『EJECT』 ー後編ー

 里実はきっと、バンドメンバーの事故について橋口に聞かされている。


 俺はそう推測していた。


 事故に遭うまで家を出なかったと言ったのも、話を聞いて事故を回避しようとしたからだろう、と。


 結果的として俺の考えは正しかった。


 花火大会の夜、俺が寝てしまった後で、里実の方から問い詰めたらしい。


 何か私たちに隠してるでしょ? 秘密にしないで教えて――と。 


 最初はただの直感だった、と里実は言った。久しぶりに会った橋口の態度に、ちょっとした違和感を覚えたそうだ。


 その後、怖い話をやめたとか、ホラービデオを捨てたとか言うのを聞いて、ただの心境の変化以上の何かがある、大事なことを隠している、と思ったらしい。


 絶対に変だと確信したのは、橋口の部屋にあるゲーム機の棚から、PlayStationとPlayStation2がなくなっていることに気づいたときだそうだ。そもそも、新しいもの好きのあいつが「みんなでスーファミをやろう」なんて言うのもおかしい、と。


 橋口は里実の追及をはぐらかそうとしたが、あまりに執拗なので観念したようだ。


 肝試しの後に自分の部屋で起こったことを、里実に全部しゃべったらしい。


「ギターのヤツが寝ちゃったから、ボーカルとドラマーと三人でプレステ2で遊んでたんだよ。『ストライク・シスターズ』っていう対戦モノのアクションゲーム。さっき見に行ったトンネルのことをわいわい話しながら、けっこう長い間やってたんだけど……。突然、テレビ画面がブラックアウトしたと思ったら、『バイバイ』って赤い文字で表示されて。何千回もプレイして初めてのことだから、全員びっくりしてさ――」


 ひとまず電源のリセットをかけたが、状況は変わらなかったらしい。


 ソフトのバグか開発者の仕込んだネタだろうと考え、PCを起動してインターネットで検索してみたそうだ。


 しかし、該当する情報は出てこない。


 あきらめてテレビのそばへ戻り、PlayStation2のコンセントを抜こうとしたそのとき……。


 ——カチッ。


 耳慣れた音が部屋に響いた。


 ディスクトレイの開閉ボタンを、指で押し込んだときに鳴るあの硬質な音。


 誰も押してないのどうして?


 三人は顔を見合わせた。


 だが、その直後、さらに奇妙な現象が起こった。


 テレビの画面に、意味不明な文字列が表示され始めたのだ。


『そぢj・z………』


 それと同時に、尖った爪で引っかくようなガリガリという音が、PlayStation2の内側から聞こえ始めた。

  

『そぢj・ztgf」s:t…………』


 ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。


 文字列が増えるにつれ、音はどんどん大きくなっていった。


『そぢj・ztgf」s:t・;あ@「@|¥fさ21どがj;え+Kvら」:g・pt@l:いあたvぱtっヴぁ、:り。:、ヴぉ;いらr・;あzてr…………』


 ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。

 ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。

 

 そして――文字列が画面を埋め尽くした瞬間、ぶうん、と別のノイズが鳴った。


 中のROMが勝手に回転している。


 やがて、ゆっくりと、手前に向かって、ディスクトレイがスライドし始めた。


 開いたわずかな隙間から、赤紫に変色した指のようなものがちらついている。


 まずい、と橋口たちは直感した。


 何かが外へ出ようとしている。


 トレイが開ききった瞬間、ゲーム機の内壁をガリガリ引っ掻いていたものが、部屋の中に出て来てしまう。


 三人は慌てて駆け寄り、トレイを力ずくで押し込んだ。


 PlayStation2のコードを引っこ抜いてゴミ袋に詰め、上からガムテープを何重にも巻きつけた。


 それから、ダンボールに入れて家の外に持ち出し、バイクで湾岸まで運んで東京湾に沈めた。


 その後、しばらく何も起こらなかったため、橋口たちはそれで終わったと安心していたらしい。ところが、一週間経った頃、脇見わきみ運転の車にドラマーがかれ、残りの二人も立て続けに交通事故に遭った……。


「怪談を話してると、霊が寄ってくるって言うだろ? たぶん、それと同じだったんじゃないかと思う。俺たち、を馬鹿にして、軽く扱い過ぎてたんだ。調子に乗って罰当たりなことばかりしてたから、悪いモノを呼んじまったんだよ」


 バンド仲間の事故の話をしている途中、橋口は里実にそう言ったらしい。

 

 心霊モノやホラービデオの趣味を辞めたのもその反省からだ、と。


 唯一、を目撃しなかった松島が事故に遭わなかったのを見て、よけいにそう思ったそうだ。


 だれかに怖い話をせがまれたらどうするのか、と里実が聞いたら、適当な理由をつけて逃げると言って笑ったという。


 でも――橋口の想像が真実だったとすれば、その夜、あいつは同じ過ちを犯したことになる。


 事故を繰り返さないために怖い話をやめたのなら、バンドの話を里実に語るべきではなかったのだ。


 なぜって? その話が終わった直後、橋口と里実の目に映ったのは、アクション映画が流れていたはずのテレビ画面がブラックアウトし、『バイバイ』という赤文字が表示される光景だったから。 


 続いて――カチッ――と乾いた音。


 ディスクトレイの開閉ボタンを押し込むときの音だ。


 それは、東京湾に沈めたPlayStation2からではなく、映画を再生していたDVDプレーヤーから聞こえていた。 

 

『そぢj・ztgf」s:t・;あ@「@|¥fさ21どがj;え+Kvら」:g・pt@l:いあたvぱtっヴぁ、:り。:、ヴぉ;いらr・;あzてr…………』


 不可解な文字列が画面に並んでいく。


 ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。

 ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。ガリガリガリ。


 不快な擦過さっか音が大きさを増していく。


 このままでは、が出て来てしまう――橋口は焦り、DVDプレイヤーに駆け寄った。


 コードを抜き、ゴミ袋に詰め、テープで巻き、肩に担いで屋外へ出て行った。


 また東京湾に捨てにいったのだろう。


 あるじがいなくなった部屋には、半ば放心状態の里実とソファで寝ている俺だけが残った。


 それから……。



◇     ◇     ◇



「橋口君が出て行った後、だんだん、あの部屋にいるのが恐くなってきてね。家を飛び出して向かいの公園に逃げたの。そのうち、バイクで帰って来た彼が、私を見つけて慰めてくれて……。太陽が出るまでずっと二人で公園にいたんだ。石川君だけ残して悪いと思ったけど、とても戻る気になれなかったから……」


 病室の天井に視線を注ぎながら、里実はそんなふうに説明した。


 あの朝、二人が目を合わせようとしなかったのは、それが理由だったのか。


「ひどい話だな。二人で俺を置き去りにするなんてさ」


 冗談じょうだんめかして言うと、里実はようやく微笑んで、


「ごめんね。でも、石川君は寝てたから大丈夫だって、橋口君に言われてたから。一人だけ眠ってたバンドのギタリストも、何も見なかったから助かったんだって。本当はこの話も言うなって、橋口君に言われてたんだけど」


「また事故に巻き込まないようにってこと?」


「うん。たぶん、そうだと思う。次の日、私と橋口君で神社のおはらいに行ったけど、それも効果がなかったし……。何も知らせない方が被害が及ばないと思ったんじゃないかな」


「そうか。話してくれてありがとう。なんにせよ、二人が死ななくて良かった。橋口が意識をとり戻してくれれば……あとはもう、事故が続かないことを祈るだけだな」


 里実は小さくうなずいた。



◇    ◇    ◇

 


 俺たち三人が再会したのは、それから半年後。街の景色がクリスマスカラーに染まる頃だった。


 里実はずいぶん前に退院していたし、橋口はあの後すぐに意識が戻った。


 しばらく会えなかったのは、単純に忙しかったからだ。橋口はバンドを再開したし、俺も冬季大会の準備でかつかつだった。


 夕方に落ち合う予定のところを、俺は昼過ぎに待ち合わせの駅に行った。駅の近くのスポーツ洋品店で部活のシューズを選ぶためだ。


 横断歩道で信号を待っていたら、携帯の着信音が鳴った。電話の相手は橋口だった。


「おう、どうしたんだよ。待ち合わせまで三時間以上あるぞ」


「わかってる。お前に伝えておきたいことがあって……」


 やけに深刻そうな声で言うから、俺も少し身構えた。


「なんだよ。何かあったのか?」


「実は、昨日の夜の話なんだが……。ギターの松島が追突事故を起こしたらしい。いま集中治療室に入ってるって、うちのメンバーから連絡があった」


「ほ、本当に?」


「ああ。もうずいぶん経ってるし、あのときのこととは関係ないと思うけど……。おまえも気をつけてくれ、って言おうと思って」


「わかった、注意するよ。ありがとうな。それじゃまた後で会おうぜ」


 そう言って俺は電話を切り、青信号目がけて歩き出した。


 近くで車のクラクションが鳴った。




【了】

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『EJECT』 朱里井音多 @Shurii_Onta

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