3:夢と魔法の国
サーカスのテントに、団長の声が響く。
「なんだって!?
新公演のリハーサルを先延ばしにするって?だって、あれはお前が発案したんじゃないか。舞台装置も外注してある。パンフレットも配布してしまった」
「はい…その…」
「配役もすでに決まって、みな練習に励んでいるんだぞ?パキンは魔王城に囚われた姫。それを救う、生き別れの兄のポキン。私が魔王役で、デュマが側近の使い魔だ。エリック、お前はトリックスターの魔人として登場する。夢と魔法の国の、冒険活劇!なあ、きっと大成功間違いなしだぜ?」
「私にとっても長年の夢でした。この台本の構想は、子供の頃からのものなのです。しかし、妻の病状が悪化して…今は出来るだけそばにいてやりたいのです」
「え?なんだって?エリック、お前なにを…」
「申し訳ありません、団長。とりあえずは、私抜きで練習をしていて下さい。新公演までには必ず間に合わせますので」
エリックが去った後、団長はしばらくポカンとしている。
「何を言っているんだ?あいつ…」
※※※
エリック抜きのリハーサルを終え、団長以外のサーカス団のメンバーは、酒に酔っ払いながら談笑し、夜道を歩いている。
「お、こんな時間に店が開いているぞ」とデュマ。
「雑貨屋アンナか」と看板を読むポキン。
「入ってみましょうよ」とパキン。
三人は店の扉を開く。ガランガランと鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ。あら、お客さん方、もしかしてサーカスの…?」
「そうだよ。俺は道化のデュマ」
「僕、ポキン」
「相棒のパキンよ。曲芸師なの」
「ええ、一度ショーを見たことがあります。以前、エリックさんがチケットをくださって…」
「え?エリックが?」
「ははーん、エリックのやつ、隅に置けねえな。こんなファンシーな店でナンパとはな。でも、そんな理由でも無けりゃ、男がこんな店に来ねえよな、普通」
アンナは笑いながら首を左右にふる。
「まさか!だって、エリックさん、奥さんがいるでしょう?しかもかなりの愛妻家みたい。いつもプレゼントを買いにいらっしゃるもの。あら?皆さんご存知ない?」
三人は「え?」と口を開ける。
「エリックがプレゼントを買いに来るって?えっ…と、奥さんに…?」
「ええ。彼が通い詰めるようになって、もう五年になります。初めて来た時は、誕生日プレゼントを買いに来たんです。この店は彼女の好みにぴったりだ、って言って。そうそう、つい先月でした。五回目の誕生日プレゼントを買いに来たのは。でも…」
アンナは困ったようにカウンターの上を見つめる。
「ロウソクも買っていくんですけど、いつも十四本なんです。五年前から変わらず、ずっと十四本のまま…」
※※※
新しいショーのための舞台装置が運び込まれ、サーカスのテントの中に、魔法の国が現れる。
「新公演に向けての総練習だ。張り切っていこう!」と、団長が盛り上げる。
ポキンが、ロープに逆さ吊りの状態で言う。
「ねえ、エリックはどこ?」
「まだ楽屋にいるのか?はあ…しょうがないやつだなあ。誰か呼んで来いよ」
「誰か」と言いつつ、団長はデュマに合図をする。デュマは、なんとなく、こう言う役回りはいつも俺だな!?とばかりに、不機嫌に楽屋へ向かう。
暗い楽屋の中。衣装に小道具、ファンからの花束やプレゼントに埋もれた部屋の片隅に、エリックはいる。気配がなく、デュマは一瞬見過ごしそうになる。
「おいコラ!お前なにしてんだ、エリック!?いくらうちの花形だからってなあ、あんまり勝手すんなよな」
デュマの怒鳴り声も耳に入らないほど、エリックはなにかに集中している。デュマは不審に思い、彼に近づく。
見ると、エリックは鏡に向かい、ブツブツとなにか言葉を発している。手元にはチェス盤があり、駒を摘んで動かしている。
「おまっ…鏡の自分相手にチェスなんかしてんのか?根暗過ぎだろ!?っていうか、今日は通しで練習だっつってんだろ?新公演に向けての最終調整なんだ。お前抜きじゃ…」
デュマはエリックの手元を見て、ハッとする。
「あ、あれ?エリック、お前って…左利きだったっけ…?」
その時、エリックは我に帰り、自分の両手を見つめる。デュマは、エリックの様子がただ事ではないことに気がつき、ゾッとする。
「…あ、あの…リハーサル…」
「ああ、そうだったなデュマ。すまない。どうも緊張しているみたいなんだ。瞑想して、コンディションを整えていたんだ」
「…ふうん」
「今、行くよ」
エリックは、自分が演じる魔人の衣装に着替え、舞台に上がる。
※※※
魔王城の深部、祭壇の間。
妖精族の姫は、魔王への生贄として自らの命を捧げようとしている。王国の危機を救うため、魔王と契約の儀を交わそうとしているのだ。
「ふふ、観念しろ」と魔王は笑う。使い魔は鉄の剣を振り下ろし、鮮血を祭壇に滴らせんとする。そこに、魔人が登場。
「な、なに者だ!?」
「私は、妖精王の僕の
「妖精王だと?やつはこの俺が殺したはずだ。呪いをかけてな」
姫は祭壇から身を起こす。
「なんですって?お父様はご病気で…」
「大人しくしていろ、生贄の子羊よ。
妖精の国の存在が加護となり、この世界を守っている。妖精の国を滅ぼせば、加護は消え、我は世界を征服できるのだ」
魔王の高笑いが響く。姫は客席側に顔を向け、嘆く。
「ああ、なんてことなの。それでは飢饉も、疫病も、みな魔王の策略?私ひとりの犠牲で民が救われるのならば、喜んで命を捧げるつもりだったのに。私が死ねば、王家の血が完全に途絶えてしまう。妖精の国は終わり…そして世界が…終わる…」
パキンの演技力はなかなのもので、絶望感が伝わってくる。使い魔は魔人をなぎはらおうとするが、踊るような身のこなしでひらりとかわされる。
「ええい、魔人など放っておけ。どうせ、主人の命令なしでは魔法を使えん。その主人は、死んでしまったのだ。それより、妖精王の血統を完全に断つのが先だ」
「へえ、承知しました」
その時、魔王城の天井をぶち破って、王子が登場。
「妹よ!兄が助けに来たぞ!」
「なに!?」
「お兄様?そんな、だってお兄様は私が幼い頃、航海へ出たっきりお亡くなりに…」
現・妖精王である彼は、胸に隠したお守りを見せる。それは、航海に出る前に、姫が手渡したもの。本物だ、生きていたのだ!姫はすべてを察し「お兄様…!」と涙する。
「ええい、殺せ!さっさと姫を殺すのだ。そして、次はお前だ、妖精王!」
使い魔は再び剣を振り下ろす。
「魔人よ、姫を守れ!」と、王子は叫ぶ。魔人は魔法の呪文を唱える。照明を利用した仕掛けで、あたかも祭壇の周囲に魔力が注がれたように見える。
「さあ、姫よ。あなたの体は硬くなった。鋼鉄よりも、ダイヤよりも。こんな剣など、刺さりはしない。象が踏みつけたって、潰れやしない!」
魔人=エリックは、姫=パキンの目を見つめ、魔法=催眠術をかける。
しかし、団員たちは役を演じながらも、違和感を覚える。
「…なんか、いつもと違わないか?」と団長。
「ちゃんと暗示かかってるの?」とポキン。
「これ、本物の剣だぞ?」とデュマ。
エリック自身も焦りを感じる。
「ど、どうした?悪魔よ。私の魔術のまえに臆したか?さあ、ためしにその剣を突き立ててみろ。お前がやらないのなら、私がやる!」
「お、おい、台本と違っ…」
エリックはデュマの手から剣を奪い、怯えるパキンに近づく。
物語の雰囲気は一転、魔王も、使い魔も。魔人とともに数々の苦難を乗り越えてきたはずの若者も、突如悪役と化した魔人に恐怖し、その場に凍りつく。
「い、いや、いや…やめてエリック、本物の剣よ?刺さったら、死んじゃう…」
エリックは洗脳をかけようと躍起になる。完全な催眠状態にさえなれば、パキンの体は本当に鋼鉄と化し、剣は刺さらない…はずなのだ。エリックの実力からすれば、それは造作のないことだ。
しかし、剣の先端が腹の肉にチクリと食い込み、彼女が痛みに顔を歪めた瞬間、エリックはついに認めざるを得なくなる。
カラーンッ…
鉄の剣がエリックの手から落ちる。
「エリック!!?」
団長の呼び止める声に振り返ることもせず、エリックはその場を逃げ去る。楽屋に閉じこもり、自らに対して怒り、叫ぶ。
「かからない!暗示が…私は失ってしまった!
くそ、くそ!私にはこれしかないのに…こんなんじゃあ、どうやってミリーを守ってやるんだ…!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます