第8話

「私だって、少し前まではスラスラ書けていたんだ。いつからこんな風になってしまったのか」

 

タカマさんは大きくため息をついてゆっくり記憶を掘り起こしているようだった。


「ネットに投稿した最初の作品が運良く出版社の目に留まってね。書き下ろしで長編を頼まれて書籍化したんだ。無名の新人にしてはよく売れた方だと言われたよ。ネットからの書籍デビューは当時はまだ少し珍しかったからさ。その時は思ったよ。『ああ、自分はこれから一生文章書いて生きていくんだ』ってね。でもその後は鳴かず飛ばずでね。電子書籍を一冊出して以降、どこからも声がかからなくなったよ。所詮私は受賞新人の本が出来るまでの繋ぎだったわけさ」

 

タカマさんの本は何度も読んだが、正直なところ飛び抜けて文章力があるわけでもなく、かといって奇抜な発想があるわけでもないパッとしない作品だった。ただ言うなれば、愚直でひたすらに文学であろうとしている作品ではあった。しかし僕はそんな真っ直ぐなタカマさんの小説が、決して嫌いではなかったのである。これまでは。


「いくらネット小説が盛んだと言われる時代であっても、やはり書籍化というのは小説家を志す者にとって夢なんだよ。だがせっかくそこに辿り着いても突然理由もなく弾かれる事もある。結局私は、いたずらに人生を消費させられただけだったんだ。消費させるだけさせて、要らなくなったポイだ」


「それでも諦めずに書き続ければ良かったじゃないですか。そうやって売れっ子作家になった人だって沢山いますよ」


「そうやって潰しが利かなくなった奴らはその何千倍もいる」


喋っているタカマさんの目は恐ろしく虚ろで時折部屋に外の陽が差すと、顔の真ん中に大きな空洞が空いている様に見えてしまう。


「それで自暴自棄になっているところ、ある人気ユーザーが違反をしていたのを見つけたんだ。最初は軽い気持ちで告発文を書いただけだった。しかし思ったより反響が大きくてね。日に日に多くの人間から注目される様になった。胸がスっとしたよ。同時に昔書いた短編にもアクセスやポイントが集まる様になった。これはチャンスだと思ったね」

 

よくある話だ。所謂、炎上商法というやつに近い。入り口はどうあれ、他人を貶めて注目を集めてから自分のコンテンツを売り出そうとする者は多い。これはネットに限らずどの世界でもそうだ。


「初めは本当に自分の作品と、作家ネットの健全化の為に動いていたんだ。自分の様に懸命に作品に打ち込んでいてもなかなか陽の目を見れない人の為に。しかしね、人間は変わる。何度か違反ユーザーに通報を警告し続けてくウチに妙な優越感が産まれ始めたんだ。『勘弁して下さい!お願いします!』とか『コンテストに出てるんです!もう少し待って下さい!』とか言われていたら、自分がとても偉くなった気分になっていた。私は有頂天だった」


「そしてそんな時に、雪豹さんやふぁふぁさんに会ったワケですね」


「格好の獲物だと思ったよ。奴らは有名だったし、何よりそれまでのちょっとした規約違反者などとは違って相互評価依頼という前代未聞かつグレーな事をやっていたからね。存分に戦ってやったよ。いやあの時は充実していたなあ」

 

過去の出来事というのは語る人間が違うとこうも印象が変わるものかと思っていた。雪豹さんやふぁふぁさんは苦悶の表情を浮かべながら語ってくれたが、一方のタカマさんは嬉々として思い出に浸っている。やはり加害者と被害者では認識が違うのだろう。


「しかしねえ。終わってみたら虚しかったよ。結局奴らは退会処分になってこちらの勝ちという事にはなったけどさ。全てが終わった後には誰も何も残っていなかった。自分のしてたことが無意味だったと痛感させられたよ」


「そりゃあそうですよ。小説を投稿するのが目的のサイトなんですから」


「ところがどっこい。敵対してた連中のリーダーは書籍化デビューすると言うじゃないか。おかしいじゃないか。正義はこちらにあるのに。これじゃあまりに理不尽だと、私の怒りは相当なものだったよ」


「それであんな事を仕出かしたんですね」


タカマさんは一層力なく微笑んで放心するばかりだった。


「ほんの一瞬だけ気持ちがスッキリしたよ。警察に捕まりそうになったりして随分荒んでいた時期もあった。そうして全てが終わった後、私は小説が書けなくなっている事に気がついたんだ」


「どういうことですか?」


「奴らと争っている時や、書籍化反対を叫んでいる時は書けていたんだ。それこそエッセイのようなものだったけどね。『ネット小説戦争』と題して、大いに盛り上がったよ」

 

いわゆる一般的な小説ジャンル以外にもノンフィクションやエッセイなどのジャンルも作家ネット内では珍しくない。特に、タイムリーなネタや固有名詞を出した炎上系のエッセイはアクセスが多い傾向にある。


「だが騒動が終わって以降は空っぽになってしまった。あれだけ頭の中に溢れていた物語や構想がいつの間にかなくなってしまっていたんだ。考えてみればそれまでの人生で自分が考えた事や経験した事などはその時点で少しずつ切り売りして全部小説にぶち込んでし

まっていた」


タカマさんの目には、うっすらと涙が滲み始めている。


「あろうことか私は、本来は渾身の作品を書くべき時間とエネルギーを無駄に浪費した。大した罪でもない連中を糾弾し続けたんだ。その結果ストックは切れ、私にはもう切り売りする物も時間も、何一つ残っていなかったんだよ」


タカマさんの空洞から涙が伝っていた。決っして長い付き合いではなかったがタカマさんが泣いた顔をみたのはそれが初めてだった。


「どうしてこうなってしまったんだ。あの頃、私の頭の中にあった素晴らしい発想たちは何処へ行ってしまったんだ。朝起きて夢の中を走り回っていた物語は何処へ消えてしまったんだ。本当に、みんな何処へ‥」


タカマさんの突然の芝居がかった物言いに僕は少し怖くなっていた。このままここに居てはいけない、そう強く思った。


「タカマさん。もう行きます。これからバイトもあるんで」


そう言って立ち上がろうとするとタカマさんが突然必死の形相で僕のズボンの裾を掴んできた。


「キミもこのままだと、私と同じようにストックが尽きるぞ。いや、もう尽きかけているのかもしれないよ。実際最近のキミの小説は詰まらないからね」

 

ここまできてまだ上からな物言いだったが悔しい事に図星をつかれていた。


「これから面白くなりますよ。今は実験しているんです」


「へえ。そうかい。楽しみにしてるよ」

 

そう言ったままタカマさんは裾を離さない。


「あの‥離してもらえませんか」


「ああ、ゴメン。時にキミ、今日はその‥いつもの手土産はないのかい」

 

こんな話し合いの後だというのに、僕はこの男に心底愛想が尽きていた。


「そんなものありませんよ。離して下さい」


「だったらせめて金を貸してくれ。もう二日何も食べてないんだ。ウェブライターの仕事も来ないから金がもうない」

 

僕は自分の足にまとわりつくこの男が、かつて自分が師と仰ごうとしていた小説家だとは信じられなかった。その姿はあまりにも惨めで哀れで。そして何より、これからの自分と重なってしまう様な気がして心底怖くなった。


僕は財布の中に入っていた千円札を三枚ほど抜いて彼に投げつけた。


「返さなくて結構です。もう二度と、ここへは来ませんから」

 

僕の言葉が聞こえているのかいないのか、タカマさんはただその紙幣を握り締め「おおお、おおお」という嗚咽を漏らしながら震えていた。


「気持ち悪い。心底気持ち悪い」

 

不思議とあの時の雪豹さんが言った言葉と同じ文句が口から出ていた。それでも彼はこちらを向こうともしなかった。


「さようなら。いままでお世話になりました」


それから僕は家に帰って、いつもと同じように小説の予約投稿をし、SNSで告知をしてから寝た。「明日は土曜日だからきっといつもよりアクセスが多いだろうな」そんな事を考えていた。


その日以来、本当に二度とタカマさんの家を訪ねることはなかった。


続く


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