2:万華鏡
ショーの後、サーカス団員らは飲めや歌えのドンチャン騒ぎに興じている。
「道化の玉乗り、酒瓶のお手玉でござい」
「いいぞぉ、デュマ。もっとやれ」
「やんややんや」
エリックが楽屋から戻ると、皆の視線が集まり、一斉に拍手。
「スターのお出ましだ!」
「ヒューヒュー」
「今夜も大成功ね、エリック」
エリックは照れくさそうに頭をかき、静かに言う。
「君たちの協力があってこそさ。デュマ、君の獣の声は本物みたいだった。パキンとポキンは息がぴったりだな。おかけで、鼻持ちならない貴族の旦那に、一泡ふかせてやった」
「実に痛快」
「ああ」
デュマは、ライヒワインが無様に転んだ時の物まねをし、皆を笑わせる。
「さて、そろそろおいとまさせていただくよ」
「エリック、たまにはお前も飲んで楽しもうぜ?」
「そうよ。ご馳走もあるし」
「悪いが…」
エリックは申し訳なさそうに頭を下げ、サーカスのテントを出ていく。残された団員らは少し興ざめし、大人しく飲む。
「あいつ、いつもこうだよな」
「どうして早く帰っちゃうのかしら?」
「天才の考えることはわからん」と団長は言い、グラスを干す。
※※※
ショーは深夜から明け方近くまで行われるので、エリックが帰る頃は街明かりがほとんど消えていて、裏通りの雑貨屋「アンナ」だけに、ポツンと灯がともっている。
「あら、エリックさん。いらっしゃい」
「こんばんは、アンナ」
エリックは、紳士らしく帽子を脱ぎ会釈する。
店内には、女性が喜びそうなものばかり陳列している。
人形、オルゴール、手鏡、宝石箱、詩集に絵本、レースの手袋、色鉛筆、ステンドグラス…
「品物は届いたかい?」
「はい。プレゼント用にお包みしますね」
「ああ、いつも通りに」
アンナは、花柄の包装紙と緑のリボンを取り出す。待つ間、エリックは商品を物色する。
「良い香りのキャンドルだ。今度買ってやろう。それとも、この珍しい貝殻の笛が良いだろうか…」
エリックはプレゼントを手に、息を弾ませ家路を急ぐ。
※※※
ライヒワインが自宅でタバコをふかしていると、エリックの父親、ダグラスの使者が現れる。なぜ任務を終えても上司への報告がないのかと問い詰めるが、ライヒワインは催眠状態のため、話が噛み合わない。そこで使者はライヒワインを、なんだかんだと言いくるめて馬車に乗せ、ダグラスのもとへと連れて行く。
「ずっとこの調子か?」とダグラスは使者に問う。「はい…」と返答。
ライヒワインは焦点の定まらない目で、録音された音声をその口から発するかのように言う。
「父上、なんども申しましたが、私は家名を継ぐ気はありません。あなたとは、とうの昔に親子の縁を切りました。今は妻と共に慎ましく暮らし、仕事にも満足しています。私のような男には、これでじゅうぶんなのです。ご立派な地位も財産も欲しくありません。私は父上のような軍人にはなれないのです」
恐ろしい、とダグラスは思う。聴いているとだんだん、息子が目の前にいるかのような錯覚を覚える。確かに部下の声帯から発せられているはずなのに、声色も、口調も、そっくりなのだ。
「エリック、そこにいるのか?」
ライヒワインの目の奥に取り憑いた「それ」が、奥へと引っ込んだ。ライヒワインは、我に返って言う。
「あ、あれ?私はいったいなにを…」
「やれやれ、すっかり洗脳されていたようだな。まあ、自分は絶対に洗脳されないと思い込んでいるやつこそ、最も洗脳されやすいものだ。だからこそ手駒として使いやすい」
「ここは、いったいどこだ?私は彼と誓ったんだ。もう二度と…あそこに…サーカスには行かないと…荷作りをしなくては…故郷に帰らなくては…」
ダグラスはライヒワインの様子を見てとり、洗脳を解くために睨みつけた。
「はっ、私はなにを…」
「まんまと倅に踊らされたな。まったくあきれる。まあ、良い。正気に戻ったのなら、任務の報告が先だ」
ライヒワインは夜のサーカスで体験した一部始終を報告する。報告の最中、ダグラスは何度も顔をしかめる。
「なんとも、倅らしいやり方だ。ところで、口の中は何ともないのか?」
「は?口の中…?」
ライヒワインは口をもごもごさせる。すると、急に痛みを思いだし、悲鳴をあげる。火傷で舌や上顎の皮がベロベロに剥けていたのだ。
「これだ。痛みすら忘れさせるこの能力。我が家系に受け継がれし、
ライヒワインは「ひいい、いらいよおお、くひが、くひのなかが」と泣きわめく。
「ああ、鬱陶しい。もう一度洗脳をかけ直すか」
ダグラスはメイドを呼び、レモンを持って来させる。
「食え」
「ひ、ひょんなむごひこほ…」
「さっきまで普通にしゃべっていたじゃないか。さあ、俺の目を見ろ。これは火傷の薬だ。今、医者が運んできただろう?口を開けろ、喉に直接注いでやるよ」
ライヒワインは犬のように従い、口を開ける。ダグラスは半分に切ったレモンを絞る。痛々しく皮が剥けた口内に酸性の果汁が注がれるが、ライヒワインはちっとも痛がらない。
「…む、確かに楽になりました。いや、すっかり治ってしまいました!」
「うむ。では、話を続けようか。
我が家系はこの「眼力」を使って軍隊を指揮し、武勲を勝ち取ってきた。痛みを感じない忠実な兵士をつくれるし、人民を先導したり、敵を洗脳し二重スパイに仕立てることも…やりたい放題だ。
しかし倅は軍人には向いていない。あいつは軟弱者だった。虫一匹殺せない。女みたいなおセンチ野郎なのだ!
エリックの才能は俺以上、いや、我が家系始まって以来の逸材だ。
どれ程期待をかけたか分かるだろう?幼いうちから戦争に興味を持つよう教育してきた。だがやつは、兵士の人形やオモチャの銃には興味を示さず、花や、音楽や、詩を好んだ。
そう言う知識も、貴族の社交会では役立つこともあるだろうと一時は容認したが、間違いだった。成長してもエリックは夢見がちで、平和主義者だった。
…平和?はん、反吐が出る!」
ダグラスは 本当に反吐を吐きかねない様子。
「あれは倅の10歳の誕生日だった。俺はやつを射撃場へ連れてゆき、誕生プレゼントの銃を渡してこう言った。
『さあ、この的を見ろ。これは敵国の兵隊に似せた人形だ。非国民でないなら、その銃で敵を撃て!ぶっ殺せ!!』
倅は慣れない手つきで弾薬を銃に込めようとした。うまく込められず、バラバラと地面に散らばせて見せたものだ。そして、撃った。弾はぜんぜん的に当たらず、あらぬ方向に飛んでいった。倅は、銃の反動で尻もちをついて、言った。
『父上、私はやはり戦争には向きません。銃ひとつまともに撃てないのですから』
と言い、その場を去って行ったのだ。
だが、バカにしている!あとで気がついたが、あいつは銃の腕前も一流だった。なんと、外したふりをして跳弾を当て、近くの木の幹に文字を刻んでいたのだ。ラブ&ピースなどと…ラブ&ピースなどと!!今でもあの射撃場に残っているはずだ。
あいつはそう言うやつだ。昔から道化で、人を笑わせたり、あっと言わせるのが好きだった。無邪気で、まるで野心と言うものがない」
ダグラスの興奮した様子に、ライヒワインは引き気味だが、そんなことはどうでもいい。どうせ、部下はすべて洗脳済みだ。なにを口走ったところで、自由に記憶を消すことさえ可能なのだ。
こんな能力を生まれながらに身につけていれば、万能感に浸るのも無理はない。遠い先祖に、この「眼力」を極限まで極めた者がいた。洗脳により死をも忘れさせた「不死の軍団」を従え、他国に進行し、領土を拡大させたと言う。そして当時の皇帝を傀儡として操り、影の皇帝として君臨していた時代があった。
しかし、その「影の皇帝」の子孫である一族が、今や単なる一貴族の家系でしかない。ここまで衰退したのには、訳がある。
「…倅の催眠術、アレは、危険だ。手遅れになる前に、連れ戻さねば…」
※※※
「ミルドレッド!」
自分のアパートに帰るなり、エリックは叫ぶ。ワンルームの簡素な部屋に、レースのカーテン、ベッドがひとつ、そしてオモチャや本がいっぱい。
「あら、お帰りなさいエリック」
エリックは奇声を発しながらベッドに突っ込む。
「ああああー、私のミリー。元気だったかい!?」
「おちけついて、あなた」
エリックはベッドの縁に腰掛け、彼女へのプレゼントを取り出す。
「まあ素敵!これ、カレイドスコープね」
小さな万華鏡には、透明なビー玉がはめ込まれている。覗き込むと、部屋の風景が幾重にも見える。
「今夜の興行はどうだったの?」とミリー。「もちろん、大成功さ」とエリック。
「延々と続く砂漠に、灼熱の太陽」
「まるでアラビアンナイトね。私も行きたかったわ」
「連れて行ってやるとも、いつでも。私は君の夫だぞ?」
「しかも本物の魔法使い」
「そうとも!だが、花ひとつ咲かない過酷な世界は、君に似つかわしくない。そうだ、気持ちの良い草原はどうだ?バスケットに弁当を携えて、これからピクニックに出かけるんだ」
「でも、外はまだ真っ暗よ?」
「昼でも、夜でも、お望みのまま!」
ビー玉に押しつけられたエリックの百の目玉が、ぐるぐる回転しながら、二人を幻想の世界へと誘う。
気がつくと、ミリーの細くて白い足が、青草をかき分けながら進んでいた。
「植物の良い香り…気持ちの良いそよ風…穏やかな日の光…なんて素敵なの…」
ミリーはうっとりする。
「ミリー、ここだ。ここまで歩いておいで」
エリックは木の下で敷物を広げて、彼女を待っている。ミリーは、病人とは思えないような健やかな足どりで、いっきに丘を駆け上がる。
とっておきのワインで乾杯し、木の幹に腰かけ、丘を見渡す。
穏やかな時間がゆっくりと流れる。
「…豊かな緑、花々。
すべて私と君のためにあるようだ。
ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう…」
※※※
ふいに世界が暗くなる。
「ミルドレッド!?」
「うっ…」
青ざめたミリーが、エリックにもたれかかる。
「だ、大丈夫…心配しないで。少し疲れちゃったのね」
「ミリー、ごめんよ。君に無理をさせてしまった」
「ううん、楽しかったわ。いつも楽しませてくれてありがとう。私がもっと強ければ…病気なんかじゃなければ…」
幻の中と違い、ミリーは弱々しく、今にも消えてしまいそうに儚い。エリックは彼女が眠るまで、彼女の髪を撫でてやる。やがて瞼が落ち、小さな寝息をたてる。しっかりと腕で抱いてやりながらも、エリックの胸の奥には恐怖がある。
このまま消えてしまうんじゃないか、と。
この、小さな幸せの光が…
「大丈夫…大丈夫だ。私がミリーを守ってあげるからね」
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