第3話
七夕祭り当日は、駅から神社までを結ぶ商店街、それから境内のいたるところに屋台が立ち並ぶ。
一番屋台が多いのは境内とそこまでの参道だけど、色々見て回ろうという喜多野さんの提案のもと、僕らは駅で待ち合わせていた。
少し早く到着した僕は、すでに祭り目当てと思しき人たちの群れに呑まれ、この後の人込みを思うだけで辟易していた。
それにしても人が多いなあ。これじゃ喜多野さんを見つけられないんじゃ? 駅前なんてアバウトに待ち合わせにしたけど、大丈夫かな?
詳細の場所を連絡しようとスマホを取り出したとほぼ同時に、
「岸谷おまたせっ」
はずんだ声と共に名前を呼ばれた。
顔を上げると、喜多野さん。なんだけど。
喜多野さんは浴衣を着ていた。水色地にいくつかの花柄を鮮やかにあしらった、ちょっと派手目な浴衣だった。
「どう? カワイイでしょ?」
見せびらかすように喜多野さんは袖をひらひらと振る。
ポニーテールは相変わらずだけど、確かに様になっていて、新鮮で、なんだかどきどきする。
「う、うん。いいと思う」
「ちぇ、カワイイとは言ってくれないんだ~」
いやいや、かわいいと思うけど。女の子に面と向かってかわいいって言いづらくない?
でもこれはきっと僕の男心であって、きっと喜多野さんには言っても伝わらないだろうから、曖昧に笑ってごまかした。
「あ! リンゴ飴食べようよ!」
「ちょっ、岸谷みてあれ! 射的!」
喜多野さんはお目当ての店を見つけるなり、片っ端から買ったり遊んだりと本当に楽しそうだ。
ちょっと目を離せば、見失いそうになる。……あ、ほら、どっかいった。
きょろきょろとあたりを見渡して探していると、
「おーい岸谷! こっちこっち」
喜多野さんに手招きされて、行こうとするも、僕らの間を人が行き交うため、中々出会えない。
立っているだけで人にぶつかる程の人口密度だから、しょうがないんだけどさ。
幸い喜多野さんは少しくらい離れてしまっても目立つ格好だから、目を離さなければ遠くにいっても大丈夫そうだ。
「はあ、ほんとに人が多くてやんなっちゃうね。岸谷無事?」
顔に疲労感が滲みでていたかもしれない。ポニーテールを揺らしながら心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
「……まだ大丈夫。けど、多少疲れたかも」
「人混み苦手そうな顔してるもんねー」って、どんな顔だよ。
「ここ人の流れ激しいし、境内の方行く?」
「そうしよう。少しでも落ち着いたところにいこう」
僕はTシャツで汗をぬぐいながらいう。
「したらさ、はぐれたら面倒だし、手、繋いでいかない?」
喜多野さんは、抑揚を抑えた調子でそう言った。
聞き間違いかと思って、僕は喜多野さんの方を向く。
屋台のオレンジや黄色の照明に照らされているせいで、喜多野さんの顔色まではわからなかった。
でも、いつもの喜多野さんの柔らかさはない気がした。
手を繋ぐ。それは、喜多野さんからすれば、なんてことないことかもしれない。
人混みの中だから。はぐれたら面倒だから。
はっきりとした理由。でもなんとなく、それは免罪符の文句として僕の耳にとどいていた。
だから、僕はそれを受けちゃいけない気がした。
「…………大丈夫だよ。喜多野さん、目立つし」
やっとのことで、そう返す。
すると喜多野さんはわずかに大きく目を見開き、
「それもそうか」
と、さびしそうに微笑んだ。
それからは、いつもの喜多野さんに戻り、初めと変わらず祭りを楽しんでいるみたいだった。
「おー。あったぜチョコバナナ。今日はこいつのために来たみたいなもん」
「そんなに好きなの?」
「別にフツー。でもじゃんけんあるし。負けられない戦いってやつ」
なんだかかっこいいことをいって、喜多野さんはチョコバナナの屋台に向かっていった。
しばらくして、
「やはりあたしは最強ね」
両手にチョコバナナを抱えた喜多野さんが戻ってきた。
「おおー。おめでとう」
「ふふん。もっと褒めろ」
得意げに鼻を鳴らす喜多野さんに僕もぱちぱちと手を叩く。
「ってことで一本あげる」
「え? いいよ。勝ったのは喜多野さんだし」
「別に欲しくてじゃんけんしたわけじゃないし。じゃんけんしたいからしたんだし。いいから受け取る!」
「そう、ですか……」
喜多野さんはニカっと笑って僕にもう一本を手渡そうとして――
その直後、喜多野さんの笑顔が驚きへと一変し、動きが止まった。
見開かれた瞳は、僕ではなく、その背後だとわかった。
なんだろう?
不思議に思って僕は振り返ると、
「よお、喜多野。きてたのか」
僕より遥かに背が高く、それでいてがっちりとした体格の男が、爽やかな笑みを浮かべて軽く手を挙げる。
「あ、先輩……」
先輩? 喜多野さんの? もしかして陸上部?
瞬時に僕は悪い想像を膨らませてしまう。
そしてそれは見事に的中する。
先輩は一人ではなかった。隣にいたのは――
「あ、鮎川……」
「俊……」
――――鮎川? あれ、確か陸部の人と行くって。もしかしてこの人? 男の、しかも先輩だって?
二人ってことはもしかして――。
この人が、鮎川のことが好きな先輩?
ちらと喜多野さんを見やると、明らかに「しまった」みたいな顔で、口もとだけに笑みを張りつけて先輩に話しかけている。
それはもう、早くこの場を切り抜けようとしているのがありありとわかった。
僕はまとも鮎川の方を見れず、喜多野さんもどうしていいかわからず、戸惑ったまま話を続ける。
陸上部の先輩だけが、不思議そうにちらちらと僕と鮎川を見比べていた。
どうしていいかわからずに、とにかく、祭りにふさわしくない重苦しい空気をなんとかしようと口を開こうとする。
が、先に声を発したのは鮎川だった。
「なんで、恵麻と一緒にいるの? 今日は祭りにいかないんじゃ」
と、とにかく誤解は招かないようにしなくちゃ。「あ、ちがくて、これは――」 ふと冷静になる。まて、これは、なんだ? デート? 友達同士のお出かけ? そもそも喜多野さんはどうして僕を祭りに誘った?
完全にパニックになってしまっていた。
言葉が詰まってしまった僕をみて、返って怪しいと思ったのか、鮎川の眉間にしわが寄る。
ああ、まずい。何か言わないと。
「あゆ。あたしから誘ったの。」
僕が言うより早く、喜多野さんが助け舟を出してくれた。
でもそれが、どうしてか余計に鮎川の気を悪くしたようで。
「別にあゆが思っているような――」
「もういい、知らない」
弁明するより早く、鮎川が独り、どこかへいってしまう。
「おい! 鮎川!」
突如話を打ち切った鮎川に先輩も目を泳がせて狼狽していた。そして「すまん」と 一言いって鮎川の後を追う。
追いかけなきゃ、と思ったけれど。
その役目は先輩が果たしていた。
僕はいらなかった。
…………ああ。
ただ漠然と、終わったと思った。
「岸谷……なんかごめん」
「喜多野さんが謝ることじゃないよ。やっぱりあの人が?」
喜多野さんは黙って首肯する。「そう、陸部の2年。たぶん今日告白するんじゃないかな」
う。そっか。祭りだし。七夕だし。いい機会だよね。……改めて思うとなんだろう。ダメージでかいな。
鮎川も陸部だし、ああいう、がっちりしたスポーツマンがタイプなのかな?
だとしたら、僕に勝ち目なんてないぞ。
それにしても、鮎川の怒った顔を久しぶりに見た。
でも鮎川だって、祭りには「部活の人たちと行くって」。そりゃ先輩は陸上部だし、間違ってないけど、まさか本当に先輩と、しかも二人だなんて。
それを僕に隠したってことでしょ? もちろんわざわざ言う必要なんてないし? 僕がとやかくいう立場でもないけどさ。ただの幼なじみだし。
でも、隠されるのは……やっぱ嫌だな。
少なくとも二人が一緒にいるのを見ただけで、僕はものすごく嫌な気持ちになった。
心臓のあたりをつかまれたように息苦しかった。
「――に、おーい。岸谷!」
「うわっ!」
びっくりした。耳元で喜多野さんが大声を発していた。
「な、なに?」
「アンタ。さっきからあたしのこと無視してるんだけど。わかってる?」
「え、あ、ごめん」
正直、この後の鮎川のことが気になって仕方がなかった。
喜多野さんはそんな僕を見かねたのか、大きくため息を一つ。
それから、
「ねえ、さすがに疲れた。公園のほうまで行こう」
強引に手をとって喜多野さんは僕を導いた。
神社から外れたところには小川が流れている。祭りの日は人混みに疲れた人たちやはしゃぐ子供たち、それから、カップルの憩いの場として使われていた。
疲れた、といいながら、喜多野さんは僕の手を引いたまま川沿いを歩き続けている。
「あの、喜多野さん……?」
しかも歩いている間は一切口を開かない。僕が話しかけても無視される。……沈黙が気まずい。
それからさらに時を刻み、いい加減耐えきれなくなってきたところで、喜多野さんがぽつりと言葉を漏らした。
「岸谷、あゆと出くわしてからずっとうわの空だよね」
「う……ほんとにごめん」
やっぱり怒ってる。それもそうだ。喜多野さんと祭りにきているのに、途中から鮎川のことばかり考えているんだから。
「まあ、それは別にいいよ。あたしだってまさか会うとは思ってなかったし。そうじゃなくて……」
喜多野さんは不意に足をとめ、振り返る。
すっかり夜になった街には風が出てきていた。
「今日はさ、あたし当たって砕けにきたんだ」
それは、どういうことだろう。
「あたしさ、岸谷のことが前から気になっててさ、そのことをあゆに話したことがあんの。その時のあゆの顔をみたら、なんていうか……すっごい嫌そうな顔してて。きっとあゆは岸谷のこと好きなんだろうなって思ってたの」
突然のことに脳が追い付かない。え? 喜多野さんが僕のこと? どういうこと?
「アンタは覚えてないだろうけど、あたしを助けてくれたじゃん。……って、ま、それは今はどうでもいいよ。
岸谷にあゆのこと好きな人がいるって教えたのはさ、それ聞いて岸谷がどんな反応するか確かめたかったの」
川を撫でるような風が僕と喜多野さんの間に流れる。
「したら、岸谷、いつかのあゆとおんなじ顔してた。それでもう入る余地はないんだろうなあって。そこでフラれたみたいな気持ちになったの。
でも、何も言わないってのはなんか悔しいなって。せめて気持ちだけでも伝えたくて、だから今日……当たって砕けるために誘ったの」
そういう喜多野さんの双眸はさっきの、じゃんけんに挑むときとは非じゃないくらい、真剣で、強い意志を孕んでいた。
どうしてか、さっきまでは嫌だと思っていた人の群れに、今は溶け込みたかった。
「岸谷のことが好き」
どくん、と心臓が跳ねた。
でもこれは、鮎川のときとはちがう鼓動だった。
何か悪いことをしているような。
そんな申し訳ない気分に近い。
「……ありがとう。でも、ごめん。好きな人がいる」
告白することが、人に想いを伝えることが、どんなに大変で勇気が必要なことが、今の僕には少しはわかるつもりだった。だからこそ、きちんと気持ちを伝えないといけないと思った。
「……知ってた」
鼻を啜る音。でも喜多野さんは、僕から目を逸らさない。
「岸谷はあゆのことが好きなんでしょ?」
「…………うん」
「告白しないの?」
「………………したい」
それは思ったよりもずっと簡単に、転び出た本音だった。
「でも」
「でも?」
「もしフラれたらって……今の関係が崩れるかと思うと。できない。自分が傷つくのが怖い」
「そんなうっすい関係だったわけ? 二人は」
「そうじゃ、ない! と思うけど……」
「だったら、二人の思い出に懸けてみなよ」
俯く僕の肩に叩きつけるように、喜多野さんの手が置かれた。
それから聞いたこともない、地を這うような低い声で続ける。
「それに。女のあたしだって勇気だしてんだ。 男のアンタができなくてどーすんの?」
それから無理やりに僕の顎を引き上げる。
ナイフみたいな鋭い瞳。
「喜多野さん……痛い……」
「フラれたあたしのためにも、今すぐ、行け」
でもその瞳は、小川みたいに艶やかに揺れていた。
「そしてあゆに自分の気持ちを伝えな」
「………………喜多野さん、ごめん」
「そこはありがとう、だろ」
駆け出した時、ちょうど通りがかった車のヘッドライトが、僕らを照らす。
喜多野さんの鮮やかな水色が、信号みたいに光っていた。
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