幼馴染は聖女になったそうです。
功刀攸
幼馴染は聖女になったそうです。
美しい声が聞こえた。それは幼いころから聞き慣れた甲高い声ではなく、ふかふかの毛布で包み込んでくれるような温かい声。
――ああ、彼女は夢を叶えたのだ。
画面の向こうに映る彼女は、数年前まで斜め向かいの一軒家に住んでいた、所謂幼馴染。彼女は共働きの両親と、父方の祖父母とともに住んでおり、学校から帰ったあとは毎日のように祖父母とテレビを見て過ごしていた。
私もそのころは弟が生まれたばかりで、忙しい母の邪魔をしないようにと彼女の家に預けられていたため、彼女のことはよく知っている。知っていると思っていた。
「エリナ様、素晴らしい歌声をありがとうございます!」
「いえ。これが私のできる唯一の取り柄ですから」
「いやいや、そんなご謙遜を。聖女様の歌声は尊きものでございます。聖女様の歌声は聖女でなくては紡ぎ出せるものではなく、また修行も厳しいと聞きますから……」
「ええ、でも……。私ができることは歌を紡ぐことだけなんです。音楽は奏者さんたち、衣装や舞台、会場設営など裏方の人々。それに司会の貴方や観客の皆様がいるからこそ、私は聖女として歌うことができるのです」
聖女というものは、この国に生まれた女性ならば一度は憧れる存在だ。
この国は数百年前、隣国との戦争に明け暮れる日々を送っていた。戦争は国を潤すと言うが、末端の国民は死に行くばかり。戦争のために多くの男性が兵士として徴用され、無理な徴税を強いて国民の生活を圧迫した。十五歳以下六十歳以上の稼ぎ手となる男性が兵士となり、残された多くの女性や幼い子どもたち、働き盛りを過ぎた老人たちだけでは安定した生活を送ることが難しかったのだ。
いずれ国は滅びるだろうと国民たちは悲嘆に暮れていたが、とある田舎の小さな村に住む一人の女性の存在が、この国の行く末を変えた。
国の頂点――戦争を好む王族の考えを改めさせ、隣国と不可侵条約を結ばせたと言われる女性。歴史の教科書には「王国軍が陣を構えた戦場近くの小さな村に住む女性は、度重なる戦闘で荒んだ彼らの心を温かな歌声で癒やした」や「戦を好むエニアス王の寝所で、彼女は歌を紡ぎ、物語を紡いだ」と書かれている。どのような姿であったか、姿絵が残っていないため分からないが、寝所まで呼ばれるのだから美しい人なのだろう。
そんな女性はいつしか聖女様と呼ばれるようになり、美しい歌声でこの国を守った救世主とまで呼ばれている。――そして、聖女とは聖女様が紡いだとされる歌を紡ぎ、国民に届ける役割を請け負った……まあ、所謂聖女様の後継者といた存在だ。
「相変わらず豊満な体を見せびらかしておるなあ、聖女というものは」
「そんなこと言わないで下さいな、マキス様」
「これ、ミルヤム。休日は呼び捨てにしろと言っておるであろう?」
「すみません、マキス。癖でして」
「……まあ、良い」
幼馴染の彼女は、幼いころから聖女を目指した。彼女の祖父母は彼女が聖女になる夢を応援しており、聖女の出演する番組は録画して全て見せていた。
また、聖女になるために必要とされるものを身につけるために、私も巻き込まれた形だが習い事に通ったこともある。声楽、楽器演奏、マナーに塾その他。私は父の転勤で引っ越すことになり、その時に全て辞めたのだが、彼女は私がいなくなってもずっと続けていたのだろう。
私も幼いころ、聖女に憧れたことがあるのだが、引っ越し先で隣の家に住んでいた少年に聖女の仕事を暴露された結果、消え去ったと言うのが正しい。
「聖女様は、田舎娘ではなく流浪の旅芸人。歌と踊りと体、美味しい料理を使って相手を陥落させる……ね」
「王国軍が陣を置いた場所には、多かれ少なかれ旅芸人が招かれ饗宴を催す。旅芸人にとって必要なものは、その日を暮らしていく金銀財宝。王族から末端の兵士までサービスをすれば、少なからず金目の物は手に入るだろうからな」
聖女様は旅の一座の歌い手であり、踊り子だった。
旅の一座は戦時中、様々な陣を巡り歩いて歌に踊り、豪華な料理や自身の体で兵士たちをもてなした。戦争が始まれば、いつ死ぬかも分からない時代。男ばかりの生活は、兵士たちを飢えさせた。幸せな家庭、大切な家族、美味しい料理に柔らかな肢体。
溜まった欲は人を化け物へと変化させるが、適度に抜かなければ暴走してしまう。その暴走をさせないための存在が、旅芸人たちだった。
一夜限りの関係は兵士たちにとって都合が良く、また旅芸人たちにも都合が良かった。兵士は溜め込んだものを吐き出すことができ、旅芸人たちはそれを受け止めることで生活に必要なものを手に入れられる。
そんな中で当時の王様に特に気に入られたのが、聖女様であった。
豊満な体に柔らかな肢体。滑らかな肌に指通りの良い黒髪。美しい歌声に確かな知性は、王様の後宮にいる女性の誰よりも魅力のあるもので、王様はすぐに虜になったと言う。
「エニアス王は、マキスの話を聞いてはくれなかったのですよね」
「ああ。あの大馬鹿ものである父上は、正妃の子である俺の話など一つも聞きやしなかった。どこへ行くにも聖女様を連れ立ち、戦後は聖女様を後宮に入れ、病に倒れた正妃の見舞いになど一度も来なかったな」
「あらまあ。女に溺れてしまったのですねえ」
「聖女様は、妃たちの誰よりも魅力的な体をしていたからなあ。父上は豊満な女性を好みとしていたが、あれほど父上が気に入る女は後にも先にも聖女様ただ一人よ」
私の隣に立つマキスは、引っ越し先で隣の家に住んでいた――私のもう一人の幼馴染だ。
絢爛豪華な豪邸に住まう彼は、聖女様に選ばれたと言われるエニアス王の息子。当時の第一王子の生まれ変わりだが、「今は今、過去は過去」と昔から言っていた。
小中高、大学まで同じで、就職先は違うだろうと考えいたが、今では同じ会社の上司と部下。同期で入ったと言うのに、彼は実力でサクッと昇進していき、今ではご両親の経営する会社の一部署を任されるほどだ。
「聖女に憧れるのは良いが、聖女の本質は当時の旅芸人と同じ。歌い、踊り、料理を食べさせ、酒を呑まし、侍り、体を売って金を得る。御伽噺の聖女様とは、全くもって違うものよ」
「うーん、それでもまあ。逃げ出すことなく、楽しそうに歌って笑っているのだから良いのではないでしょうか」
「そうさなあ。まあ、俺たちには関係のないことよ」
「ええ、そうですね」
幼馴染の彼女は、楽しそうに画面の向こうで笑っている。聖女の仕事を知っても、彼女は聖女でいることを選んだのだから、私がなにか言うこともないだろう。
「ふむ……。それでは、あの店に寄ってから帰るとしよう」
「はい?」
「ボケッとした顔で俺を見るな。可愛らしいが、外で食われたくはないだろう?」
「えっ、ええ……。恥ずかしいので……」
マキスの思わぬ発言に頬を染めると、マキスはくつくつと笑って私の手を取り歩き出す。
幼馴染から同期、そして上司と部下という間柄だが、つい最近、私とマキスは恋人という関係になった。どこかの国の王子――前世は王子――と言われても仕方のない、見目麗しいマキスと平凡で聖女に比べれば貧相な体つきの私が恋人同士になるだなんて思いもしなかったし、マキスに思いを寄せる女性たちからは随分と虐められた。
出会ったあの日に一目惚れした私にとって、長い片思い期間だったが、彼女たちの言葉を信じず、マキスの言うことだけを信じて隣に立ち続けていて良かったと思う。
――私はマキスを裏切らないし、マキスは私を裏切らない。幼いころの約束は、彼女たちの心ない言葉から私を守ってくれたのだ。
「さあ、行くぞ。ミルヤム」
「はい、マキス」
私はマキスと幸せになるから、エリナも聖女として幸せな人生を築いてね。
「我が妃は返してもらったぞ、父上の聖女よ。お前は俺の聖女ではなく、俺の聖女はミルヤムただ一人。お前の色に塗れた歌声など、俺の心には響かぬ。俺の心に届くのは、ミルヤムの透き通った歌声だけよ」
幼馴染は聖女になったそうです。 功刀攸 @trumeibe_yuu
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