優しさの代償、苦悩の結果
屋敷に来て数日、セラは今日もおままごとをしていた。
アイリスは零やクロハとともに街に出ているので今日はトレッサ、スーと3人だ。
当初はセラも働かせるとクロハが言っていたのだが、トレッサが駄々をこねたので、スーがままごとなどでいろいろ教えるということで零を説得し、当分は免除されることになった、という経緯を本人は知らない。
今日の題材は不景気な世の中でもおしゃれに気を遣う貴族の令嬢、だそうだ。今のセラの配役はお姫さまの侍女。
もちろんセラは不景気という単語や貴族の令嬢の生活なんて知らないし、侍女の振る舞いや作法もわからない。なのでスーに言われた通りにお茶を入れてみたり、トレッサとともにうんうん頷いてみたりするだけだ。早く交替して指輪を着けたりお菓子を食べたいと思っているが、順番やルールは大切だ、とスーが言うので我慢していた。
セラは10にもならない子供とはいえ、本来奴隷に遊ぶ時間などない。朝起きて日が沈むまで仕事をしたらわずかばかりの食事をして眠り、日が昇れば起きてまた仕事。それが普通の奴隷の1日だ。
しかしセラの主人は普通ではない。大人を一蹴する力があり、強い部下を従え、綺麗な服や宝石を山のように持っていて、美味しい御飯を好きなだけ食べさせてくれる。
見た目は血の繋がらない姉と変わらないのに大人のように難しいことを話すが、今まで見てきた大人とは何か違うような気がした。
物を知らないセラでもこうして過ごせているはそんな少し変わった主人に出会えた奇跡の上にあることくらいは理解できた。
ただそれでも小さな、セラにとっては大きな不安があった。
「ねぇねぇ、スーちゃん。」
「なんですか、セラちゃん。」
セラは意を決してスーに聞いてみることにした。トレッサではなくスーなのはトレッサは聞いてもちゃんと答えてくれない気がしたからだ。既にトレッサは交替した侍女役を放り出して雨が降り出したというのに庭でメタルパのパーちゃんやボーちゃんなど騎獣たちと追いかけっこを始めていた。セラは騎獣にまだ怖くて近寄ることが出来ない。
スーも主人と同じように見た目は子供であるのに、大人の雰囲気を持っている。しかし、セラは、うまくは言えないが、スーは主人と違い中身までは大人じゃないな、と感じていた。実際スーがセティやベッシュ、トレッサが零にくっついているのを見ると拗ねたように微かにだが口を膨らませているのをセラは知っていた。
「わたし、ごしゅじんさまに嫌われてるのかな。」
セラは自分で口にしながら悲しくなりうつむいてしまった。
「どうしてそう思ったんですか、セラちゃん。」
「だって、お姉ちゃんはごしゅじんさまといっぱい話してるのにわたしは全然話してもらえないから。」
俯いているセラの手にスーの手が重なる。
「そんなことありませんよ、セラちゃん。お兄様はアイリスさんと同じくらいセラちゃんも大事に思っています。アイリスさんはお兄様のそばでお仕事することが多いですから、ちょっとだけセラちゃんよりお話することが多いだけですよ。」
「うーん、でもでも、じゃあ、ごしゅじんさまとお話しするにはわたしもお仕事しないといけないってこと?」
「そうですねぇ、それについては私にも責任がないとも言えませんね。とはいえ、セラさんはお仕事をするにはまだ…そうだ、皆さんのところに行っていろいろ教えてもらいましょう。頑張ればお兄様もきっと誉めてくれますよ。」
「ほんと?でも教えてくれるかなぁ。」
セラはまだスーとトレッサ、メイドたち以外の臣下とあまり話したことがない。やや冷たい感じのするツヴァイや強面のヴォーセルとは話すのがまだ怖いくらいだ。
「大丈夫ですよ。私も一緒に行ってあげますから。」
「いいの?」
「ええ、もちろんです。さぁいきましょう。」
セラとスーはまずシータのところにやって来た。終始笑顔のシータは優しいお姉さんという印象だ。ちなみにトレッサに関してはスーが、どうせ飽きるでしょうから、ということで連れてきていない。セラはあとで拗ねるんじゃないか少し心配だった。
「あら、スーちゃんにセラちゃん。」
中庭の木陰にいたシータはセラたちに気づくと優しく微笑んで迎えてくれた。
「シータさん、ご機嫌よう。」
スーも微笑み返し、スカートの裾を摘まんで挨拶する。セラも慌ててそれを真似る。
「うふふ、可愛いお姫さまが二人も訪ねて来てくれて私も嬉しいわ。」
可愛いと言われセラの頬が思わず緩む。光を放つように綺麗なシータに言われたら尚更だ。
「それで私にお姫さま方が何か御用ですか?」
「ええ、セラちゃんに光魔法を教えてもらおうと思いまして。」
「お願いします!」
シータはぺこりと頭を下げるセラを見ると再び微笑む。
「スーちゃん…ええ、もちろんいいですよ。どうぞこちらに座ってください。」
セラは空いている少し高い椅子によじ登る。スーはセラの物よりやや低い椅子に既に座っていた。同じ椅子だった気がしたが気のせいだろう。
「はい、じゃあ、まずは身体から力を抜いてください。そうです、そうしたら…」
「落ち込まないでください、セラちゃん。私も出来ませんでしたし。まだ他の方もいますから。」
「うん…そうだね。わたしがんばる。」
シータに教わった光魔法はうまくいかず落ち込むセラを連れてスーは中にはから出て地下室に向かっていた。
「うふふふ、ここは暗くて落ち着くわね、私の可愛い子供たち。……ええそうね。大丈夫、あなたたちならすぐに仲良く出来るわ。……もちろんよ。ほら、お友達が近付いてきたみたい。ちゃんとご挨拶するのよ。うふふふ。」
地下室内からは不気味な独り言が響いてくる。セラは怖くて仕方なかったがスーに手を引かれて来てしまった。
「ニオさん、ご機嫌よう。」
地下室に入り、先程と同じようにセラたちは挨拶するとセラは寒気を感じ体がブルッと震えた。
「うふふふ、こんばんわ。この子たちも歓迎してるわ。」
ニオは両腕を拡げるとゆったりした黒い服の裾が羽のように広がる。いつも深いフードを被っていたので顔を見るのは初めてだ。しかし、セラが目を凝らすと不気味な程白い顔は微かに透けている。
「え、お、おばけ!?おばけだよ、スーちゃん!」
「うふふふ、そうよ、私はおばけのお母さんよ。」
「セラちゃん、落ち着いてください。ほら、スゥー、ハァー。ほら、セラちゃんも!スゥー、ハァー。良くできました。ね?嫌な感じはしないでしょ?」
セラはスーを真似て深呼吸する。確かに嫌な感じはしない。どっちかというとくすぐられているような感覚だ。
「確かにニオさんはいわゆるおばけですけど、良いおばけなんです。」
「い、良いおばけ?わたしのこといじめない?」
「もちろんです。人にも良い人と悪い人がいるでしょ?同じようにおばけにも良いおばけと悪いおばけがいるんです。そうですよね、ニオさん?」
「うふふふ、その通りよ。私の子供たちは皆良い子。あなたとも仲良くしたがってるわ。うふふふ。あなたが悪いおばけにいじめられそうになったらこの子たちが守ってくれるわ。あなたたちが何をしに来たかは知っているわ。さぁこっちにいらっしゃい。」
セラはニオの透けた手に引かれるまま奥に置かれた小さな椅子に腰かける。ニオの手は冷たいようで暖かく、その温もりがセラの不安を更に小さくした。
「ニオお姉ちゃんの手、暖かい。」
「……うふふふ、ほんとに良い子ね。じゃあまずは[魔力視]から教えてあげる。ゆっくり目を閉じて、力を抜いて…」
「うーん、また覚えられなかったよぉ。」
「そんなすぐには全部は覚えられませんよ。皆さんたくさん練習したんですから。まだまだ行くところはありますから大丈夫ですよ。」
「う、うん、ありがとう、スーちゃん。」
「さぁ次はベッシュさんのところに行ってみましょう。」
スーとともに階段を上がり、突き当たりの左にある部屋のをノックする。そこがベッシュの部屋だ。ちなみに向かい側、突き当たり右が零の部屋である。
零の周辺の部屋割りはかなり揉めたがベッシュ、セティ、ツヴァイによる壮絶な戦い(じゃんけん)の末に向かいにベッシュ、隣にセティ、隣向かいにツヴァイに決まった。
スーとトレッサの部屋は工房を兼ねるため2階に作ることが出来ず、仕方なく辞退した。しかし、トレッサお得意の駄々でスーも半月に半日、零を独占出来る権利を得たため恨んではいない。
「開けていいでありんす。」
「お邪魔しま…なんですか、これは。」
扉を開いた瞬間もわっとした空気が流れ出す。スーは息を止め、セラの口と鼻をハンカチで塞いだ。
「今戻ってきたらシータに二人が訪ねてくるだろうと言われんしたから匂いを撒いといたでありんす。いい香りでありんしょ?」
スーはセラを後ろに庇い悪戯な微笑みをするベッシュを睨んだ。
「大丈夫でありんす。別に致死性のものじゃ……そんな顔をしないでくんなまし。本気なら無臭でやるでありんす。スーは冗談が通じないでありんすね。」
スーの目が一層細まる。ベッシュは一つため息を吐いてキセルを叩き火種を落とした。するとセラを覆っていた色のつきそうな重い空気がも消えた。それと同時に顔を覆っていたハンカチからも解放される。
これはベッシュの職業の一つ、幻香師のスキルだ。様々な香りに状態異常などを付与する他、幻術との相乗効果で複数の敵を嵌めることも出来る。キセルはキャラ付けの演出だ。
ちなみにベッシュは生活スキルとしての調香スキルも持っている。こちらは特殊効果のないただ香りを生み出すだけのスキルだ。
「ベッシュさんの冗談が面白くないからですよ。」
スーはふぅと息を吐き、セラの口を押さえていたハンカチを畳み直した。
「全く、ツヴァイはからかい甲斐のあるマジメガネなのに…セラ、おんしはスーのようにつまらない女になってはダメでありんすよ。わっちのようにセク、セク…あれ?セク…」
「セクシーではありませんか?あと1文字ですよ?」
「ぐぬぬぬ、その上セティのようにムカつくでありんす。しかも、このなんとなく勝てない感じがセティよりも…ぐぬぬぬ」
「スーちゃん、ベッシュお姉ちゃん可哀想だよ。ベッシュお姉ちゃん、元気出して!」
セラは畳に女座りで臍を噛むベッシュに近づくと頭を撫でてやる。
「セラ、おんし…」
ベッシュはセラをうるうると見上げると覆い被さるように抱き締める。
「なんて良い子でありんすか。わっちが間違っていたでありんす!」
「あはは、ベッシュお姉ちゃん、おっぱいがふかふかで気持ちいい。それにいいにおーい。」
「おぉ、そうかそうか。ほれ、尻尾もありんす。」
ベッシュがそう言うと打掛の裾の下から筆のような金色の尻尾が数本現れ、セラに絡み付く。
「わぁ~、尻尾もふかふかぁ。気持ちいい~。」
「ベッシュさん?ほら、セラちゃんもここに座ってください。」
「はぁーい。」
スーの隣に慣れない畳に正座するセラ。ベッシュの手が何かを掴むように伸びたが時既に遅し。
「あぁ、セラ…」
「ベッシュさん、しっかりしてください。」
「わ、わかってるでありんす。ではわっちが幻術を教えてあげんす。ということでまずは一緒にやるのがいいと思いんすから、セラはわっちの膝の上に…」
「ベッシュさん。」
「全く、ベッシュさんてば。」
ベッシュがセラを離したがらず、のらりくらりと講義を長引かせたり、無駄に休憩を入れた上、最後には嘘泣きまで始める始末であった。
「でもベッシュお姉ちゃん優しかったよ。」
「ええまぁ、セラちゃんが喜んでいるならいいですが。」
「うん。次はどこに行くの?」
「今日はこれで終わりです。他の人たちは今お仕事で外にいますからね。」
「そっかぁ。あんまり出来るようにならなかったなぁ。ごめんね、スーちゃん。」
「謝らなくていいですよ。また頑張れば良いんです。」
「でも、このままじゃまた…」
「何かいいましたか?」
「え、あ、ううん。なんでもないよ。」
「そうですか。私はお花を摘んできますのでセラちゃんは先に戻っていてください。」
「え、あ、うん。」
セラは明るく返事をした。
セラは項垂れて裏口の扉を開く。裏庭には通称遊び部屋がある。部屋と言っても裏口から2本の木にかけて天幕を張り、テーブルと椅子を数脚置き、ハンモックなどが掛けてあるだけで壁はない。
ハンモックに腰をかけると俯いたままプラプラと足を揺らす。
「わたし、ダメな子なのかな。だからお父さんとお母さんにも捨てられちゃったのかな。ごしゅじんさまにも捨てられちゃうのかなぁ。そしたらお姉ちゃんにもスーちゃん達にも会えなくなっちゃう。」
ぽつぽつとスカートに滴が落ちた。セラにもそれくらいはわかっていた。ただ姉が親の話しになると悲しそうにしていたから自分はそれに気付いていないように、言葉に出さないようにしていただけだ。
1度流れ出した涙はどんどんとその量を増していった。
周囲に降り注ぐ雨も同じように。
「セラちゃん…」
戻ってきたスーは少し開いた裏口からセラの様子を見ていた。実は先程までもセラが努めて明るく振る舞っていたことには気付いていた。
しかし、自分がどうすればいいかわからなかったのだ。
零によって生み出され、育ち、そして零や他の臣下と共に世界の頂点に立っていたスーは自らの能力に疑問など抱いたことはないし、お菓子や綺麗な服にアクセサリー、欲した物は全て手に入った。
周りには常に零や共に生み出された者がいたし、彼らと家族であることには絶対の確信があった。
故に彼女は孤独を知らない。
どんなに強い戦士も大きなモンスターも最後には彼女達の前に沈んだ。
故に彼女は苦悩を力以外で解決する方法がわからない。
だから悩みを聞いて力をつけさせようとした。
しかし、それが逆にセラの苦悩を深めてしまった。
だが、それでもセラは努めて明るく振る舞った。
スーはそれを見ているのがどうしようもなく苦しかった。
隠れて泣くスーを見て心が張り裂けそうなほど痛んだ。
「あっ、スーみっけ!兄ちゃんが帰ってきたからごは…スー?」
廊下から顔を出したトレッサは振り返ったスーを見て目を見開いた。生まれて初めて涙を見たから。
「え?スー?え、なんで?え?」
トレッサが聞いてもスーは何度も手で涙を拭うだけで答えが返ってこない。トレッサもどうすればいいかわからずきょろきょろと周りを見回すことしか出来ない。
「トレッサ、スー達は見つかったのか?」
「おにいざま!」
スーは零の姿が見えると駆け寄って抱きつく。零の服が汚れるのも構わず。
「おにいざま。わたじくるじいんでず。セラちゃんがないているとどうじようもなくむねがいだいんでず。セラぢゃんをだすけであげたいのにどうずればいいかわがらないんでず。おにいざま。わだじはよわいのですが。わだじがよわいがらセラぢゃんをだすけることがでぎないのでずか。」
堰を切ったようにスーから言葉が漏れだした。扉の先を一瞥すると零はスーの頭に手を置き、少ししゃがんでスーに目線を合わせる。
「スー、それも優しさというんだ。スーがセラを大切に思ってるから、だからスーは泣いてるんだ。でもセラも優しいだろ?どうだ、スー?」
「はい、セラぢゃんは優じいんです。だがらわたしの前でずっと我慢して。でもぞれがぐるじくで。」
「そうか。セラは苦しくても我慢してきたんだな。強い子じゃないか。でもスーが泣いてたらセラも苦しくなっちゃうだろ?だから今度はスーが苦しくても我慢して、頑張って笑うんだ。そういう強さもあるんだ。いいね?」
スーはこくんと頷き、涙をドレスの裾で拭うとぎこちなく笑った。
「お兄様、私、セラちゃんのところに行ってきます。」
そう言ってスーは外に出ていった。
「兄ちゃんはすごいなぁ。あたしはお姉ちゃんなのになんにも出来なかった。」
スーが出ていった後トレッサはぐすんと鼻をすすった。
「そんなことはないさ。トレッサもスーが悲しむと思って泣くのを我慢したんだろ?立派なお姉ちゃんじゃないか。」
「うん!」
「今日はセラとスーの好きな物を出してやることにするからクロハたちに言ってきてくれ。」
「うーん、あたしも今日食べたい物あったけど、仕方ないから我慢する!だってお姉ちゃんだもんね!」
トレッサが厨房に走り去るのを見送ると零は二人の様子を窺う。
(少しだけ、羨ましいな。もし、あの時、受け止めてくれる人がいたら…考えても意味はないか。無くなった物が返るわけでもないしな。せめて、俺のようにならないよう、守れるよう強くあらねば。誰よりも。)
「セラちゃん。」
「スーちゃん。あ、これは違うの、ちょっとだけ雨に濡れちゃって。」
「いいんですよ、もう我慢しなくていいんです。セラちゃんは頑張ったじゃないですか。」
そう言ってスーが抱きしめるとセラも強く抱きしめ返した。
「ズーぢゃん。ズーぢゃん。わだじ、またずてられぢゃうんじゃないかっでおもっで。わだじなにもでぎながったから。」
「そんなことないですよ。お兄様が言ってました。セラちゃんは優しい子だって。強い子だって。だから、もういいんです。セラちゃんはどこにも行かなくて。いいんですよ。」
スーはセラの涙を袖で拭ってやる。
「ほんと?わたしダメな子じゃない?ごしゅじんさまに嫌われてない?スーちゃんやお姉ちゃんとずっと一緒?」
「ええ。セラちゃんはダメな子なんかじゃありません。私はセラちゃんが頑張ってきたことを知ってますから。お兄様もわかっています。だからずっと一緒です。」
「うん。うん。」
そうして二人はもう一度抱き合うとお互いのくしゃくしゃの顔を見て笑った。
いつの間にか雨はあがっていた。
二人が手を繋いで裏口の扉を開くと零が近付いてきた。
「ごしゅじんさま…あのわたし…」
スーはああ言っていたが、いざ零を前にすると自信がなくなってしまう。
しかし、セラが言い切る前に零が頭を撫でる。
「セラ、今日は頑張ったみたいだな。スーも。」
二人は零に抱き寄せられる。そしてもう一度泣いた。
しかし今は苦しくない。
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