番外編・プロローグ

プロローグ TAKE2《やり直し》 ・ある日の二人。


「ジョーくん。私、あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」


 やたらと騒がしい駅前のファーストフード店のテーブル席で、一華は優雅に微笑んだ。


 彼女の向かいには、


 真っ赤な風船と、


 子猫と、


 少年がいる。


 肩に子猫を乗せた少年が、風船を持って座っているのだ。


 容姿に幼さを残す彼は、つい三ヶ月前に高校一年生になったばかりだ。背は高くも低くもないが、童顔に似合わず妙に身体が引き締まっていた。『スポーツ』で鍛えている影響ではあるが、より『実戦的』になってきたと一華は美味しそうに微笑んだ。


「もう少し、うまくやれると思ったんですが」


 『ジョーくん』と呼ばれた彼は、少し憮然としながらポテトフライを食べようとして、やっぱりやめる。指に紐が付いているからだ。


 彼の中指から繋がれた紐は真っ赤な風船にくっつけられて、天井へ舞い上がろうとする『見知らぬ小さい女の子からのお礼』であるそれをふわふわと停滞させている。


 主にハンバーガーを売ることを生業とするファーストフード店に高校生が風船を持って入る事自体ちょっと異常というかマナー違反なのだが、彼の怪しさはそれに留まらない。


 つい三ヶ月前に高校生になったばかりのはずなのに、彼の着ている制服はすでにズタボロだ。裾のちぎれたブレザー、焦げた胸の校章、膝が破れて「それダメージ加工なんでしょ?」とクラスの話したことも無いような女子どもに笑われるスラックス。


 ついでに、猫がいる。


 左肩に、子猫が乗っている。


 主にポテトフライを売ることを生業とするファーストフード店に高校生が肩に子猫を乗せて入る事自体ちょっと異常というかぶっちぎりでマナー違反なので絶対に真似をしてはいけないし、彼自身もそう思って店からすぐに出ようとしたのだが、『一部始終を見ていた』店長店員お客様に至るまで拍手喝采で迎えられては、空気を読んで席に座った方が良いかと思ったのだ。連れの一華は全く席を立とうとしなかったし。


 左肩に乗っていた子猫の首根っこを摘んでテーブルの上に輸送し、空いた左手でコーラの入っていたコップを持って中身を啜る。水のように味が薄い。


 氷が溶けきるまで飲めなかったコーラをヤケクソ気味に吸い出して、隣の席で『一部始終を見ていた』リア充っぽい他校の見知らぬ高校生たちが帰り際に「ウェーイ」とか言いながら右手を上げてくるので仕方なく風船の紐が付いた手のひらでハイタッチして「う、うぇい?」、目の前の双刃一華がくすりと笑うのを見て、ストローから口を離して、彼――ジョーくんこと最上久丈もがみ くじょうはため息を付いた。


 何ということはない。


 またやってしまった。


 うん、『また』なんだ。済まない。


 一華が口を開く。


 解説。


「たまにはファーストフードでも食べようかと入ったお店で、超絶品トリプルチーズバーガーセットを買ってテーブルに着いたら、」


 子猫が鳴いた。


「にゃー」


「道路を挟んだ向こう側の木に何かがいるのが窓から見えて、よくよく見れば木の上から降りられなくなった子猫で、」


「にゃー?」


「気が付けば店を出て道路を越えて木の頂上てっぺんに登って子猫を助けてて、さぁ降りようと思ったら暴走した大型トラックが他の車をなぎ倒しつつ道路の向こうから走ってくるのが見えて、」


「にゃー! にゃー!」


「折り悪く強風で飛ばされた帽子を拾おうと女の子が道路に入ってきてて、思わず三メートルはある木の上からジャンプして勢いそのまま女の子と帽子を抱えて路面を転がり回り、」


「ふにゃあ」


「どうにかこうにか止まって子猫と帽子と女の子が無事なことに安堵して、ふと周りを見たらさっき超絶品トリプルチーズバーガーセットを買ったファーストフード店の入り口にいて、」


「なおーう」


「転がっているうちに開きっぱなしの正面ドアから再び入店していたのだと気が付いたのは拍手喝采を浴びている最中だった、というわけよね? 怪我はない?」


 頷く久丈。もう何も言いたくない、とばかりに頭を押さえる。


「ちなみに暴走トラックはその子猫さんがいた木に突っ込んで大破してずっとクラクションを鳴らしているけれど、さっき出て来たあの運転手さんは酔っ払ってるみたいだったわね」


 返事の代わりに、ドリンクがじゅじゅじゅじゅじゅ、と鳴った。無くなった。


「確か三日前も似たようなことがあったわよね。本当に何なのかしら、その体質」


 耳にかかった長い黒髪を何気なくかきあげながら、一華が目を細めて楽しそうに笑う。その声と仕草が変に艶かしい。久丈は一瞬だけ釘付けになったその小さな唇から強引に目を逸らして答えた。


「いつも何かと運の良い一華先輩と違って、僕はツイてないんですよ」


「それは認めるわ。でも、自分が微運だと知っていてもなお首を突っ込むその体質――。ふふ、本当に面白いわね、ジョーくんって」


 体質。


 それは久丈自身もうんざりしている。うんざりしつつも、どうしようもない。


 『困っている人を放っておけない体質』。


 聞こえは良いが、ただの自己満足で偽善者だ、と久丈本人は思っている。道端で倒れている人がいたとして、放っておいたら気分が悪くなる。『だから』助ける。


 つまるところ自分の気持ちが第一。自分の気持ち良さが第一。


 だから、『困っている人を放っておくと気持ち悪くなる体質』とでも言った方が正しいのかも知れない。


 まぁ、今回は人じゃなくて猫だったけれど。


 そして、三ヶ月前の入学式の時は、目の前にいるこの先輩だったけれど。


 双刃一華、先輩。


 久丈の通う高校の三年生で、久丈の『パートナー』。恋愛的な意味では無くて。


 艶めく長い黒髪に、生まれの良さを思わせる上品な振る舞いは、良家のお嬢様らしさを存分に表している。方向性は違うものの、久丈と同じ『スポーツ』を小さい頃から続けているおかげでやたらとスタイルが良い。地味なブレザーの制服を押し上げる犯罪的なまでに大きな胸とわずかに短くしたスカートから覗く引き締まった太ももに細い腰、そして形の良いお尻は、彼女の『スポーツ』では武器でもある。


 およそ神に選ばれたと思しき造形美をその身に与えられ、そしてそれだけに収まらず、仕草の端々に同性ですらドキリとするような色気エロさがあるのは、一華が幼い頃から常に他人の視線を意識し、自身の魅力に磨きを掛けてきた証左であった。ただひとつを除けば完璧な女性である。


 そう、性格を除けば。


――黒髪ロング爆乳妖艶お嬢様、と呼んでくれていいわ。


――いや、属性盛りすぎでしょ。


 と、ツッコミを入れたのはいつだったか。


「ん? ひょっとしてエッチなこと考えてる? 私も一緒に考えようか?」


 ……ヤバイ。


「いいえ微塵も」


 はてな? と首を傾ける一華を不覚にも可愛いと思う。そんな自分に悔しがりながら久丈は答えた。一華のスイッチが入りかけている。切らねば。


「それは残念。じゃあ私の考えを発表するわね。ファーストフード店でするエッチなことと言えば隠れオナ」


 切らねば。


「一華先輩、ポテトはもういいですか? 何かお気に召したものがあれば買ってきますよ!」


「お気に召すまま……そうね、目隠し全裸で縛られて公園で散歩させて欲しいわ!」


「それにしても! うるさいですね、クラクション!」


 街路樹に突き刺さったトラックが鳴らし続けるクラクションは止まる気配がなかった。レッカー車が来るまでこのままだろう。突発イベントに興奮していた人達も飽きたのか、店内に残る客が少なくなっていた。正面に座る一華が残念そうな顔を消してにっこり笑う。


「でもお手柄だったわね、ジョーくん」


「もう少しうまくやれると思ったんですが」


「十分じゃない?」


「次はもう少し、」


 ぺり、と絆創膏を剥がす。今回の怪我ではなく、三日前に着けたものだ。丸めたそれを置くと、テーブルの上で風船の紐とじゃれていた子猫が新しい遊び道具にした。


「目立たないようにやります」


 一華がにっこり笑ったまま涼しげに否定する。


「無理だと思うけれど」


「そんなことありません。僕はもう、無理とか無駄とか、思わないようにしてるんです」


「あなたが『おせっかい』をやめない限り、無理だと思うわ」


「…………ぐぬ」


「私にとっては『正義の味方』だけれどね」


「そんなんじゃないです」


「じゃあ『ヒーロー』?」


「ただのおせっかいです」


「それとも――『勇者』かしら?」


 一華がもったいぶって絡むようにいったその『勇者』という単語に、


「――やめてください」


 心臓が跳ねて、頭が冷えきった。


「やんっ……! やっ、はぅっん……!」


 思わず怒気を込めて刺すように放った返事に、しかし一華は胸を押さえて恍惚な笑みを浮かべてしまう。まるで愛を告白されたかのように、頬を赤く染めて。


 やっべ。


 スイッチ入れちゃった。


「やだジョーくん恐い。いい。いいわ。ゾクゾクする。怒ってる? ねぇ怒ってるの?」


「お、怒りませんよ。怒ったら先輩を悦ばせちゃうでしょ」


 双刃一華の変態スイッチが、入ってしまった。


「『正義の味方』じゃなかったらなにかしら? 仮面ライダー? 月光仮面? けっこう仮面? 変態仮面?」


「待って、どんどんズレてる変な方向に」


 ヤバイヤバイ、エンジン温まってきちゃった。


「顔だけ隠して全裸マフラーとか最高に興奮するわよね、今度やってみようかしら! ねぇジョーくん、私のパンツを被ったらあなたも変身するの? 変態仮面HKみたいに!」


「しませんよ!」


「ああ、逆でも良いわ」


「逆?」


 歌舞伎町ナンバーワンホストみたいに、ぴっ、とキザったらしく顎に手を当てて、一華はキメ顔でこう言った。


「あなたのブリーフ、被ります」


「被らなくていいです! っていうか僕ブリーフじゃねぇわ!」


「あら、ふんどしに変えたの? それともブーメラン? まさかの前貼り?」


「どんどん布地が減ってるよ! このままじゃノーパンだよ!」


「私と一緒ね!」


「やめんかぁああ! なんつーカミングアウトしてるんですかあなたは!」


「大丈夫よ、心配しないで。トラックのクラクションがすべて掻き消してくれている。誰にも聞かれてないわ。私の秘密を知っているのはジョーくんだけよ」


「そこを心配してるんじゃないです!」


「そうね、本当に穿いていないノーパンなのか、やはりそこが気になるわよね」


「そっちでもねぇわ!」


「冗談よ、ジョーくん。ちゃんと穿いているから」


「話が通じて良かったですよ」


「もう馬鹿ねぇ。よく考えればわかるわ。私が下着を穿かなかったらスカートが濡れて濡れてシミになっちゃうでしょ? コーラを飲んだらしゃっくりが出るくらい確実だわ?」


「その『さも当たり前』みたいな顔をやめろよ! 普通の女子は日常生活に困るくらい濡らしたりしねぇよ!」


「いいわ、その調子。どんどん攻めて突っ込んで! 気持ちいいから!」


「もおおおおおおおぉぉぉぉイヤだあああああああああああああああああああ!」


 ぷあぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああん。


 鳴り続けるクラクションと久丈の絶叫が響き渡る。


 その残響に思いを馳せる。


 この黒髪ロング爆乳妖艶お嬢様――もとい『ドM変態痴女』先輩と出会った、たった三ヶ月前の、遠いあの日のことを。

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ジョーカーズ・コスト―『勇者』になれなかった僕は、ガチャで引いた『道化師』で最強を目指す― 妹尾 尻尾 @sippo_kiri

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