第5話 秋の空

 バッティングセンターは老若男女関係なく、多くの人々で賑わっている。

 音楽や人々の話声で賑やかだ。

 なのに、瑠璃にはその騒音が耳に入らない。

 瑠璃は一点を見つめて、立ちすくんでいた。

 そして、その視線の遙か先には、翔太と加藤がいる。

 それは、いつか瑠璃が翔太と一緒にスイングした光景そのものだ。


 瑠璃の目から涙があふれ、頬を伝わり、地面に落ちた。

 瑠璃は悔しかった。

「なんで……どうして……」

 瑠璃は口元を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。

「う、うう……」

 瑠璃の嗚咽に近くの視線が集まる。

「瑠璃、大丈夫? あいつら!」

 瑠璃は由香にベンチに座らされ、そして由香は勢いよくそこに向かって走り出した。

 涙が止めどなく生まれてくる。

 瑠璃は俯いて、頭を抱えた。

 耳も塞いだ。

 もう何も聞こえなければ見えない。

 いつものように、すべてシャットアウトした。

 そのつもりだったが、感じたくない雰囲気は伝わってくる。

 騒がしく、ピリピリとした雰囲気。

 重々しく何かがのしかかってくる雰囲気。

 人々の視線が集まる雰囲気。

 瑠璃はそのまま石のように固まった。


 どのぐらい時間が立ったのだろう。

 瑠璃の背後に強い風が通り過ぎ、我に返った。

 瑠璃の前に人の気配を感じる。

 顔を上げると、そこには由香が立っていた。

 その表情はとても複雑で、今の瑠璃には由香の心を見ることが出来なかった。

 瑠璃は由香に手を取られた。

 瑠璃の手とそれほどかわららない大きさの由香の手は、とても柔らかく、とても暖かく、そして優しかった。

 瑠璃はその手を握り返し、そのままスポーツ施設を後にした。


 二人は無言のまま、近くに公園にやってきた。

 モールライトの下のベンチに二人は座った。

 瑠璃は着けていたバレッタを外す。

「瑠璃、松田くんのことはもう忘れた方がええ」

 由香は淡々と話し始めた。

「松田くんは加藤と付き合ってへんって言っとったけど、加藤はそのつもりやったみたい」

 瑠璃はただ由香の話を聞いていた。

「うちは、松田くんに瑠璃のこと、どう思っとるのって……」

「もういい……」


「うちも加藤さんと一緒。今までそのつもりやってん。そう、ただのつもり」

 静かな公園で虫たちがモールライトに当たる小さな音が響く。

「練習があった頃、ほんまに楽しかったし、幸せやった。いつでも翔太くんがおったから。それがずっと続いてくれたらいいと思ってた。その頃から、うちはそのつもりやった。でも最後の試合の後、うちはこれが本当の気持ちとわかったとき、そのつもりがつらかった。

 でも翔太くんがうちのこと、どう思ってるかわからへんかった。あんまり自分の事しゃべらへんやん? それに、下手なことして失敗するより、友達のままでもずっと一緒の方がいいと思ってた。でもそんなことなかった。翔太くんと加藤さんが一緒の所を見たとき、うちの入る所ないって。

 実は翔太くんってモテモテやってん。うち知らんかった。おかしいやろ? ほんま、全然気がつかへんかった。っていうか、本当の翔太くんを知らへんかったんかも知れへん」

 少し強い風が吹いた。

 瑠璃は小さく身震いをした。

 もうこのぐらいの時期になれば、日が沈むと肌寒く感じる。

 静かに鳴く虫の声も、もうしばらく立つと聞こえなくなる。

「諦められたら、多分楽なんやろな」

「それって、瑠璃の場合、意味あるんかな? まだ何も始まってへんやん」

「ふふ、ほんま、そやね」


 瑠璃はふとモールライトを見つめ、そして目を細めた。

「光に集まる虫って、どうしたいんやろ。もちろん、そういう習性があるって事ぐらい知っとるで。でもそれって楽しいんかな。みんな同じことして」

 そこを飛ぶ虫たちは、光の周りを飛び、そしていくつかは飛び込んでいく。


「うちは今、何がしたいんやろ。今まで、こうありたいって思う事があって、それが達成されたらすごいうれしくて有頂天やった。うちってすごい、みたいな。なのに出来へんかったら、人のせいやものに当たったりしとった。

ほんまは、出来たんはたまたまで、出来へんかったんは何もしてへんかったからやねんな。

 うちな、杖がなくてももうちょっと歩けんねん。でもな、もしこけたら起きられへんし、と思ったら、歩く練習も全然せえへんようになった。

 多分、うちの思いを翔太くんに伝えとったら、こんなことにならへんかったと思う。でもせえへんかったんはうちやし、だからこうなったんはうちのせい。

 そんなんわかってた。わかってたけど、知らんふりしてた。いままでずっと同じ事の繰り返し。学習能力がないって言うか、うちの中には、こう、まっすぐ一本の筋みたいな、そんなんがないねん。世の中甘く見すぎかな……

 いつでも誰かが助けてくれるって。そんなことないな……」

 不意に由香が隙間を詰める。

 十五センチぐらいあった足と足の間も引っ付くぐらいになった。

 由香の温かさが伝わる。

 くっついていしまうと、瑠璃の気持ちが由香にわかってしまうのではないかと思った。


「瑠璃、考えすぎ。うちもそんなんないし。人生楽して過ごしたいもん。でも譲れんもんは何が何でも守るし、奪うよ、うちは。それにうちは、いつでも由香のそばにおるよ。心配ないって」

「由香ってほんま男前やね」

「そやから、瑠璃。そんなに自分を追い詰めんといて。確かに努力とかそんなんはいると思う。それよりもまず素直になって」

「素直か……そやね」

 瑠璃は由香に向かって微笑むと、由香も少し恥ずかしそうに微笑み返した。

 

「ほら、迎えが来たで」

 由香の視線の先には、翔太が立っていた。

 辺り暗く、表情はわからない。

「ほら、立って。一発殴っておいで」

「ううん、百発殴ってくる」

 瑠璃は微笑んで、そしてゆっくりと杖をつきながら翔太の元へ歩き出した。

「瑠璃、いつでもうちの所に帰っておいで。うちは瑠璃のことだーい好きやから」

「うちも由香のことだーい好きやで」

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秋の空 温媹マユ @nurumayu

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