オモイデカケレバ、願いがカケル。
@monowaiiyou
第1話
「岸谷ってさ、あゆと仲いいの?」
昼休み、文庫本片手に食事を摂っていたら、目の前の空席に遠慮なく喜多野さんが腰を下ろす。
陸上部に所属していて、ポニーテールで活発な印象を与える喜多野さんは、クラスでも派手なグループにいる。短いスカートの丈がその証といってもいい。あまり関わりのない僕にも話しかける気さくさは、みんなから好かれるタイプに違いなかった。
だから、僕は緊張のあまり上ずった声になってしまう。
「あゆ?」
「そう。鮎川郁美」
名前を聞いてようやく、合点がいった。
そうだ。鮎川も陸上部だった。
「仲いいというか……一応幼なじみだけど」
僕が答えると、喜多野さんはつまらなそうにふーんと相槌を打って足を組む。短いスカートから露になっているふとももが窮屈そうに固められる。その、目のやり場に困るんですけど……。
「そうなの。なんかたまに一緒に登校するときあるじゃん」
「あ、あれは……家が同じマンションで。向こうが朝練ない時は時間がかぶるし、通学路も一緒だし……」
喜多野さんが詰問口調でいうものだから、気圧されてつい言い訳みたいな言い方になってしまう。
「そうなの。じゃあ別に付き合ってるとかじゃないんだね?」
念を押すように言われて、僕は頷く。
「あ、あの。なんでそんなこと聞くの?」
喜多野さんは困ったように目を逸らす。
「あー……じつは、陸部であゆのこと気になってる人がいて。ホラ、すでに彼氏いるなら悪いじゃん? でもあゆ、そういうの全然いわないから」
確かに鮎川はそういう話が苦手だ。自分の気持ちを表現するのが下手だし。
「あ、鮎川って……陸部の男子から人気あるの?」
可能な限り、平然を装って尋ねる。
喜多野さんは腕を組みながら、しばし虚空を見つめてから、
「うーん……詳しくは知らないけど。あるんじゃない? なんかこう、クールな感じ? あんまり喋らないし。男子に絡まれても淡々とした反応っていうか。ちょっと不愛想? でもそこが逆に気にさせるみたいなところがあるっつーか……」
喜多野さんの話しを聞きながら、変わってないなと思った。
鮎川は人見知りで、たぶん戸惑っているだけだ。
無理もないとも思う。まだ高校に入学して3か月しか経ってないし。
「あと、単純に顔じゃない?」
「顔って……」良い返しが見つからず、苦笑する。
確かに高校生になって大人っぽくなった気がするけど。
「でも付き合ってないんだよね?」
そんな喜多野さんはちょっとうれしそうだ。
「付き合っているとかじゃ、ないよ」
言いながら、胸のどこかがチクリと痛んだ。
7月のジリジリと肌を刺すような熱さに顔をしかめながら、僕は帰路に着く。
再来週にある期末テストに向けて勉強しようと思ったけど、全くそんな気力など湧かずベッドに倒れこんだ。
「…………」
気になってる人がいるだって?
それってつまり好きってことだよね?
鮎川のことが好きな人がいるんだ。
告白とかするんだろうか。そしたら鮎川は……どうする? 受けるの?
想像しただけで、半紙にインクを垂らしたみたいに、もやもやした気持ちが広がる。
「あああ~~~~!」
身体を動かしたい衝動に駆られ、ベッドの上でもがいてみる。
初めての気持ちだった。わけもわからず、頭をガシガシと掻いて想像を振り払おうとする。
というか、そもそも鮎川には好きな人とかいるのだろうか?
中学時代どころか、そういった話は一切聞いたことがないけど……。
もし今の部活にいるとしたら……。
と、その時、ヴヴ、とスマホが揺れた。
見ればとメッセージが一通。
瞬時に僕の鼓動がわずかに高鳴る。
鮎川からだった。
『課題写したいんだけど。そっちのクラスもうやったよね?明日の夜、家寄ってもいい?』
胸の鼓動を感じつつ、僕はすぐにOKの返事する。再びベッドに飛び込んだ。
いい機会かもしれない。
それとなく、鮎川に好きな人がいないか、聞いてみよう。
★
「相変わらずキレイだね」
「そりゃあ、キレイ好きで有名な岸谷俊ですから」
「それ、どこ界隈で有名なの?」
目を細めてツッコむ鮎川に苦笑で応じながら、自分の部屋に招き入れる。
放課後、速攻で帰るなり掃除をした、というのはもちろん黙っている。
「課題。これであってるよね?」
僕と鮎川は机を挟んで腰を下ろし、率先して机に課題を広げる。
「ありがとう。俊は何するの?」
「せっかくだからテスト勉強でもしようかと」
「真面目だね」
「違いう。不真面目すぎて、授業聞いてなくてピンチなの」
「俊がピンチなら、課題すら終わらない人は?」
「ある意味もう終わっているかもしれない」
「…………むぅ」
口を閉ざしたまま、無言で抗議してくる鮎川。
それがみてニヤけそうになったので、僕は咳払いをしてごまかす。
「じゃあさっさと片付けようか」
それから会話は止み、静謐な時間が流れる。
「……………………」
やばい。内容が一切頭に入ってこない。
目の前の鮎川が動くたび――例えばページをめくるとか、喉をならすとか、首をまわすとかーーその程度のことでも僕の意識は鮎川へと向けられる。
中学に入って陸上を始める前から鮎川はショートヘアーだった。今は昔ちょっと長いくらい。
片耳にはほとんど髪に隠れているけど、ルビー色のピアスがついている。お守りとしてつけてるって言ってたような。
同年代の女子の中じゃ背は高いほうかもしれないけど、それでも僕よりは低く、華奢な体躯。
短パンからは、適度に筋肉のついた肉付きのいいふとももと、スラリとした脚が伸びている。
……今きづいたけどあれ、中学時代の体操服じゃん。道理で丈が短いと思った。
自分の部屋に二人きり。と意識した途端、全く勉強が手につかない。
正直テストはそこまでピンチではない。
ピンチというなら今のほうだ。
さっきから心臓の鼓動がうっさいし、自分の部屋じゃないみたいに良い匂いするし。
何かに意識を向けていないと、どうにかなりそうだ。
今までこんなことなかったのに。――どうして?
教科書の隙間からそっと盗み見る。
彼女はノートに書きながら教科書の問題を解いているようで、時折邪魔そうに、垂れる髪の毛を耳にかける。
そんな女性らしい仕草を目の当たりにする度、僕の鼓動は大きく跳ね上がる。
「ねえ」
「はぃっ!?」
ペンを動かしながら顔も上げずに鮎川に呼ばれ、思わず間抜けな声が出る。
「やりにくい」
「ご、ごめん」
見てるのバレバレですか。
うろたえる僕に興味はないのか、鮎川は手を止めない。
そうなんだよなあ。やる気ないといいつつも、やり始めたらきっちりこなすんだよな。
「お、落ち着かなくて。自分の部屋に誰かいるってのが」
鮎川はペンを走らせる手を止め、不思議そうに首を傾げる。
「昔散々来たよね?」
そうなのだ。小学生はもちろん中学の時だって、こうして課題やテスト勉強をしにきたことがあるのだ。逆に僕が鮎川の家に行ったりもしていた。
なのになんで今更こんなにも緊張しているんだろう?
「あ、はは……そうなんだよね。そういえば、みんな元気?」
「うん。拓真は毎日泥だらけだし。お姉ちゃんは大学入ってからあんまり家帰ってこないけど」
「あー、明美さんはあゆ……郁美と違って活動的だもんね」
覚悟の上だったけど、名前で呼んでしまった。いいよね。会話の流れ上、仕方のないことだよね?
ちらと鮎川を一瞥すると、ぱちぱちと目を瞬かせていた。
あれ、やっぱマズかったかな……。
「名前」
「え?」
「久しぶりに呼ばれた気がする」鮎川は単純に驚いているみたいだった。
「そ、そう? そもそも呼ばない気がする。クラス違うし」
「何回かある。全部苗字だったけど」
「そうだっけ? うーん」
呼んだ記憶がない。まあでも、呼んでもやっぱり苗字な気がする。だって、
「昔『いっくん』て呼ばれて怒ってなかったっけ?」
まだ小学校低学年のころだったかな。当時からショートカットだった鮎川は男っぽいってからかわれていた。「いくみ」という名前をもじって「いっくん」なんて呼ばれていた。
そのせいで、鮎川は自分の名前が嫌いになっていた。当時名前で呼んでた僕も、苗字で呼べって言われた記憶がある。
「それは『いっくん』だから。『いっくん』はほんとに無理」
断固とした決意を込めた強い口調で鮎川はいう。
「あー、……ほら、名前で呼ぶと色々と誤解されるかもしれないでしょ?」
というか正直、名前で呼ぶのが恥ずかしいだけなのだ。
頬を掻きながらいう僕に、鮎川はなんともないように言った。
「別に、いいのに」
「え?」
思わず、身体が硬直してしまった。
今、いいって……。それってどういう……。
追及したかった。でも聞いても答えてくれない気がした。
鮎川も、もう話は終わったのか、課題に戻ってしまった。
もやもやだけが残り続ける。
結局鮎川が帰るまで、まともに勉強なんてできなかった。
鮎川が帰ったあと、ふと思いつきでスマホで検索サイトを開く。
『幼なじみ ドキドキ』
自分でも馬鹿げていると思うワードを入れて、検索する。
すると、意外と多くヒットした。
我ながら何をしているんだと思う。
でも、このまま一人悶々とするよりは良いと思った。
とある悩み相談のサイトにあたり、流し見していると、
「最近、幼なじみと遊ぶと、これまでと違う気持ちになります。ドキドキするというか、これって一体何ですかね?」
まさに最近の僕にぴったりな質問があった。
「それはきっとあなたがただの幼なじみではなく、異性として意識しているということではないでしょうか? 最近、何か今までと違う変化はありませんでしたか? それがおそらくきっかけになって、恋をしているんじゃありませんか?」
回答はこんな感じ。これに従うなら、僕は鮎川のことを異性としてみていることになる。
異性としてみている? 僕が鮎川のことを?
にわかに信じられなかった。
鮎川はいい奴だと思うけど。
でもまさか恋? 僕が鮎川のことを?
でもそう考えると、何もかも腑に落ちる気がした。
これは本当に――
僕は鮎川のことが、幼なじみとか友達とかそういう関係ではなく、好きなのか?
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