第7話

その日はいつもの様に自転車や歩きではなく、最初にあの家に行った時と同じ様に電車に乗って行った。単純に嬉々として自転車を漕ぐ元気が精神的になかったというのもあるが、もうこれで二度とあの家に行くまいと思っていたのもあるだろう。


不思議な事に、始めと終わりはいつもそっくりな表情をしている。

 

鳴神荘の近くまで行くといつもの『トッカントッカン』という音がまったく聞こえてこない。妙だなと思ったが、よくよく考えてみたら今日は日曜日だった。静まり返った家々の間を一人で歩いていると、何だか重苦しい気持ちになっていた。いま自分の頭の中に思い浮かべている言葉を本当にタカマさんに言うべきなのだろうかと考えてしまう。これはあくまでもタカマさんと雪豹さん、ふぁふぁさん達の問題であり僕には関係がない。おいそれと首を突っ込める程に僕は状況を理解してるワケでもなかった。しかし僕の中でどうしても嘘をついて下らない自己満足に自分を利用したタカマさんへの怒りが収まらなかった。振り上げた拳の行き先が分からなくなってしまう程、その時の僕は若かったのだ。

 

いつもと同じ様に僕は鳴神荘の扉の前に立ち、今までなんどもそうしてきた様に三回に分けてノックをした。


「コンコンコン」


「はぁい」

 

中からいつもと同じ様に気怠そうな顔をしたタカマさんが出てきて僕を出迎えた。


「やあ。キミか。まあ入りたまえよ」そう言って僕はこれまでと同じ様に中へ促された。


「この間は妙なところで会ったね。実に奇遇だったよ」


「じゃあタカマさんはこの間は偶然あそこにいたんですか?」


僕がそう言うとタカマさんは微笑みながら頷いた。それが実に白々しく、余計に腹が立った。


「妙な物言いだな。しかしキミがあの連中と仲が良いのは知ってたがね。まさか一緒になってサークルごっこをやっていたとは驚きだった」

 

タカマさんはいつもそうする様に立膝を突きながら僕と話している。しかし今日は、何故かその態度が癇に障って仕方がなかった。


「サークルごっこですか。まあそうかもしれませんね。だけどタカマさんにそれをどうこう言う筋合いはないでしょう。僕は子供じゃない。付き合う相手は自分で選んでますよ」


「なんだねその言い草は」


タカマさんの眉が一瞬ピクリと動いた。


「前にも言ったかもしれないが、ああいったバカ学生の様な浮ついたノリはキミにとって良くない影響を及ぼすよ。キミは知らないかもしれないがあの連中はかつて‥」


「相互評価を使って作家ネットのランキングを操作してたんでしょう?全部聞きました」


「ならなおさら付き合いは控えるべきだ。キミはそんな事も解らない程バカじゃないだろ」

 

バカという言葉に凄く引っ掛かりを感じる。


「ではお聞きしますが、書店にならぶ本に火を着けて燃やすのは賢い行いだと、そう仰るんですか?」

 

そう言うとタカマさんは非常に驚いた顔をした。


「キミ。何を吹き込まれたか知らないけど、私は火を着けたりしていないよ。誤解さ。警察でもそう判断された」


「でも中傷する書き込みをしたり妙な張り紙を貼ったりしたのはタカマさんなんですよね?」


「それは‥」


「だったらタカマさん、どれだけアナタがそうでないと言い張っても周りはアナタがやったと疑われても仕方がないですよ。それくらいの事をしてるんですから」

 

タカマさんは黙ってしまった。ただカリカリと、神経質に指で畳をほじくっている。


「キミも‥私がやったと思うのか?」

 

少し低くて聞き取り難いトーンでタカマさんはそう呟いた。


「ええ。少なくとも今は、そう思っています」

 

僕ははっきりとした口調で答えた。タカマさんはもう、僕の目を見ようとはしない。


「やはりキミもあの連中と連んだせいでおかしくなってしまったね。朱に交われば赤くなる、だな」

 

至極残念だよとでも言わんばかりの口調だ。


「タカマさん。どうもさっきから聞いてると、ご自分が世間的に正しいと思ってらっしゃるようですね」


「何を言う。そうに決まってるじゃないか。正義はこちらにある」


「ご冗談でしょう?警察に拘留されたのに正義だなんて。笑えませんね」


「キミはいつからそんな詰まらない揚げ足をとる様になったんだ。やはりあんな連中と付き合わせるんじゃなかった」

 

その言葉で僕の中の何かがプチンと音を立てて切れてしまった。


「アナタはさっきから一体何様のつもりなんですか!」


「おい、キミ。どうしたんだ」


「どうしたもこうしたもありませんよ。アナタが僕に一体何をしてくれたと言うんですか?何か僕に与えてくれた事がありますか。飯はおろか飲み物だって奢って貰った事はない。それどころかいつも手土産をたかってくる。そのクセその態度だ。なんでいつもそんな上から物を言われなきゃいけないんですか」


「キ、キミ、少し落ち着きなさい。感情に流され過ぎだよ」


「落ち着いてますよ。いたって冷静です。そうやって先輩面をしないで下さい。何が『小説家です』だ。小説なんて僕と会ってからろくに書いていないじゃないですか。アナタがやっている事と言えば一日中家の中で他人の誹謗中傷を書き込んでるか、詰まらないルール違反してる者を吊るし上げて、ちっぽけな自尊心を満たしてるだけじゃないですか!」


「大きな声を出さないでくれ。近所に迷惑だ」


「僕の迷惑はどうでも良いんですか。僕を見て下さいよ。今、アナタの目の前にいる人間とちゃんと向き合って下さい」


「ちゃんと向き合ってるじゃないか」


「向き合ってませんよ。だからアナタはいつも独りなんです。孤独で世間を拗ねて暮らしてる。だから仲間で楽しくワイワイやっていた雪豹さん達が妬ましかったんだ。それであんな事をしたんでしょう」

 

そう言うとタカマさんは突然立ち上がり、ワナワナと震えながら大声で叫んだ。


「違う!断じて違う!確かに私は孤独かもしれない。だが小説家というのは孤独なものだ。仲良しごっこで出来るほど、小説家は甘い生業ではない。それに奴らは不正を働いた。罰を受けて然るべきだ」

 

僕もそれを聞いて立ち上がる。いつまでも、見下されたままではいられない。


「何が然るべきなんですか。そんな事、アナタに決めるべき権限はない。それに、仲間がいる事の何がいけないんですか?仲が良い事の何がいけないんですか?」


「馬鹿馬鹿しい。そんなもの、小説を書くのには必要無い」


「必要ですよ。時に助け合い、時に競い合う。叱咤激励をし合い、喜びや悲しみを分かち合うんです。そうやってお互いに、人間とは何なのか、どうあるべきかを学んでいくのではないのですか?」


何も言わず座り込んだタカマさんの肩を両手で揺さぶりながら僕は彼の目を見つめてこう言った。


「タカマさん。人間はね、どんなに足掻いても独りじゃ決して生きてはいけないんですよ。誰かと一緒に支え合っていかなきゃ生きてはいけないんですよ。」

 

そう言うとタカマさんは、どうしてかクスクスと笑い出した。


「まるで最近のキミの小説みたいな言い回しだな。安い言葉だ。まるで魅力がない」


「小説だって現実の世界だって人々が求めているのは難解で意味深な言葉ではなく単純でわかり易い言葉だ。愛や友情、希望や未来なんて言葉ですよ」


「そんな安っぽい少年漫画の消費し尽くされた様なセリフで。そんな物で人の心が揺さぶれるものか。いつだって人を救うのは高尚で洗練された言葉だけだ」


「アナタは解っていない。ごくごくありふれた、使い古された言葉が本当の意味で人を救うんです。そうやって暗く狭い場所で黙ってうずくまっているのはそりゃあ楽かもしれませんよ。誰ともぶつかり合う事もせず、誰とも向き合う事もない。だけどね、それじゃ人は救われませんよ。そんな人間の言葉では人は救えない」


「ずいぶんとはっきり言い切るんだね。キミが正しいという証拠でもあるという口ぶりだ」


「ありますよ」


「では見せてもらおう」

僕はその言葉を待っていたかの様に、すぐさまタカマさんを指差す。


「アナタ自身ですよ。アナタが言う高尚で洗練された言葉がどれほどの物なんですか。そんな物、こねくり回した文字の羅列でしかない。現にあなたはその言葉で自分ひとり救えていないではありませんか。アナタはいつだって惨めで一人ぼっちじゃないですか」


「そんな事はない。私は救われているよ」


「救われてないからそんな生き方をしてるんじゃないですか。SNSで複数のアカウントを作って有望新人のダメだしをしたり、他の人気ユーザーを非難している事が救われている人間のすることですか。昔の書籍化された作品の自慢をSNSで呟いている事がまともな人生ですか。そうやって日がな一日、過去の功績を眺めているつもりですか」


「‥そんなことは」


「ありますよ。あのねタカマさん。どんなに頭を捻って小難しい言葉をこねくり回してみても、人の心に届かなければそれはただの記号の羅列なんですよ。どれほど書き連ねても、意味なんぞ無いんです」

 

その言葉に対してタカマさんは特に反論しようともせず、ただ黙って空中を見つめてい

た。しばらくただ黙って空中を見つめながらパクパクと口を開けゆっくりと呼吸をしていた。それはまるで、死にかけた金魚が末期の酸素をゆっくり味わっている様な、とても哀れみを誘う光景だった。


続く

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