第4話
神社からひと際離れた公園に、二人はいた。
日中は子供たちのにぎやかな声と保護者の井戸端会議で騒がしくなるような巨大な公園だ。
今は、ベンチを使うカップルが、対極の磁石のように離れ離れになってちらほらいるだけだった。
決して僕なんかが入ってはいけないような疎外感が空気となって、僕の身を包んでいるようだ。
さらに公園から隔絶されたような砂場のベンチに二人はいた。
先輩は俯き、うなだれるようにして足元を見つめていた。
鮎川もふとももの上に固く拳を握り、それを見つめるように視線を落としていた。
張り詰めた空気がどことなく漂っていた。何かがあったのだと、鈍感な僕でも察することができた。
乱れた呼吸のせいか、やや離れたところにいたにも関わらず、先輩は人の気配を察してか、顔を上げる。
汗だくな僕をみるなり、先輩は力なく微笑んだ。
「ああ。君は……あれ喜多野は?」
「喜多野さんは……帰りました」
何事もなかったかのように淡々と告げた。
「俊……?」
鮎川も僕に気付き、慌てたように立ち上がる。
「鮎川……その」
いざ、会うと、びっくりするくらい言葉がでない。
餌を待つ金魚みたいに口だけが動く。
伝えたいことは、たくさんあるはずなのに。
喜多野さんに勇気をもらったのに。
だから僕はダメなんだ。
目の前には同じように口を動かしている鮎川がいる。
でも僕同様肝心の言葉が、流れてこない。水中で話そうとするみたいに空気が漏れてくるだけ。
「…………っ!」
やがて鮎川は、きつく唇を結ぶと、踵を返して逃げるように駆けだした。
「待って、鮎川!」
思わず呼び留めるも、当然待つわけがない。あっというまに、祭りの雑踏の中へと消えていく。
取り残される僕と先輩。このまま追っていいのかわずかに悩む。
と、先輩から独り言のようにつぶやく。
「しかしすごいタイミングでくるね。フラれた直後だなんて。見計らってたの?」
――フラれた。その言葉をきいた瞬間、僕はゆっくりと息を吐き出した。
そうか。先輩はやっぱりここで。
じゃあ、鮎川は。
不思議と、ずっと収まらなかった動悸が少しずつ、落ち着きを取り戻してきた。
お腹にあった息を詰まらせる何かが、すっと引いていって、水中にいるみたいな息苦しさから、ようやく解放された気がした。
「好きな人がいるってさ。誰とは言わなかったけど」
「そう、ですか……」
そっか。好きな人がいるのか。
それは誰だろう。
確かめたい。
それが、………………僕であったらいいのに。
「鮎川は、短距離走者ですよね?」
僕の唐突な問いかけに、先輩は露骨に眉をひそめたが、やや間があって答えてくれた。
「そうだよ。この人の多さだし、まだそんな遠くには行ってないんじゃない?」
「ありがとうございます」
礼をいって、僕は再び走り出す。
★
今日は走ってばかりだ。
普段運動をしているわけでもないので、とっくに体力は底をつきていた。
でも、動く。
無理やりにでも動かす。
想いをもって駆ければ、体力なんてどうとにでもなる。
商店街まで戻ってくると、祭りも大詰めだというのに、未だに人でごった返している。
とても走れる状態ではなかった。それでも泳ぐように人を掻き分けて、僕は前に進む。
鮎川。どこにいるんだ。
僕は鮎川になにも伝えてないんだ。
これまで通りの関係で、それを壊したくなくて、そうやって言い訳して何もしなかった。
僕はダメなやつかもしれないけど。
でも、何もしないままじゃ、もっとダメになる。
だから、勇気、出ろ。
「鮎川!」
人だかりの、遠く離れた先に、俯きながら歩く鮎川をみつけた。
前を向いていないせいか、何度も人にぶつかり、その度によろめいていた。でもそんなことも気にならないくらい、気を落としているようだった。
「鮎川!」
羞恥心など振り払って、僕は叫んだ。
でも、鮎川は気づかない。
距離は縮まっている。
もう少しなんだーー。
再び鮎川が人混みに消えそうになる。
何か、彼女を呼び留められるものはないか………………………………!
「郁美!」
すると鮎川の肩がビクッと跳ね、こちらを振り向いた。
咄嗟に名前で呼んでみたら、意外にも届いたらしい。
「俊?」
追いかけてくると思ってなかったのか、唖然とした表情で僕を見据える。
やっとのことで鮎川の前まで来ると、思わず脱力して、しゃがみそうになる。
「やっとみつけた……」
息も絶え絶えで、声を発するのもままならない。
でも、今すぐ言いたかった。
「わざわざ追いかけてきたの……?」
「そう、……言いたいことが、あって」
その先を言おうとして、ぐっと、喉が詰まるのを感じた。
くそ。胸までこみ上げてるのに。溢れそうになっているくせに。
臆病が栓をして、窒息しそうで、余計に苦しいくせに。
……言え、
――――言え
――――――――言え!!
「鮎川」
無口でおとなしくて、ちょっと不愛想で。でも本当は優しくて。
そんな幼なじみのことを僕は――――。
「好きだ」
★
「今日、来ないって言ってたよね」
「あ、うん……」
「嘘ついたの?」
「違うよ。あの後、誘いがあったんだ」
「ふうん……」
そんなジトとした目で見ないで欲しい。本当なんだから。
「そういう鮎川こそ、『部活の人たちといく』っていってなかった?」
「『部活の人といく』っていった」
「ほ、ほんとに?」
「本当」
「でも、まさか男の先輩とは知らなかった」
「だって言ったら変に勘違いされそうだし、でも告白されても断るつもりだったから。だったら勘違いされないよう黙っておこうかなって……ごめん」
「いや、謝ることじゃないけど……」
僕らは、再び境内を目指して参道を歩いていた。
ちなみに、返事はまだもらえてない。
でも鮎川に気持ちを伝えた。
だから今すぐ応えてもらわなくてもよかった。
鮎川のことだから、真剣に考えてくれてるはず。
だから、今はこの二人の時を楽しもうと思った。
……いや、ホントいうと、返事を怖れて「後でもいい」なんて言ったからです。
まあでも、祭りを楽しみたいのは本音だし。
「あ、ねえ。ラムネ飲みたい」
鮎川が一つの屋台を指さす。
「あ、僕も」
走り回った割に、何も飲んでいなかった。
「買ってくる。待ってて」
僕は屋台と屋台との隙間に取り残される。
しばらく、空を仰ぎながらぼーっとしていると。
「うぅべた!?」
急に二の腕にひんやりとしたものが肌を刺激した。
慌てて振り向くと、子どものように得意げな笑みを浮かべた鮎川が、ラムネを手に立っていた。
「ふふ。ねえ。うぅべたって何? うぅべたって」
明らかに馬鹿にして鮎川が訊いてくるので、僕はわざとらしくそっぽを向いた。
「う、うるさい。なんでもいいだろ」
ちなみに「うわ、冷た!」の略だ(と思う)
慌てる僕を見て、鮎川がさらに笑みを深くする。
――――――――ああ。ヤバい。
「ねえ」
鮎川を笑わせたという事実と、その笑顔に満たされた僕は、反射的にいう。
衝動的にいう。
「はぐれると嫌だし、手繋ごうよ」
「………………」
鮎川は返事をしない。
「あー……ごめん、調子良すぎたよね……」
さすがにいきなりすぎたか。そうだよね…………と、思っていたら。
無言は変わらずだったけど。
代わりに、ゆっくりと手を差し出してきた。
鮎川の手が、蕾が開花するようにふんわりと開かれる。
……これは、いい、ってことだよね?
僕は差し出された手をつい、見つめてしまう。
すると固まった僕を見かねて、鮎川が不安そうに手を戻そうとする。
って、今更何躊躇してんだ、僕は。
意を決し、手のひらが萎む前に、そっと鮎川の手をとる。
鮎川の手は驚いたように一瞬こわばったものの、拒否することなくそっと握り返してくれた。
白くて細い指。少ししっとりしていて暖かい。
手の感触に息が詰まりそうになる。言葉がでない代わりに、身体の内側では、どくどくとやかましく心臓が脈打っている。これ、鮎川に伝わってないよね?
鮎川は何もいわない。
顔を上げて、鮎川を見やると、僕とばっちり目があう。
「…………」
しばし無言で見つめ合う。
やがて鮎川の方からふいっと顔を逸らされた。
でも、手は繋がったままだ。
……お?
よく見れば、祭りの照明を除いてもわかるくらい、耳の端が赤く染まっていた。
暑さとかじゃないよね? もしかして、照れてる……?
てっきり、「なんてことない」みたいな澄ました顔をしているのかと思ったけど、そうではないらしい。
それを意識した途端、恥ずかしいことをした気持ちになって、僕の顔も紅潮するのを感じた。
たまに触れ合う相手の腕の感触に、時折言葉が詰まってしまう。
祭りの雑踏が、どこか遠い。
★
境内にたどり着くなり、鮎川が空いている手で巨大な笹を指さす。
「そういえば、まだ短冊かいてない」
「あ、僕も」
七夕祭りの名物なのに。願うための祭りなのにすっかり忘れていた。
僕は係のおじさんから短冊とペンをもらい、鮎川に渡す。
といっても、願いか……。正直、今日は願ってばかりだった気がするけど……ふむ。
僕は今考えられる唯一の願いを鮎川にバレないように書き記す。
ふと視線を感じて顔を上げると、鮎川がじっと僕をみつめていた。
「な、なに?」
「いや……なんでも、ない」
なんだ。気になるじゃん。
それからしばらくして、鮎川も書き終わったようだ。
「願い事、何書いたの?」
「えーっと、秘密」
「いじわる」
「鮎川が教えてくれたら教えるよ?」
意地悪な提案ながらも鮎川はしばし検討してくれた。それから、
「…………じ」
「え?」
ただでさえ小声の鮎川がさらにボソリというので、全然聞こえなかった。
よくみると口に何か含んでるみたいに、もにょもにょしている。
「……返事」
「へんじ?」
僕がオウム返しをすると、鮎川は何に耐えかねたのか、
「あ~~~もう!」
顔を真っ赤にして、今度はひと際大きい声で、叫ぶように言う。
それから照れた自分の顔を、僕の視界から隠すように短冊を突き付けてきた。
「さっきの告白! 返事!」
仰け反るように短冊から距離をとってようやく読み取る。
書いてある文字を読んで、そして――、
感染したように僕も顔が一気に熱くなる。
きっと鮎川以上に顔が真っ赤に違いない。
15センチほどの小さな短冊には、見慣れた文字ではっきりと、僕の願いへの応えが描かれていた。
オモイデカケレバ、願いがカケル。 @monowaiiyou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます