「男の家」

 嗅いだ途端に顔を歪めてしまうような臭いは、その家を視界に入れる前から漂っていた。

 そして家の前に着き、鼻をつく臭いと目の前に広がる光景に私は眉をひそめた。

 その二階建ての家は、いわゆるゴミ屋敷だった。中身が詰まり肥え太ったゴミ袋が、公道にまではみ出すほどに積まれ、家の外観を損なっている。見ているだけで圧迫感があり近寄りがたい。さながら難攻不落の城壁のようだった。


 その家の主は私の伯父だ。家がこんなことになっているのだからもちろん近所でも有名だった。その伯父が、どうも最近姿を見せなくなったらしい。

 だから様子を見てこい、と母に言われこうしてゴミ屋敷までやってきた。なぜ私が来なければならないんだろう。様子を見るなら姪の私より兄妹である母がいいだろうし、そもそも、こんな近所迷惑で有名な厄介なひととは関わりを避けたいだろうに。親族である以上、避けられないものなのだろうか。


 臭いをなるべく嗅がないよう口呼吸をしつつ、玄関の前までたどり着く。インターフォンを鳴らし、しばらく待つ。反応がないのでもう一度鳴らし、ノックをしながら「伯父さーん、いますかー? 京子でーす」と呼びかけてみるが、中から物音がする気配もない。

 ……。もしかしたら、家の中で死んでたりするのかなぁ。でも、姿を消して数日、それならきっとこのゴミ山とは比べ物にならないほどの異臭がしているはずだ。


 どちらせよ、こんな有様なら自治体に目をつけらているはずだし、数年会ってもいなかった親族が来るより警察や市に相談するべきではないのかと思った。行方不明なら、捜索願が出されるのかな? よくわからないが、面倒なことになりそうな予感しかなかった。

 諦めて帰ろうとも思ったが、思い至って玄関のドアノブを捻り、引いてみる。

がちゃりと音がした。

「開いてる……」

勝手に入っていいものかどうか迷ったが、様子を見に来たのだし、もしいたら挨拶でもして帰ろう。意を決して、家の中へと入っていく。


「いますかー…」


 真実として足の踏み場のないほどにゴミが散乱しており、失礼ながら土足のままあがった。何を踏んでしまうかわかったものではない。



 廊下を抜け、居間らしき部屋には、中央のテーブルの脇にエアロバイクやトレーニング用のベンチなどがあった。もちろん床には隙間なくゴミ袋や何かの紙束やお菓子の包装などが敷き詰められている。器具があってもまともにトレーニングなんかできないだろうに、なぜこんなものがあるのか。

 いや、不必要なものを溜め込んでいるからこそこの状況になっているのか。侘しい気持ちになりながら散策する。台所にもいない。辛うじて物に溢れてない風呂場にもいないし扉が開け放たれたまま床のゴミが使えて閉められないトイレにもいない。

もし伯父さんがいるとしたら二階か。


 階段は、本棚代わりとなっているらしく、この家の中としては比較的綺麗に本や雑誌が積まれていた。そのせいで、階段は片側でしか通行できない。積まれた本の中に自己啓発本らしきタイトルのものが見えた。一層侘しい気持ちが増す。



「おじさん?」

 二階へ上がり部屋を見て回るが、人の気配はない。一応寝れる状態のベッドがあったが、叔父は寝ていなかった。触れてみても、温もりはない。

窓の前に積まれていた段ボール箱をどけて窓を開け、換気をする。ベッドに腰掛け、一息ついた。

 部屋の中を眺める。ベッド周りなんて一番汚れてそうなものだけど、この家の中でいちばんマシだった。生活スペースとして、せめてここだけは整えていたのかもしれない。ベッドの枕元の横にある台には、写真立てと時計があった。時間が合っているのなら、現在二時過ぎ。今日は日曜日、予定がなかったとはいえ、家でだらだらと過ごしていたかった。


 やはり、叔父は家にはいないようだ。いくらゴミだらけ物だらけの家とはいえ、人の体が隠れるようなスペースはない。ベッドが割合綺麗に使われている以上、他の変な場所で寝ているということもないだろう。

 ということは、叔父は失踪したのだろうか。まだ姿を見せなくなったという話を聞いて数日。ただ旅行しているという線もなくはない。扉に鍵もかけずに? わからない。

 旅にいけるくらいの荷物を持っていったのかどうかも、家にあるもので判別するのは至難の業だ。あと、家がこんな状態なのに離れるということはあるのか?

 住処をゴミ屋敷にする人間の心理を考えてみたところでよくわからなかった。

まあ、とりあえずやることは、家に帰って叔父さんの不在を母に伝えるだけだ。


どんよりした心労からため息をついて、腰を上げた。その時、


「おーい」


という声がかすかに聞こえた。

 窓から外を覗く。下に作業着を来た男性たちが居て、軽トラックをこの家の前に停めていた。


 あれ、これはもしかして…ゴミの撤去作業が始まるのか?

 家主が不在の中で強行したりするんだな……。出ていったりほうがいいのかな? 私と同じように、ドアの施錠がなされていないことを知ったら作業員が入ってくるかもしれない。

 親族なのだし、なにもやましいことなどしてないのだから堂々としていればいいのだが、説明を請われるだろう。

 やっぱり面倒なことになったな…と思いながら来たルートを戻り一階に降り、なんと説明するかを考えつつ扉を開ける。


 あれ?

 先程の人たちが作業を始めているものだと思っていたけれど、家の前のゴミは手付かずのままだ。

 というか、居なくなっている。軽トラックの姿もない。明らかに作業前の体勢だと思ったけど、何かしら事情が変わって帰ったのだろうか。

 面倒が省けたし帰ることにするか。扉を閉め、もう一度きょろきょろあたりを見回して家の敷地に誰もいないことを確認してから、自宅に帰った。





 夜のニュースで叔父の家が燃えたのを知る。私が帰ってから数時間も立っていないうちに、叔父の家は、大きな炎に包まれていた。燃料があれだけあったのだ。もちろん家は全焼した。隣の家まで延焼したものの、不幸中の幸い、死傷者はいなかった。


 叔父は行方不明ということだった。

そのニュースで不思議なことを聞く。叔父が行方不明だというのは、ある程度予想していたことだったけれど、消防隊員が駆けつけたとき、扉は施錠されていたというのだ。

 私が訪ねた時には扉は空いていたし、帰りだって家の中にあった鍵で施錠した…ということもない。

 どういうことだろう? 出火原因も未だ不明だといっていた。放火の可能性。


 ひとつ考えられたのは、私が叔父の家を出たあと、叔父が帰宅し、火をつけ、施錠してどこかへと立ち去ったということ。

 ゴミ屋敷を出ていくことになり、不要になったから、すべてを燃やして片付けた?


 なにより不思議なことがもう一つあった。叔父の家に向かう時持っていた私の鞄の中に、写真が一葉入っていたのだった。叔父の家でベッドに座る時に、スマートフォンを取り出すため一度開けたのは確かだったが、その時写真が紛れ込むような余地があったのか、疑問だった。


 その写真には、奇しくも私が映っていた。叔父と、母と、母に抱かれた赤んぼうの私だった。皆笑顔だった。

 それを見た時、叔父のベッドの枕元にあった写真を思い出す。そちらには叔父と、叔父と離婚した叔母と、彼らの息子が映っていた。やはり、皆笑顔だった。

そもそも叔父がゴミ屋敷の住人となったのも、叔母と別れてのことだった。息子も親権を取られて叔母に連れていかれ、叔父はこの一軒家で一人くらしていたのだ。仕事もほどなくして辞めていたというのを母に聞いた。何をしているのかはわからないけれど、次第に家にゴミが溢れていき、近隣の有名人となっていたのだ。


 叔父はどこへ行ったのだろう? 行方知れずで完全に連絡も取れなくなった。しばらくして、ひょっこり顔を出してきたりすることはあるだろうか。


 今まで叔父のことを厄介な親族としか思っていなかった薄情者だけれど、笑顔の叔父の写真を眺めて、私は泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お題語 有真無頼 @burai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ