『EJECT』 ー中編ー
里実の事故は少し状況が特殊だった。
自宅のガレージで自転車を洗っているところへ、沿道から外れた大型トラックが突っ込んできたらしい。原因はトラック運転手の居眠りだそうだ。
里実は両足を骨折したが、命に別状はないという。
母親経由で事情を聞いた俺は、すぐに錦糸町の総合病院へ向かった。
行く途中、橋口の携帯に連絡したら、あいつはまだ事故のことを知らなかった。
最初、かなりショックを受けた様子だったが、その後にぽつりと漏らした一言が妙に引っかかった。
「やっぱりお
「お
と、俺は聞いた。
「いや……何でもない。実はいま、茨城のばあちゃんの家にいてさ。明日そっちに帰るから、里実にもよろしく伝えといてくれ」
「自分で言えばいいじゃないか。電話だってメールだってできるだろ?」
「うん、まあ、そうなんだけどさ」
その曖昧な言い方に、俺は腹が立った。
「おまえ、ちょっと冷たいんじゃないか。里実と付き合ってるんだろ? もっと大事に考えてやれよ」
「どういう意味だ?」
「とぼけるなよ。花火の日の夜、公園で抱き合ってたじゃないか」
「見てたのか、石川……」
「責めるつもりはないよ。おまえたちを応援してるから言ってんだ」
少し間をおいてから、橋口は思いつめたように言った。
「……悪い。会ったときにちゃんと話すよ。明日、地元に戻ったら連絡するから。それまで里実のこと頼む」
何の話だ――と聞き返す前に、一方的に電話が切れた。
病院の受付で面会の手続きをして、病室に入ると、パジャマ姿の里実が窓際のベッドに横たわっていた。
包帯まみれの両足は、物干し竿みたいな器具で宙吊りになっている。
見るからに痛々しいかっこうだ。
「大丈夫かよ。里実」
「石川君、来てくれたんだ。ありがとう」
「トラックが家に突っ込んで来たって本当か?」
すると、里実は自分の足を指差して、
「ずっと家から出ないようにしてたのに。それでもこうなっちゃうんだね」
「メチャクチャびっくりした。でも、命が助かって良かったよ」
「そうだね。時間はかかるけど、足も元通りになるって先生に言われたし。不幸中の幸いかもね」
いつもより弱々しい笑顔で里実は言った。
重症には違いないが、思ったより元気そうで良かったと思った。
でも……。
「ところで、お
言いかけたとたん、里実の顔がみるみる青ざめ、自分の世界に閉じこもるように
花火大会の翌朝のことが脳裏に浮かんだ。
里実と二人で橋口の家から帰るとき、何を話しかけても上の空なのが気になっていた。ちょうど、そのときと同じ雰囲気だった。
「橋口君から……聞いたの?」
里実はぼそりと言った。
「いや、聞こうとしたら、はぐらかされちゃって」
「そう……」
それきり黙り込んでしまい、何を聞いても答えてくれかった。
ようやく口を彼女が開いたのは、俺が病室を出ていく直前だった。
「石川君も、気をつけてね……。もう……橋口君の家には行かないほうがいいよ」
◇ ◇ ◇
翌日はうだるような猛暑だった。
一日中、橋口からの電話を待っていたのに、夜になってもかかって来なかった。
理由がわかったのはその次の日だ。
つくばエクスプレスで茨城から帰ってきた橋口は、秋葉原の駅前で交通事故に遭い、御茶ノ水の病院へ緊急搬送されていたのだ。
救急病棟に運ばれたが昏睡状態が続いているという。
また母親経由で事情を聞いた俺は、急いで病院に駆けつけた。
しかし、橋口は集中治療室に入ったままで、容態は山を越えたものの、まだ家族以外は面会できないと言われてしまった。
俺はすっかり混乱していた。
里実に続き、橋口まで交通事故に遭うとは……。
いや、橋口はその前にもバイクで転んで左腕を折っている。
こんなにも立て続けに事故が起こるなんておかしくないか?
——もう、橋口君の家には行かないほうがいいよ。
里実の言葉を皮切りに、いろいろなことが脳裏に浮かんできた。
花火大会の夜、公園で抱き合っていた二人。
次の朝、俺と目を合わせようしなかった二人。
お
そのことを質問したとたん、黙り込んだ里実。
ひょっとすると、二人が付き合いだしたというのは俺の勘違いで、あの夜、橋口の家でもっと別の何かがあったのか……?
考えながら病院の廊下をうろうろしていたら、金髪の男に声をかけられた。
「よう、石川君だよな。君もお見舞いか?」
相手は橋口のバンドのギタリストだった。ライブを見に行ったとき、何度か話した記憶がある。名前はたしか松島だったと思う。
「うん。事故のことを聞いて飛んできたけど、面会できないって言われて」
「俺も同じ。ここにいてもしょうがないから、帰ろうと思ってたところ。せっかくだから昼飯でも食ってかない?」
「ああ、いいよ」
俺と松島は病院を出て駅の方へ歩き、音楽ショップの隣のファミレスに入った。
「橋口が死ななくて良かったよ。でも、この調子じゃ再結成は無理そうだな」
と、オムライスを食べながら松島は言った。
「再結成って、どういうこと?」
「橋口が言ってなかった? うちのバンド、二週間前に解散したんだ。こんなにケガ人だらけじゃ、練習も満足にできないし」
「骨折して活動休止になった、とは聞いたけど。ケガ人だらけ……って、橋口だけじゃないの?」
「ドラムもボーカルも入院中。先月、二人とも別の場所で交通事故に遭ってさ」
「えっ、何でそんなことに?」
すると、松島はおもむろに首を振った。
「俺にもよくわからない。橋口たち三人は、あのときのことが原因だって言ってるけど……。どっちにしろ、偶然にしちゃ出来過ぎだよな」
「あのときのこと、って何?」
「橋口の家に遊びに行って……って、石川君にしゃべっていいのかな? 誰にも話すなって、あいつらに言われたんだけど」
「頼むよ。遊びで聞いてるわけじゃない。仲が良い女友達が、橋口の家に行った一週間後に事故に遭ってさ。なんとなく関係がある気がするんだ」
頭を下げると、松島は苦笑いを浮かべて、
「俺から聞いたって言わないでくれよ……」
その後、彼が教えてくれたのは、一ヶ月ほど前に起こったある事件の話だった。
◇ ◇ ◇
橋口のバンドのメンバーはお互いに仲が良く、音楽以外の時間もいっしょに遊ぶことが多かったらしい。
四人でつるんで繁華街へ行ったり、バイクでツーリングに出たり、橋口の部屋に溜まってビデオを見たりするのが日常だった。自然にほかの三人もヤツのコレクションの影響を受け、ホラーマニアになっていったそうだ。
事件が起こった日も、集まってホラー映画を見ていたが、「夏といえば肝試しだろう」とだれかが言いだし、心霊スポットへ出かけることになったという。
行先に選ばれたのは
夕方、四人は地元を出てバイクで現地まで走り、トンネルの周辺を探検した。
だが、一時間経っても何も起こらず、引き返して橋口家へ戻ることにしたという。
問題はその後だよ――と、松島は言った。
「十二時過ぎに帰ってきたから、全員あいつの部屋へ泊まることになってさ。俺は一時前に寝ちゃったけど、三人はずっとゲームしてたみたい。肝試しのこと、何も起こらなかったなあ、とか話しながら。そしたら、突然、ゲームの画面がおかしくなって、変なものが見えたらしいんだ」
「変なもの?」
「細かいことは教えてもらってない。その方がおまえのためだ、って言われて。だいたい、その話自体、バンドの解散が決まってから聞いたんだよ。俺たちが心霊スポットに行って二週間くらい経った頃かな。橋口たち三人が事故に遭った後だよ」
松島は深いため息をついた。
そのときの体験が原因で、橋口はホラービデオや怖い話から足を洗おうとしたのだろうか? 興味半分で心霊スポットに行くような軽率な行動が、バイク事故に繋がったと考えて……。
俺は花火大会の夜のことを松島に打ち明け、同じ状況だと思うか聞いてみた。
「確かに似てる話だけど、真相はわからないね。俺自身は何も見てないし、事故にも遭ってないわけだから。橋口の意識が戻ったら、直接聞くしかないんじゃない?」
と、松島は言った。
◇ ◇ ◇
翌朝、里実の病室へ顔を出すと、彼女はまた
いつもなら、気まずくなって退散しただろうが、今日はそうもいかない。
一晩いろいろ考えたが、どうしても里実に教えて欲しいことがある。
壁際に置かれたパイプ椅子を移動し、ベッドのわきに座った。
「橋口が事故ったのは知ってるだろ? それに関して質問があるんだ」
俺は単刀直入に言った。
里実は曖昧に首を振った。
「話したくない気持ちはわかるよ。あの夜のことは思い出したくもないだろう。でもさ、俺も少しは知ってるんだ。テレビの画面に変なものが映ったんだろ?」
里実ははっとしたようにこちらを見て、
「どうして、それを……」
「橋口のバンド仲間が話してくれた。一ヶ月前にも同じことがあったって」
俺が松島に聞いた内容をしゃべった後、里実はぼそりと言った。
「本当に聞きたいの……? 知らない方がいいことだってあるかもよ」
「俺だって部外者じゃないだろ。寝てたとはいえ、あの場にいたんだし。親友二人がこうなった原因を知っておきたいんだ」
里実はほうっと息をつき、自分の二の腕を抱き締めて話し始めた。
「石川君が寝ちゃった後、たしかに、変な映像がテレビに映ったの……。なんだか不気味で怖かった。けど……それ以上に怖かったのは、その映像の下の――」
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