第9話

タカマさんとの決別から二カ月くらい経ったが僕の日々にはあまり変化はなかった。星崎さんからの誘いを受け、専属のライターになってからはバイトも辞め毎日パソコンに向かう日々になっていた。それでも小説の投稿は続けていたし、ヨザクラの面々とも変わらない付き合いが続いていた。


ある日のことだった。


ライターの仕事でとあるオープンしたばかりのベジタリアンカフェの記事を書かなくてはならなくなり、嫌々ながらも渋谷にあるその店に足を運んだ。適当な褒め言葉を書いておけば良かったのだが、最近のクライアントはリアリティのある内容を書かないと、次回から使ってくれない事が多い。その為こうして自腹を払てまで別に美味くもないベジプレートを食べなくてはいけないのだ。だがもっと辛いのは、その後、その大して美味くもない料理を褒める記事を書かなくてはいけないことだった。


気分を害した僕は口直しにたまに行く渋谷のハンバーガー屋に行こうと坂を登っていった。


すると、途中で思わぬ人たちに会った。ふぁふぁさんとからすみさんが、手を繋いで歩いていたのだ。しかも二人は、ラブホテルから出てきたところだった。


「あれ?ふぁふぁさん?からすみさん?」


僕に気が付いたふぁふぁさんは血の気のひいた顔をして立ち止まり、からすみはそのまま顔を伏せてその場から早歩きで立ち去った。


「や、あ。コウズカくん。偶然だね」


「あれ?からすみさん?どうしたのかな」


「ん?いや、彼女は偶然ここを通りかかったみたいでね。俺も偶然ここを通りかかってさ」


偶然?そんなワケあるか。どう見たって不自然だった。待てよ、確かふぁふぁさんは雪豹さんと付き合っていると聞いていたが。僕の中で何かどす黒いものに触れてしまった気がした。


「今日のことはヨザクラのみんなには黙っててくれないか。誤解されると困るから」


「はあ。分かりました」


そう言って、僕とふぁふぁさんは別れた。


僕はしばらく仕事に忙殺されながら、その日のことを雪豹さんに言うまいか迷っていた。男女間のことだし、僕が口出しするようなことじゃないのだが。だがふぁふぁさんが不実を働いているのは明らかだった。しばらく、悶々とした日が続いていた。


そんなおり、突然ふぁふぁさんから呼び出された。何でも、どうしても二人で話したいことがあるらしい。


「お久しぶりですね」


指定された喫茶店に行くと既にふぁふぁさんが待っていた。


「やあ、久しぶりだね。わざわざすみません」


「今日はどうされたんですか?」

 

ふぁふぁさんは前に会った時より気のせいか少し痩せたようだった。心なしか表情も暗い。


「うん実はね。この間俺が本を出した歓談社で今度ネットで活動する作家だけを集めて短編集を出す企画の話が出てね。ヨザクラからも何人か選出する事が正式に決まった」


「凄いじゃないですか!何人くらいの予定なんですか?」

 

努めて冷静な口調をしていたが、僕の鼓動は今にも破裂してしまいそうなくらい早く動いていたし、口の中がカラカラに渇いていた。


「俺とあと何人かもう見当は付けてるんだけど、久しぶりに雪さんにも書いてもらおうかと思ってるんだ」


「雪豹さんに?」


「うん。俺の出版を後押ししてくれたのも雪さんだしね。もう彼女には話をしてあるんだ」


「そうなんですね」


「それで、おそらく今回の企画でヨザクラも本格的に商業的なサークルを目指していこうと思ってるんだ。ウチは実力派が揃ってるし、今すぐにでも市場に出れる人間も多い」


「はい、それで」

 

早く、早く続きが聞きたい。僕の心臓はもう限界だった。


「うん、そこでなんだけど」


「はい」


「コウズカさんにはヨザクラを抜けてもらいたいと思ってるんだ」


「え?」


心臓が止まった。比喩で誇張でもなく本当に一瞬止まった。どうしても彼の言葉が信じられず、まるで耳に入ってこなかった。


「なんでですか?」


「うん。これから皆も大事な時期なんだ。俺も雪さんも。だからこの間みたいな事があっちゃ困るんだよ」


「この間みたいなこと?」


「キミは高天原と知り合いなんだよね。やっぱりそうなると、今後同じような事が起きないとも限らないし。不安の種は少しでも排除したいんだ」

 

信じられない言葉だった。全身に冷たい水をかけられている様で、息が凄く苦しかった。


「この間のオフ会の後、雪さんしばらく鬱っぽくてさ。せっかく高天原のこと忘れてたのにまたこんな事になっちゃって。だから元気になってもらいたくて、それもあって雪さんを選出したんだ」


「それはわかりますよ。だけど、タカマさんと僕はもう何の関係もないんですよ。ちゃんと決別したし、もう二カ月は会ってません」


しかしふぁふぁさんは「そんなこと言われてもね」という顔をした。


「いやね。キミの言う事もわかるよ。何しろキミをヨザクラに誘ったのは俺だからね。だからこうして、責任をもって直接言いに来てるんだ」


「責任て‥」


「まあ雨男の件もあったしさ。最初はキミに責任はないって言ったけど、やっぱりサークル内でキミに対して不信感を抱いてる人間もいなくはないんだよ。事情を知っている子なんて怖がっちゃってさ。だから、ね。解ってくれないかな」

 

体裁よく繕ってやんわりした言い方をしていたが、要は僕が信用できないという理由だった。


「雪豹さんは何ていってるんですか」


「俺に一任すると言ってくれた。それくらい弱ってるんだよ」

 

ふぁふぁさんは時間が無いのか次第にそわそわし始めた。人を呼び出しておいてそれはないだろうと思ったが、そんな事で言い合いになるのももう面倒だった。


「ま、そういう事だからさ。解ってくれるよね。そろそろ俺、行かないと」


このままでは腑に落ちない。僕は立ち上がろうとしたふぁふぁさんの腕を掴んで引き止めた。


「うわ!え?なに!?」


「退会しろと言うならそうします。SNSのフォローも解除するし二度とヨザクラの人には近づかないと約束します。だからせめて、僕の作品をその短編集の中に入れて下さい!」

 

それを聞いた瞬間、ふぁふぁさんは露骨に大きな音を立てて舌打ちをし始めた。


「んだよもう、めんどくせえなあ。あのさあ、この際だから言っておくけど高天原の事がなくてもキミは短編集には入れなかったからね」


「え?」


「キミの小説さ、つまんないよマジで。最初の頃は少し見込みあったけど、最近は酷いね。芯がないっていう感じ。解った?もう離してくれる?」

 

最後にもう一度舌打ちをしてふぁふぁさんは出て行った。僕には追いかける事も反論する気力も失せていた。


そこからはどうやって家に帰ったかよく覚えていない。とにかくショックで、息が苦しかった事だけ記憶にある。今日あった事の全てが夢であって欲しいと思った。最初にネットに小説を投稿してから約二年、僕はその日初めて一行も小説を書かないで一日を終えた。

 

その夜、僕は夢をみた。


いつもの様にタカマさんの家に行き、いつものように扉をノックする。


「はぁい。どうぞ」


気だるい声に誘われ、僕は部屋の中に入ってゆく。中には黒くボヤけた人影がユラユラと揺れていて、次第に輪郭を現し人の形になってゆく。


「やあキミか。まあ座りなさい」


輪郭は見えるのだが顔は相変わらずおぼろげなままだ。しかし声でそれが辛うじてタカマさんのだと解る。


「キミね。小説家というのは修羅の道なんだよ。自らを切り売りして文章を書いていかなければならない。文字通り身を削って書いたものでなければ人の心には届かない」


いつだか最初の頃に交わしたやり取りに似ている。


「本当にその、切り売りというをしていると言うのですか?」


「もちろんだとも。さあ、見せてあげよう」


そう言うとソレはやおら立ち上がりシャツを脱ぎ始めた。そして僕はその姿に声を失う。


ソレの身体にはテニスボール大の穴が無数に空いており、まるでマンガに出てくるチーズの様だ。しかも穴のひとつひとつは向こう側が見えないくらいの真っ暗闇で、近寄ると「シューシュー」という不気味な音が聞こえてくる。


「ネットに自分を切り売りし続けた結果、ご覧の有様さ。もうなにも、私には残っちゃい

ないんだよ」


そしてソレは両手で僕の顔を掴み、自分の額と僕の額がぶつかるくらいの距離まで近づけてこう言った。


「キミも遅かれ早かれこうなるよ」


身体中に空いた暗闇と同じ穴がちょうどソレの目の位置にあって、声が出ないくらい怯えた僕を見つめてそう言った。


自分の叫び声で起きたのは初めてだった。全身から汗を吹き出して泣いていた。よほど恐ろしかったんだろうと思う。


その日から、思うように寝れなくなってしまった。


続く

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