第2話
鮎川のことが好きかもしれない。
そういう想いに至ってからというのも、僕は鮎川のことしか考えられなくなっていた。
授業の内容も昨日の夢のように、全く思い出せない。
さらに今日は、週に2回ある図書委員当番の日だった。
当番自体は楽なものだが、拘束時間が長い。部活をしている人たちと同じくらい遅くなってしまった。
そんな退屈な当番の時間の中、僕は一つの決意をしていた。
――七夕祭りに誘おう。
7月の第一土曜日(つまり明日)に地元の神社と商店街を使って開かれる祭り。
鮎川のことを考えるほどに、好きとかどうとか抜きにして、会いたい気持ちが強まっていた。
せっかく祭りがあるし、と言えば、誘い易いと思ったのだ。
そんな帰りの昇降口で。
「あ」
「お、おう」
勿怪の幸いか。僕は鮎川と出くわしたのだった。
僕と鮎川は同じマンションに住んでいるので、必然的に帰り道も同じになる。
7月の夜は熱帯夜だ。向かってくる風は生ぬるく、コンクリートは熱源。歩いているだけでじんわりと背中に汗が滲んでくる。
と、向かいから自転車が来たので、僕らは道を開けるために端に寄る。
するとほとんど触れあうみたいな距離になって、緊張で身体が強張る。汗臭くないかな?
ちらりと鮎川を見やると澄ました表情で淡々と歩いている。
部活終わりなはずなのに、どころか、なんだか良い匂いがするような。
「あ、鮎川ってさ、あんまり汗かかないよね」
すぐに激しい後悔が僕を襲う。
匂いから意識を遠ざけようて、とっさに口にしたのがこれだよ。なにを言っているんだ。
「え……? なんで?」
当然鮎川は怪訝な顔で首を傾げる。
「あんまり汗かいてるイメージないし。部活後なのに、……あーえと、うん」
さすがに良い匂いがするなんて言うわけにもいかず、しどろもどろになってしまう。
「別に、そうでもないと思うけど。……ほら」
鮎川が不意に僕の手に触れた。
ゆるく握っていた僕の手を開き、そのまま軽く手を握り合う形になる。
「……ね?」
確かに手のひらがほんの少し汗ばんでしっとりしているような気もする。
「あ、……うん」
同意したけれど、緊張して僕も汗かいてるはずだし、ていうか、これ僕の汗なんじゃないの?
こんなこと、手を握るなんて、幼い頃から数えきれないほどあったはずなのに。
こっそりと鮎川を盗み見る。
鮎川はなんてことない顔をしているように見えた。
普段から表情が崩れないタイプだから、真意がわからないのが悔しい。
僕はこんなにも心臓が高鳴っているのに。
鮎川はどう思ってる?
それから、道中での会話はほとんどなかった。僕らは元々あまり会話の多くはないから、それは別にいいのだけど、今日は特別。誘わなきゃいけないんだ。
もうマンションまですぐそこだった。
こっそりと深呼吸をし、自然な流れを取り繕うよう心掛け、切り出す。
「そいや、明日、鮎川はいくの?」
「明日? ……って、七夕祭り?」
「うん」
やや間があって鮎川は答える。
「いくよ。部活の人と」
瞬間、頭の中で散々シミュレートしていた会話のジェンガが一気に崩れていく。
音とともに何も考えられなくなる。
「あー……そうなんだ」
「うん。俊は?」
「……いかないかなあ。暑いし、人混み苦手だし」
訊きたい。部活って誰といくの? 男子もいるのか?
鮎川のことを好きな人がいるのか?
でも口を開こうとするほどに反比例して、言葉は体の奥底に沈んでいく。
きいてどうするんだ?
いかないでっていうのか?
それはなんというか傲慢じゃないか? 僕は鮎川のただの幼なじみに過ぎないんだ。
でも、例えば――――彼氏になれば、言えるのか?
「じゃあ、またね」
悩んでいる間に、もうマンションに到着していた。
「あ、うん。……じゃ」
僕はなにもできずそう返す他なかった。
結局鮎川を祭りに誘うこともできず、ベッドの上で鮎川のことを思いながら、うだうだしていた。
――明日は勉強でもしよう。
そうだよ。別に祭りいけなくたっていいじゃん。もう会えないってわけじゃないんだし。
一人、納得させようと脳内で言い訳ばかりしていると、突如スマホが鳴る。
新着メッセージだ。もしかして、鮎川?
意気揚々と開くと、
『明日の夜ヒマ?』
それは、意外にも喜多野さんからだった。
どうして喜多野さん? と思いつつ、返事を返す。
『ひまだけど』
すぐに既読マークがついて、
『マジか! じゃあ七夕祭りいこうよ!』
と、お誘いがきた。
「………………」
既読を付けてしまったものの、返事に困る。
喜多野さんから誘いが来るなんて。
このとき、なぜか僕は鮎川のことを思い出していた。
画面を見ながらしばし逡巡する。
『いいよ。時間どうする?』
しばらくして、僕はそう返していた。
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