第10話

寝れない夜が続き、僕はしばらく色々なことを考え続けた。タカマさんとのこと。ふぁふぁさんと雪豹さんのこと。ふぁふぁさんとからすみさんのこと。短編集のこと。僕の小説家としての未来のこと。色々なことを考えすぎて頭がぐるぐると回り、まともな思考ができなくなっていた。


それが原因でウェブライターの仕事でつまらないミスを連発してしまった。星崎さんからも何度か直接注意を受けたが、心の折れていた僕は上の空でそれを受け流し、結果としてとんでもない失敗をしクライアントを怒らせた。そしてあっけなくというかなんというか、僕はウェブライターの職を失った。


それでも生きていかないといけないので、嫌々ながらも前にやっていたコンビニのバイトに戻ることにした。毎日吐き気がするくらい辛くて、休憩時間はいつもトイレで泣いてばかりいる。それでも、なんとか歯を食いしばって生きている。小説を否定された僕は、この世で生きる目的を失ってしまった。今はただ、死ぬまで生きているに過ぎない。それが、辛くて辛くてたまらない。こんな人生に、果たして意味があるのだろうか。


どうしてこんなことになってしまったのか。一体何故。誰のせいだ。


現代は本当に恐ろしい世の中だ。昔の若者は自分の可能性を試す為に上京したり海外に渡ったりしたらしい。だが今は、家にいながら自分の考えや自己の表現を簡単に世間に提示する事ができてしまう。経験も積まずキーボードに文字を打ち込むだけで。その結果、未熟でまだ何者にも成り得てない自分の価値を嫌というほど見せ付けられてしまうのだ。世間から見た自分の価値。僅かな自信は他人にこき下ろされズタズタにされてしまう。そこで這い上がれない者は、もう一生自分を肯定することができなくなってしまうのだ。早い段階で自分を知ってしまう事は、果たして若者にとって本当に良い事なのだろうかと僕は考える。それでも僕らは何らかの形で自分たちを世間に表現せずにはいられないのである。誰かの模倣をしたり、わざと炎上をして注目を集めたり。はたまた誰かを貶めたりして、毎日居場所を必死に確保している。この時代に生まれた僕らは、絶対に何者かでありたいし、そうでなくていけないのだ。そうでなければ生きている意味が無いと、世界が僕らにささやくからだ。ネットで繫がるこの世界は、本当に厳しく生き辛い。



その日はヨザクラメンバーが書いた作品を収録した短編集が発売される日だった。


気がつくと、僕は秋葉原にある大手書店の前に立っていた。心の中はとにかく空っぽで、しかし無性に腹が立っていた。手にはライターとオイル。僕の目的はただ一つだけだった。


店内に入ろうと自動ドアに向かって行こうとした時、誰かに肩を掴まれてハッとした。一瞬、体から冷たい汗が吹き出した。振り向くと、そこにはいつものだらしない姿のままのタカマさんが、必死の形相で立っていた。


「タカマさん?何してるんですか?」


僕は自分で言うのも恥ずかしいくらいマヌケな質問をしていた。タカマさんは僕の質問には答えず、ただ首を横に振っただけだった。


「止めるんだ。キミ。それだけはダメだ」


「何の事ですか。何を言ってるんですか」


僕がそう言うと、タカマさんは悲しそうな顔でこう言った。


「アイツ等のサイトで短編集の発売を知ってね。で、キミの名前がないからSNSの別アカで取り巻きに探りをいれたんだ。そしたらふあふあがキミをサークルから排除したって聞いてね。多分、私のせいだろう。本当にすまないことをした。一言謝ろうと思ってキミに連絡したけど、まるで返事が返って来ないからもしかしてと思って。朝からずっと、ここに張っていたんだ。キミの家から一番近い大きな書店はここだからね」


タカマさんは微笑んでいたけど、目には涙を浮かべていた。タカマさんのこんな優しい笑顔は今まで見たことがなかった。


「私のせいでこんな事になってしまったから言えた筋合いはないけど、だけど言うよ。それだけはキミにして欲しくない。それは間違った事だ」


「何を言ってるんですか。もういいから僕に構わないでください。僕はもう、小説を書くのも辞めたんです。いい加減先輩面は止してください」


振り切ろうとする僕をタカマさんがさえぎる。


「キミの作品は本当に素晴らしい。嘘じゃない。今はダメでも、いつかまた前のキミを取り戻せる。やり直せる。キミはまだ若い。だからこそ、こんな事で自分をけがしてはダメだ。こんな事をすればキミは一生自分を許せなくなる。私のように」


「じゃあやっぱり、タカマさん‥‥」


タカマさんの目から大粒の涙がいくつもこぼれ落ちた。


「キミには人のままでいて欲しいんだ。こんな私を慕ってくれた唯一の友だからね」


タカマさんの両手が僕の肩を掴む。痛いくらいに強い力で。


「キミには、修羅になって欲しくない」


だがそんなタカマさんのまっすぐな言葉も、その時の僕には届かなかった。


「もう遅いですよ。僕も自分を切り売りし過ぎました。もうオシマイです。何もかも」


僕はそのままオイルとライターを捨てて走り去った。何故か振り返るのが怖くて家に帰るまで一度も後ろを見なかった


それ以来、タカマさんとは会っていない。



タカマさんが言う通り小説家は修羅の道だ。暗闇をたった独りで歩きながら紅蓮の炎に焼かれて歩く。右に逸れれば餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに一生苦しむ。人の物だろうが何の骨だろうが、貪らずにはいられない。左に逸れれば畜生道に堕ち、獣共と変わらない倫理も道徳もない身勝手な欲にしがみつく。情を金で売り払い、慈愛に平気で唾を吐いて生きる。例えそれら全てに打ち勝ったとしても、極楽へゆけるのはほんの一握り。誰もが文字の羅列に向かい修羅となって昼夜を問わず戦い続ける。永久に続く戦いの地獄だ。それでも僕は書き続ける。小説家になりたいという哀れな一心にいまだしがみついている。今はまだ書けていないが、いずれまた書き始めるつもりだ。夏が終わり秋が来て冬が訪れる頃にはきっと良い短編が二つくらい出来ているに違いない。春には長編を書いて公募に出そう。今はひたすらに、ひらめきが降りてくるのを待っている。それまでは精々、ほそぼそと自分の人生を切り売りしながらこのようなエッセイを書いて生きている。


幸い、まだ身体に穴は空いていない。


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ネット小説修羅の道 三文士 @mibumi

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