクルスの少女はコクリと頷くと長椅子から立ち上がり、アルバンの目の前に

移動した。椅子に座ったままのアルバンと比べても小さな少女はアルバンの顔を見上

げ、その大きな青い瞳でじっと見つめた。

 アルバンは少女のその仕草に困惑し、結局ロロに対する抗議の言葉を飲み込み、肩

を落とし、「ハァー……」と大きなため息をついた。

 ロロはそんなアルバンと少女の様子をただ愉快そうにニヤニヤと眺めていた。

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