イリュージョニスト

1:蜃気楼

満月がサーカスのテントを見下ろしている。

曲芸師のパキンとポキンによる空中ブランコの見せものが終わり、二人が拍手喝采を浴びている最中、道化のデュマはエリックを呼びに楽屋へむかう。

見ると、エリックはひとり、ボーッと鏡を見つめている。


「おい、そろそろ出番だぞ」


デュマの声でエリックは我にかえる。


「あ、ああ。わかった」

「しっかりしてくれよ、お前はうちの花形なんだぜ。お客はみんな、お前のショーが目当てなんだから」


エリックは急き立てられ、舞台にむかう。

舞台では、団長が待機している。エリックがカーテン裏に駆け寄るのを確認し、声を張り上げる。


「さてさて、お客さま。これよりお待ちかね。我がサーカス団の大、大、大スター!イリュージョニスト・エリックによる世紀の催眠ショーをお送りいたします。さあ、盛大な拍手を」


エリックは喝采を浴びる。客席は沸き、今夜いちばんの盛り上がりを見せる。

そこに、一人の男が水を指す。


「催眠ショー?はっ、バカバカしい。下らないペテンなんじゃないのかね?」


やけに通る声、目立つ席からの一声に、客席は静まりかえる。それから、ざわめく。


「なんだこの男?」

「どういうつもりだ?」

「やけに身なりがいいが、貴族か?」

「貴族がどうしてこんなところへ…」


エリックは舞台の上から男を見下ろす。団長はエリックに耳打ちする。


「エリック、気にするな。ただの冷やかしだ」

「ええ…でも、もしかすると、良い宣伝になるかも」

「やめとけ。ちゃんと台本通りに…って、おい!」


エリックは、男が何者か検討がつく。恐らく、彼の父親の部下だろう。エリックの父親は、息子が催眠術師であることを快く思っていない。それで、部下を送り込んで嫌がらせをしようと言うのだ。


「おーい、そこのあなた。舞台に上がってきて下さい」


男はエリックの呼び掛けに応じ、高慢な態度で舞台に立った。


「ふん、それで?」

「ショーに協力してください。私の催眠術がペテンかどうか、身をもって体験していただきたい。さあ、そこに腰をかけて」


男はエリックの顔を見つめた。

確かに、父親そっくりだ。しかし、名家の跡取りに不相応な。受け継いだ才能を、こともあろうにサーカスの見せ物にするなどと。

男が腰かけると、客席はざわめいた。


「なんだ?」

「おっと、すみません。そこに椅子はありませんでした。しかし、どうやって座っているのでしょう?」


男はハッとし、後ろを見る。椅子が、ない。空中に腰をかけていたのだ。それに気がついたとたん、突然重力が発生したように、尻餅をついた。

客は大笑い。


「く、くそ、はめやがって。この私に恥をかかせやがって」


男はぶつぶつ文句を言う。


命令でなければ、誰が好き好んでこんな役割を引き受けるものか!あの方のご子息でなければ、ぶち殺してやるところだ。

男のそんな心さえ見透かすように、エリックは笑みを浮かべている。


「さあさあ、機嫌をなおして。この椅子は本物です。これにかけて下さい。…そうそう」


エリックは自ら椅子を運びだし、座るよう促す。二人は向かい合わせに座る。


「私は軍人だ。子供だましのペテンにかかるほど、やわな精神はしておらん」

「大した自信のようですね。万が一私の術にかかったら、その場合はどうします?」

「ありえん。だが、もしもそうなっては末代までの恥だ。荷物まとめて故郷に帰ってやるよ。もう二度とこの町には顔を出すまい」

「それは良い。観客の皆さんが証人です」


ショーの演出に加え、厄介払いもできる。エリックにとっては一石二鳥だ。


「さて、あなたは今から私の術を体感するため、こうして舞台の上にいるわけです。ここはサーカスの舞台の上、眩しいスポットライト、観客の視線…ね?ここは舞台の上ですね?」

「?当たり前だろ。なにを言っている?さっさとショーを…」


エリックの目に困惑が浮かぶ。まるで、本当に目の色が変わったかのようだ。その目で見つめたまま、しばらく沈黙し、男の方が何か言い出そうと口を開きかけると、遮って言う。


「今、なんて言いました?」

「いや、だから、今こうして舞台の上にいるって…」


エリックは男の肩を掴み、顔を近づけた。


「おい、しっかりしろ、私の目を見て答えるんだ。お前は誰

だ?自分の名前を言ってみろ」

「は、え?私は…私はライヒワイン」

「そうだ、ライヒワインだ。そしてここは、どこなんだ?」


エリックの目は、特殊な「眼力」をもっており、見合わせた者を幻想へと誘う。ライヒワインは朦朧と答えた。


「ここは…サーカスの舞台…だよな…?」



スパーンッ!!



突然の平手打ち。サーカスのテントの天井高くに鳴り響く。

さすがに観客もギョッとする。エリックは、ライヒワインの胸ぐらを掴み、続けざまに往復ビンタを繰り出す。


「いで、いで、何?なんだ?何をする貴様ぁー!暴力に訴えるとは、許さ…」


ライヒワインは声を張り上げるが、エリックはそれ以上に大きな声で叫ぶ。


「お前こそ目を覚ませ!!しっかりしろ、ここは砂漠のど真ん中だぞ!!」


ライヒワインは、夢から覚めたばかりのようにハッとする。


「…砂漠?」

「そうだ。辺りをよく見ろ」


そこは確かに、砂漠だった。

照りつける太陽、見渡す限りの砂丘。地には蠍が這い、暑い空気が喉を焼く。


ライヒワインはパニックを起こす。


「ば、ばかな。私は確かにサーカスに…」

「サーカス?君がか?ライヒワイン、君はサーカスなんて貧乏人の行くところだと、いつも言っていただろう。君はサーカスなんか行かない。まあ、この暑さだ。錯乱するのも無理はないが」

「待ってくれ、全く覚えがないんだ。ここは確かに砂漠だが、どうやってここに来た?」

「なんとまあ、記憶喪失か。いいだろう、説明しよう。

我々の部隊は特別任務のためA国に向かっていたが、嵐にあい、乗っていた船が転覆した。私と君は木材にしがみついて嵐をやり過ごし、気がついた時には、浜辺に打ち上げられていたんだよ。だが、歩けど歩けど人っ子一人いない。それどころか、草一本生えていない灼熱地獄だ。君は暑さと喉の乾きで気を失っていた。だが、とうとう頭までやられたのか…」


そう言われれば、喉が渇いている。ライヒワインの顔面から、どっと滝のような汗が。


「うう、暑い暑い。我慢ならん」

「暑けりゃさっさと脱げ。そんな暑苦しい服」

「おう、その手があったか」

「ズボンも脱いだ方が良いぞ」


ライヒワインは、舞台の上で裸になる。観客は腹をかかえて大笑いする。しかしその声は彼の耳に届かない。彼は今、砂漠にいるのだから。

高慢ちきな貴族の男が、舞台の上で下着姿になっているのが可笑しくて、エリックは噴き出す。


「どうした?」

「ププッ…い、いや、なんでもない。だがさすがにパンツまで脱ぐんじゃないぞ。ここは人の住む場所ではないが、私たちは獣ではないのだから」

「ああ。だが、君のおかげでだいぶ涼しくなったよ」

「肌を露出したんで陽射しが痛いだろう。浜辺に打ち上げられていた船のマストをとっておいたんだ。日よけに使いなさい」


ライヒワインは、継ぎだらけでボロボロの布切れを、いそいそと頭から被る。


「いいのかね?君も陽射しが辛いだろうに…」

「私は大丈夫、それより、君がまた倒れたらことだ。助け合って、共に生き延びよう」


ライヒワインは感動して涙を浮かべた。


「ありがとう、ありがとう…」


砂漠の夜は極寒だ。青白い照明が冷気を漂わせ、向かい鏡が荒涼とした風景を無限に映し出す。その演出も手伝って、観客は次第に、幻の世界へといざなわれてゆく。

エリックは両手をこすり合わせ、歯を打ち鳴らす。凍えている演技だ。つられて、ライヒワインも凍える。皮膚には鳥肌が立っている。


「さ、さぶいなエリック」

「しっ!油断するんじゃない。我々は今、無防備なんだ。武器はすべて船と一緒に海底に沈んだ。この意味が分かるか?」


ライヒワインはごくりと唾を飲む。頭の中で様々な想像を巡らせているのだ。エリックの鋭い視線に睨まれると、あらゆる最悪を想定せざるをえない。


「て、敵がいるといると言うのか?こんな人気のない場所で…」

「ああ。だが、敵と言うのは、人間だけではないぞ。そら、耳を澄ませてみろ…」


舞台裏で、道化のデュマが野生動物のものまねをして、一声叫ぶ。


「息を殺して、やりすごすんだ…しかし、危ないぞ!あの声。そう、ジャッカルだ。やつらは鼻が利く。そら、そらそら!近づいてくる、こっちに近づいてくるぞ!」

「うわああああ!死にたくない!」


観客はみな同時に「あ」と口を開ける。ライヒワインは隠れていた岩陰から飛び出す。すると、エリックは両手に獣の顔がついた鍋つかみをはめ、自ら追いかけるジャッカルを演じる。

緊迫した雰囲気から一転、観客はシュールな光景に大笑いする。ライヒワインには、鍋つかみが本物のジャッカルの群れに見えるらしい。必死の形相で舞台中を駆け回る。


「逃げろ、逃げろ!ライヒワイン!飢えたジャッカルがよだれを垂らして、君を追いかけているぞ!ガウッ、ガウッ、ガウゥー!」

「うわああん、たっけてお母ちゃーん!」


ライヒワインは脱げたぼろきれに足をとられ、派手に転ぶ。鼻血を出し、泣きながら鍋つかみに命乞いする。

舞台裏で、サーカス団員らはにやにやしている。


「いやあ、今夜も良い見世物になったな」と、デュマ。


「ああ、街で威張り散らしてるお貴族様が、舞台の上で青ざめて小便ちびってるとくりゃ、庶民にとっちゃこの上ない見世物だぜ」と、団長。


「だけども、まだショーは終わっちゃいないよ。エリックの催眠術の才能は一流だが、舞台装置を操る僕らのサポートなしじゃ、ショーは完成しない。みんな、まだ気を抜かずにね」と、ポキン。


「ええ」と、パキン。


パキンとポキンは「せーの」の掛け声とともに、舞台両端のロープを引く。すると結び目がほどけ、天井に設置しておいた袋から大量の砂が落ち、埃が立つ。同時に、ジャッカルの群れはライヒワインを追い回すのを止め、どこかへ逃げてゆく。


「た、助かった…しかし、なんだ?砂塵が舞って、なにも見えない。げほっ!げほっ!」

「まずいぞ、ライヒワイン。一難去ってまた一難。こんどは砂嵐のお出ましだ。口元を布で覆え」


舞台裏で、デュマがふいごを使い、ビュービュー音を立てている。その演出とエリックの催眠術が相まって、ライヒワインも観客も、大砂嵐に飲まれているかのような錯覚におちいる。中には、吹き飛ばされまいと座席にしがみついている者もいる。


徐々に嵐は収まり、夜も明ける。

極寒地獄から灼熱地獄へと移行する、ほんの少しの間。昼と夜がちょうどよく混ざりあう時刻に、心地よい気温、朝露の恵みに昨夜の災難の慰めを得ていると、それは…浮かび上がる。


「きゅ、きゅ、宮殿だ!」と、ライヒワインは叫ぶ。

これも舞台装置の一つで、非常にリアルに描かれた絵に過ぎないのだが、観客も身を乗り出すほどに真に迫っている。


「きっとこの国の支配者が住んでいるのだろう。彼らが鬼でなければ、きっと哀れな遭難者を助けてくれるはずだ。あれだけ大きな宮殿だぞ。きっと良質な水に、食べ物に、寝床も用意してくれる」

「ああ、ああ!」


二人は走りだす。

と、同時に、舞台の床がせり上がる。その床はベルトコンベアーになっており、二人は走っても走っても宮殿(絵)にたどり着くことができない。


「ど、どうなっているんだ?さっきからちっとも進んでいないぞ…」

「ああ、そうか。なんと言う運命の悪戯。ライヒワイン、がっかりして気を落とすんじゃないぞ。あれは…蜃気楼だったんだ」


エリックがそう発すると、宮殿はゆらめき、消滅する。正確には宮殿の絵の虚像。絵の本体は客席の背後に設置されており、幻影灯の角度を調節することで、虚像を出したり消したりするからくりだ。


大自然の悪戯に翻弄されたエリックとライヒワインは、希望を打ち砕かれたショックで足取りが重い。そのうち、エリックは砂丘に倒れ込む。


「おい、しっかりしろよエリック!」

「わ、私はもうだめだ、ライヒワイン」

「なに弱気になっているんだ。私を一人にしないでくれよ!」

「いや、もうほんと無理。もしも君が生きて帰れたら…故郷に残してきた私の妻に、愛していると、伝えてく…れ…」


エリックはか細い声で遺言を言い、ガクンと頭を垂れる。ライヒワインは沈黙に震えあがり、叫ぶ。


「エリーック!!」


エリーック…エリーック…エリーック…


こだまが消えかかる頃合いで、パキンとポキンは別のロープに乗り移る。今度の装置はシーソーのような構造で、両端に交互に体重を移動させることで、箱の中のガラス片が涼やかな音を立てる。




水の音。




「オアシスだあー!!」


水音から伝わる清涼感。植物の匂い、みずみずしさ!

何日も砂漠をさ迷った末に、ようやく見出した救い。観客は舞台の上の二人に、自己を投影させている。涙を流す者もいる。肩を抱きあって喜ぶ者も。


「起きろ!起きろ!エリック、水だ。助かったぞ」

「う…うーん、ほ、本当に?」


二人はオアシスに突進する。絵や虚像ではなく、完全な幻影だ。理屈は分からない。エリック自身にさえ、その能力の全貌は把握できていない。彼の催眠術は、導入こそ装置や演技に頼るものの、完全な催眠状態にまで持ち込めば、あとはエリックの頭の中に思い描いた幻想に、他者を引きずり込むことすら可能なのだ。


それはもはや、催眠術の域を超えた「魔術」だ。


「さあ、飲めよライヒワイン。冷たい水だぞ」


エリックは少し意地悪をする。それは父親に対する個人的な仕返しを込めてのことだが、熱々に熱したヤカンのお湯をライヒワインに差し出したのだ。観客も団員も幻想の中にいるので、誰もこの仕返しに気が付いてはいない。

ライヒワインは、オアシスの冷たい水(熱湯)を勢いよく飲み干す。


「はああー!冷たくて美味い!生き返るなあ」

「ププッ…」


エリックが意地の悪い笑みを浮かべている間も、幻想の中のシナリオは続く。

遠くの砂丘に、ラクダを引いたキャラバンの一行が姿を現す。


「どうやらこのオアシスを目指しているようだぞ。こちらへやって来る」

「助かった…」


二人は救助された。

ライヒワインはほっと胸をなでおろす。

ラクダの背に揺られながら、ライヒワインは言う。


「エリック、私たちは苦楽を共にした戦友だな」

「へへへ、よせやい。ところで、君は約束を覚えているかい?」

「約束?はて」

「ああ、一度記憶を失ったから、忘れてしまったのも無理はない。君はこの任務を無事に生き延びたら、もう二度と戦場には行かない。故郷の田舎に帰って、愛する家族とのんびり余生を過ごす、と」

「ああ、ああ、そうだった。私は…故郷に帰るんだ…」

「そう…そして、二度と…ここに…このサーカスに…顔を…見せるな…父上にも…そう…伝えろ…」

「うん…わかった…サーカスに…顔を…見せない…あの方にも…伝える…」


完全な催眠状態のライヒワインは、どんな命令にも従ってしまうのだ。

ライヒワインは馬車に乗り、サーカスを後にする。馬車の音が遠のくころ、エリックは観客の催眠を解く。観客は、一斉に正気を取り戻し、と同時に、ライヒワインが舞台の上でもてあそばれた様を思い出し、大笑い。

団長は言う。


「イッリュー――――ッジョン!!!今夜も魅せてくれたぁ、イリュージョニスト・エリックゥ!!!」


雷鳴のような歓声。ファンが投げる花束やプレゼント。ショーは大成功のうちに幕を閉じる。

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